Trente et Quarante

第六話:約束/3

 数週間後のある日、ソレイユはまたいつもの調子に戻っていた。
 ルミエールが遠慮がちに話しかけても、まるで何もなかったかのように首を傾げるだけだ。
 この間の事は一体何だったのだろう、ルミエールは空中庭園でいつも通り花を摘んでいるソレイユを見つめながら思った。
「どうしたの?」
 花を摘んでいたはずのソレイユが唐突に声をかける。
「え?」
 ルミエールは困惑すると、自分の顔を覗きこんでいたソレイユを見た。その近さに驚いて顔を赤らめる。
 故郷の子供達なら、それほど驚きもしなかったかもしれない。
 しかし彼は彼らとは違う。何か難しい事を考えていて、冷静な所が大人びて見えて意識するなという方が難しい。
 だけど彼は王子でそもそも普通の存在ではないのだ。色々違いがでるのは当り前だと、そう考える事にした。
 ソレイユは相変わらず何も気にした様子はなく、また首を傾げる。
 何で自分ばかり意識しているのだろう、いつも通りのソレイユを見てルミエールは少し頬を膨らませた。
 ソレイユは目を丸くする。
 そしてすぐ、少しだけ口元を緩ませた……ようにルミエールには見えた。
「わ、笑った!?」
 それを見てすぐ恥ずかしくなったルミエールは少し怒る。
 しかしソレイユは「え……?」と不安混じりの声をあげた。この間のように困惑しているのか瞳が揺らぐ。
 ルミエールは悲しませてしまったのだろうかとうろたえる。
「別に怒っているわけじゃないのよ?」
 だけどソレイユは首を横に振り、両頬に手をあてまた震えていた。
 ルミエールには彼が何を否定しているのかわからない。ただ、何か引き金を引いてしまったのはわかった。
「ぼくが、笑うわけない……」
 搾り出すようにソレイユは言う。
 ルミエールは口元を緩ませたように見えた事を言っているのだと気付いた。
「あの人の前で感情を見せては……、関心を引いては駄目」
 ソレイユは呟きながら、踵を返す。
「それが無理なら、感情なんて捨ててしまいなさい……」
 そして花を持ってまたルミエールの元から去っていった。
「ソレイユ!」
 手は伸ばすが、ルミエールはまた追いかける事ができない。
 そうして立ち尽くしていると、いつもルミエールの世話をしている使用人が通りかかった。
 その人はルミエールに気が付くと柔らかく微笑んだ。
 ルミエールは聞けば何か教えてくれるかもしれないと考える。
「あの、聞きたい事が、あるの」
 ルミエールは使用人の傍に行くと声をかけた。
 使用人は少し目を丸くした後、「どうしました?」と笑顔を向ける。
「関心って、何?」
 ルミエールは首を傾げる。
「興味、分かりますか?」
 使用人は優しく返す。
 しかしルミエールは困ったような顔をした。
 それを見て使用人は今部屋に運ぼうとしていた彼女にだす予定のケーキを取り出す。
「……ここにケーキがありますけど、食べたいですか?」
 ルミエールは少し目を輝かせる。
「つまりそういう感じですよ」
 使用人は微笑むと彼女を部屋に戻るように促した。

 部屋に戻りルミエールにケーキと紅茶を差し出すと、彼女はケーキを見つめながら何か難しい顔をしていた。
「ソ……王子さまは王さまに食べられるのが怖いって事?」
「え!?」
 使用人はどうしてそうなるのか分からず変な声をあげる。そして部屋に場所を移して正解だったと胸を撫で下ろす。
 ルミエールは話が見えていない様子の使用人に更に首を傾げた。
「関心をもたれるなって、言われたって……」
 目を丸くした使用人は何か納得すると、憂いを帯びた表情を浮かべる。
「ソレイユ様は、陛下に嫌わるように、王妃様に言われたのでしょうね」
「え……?」
 ルミエールはと戸惑う。王は彼の父親なのにどうして嫌われるようにしなければいけないのだろうか。自分が父親に嫌われなければいけなかったら悲しい。ソレイユはどうなのだろう。
 目の前のケーキと紅茶を少しずつ食べても、彼女はいつものように味を感じる事ができない。
 使用人はどういう経緯でそういう話がでてきたのか聞くと、悲しげに微笑んだ。長く城に仕えてきたその人には、ソレイユの言う事を全て理解できたからだ。
 しかしそれをどうルミエールに伝えればいいのか、伝えていいのか、わからない。
「陛下はソレイユ様を可愛がっておられましたから……」
 語尾を濁すと、困ったように微笑む。
 可愛がる事が悪い事なのだろうか、ルミエールは悩む。だけど正しく説明されても恐らくわからないだろう。
 使用人は彼女の小さな手を慰めるように握る。だけど彼女の将来を想像して表情を曇らせた。
「でも、陛下に好かれるとソレイユ様は辛い目に遭うのです」
 王妃様のように……、使用人は顔を伏せる。
 ルミエールはその辛そうな姿に思わず納得してみせた。だけど、ソレイユは王以外にも感情を見せる事を恐れているように思う。
「きっとソレイユ様にはまだ難しかったのですよ」
 使用人は微笑む、そして彼の誕生日が近い事を彼女に教えた。

 それからルミエールは毎日ソレイユを探しては、特に何かを聞きだそうとするでもなく一緒にいた。
 たまに感情の片鱗が見えても指摘しないように心がける。指摘してしまえばまたしばらく姿をくらますのだろう。それはとても寂しい。
 そうしているうちに日々は過ぎ、ソレイユの誕生日を迎えた。
 第一王子の誕生日ともなれば当然のように式典が執り行われる。ただ今日の空気はとても重い。
 使用人の話では王はソレイユを可愛がっていたという事だったが、王の様子からそれは微塵も感じられない。まるで笑みを浮かべる事のないソレイユに苛立っている。
 ルミエールはその様子を心配そうに眺めていた。王は恐ろしい男だ、そのように機嫌を損ねて、それこそ辛い目にあわないのか不安だった。
 彼女が危惧した通り王は機嫌を損ねると、ソレイユを残してバルコニーから姿を消した。
 それを見ていた民衆がどよめく。
 だけどソレイユは王がいなくなると安心したように微笑む。
「お許しください、陛下は気分が優れないのです」
 いつものような淡々とした喋り。だけどそこには申し訳なさそうな表情と、少しの笑みを足していた。今までの彼なら出来なかった表情だ。
 ルミエールは彼の感情の変化を目の当たりにして、表情が和らぐ。
 民衆もまた、ソレイユの柔らかな表情と言葉に、安心したような声をあげた。

 王のいなくなった式典を切り抜けて、ソレイユは部屋に戻る。
 ルミエールは彼の後を付いていくが、着替えに戻るのだと気付いて部屋の前で待つ。
 この後陛下は他国に出かける。彼の誕生日を思い切り祝う事ができるはずだと、ルミエールは色々考えていた。
 しかしいつまで経っても部屋からでてこない。待っている事を忘れているのだろうか、ルミエールは少し戸惑う。
「ソレイユ、入るよ?」
 軽くノックをして扉を開くと、ソレイユは着替えもせずに鏡を見つめていた。ルミエールには気付いていない。
「ソレイユ?」
 扉を隔てない声に名前を呼ばれ、ソレイユはルミエールを見た。
 顔をあげたソレイユは酷く悲しそうな顔をしている。
「ぼく……」
 小さく呟くと瞳が揺らいだ。
「どうしたの?」
 ルミエールは悲しげに聞いた。本当に悲しそうなのはソレイユだけれど、何が悲しいのか聞く事は躊躇われる。
「そんな顔しないで」
 ソレイユは困ったように優しく微笑んだ。
「大丈夫、もう……、前に戻る方が難しいから」
 その言葉を聞いて、ルミエールはもう唐突に顔を見せなくなる事がないと安心した。しかしソレイユの悲しげな表情を見て、これで良かったのか不安になる。
「言いつけは陛下の関心を引かない事だから」
 ソレイユはルミエールが何を思っているのか分かるとそう言って微笑んだ。
「それとも、今のぼくはいや?」
 悲しい声色で聞いてくるソレイユに、ルミエールは顔をあげると首を横に振る。だけど見上げた先には意地の悪い笑みを浮かべたソレイユがいた。
 ルミエールは騙された事に気付いて、肩を怒らせる。しかし楽しげに笑う彼を見て自然と笑みが零れた。
 だけどソレイユは楽しそうに笑った後、また表情を曇らせる。
 それを見てルミエールは心配そうに首を傾げた。
「君は母上、王妃が死んだ原因を知ってる?」
 問いの意図はわからないがルミエールは首を横に振る。以前王が自殺と言っていたけれど、彼女はそれ以上知らなかった。
 ソレイユはそれが普通だというように続ける。
「ぼくが笑わなくなった所為、なんだと思う」
 ルミエールは首を傾げた。彼がそうなるよう言い聞かせていたのは王妃だ。何故笑わなくなったソレイユの所為になるのだろう。
 だけどソレイユの様子から、それが嘘とは思えなかった。少なくとも彼の中ではそれが事実なのだろう。
「今日の陛下見たでしょ? ぼくを気味悪がっている」
 ソレイユは言うと、立ち上がりまた鏡を見た。
 表情も感情もある、戸惑いこそないけど、どこか悲しそうに自分を見ている。
「それで陛下に遠ざけられて、母上といる時間も減った」
 ルミエールは顔を曇らせる。
「たまに会えても、母上にも感情を見せなかったから」
 そこまで言うと、ソレイユの頬を涙が伝う。
「だから、死んだ……ぼくが、殺した」
 ルミエールは言葉を失う。それはソレイユを責めているのではなく、王妃が死んだ理由を自分の所為にしている事に戸惑ったからだ。
「なのに、今、笑っている、泣いている」
 それでもソレイユは続けた。
「母上が死んだ時は何も感じなかったのに、今頃、酷い息子だなって」
 悔しそうにソレイユは涙を流した。
「ソレイユ……」
 彼を見ているのが辛くて、ルミエールは手を伸ばそうと歩み寄る。
 しかし彼女の身体は何故か前のめりに倒れようとしていた。理由は自分のスカートの裾を踏んだ所為だ。
 それに気付いたルミエールは衝撃に備えて固く目を瞑る。だけどいつまで経っても痛みはない。
「ビックリした。何してるの?」
 頭上からソレイユの声がして、自分が倒れる前に彼が支えてくれた事に気付いた。
 ソレイユが泣いているのに慰める事もできず、むしろ心配させてしまった事に恥ずかしくて顔をあげる事ができない。
「ルミエールは危なっかしいね」
 楽しそうに言われルミエールは顔を真っ赤にして見上げた。
 するとソレイユは涙目のまま笑顔を浮かべている。
「ルミエールが怪我しなくて良かった」
 怒るつもりで見上げたルミエールだったが、あまりに優しく笑うソレイユに今度は違う意味で顔を赤く染める。それに初めて名前を呼ばれた事にも戸惑い鼓動が早まると、よくわからない感情に支配された。
 ゆっくり体勢を戻して支えを解かれると、今度は意識しすぎてソレイユの顔を見られない。
 それを不思議に思ったのか、ソレイユが顔を覗きこむ。
 ルミエールはひいてきた顔の熱がまた上昇するのを感じた。
「大丈夫?」
 ソレイユはやはり心配そうに聞く。
「う、うん?」
 ルミエールは変な声で返事をする。
「良かった」
 ソレイユはまた優しく笑う。
 ルミエールはますます鼓動が早くなるのを感じる。
 故郷にいた同じ年頃の女児にも、今の彼女のような症状に陥っていた子がいた。それを思い出したルミエールの戸惑いは増す。
 ソレイユはいつまでも様子の可笑しいルミエールの手を取った。
 ルミエールは再び変な声をあげる。
「ぼくがルミエールを守るから……母上の代わりになんてさせないから」
 取った手をもう一方の手で包み込むと、誓うようにソレイユは目を瞑った。
 出会った時と同じような言葉だったが、こめられた想いも意味も異なる。母の代わりにされた償いではなく、本当の意味で彼女を守ると彼は誓ったのだ。
「ぼくは……ルミエールの為なら、なんだってできる」
 綺麗な顔といつもより豪華な服、まるで絵本に登場する王子様のようにルミエールには見えた。
「ルミエールが大事なんだって、そう思うんだ」
 ソレイユの笑顔に、ルミエールは泣きたくなるくらい嬉しく思う。だけど恥ずかしくて小さく「ありがとう」と答えるのがやっとだった。
 今まで何でも無意識だったソレイユだ。この「大事」に深い意味はないとルミエールは思う。
 だけど胸が苦しくなりルミエールは初めての恋を自覚した。

...2012.07.17