Trente et Quarante

第六話:約束/4

 八歳になった頃、ルミエールはある悩みを抱えていた。
 近頃記憶が混濁している。そう感じて間もなく、赤の王は自分の両親を殺した最低な王ではなく、最低な自分の父親という認識に変わっていた。
 しかし、ソレイユが弟という認識までは至らない。近親者に恋をしているとは考える事ができず、それが彼女の中で矛盾となり、苦悩に変わった。
 だけど彼女には打ち明けられる相手はいない。特にソレイユには口が裂けても言えなかった。

 そんなある日、ソレイユの部屋に招かれたルミエールは、ケーキと紅茶を食べながら黒の国についての話をしていた。
 もうすぐ第一王子ブランの誕生日だったからだ。
 赤の王と違い黒の王は国民から慕われていて、その王子の誕生日ともなれば国全体で祝福する。その賑やかな声に赤の王は不満を露にし、城全体の空気が重くなる。
「最近陛下は機嫌が悪いね」
 ソレイユは呟くと、ケーキを小さく切り口に運んだ。甘い物があまり好きではないのか、すぐ紅茶を口に含む。
「お父様はいつも機嫌が悪いじゃない……」
 ルミエールは表情を曇らせる。
「……、そうだね」
 ソレイユは一瞬何かを考えると、笑顔を貼り付けた。
「ソレイユが王様になったら、国同士仲良しになれないかな?」
 ルミエールは顔をあげると彼に聞く。
 ブラン王子はとても優しい人柄だと噂で聞いていた。そして彼女からすればソレイユも優しい。だから手を取り合えたら素敵だと単純にそう思った。
「簡単に言うなあ」
 しかしソレイユは笑いながら、少し呆れた風に返す。
「無理かな?」
 ルミエールは首を傾げた。
 国というのは子供が友達を作るような、そんな簡単なものではない。それを理解しているソレイユは顔を伏せる。
「相手がどうでるかもわからないし」
 そう呟いて顔をあげると、悲しげなルミエールの顔が目に入った。
 ソレイユはそれを見て同じように悲しく思うと、残りのケーキを口に含んだ。口の中が甘さで支配された今なら、甘い夢の一つも叶うような気がした。
「大人になったら、国同士も仲良しにしよう」
 ルミエールの顔が明るく晴れる。
 それが嬉しくて、ソレイユも思わず笑った。
 しかしノワールと出会った満月の日に、二人の関係は姿を変える。

 ノワールと別れたあと、ソレイユは黙ったまま彼女の手を引いて歩いていた。
 離れてしまうのではというくらい手の力を緩めたり、次の瞬間には離したくないと言うかのように力をこめたりしている。
「あのね、ソレイユ」
 沈黙に耐えかねてルミエールが声をかけると、ソレイユの身体が震えた。
「え……あ、何?」
 どこか上の空なソレイユにルミエールは首を傾げる。心配をかけた事もあって、実は怒っているのだろうかと不安になった。
 だけどソレイユは怒ってないよ、とどこか悲しさを滲ませた微笑みを浮かべる。
「ノワール様もね、ソレイユと同じ事言っていたの」
 ルミエールは安心したように笑う。
 ソレイユは「え?」と小さく返した。
「『大人になったら、国同士も仲良くしよう』って、貴方と同じ事考えていたの」
 無邪気に言うルミエールの言葉に、ソレイユは一瞬思考が止まった。
 自分の言葉は、ルミエールの事しか考えていない。
 だけどノワールは違う、本当に国同士の事を考えている。少ししか知らないけれど、彼は努力を惜しまず人望もある。
「ノワール様が、好き?」
 ソレイユは笑顔を貼り付け彼女に聞いた。
「とても尊敬できる人だったわ。でもどうしたの? 突然」
 ルミエールは首を傾げる。
 ソレイユは今自分の感じている気持ちは全部気のせいだと言い聞かせた。そして覚悟を決め切れず中途半端な自分を呪う。
 彼女が幸せになれればいい。出会った頃から持っていた罪悪感に縋ればいい。彼女が忘れても、自分は確かに彼女を守ると誓ったのだから。
「そうなんだ、今度はゆっくり話ができるといいね」
 だから、これからは『弟』として、その誓いを守ればいい。
「……『姉上』」
 ソレイユはルミエールを見る事なく言った。
「え……?」
 ルミエールは戸惑い足を止めた。
 すごく悲しくて辛い、なのに何も返せない。今この瞬間、実の父親と腹違いの弟という認識が出来上がってしまったからだ。
 本当の家族やソレイユに対する気持ちは、記憶の箱に詰められ蓋がされる。そうして二人の関係は『姉弟』に変わった。

...2012.07.17