魔法使いの法則

二話:森に住む少女/4

 二人で川沿いを歩きはじめてから約一時間、 その間遥は何度も後ろを振り返っては青褪めまた前を向くという動作を繰り返していた。
 振り返った先には魔物の死骸が道なりに転がっているのだから、青褪めるなというのも無理な話だろう。 しかもそれは全て年下の少女であるシスがやったものなのだ。
 しかしシスは遥の様子に気付いていてもまるで表情を変えなかった。
「どうかしたのか黄泉」
先頭を歩いていたシスは遥を振り返りそう聞いた。
「い、いや、なんでもないです!」
遥はそう答え苦笑いを浮かべた。
 遥はわからなかった。 これから学ぶ魔法の強大さに驚き、期待し、それでゾクゾクと身震いしているのか。 それとも簡単に魔物を殺しているシスの感覚に怯えているのか。 はたまたその両方か……。
 遥の様子に何かを察したシスは口を開く。
「命を重んじ情けをかけるのは確かに綺麗かもしれない、だが……」
「殺意剥き出しの相手に情けをかけられる程、この世界は甘くない……ですね?」
シスは目も見開き遥を見上げた。
 シスのやっている事は自らの命を守る為に必要な事だ。 命が軽い物と思っていないからこそ、 形振り構わぬ相手に容赦できないだけだと、遥はそう考えた。
 だけど大人びているような考えとクールなシスに……、 幼い少女がそんな事を口する現実にどこか悲しさを覚えた。
 遥の気持ちを知ってか知らずかシスは急に足を止めた。
「……この辺りで少し休憩しよう、疲れた」
そう言うと座るのに丁度良さそうな岩に飛び乗った。 後ろに反り返り両手で身体を支え足をブラブラと揺らす。 その様子はやはり幼い少女で遥はどこかホッとした。
「火でも焚きましょうか?」
遥はそう微笑むと近場にあった枝を拾い集める。 自分の持ち物に火を付けられるようなものはない。 だから何となく手ごろな石を両手に一つずつ持った。
 しかしそれを眺めていたシスは苦笑しながら口を挟んだ。
「魔法使いがそんな原始的な方法を使うのか?」
「え!……いや、でも僕まだ魔法をまるで使えませんから」
シスはそれもそうだな、と納得する。
「ちょっと退いていろ」
シスはハープの音色を奏でた。
 魔物を退治する時の荒々しさはなくどこか優しくて柔らかい、 だけどどこか熱くなってくるそんな音色が辺りに響く。
 遥はそんなシスを眺めていたが、シスと自分の間にあった薪が突然燃え出し目を見開いた。
「火が……?!……あつっ!」
遥は思わず手を近づけてしまい、熱さを認識すると手をはらう。 そして魔法が幻覚紛いの物ではない事を知る。
 シスはというと突然火に触れた遥に驚き岩を飛び降り、その手を強引に手に取る。
「お前は何をやっている……!」
シスが握った手は軽度の火傷を負っていて、遥は思わず苦笑する。
 シスはまったく……と言うと再びハープを奏でた。 魔物に負わされた傷を治して時のように治癒術だろう。
「ごめんなさい……でも、ありがとうございます」
遥は治してもらった手を眺めながらそうお礼を言った。 シスはフゥッと息を吐く。
「魔法がそんなに珍しいのか?」
そう言って首を傾げると同時に片耳が垂れる。 質問されているのに遥は思わず和んでしまう。 だけど答えないと機嫌を損ねるだろうと思った遥はぼんやりと考えてみた。
 魔法の存在は知っていた。 書物から母からその存在も学び、そして年に一度の検査の日に嫌というほど聞かされた。 だけどあの日受けた転移魔法以外の……、視覚的にも判る魔法を見たのは初めてだった。
「グランスは、魔法使いを嫌う国ですから」
そう言い訳のように遥は言うが、これから勉強する魔法をまるで知らない事実に溜息を付いた。
「グランスは天使が治める国だからな、当然か」
シスはそう言うと納得したような顔をする。 だけどふとした事が遥の頭を過ぎった。
 シスは天使とのハーフだと言う事にだ。 天使はそもそも法力を持つ種族で魔力は発現しない。 そして獣人も無ではないがそれほど魔力は発現しないと言う話。 確立的にはありえない話ではないが、獣人でも稀な能力を天使の血まで流れる彼女が受け継ぐのは不思議だった。
「シス師匠も天使の血を引いているんですよね?」
「半分だがな」
シスがそう首を傾げると遥は少し申し訳なさそうな顔をして、
「その、こんな風に言うのは気が引けますが……師匠の魔力発現はかなり低確立ですよね?」
と聞いた。
 シスは「確かにな」と顔を伏せる。 遥はまずい事を聞いただろうかと少し慌てた。
「獣人の父が魔力所持者だった、親から子に遺伝する可能性は高いだろ?それだけだ」
彼女の見解を聞いた遥はなるほど……と思った。
「まあ私は法力が強く混じっているから魔力はそれほど強くはないがな……」
「あれで、ですか?」
遥は思わず目を見張った。 彼女があれだけの力を有している。 なら魔力だけを持った自分はどれだけの力を手にできるのだろう、 遥は期待からか少し背筋が震えた。
 だけど遥の知的好奇心はこれだけでは留まらない。
「では天使と魔力所持者の人間のハーフが存在したら能力は……?」
もしも、存在しないとされている天使と人間のハーフが存在したら、その能力は無になるのか? 遥はその疑問の答えを知っているかもしれないシスに期待の目を向ける。
「法力と魔力は相容れない能力だ、百の能力二つは相殺され無になるんじゃないか?」
両方受け継いだ場合だが、と続けるとシスはフゥッと溜息をついた。
 自分の予測どおりの答えに遥は頷きながらも、 こういう討論ができる相手は中々いない為に次々と疑問が浮かんできた。
「だけどあくまで混じるんですよね?もっと強い能力になる可能性はありますよね?」
「まあ天使と人間のハーフが存在しない以上空想でしかない」
遥はそうあしらわれると思わず反論の姿勢を取った。
「確かにグランスには居ませんでしたが、世界規模ならわからないじゃないですか!」
「……お前、本当に何も知らないんだな」
シスの言葉に遥は言葉に詰まった。 少なくとも天使と人間のハーフが存在しない理由を彼女は知っているらしい、 そして自分はそれを知らない。
「(存在しない、ではなく……"できない"……?)」
遥はそう思いながらもなんとなく気分の悪い話になる予感がして聞けなかった。
 会話はそこで途切れ、二人の間に沈黙が走る。 聞こえる音といったら木々の葉を揺らす音や川のせせらぎ、それに灯した火のパチパチと言う音だけだ。
 遥はそれに耐え切れず沈黙を破った。
「そういえば、ご両親は……?家空けてしまって大丈夫なんですか?」
シスは一瞬顔を歪めたのを見て遥は再び慌てる。 少なくとも彼女にとって踏み込まれたくない話だったのは間違いないだろう。 悲しさを滲ませながらも主に怒りを感じさせるその表情は、 両親を心底憎んでいるように遥は感じられた。
 だけどシスはすぐ微笑する。
「安心しろ、私はもう長い事一人で生きている」
「……師匠」
思わず遥は手を差し伸べそうになる。 だけどシスはそれに気付かなかったのか、それとも無視したのか立ち上がると川を覗き込んだ。 遥はシスを追いかけ川を覗き込むシスを見つめた。
 遥が自分を見つめているのに気付くとシスは川の水に指を入れる。
「魔法を行使するなら自然に関する物が一番使いやすい」
突然の魔法指南に遥は少し戸惑いつつ、それでも聞き漏らさぬよう聞き入った。
「更に一番手っ取り早いのが言葉におこす事、だから歌唱や言霊の力は便利なのだが……」
シスは歯切れ悪く切り「水の刃」と呟き指についた雫を払った。
 その水滴は刃となり川の反対側にある木に向かって飛んでいく、 だが葉を切裂く事はできても木にはそれ程傷をつける事ができない。
「見て解るように演奏魔法と違い威力は格段に落ちる」
法力が混じる事で魔力はそれ程強くないと言っていた。 彼女が演奏家なのは歌唱魔法ではまるで魔物に歯が立たないからなのだろう。
「まあ、お前なら歌い手で大丈夫だろう」
シスはそう断言した。
 楽器を持たない遥には歌唱魔法を使う歌い手以外の選択肢は元々なかった。 それに楽器などほとんど触れた事のない彼には無謀な選択だ。 だからその言葉に何の疑問も持たず頷いた。
 シスは再び講義を続ける。
「例えば川、これに関する詩は水属性の魔法を発動させやすい」
シスは川の流れを確認すると、
「穏やかに流れる川の水は地を拒絶し跳ね返す」
そう呟くと一瞬川が光る。 それを確認するとシスは小石を川に落した。
 すると適当に並べられた言葉通りに川が再び光を帯びた。 そして小石は跳ね返され遥の真横を掠めて後方へ飛んでいく。 瞬間、遥は瞬きを繰り返した。
「川に結界を張り地属性の物質を拒絶し跳ね返す、言わば防御系魔法だ」
その言葉に遥は川を覗きこみ、今度は石ではなく砂をパラパラと零してみる。 すると砂は川の表面に浮いたまま水に沈んでいく事はなかった。
「単に攻撃だけが魔法ではないんですね?」
「そうだ」
シスは遥の言葉に頷く。 遥は魔法について考えを巡らせると、 自分の中にある潜在能力が目の前のこの現象を操る能力なのだと言い聞かせた。
「……これが魔法」
次第に鼓動は早くなる。 まだ使えない力を早く手に入れたくて遥は気持ちが高ぶっていた。 そして魔法に憧れるほど、今までとは違う笑みが浮かんできた。
「(やっと手に入るんだ……力が!)」
 遥の様子に気付いたのか、シスは何かを思い空を見上げる。
「(赤い月は一体何を考えている……)」
しかしどれだけ探しても赤月はいるはずがなく、シスは黙って目を閉じた。

 一方、遥とシスが居る辺りからそう遠くはない、グランスのとはまた違う崖に人が溢れ返っていた。
 そこには追い詰められた少年と少女、そしてとても友好的とは言えない集団がいた。
 その集団は全員が思い思いの武器を持ち、そして誰もが天使への恨み事を呟いていた。
「万事休す……ってか?俺様とした事がなぁ」
すぐ横で顔を引き攣らせている少女に話し掛けるかのように少年は言った。 しかしその言葉とは裏腹に表情は活き活きとしている。
「麗羅、本当にそう思ってる……?」
少女は今度は口を引き攣らせて横にいる少年―麗羅に言った。
「全然」
麗羅はベッと舌を出し楽しそうに答えた。 彼は遥と違い頭より身体を動かす方が好きだからだ。
 だが崖に追い詰められてるこの状況だ。 これを楽しめる神経の持ち主なら戦闘狂と言っても差し支えないだろう。
「茜は下がってろ、武器相手に素手でやりあうのは危ないしな」
少女―茜は「うん……」と返事をすると麗羅の後ろに隠れた。
 そして麗羅は左手に持っていた剣を鞘から引き抜き連中に向ける。
「つーか、こいつら全員人間だよな?」
麗羅にそう聞かれ茜は返事に苦しんだ。
「そんな事私にはわからないよ!」
「だな、まあ恐らく人間だわ、うん」
麗羅は面倒そうに頭を掻いた。 茜は訝しげに麗羅の顔を覗き見る。
「紐なしバンジー見られたかな?何でか天使だと思われてるらしい」
そう言うと麗羅は不敵な笑みを浮かべ、鞘は左手に持ったまま剣を構える。 茜は少し寂しそうに麗羅に問い掛けた。
「それって、天使を敵視してるって事?」
麗羅は一瞬その問いに固まるが、考えがまとまるまで長くはかからなかった。
 少し振り返ると冷めた目で茜を見た。
「天使が魔力を持った者を嫌うように、人間も天使が嫌いって事だ」
そう答えるとそのまま集団の方へ飛び込んで行った。
 麗羅の剣は敵の剣にぶつかり鈍い音を響かせる。 その音は森を抜けて崖下を流れる川に沿って歩いていた遥達にも届いた。
 遥は騒々しさに気付いて空を見上げる。 シスはすでに気付いていたのか耳がピンッと立っていた。
「師匠……なんか騒々しくありませんか?」
遥は顔を顰め不安そうに言った。
「どこかで争っているようだな……」
シスはキョロキョロと辺りを見回し、最後に遥同様空を見上げる。 騒がしさの根源が崖の上だと気付いた。
 鳴り響くのは剣の音だけではなく、人の猛々しい声も聞こえてくる。 二人は揃って太陽の光に顔を顰めながら切りだった崖を見上げた。 空に溶け込んでよく見えなかったが、遥はそこに水色の髪を持った人物がいる事に気付いた。
「茜……?」
遥がそう呟くとシスは首を傾げて遥を振り返る。 そうこうしている間に水色の髪は移動して見えなくなってしまった。
「あそこは音の根源だ、ここから呼んでも気付かないだろうな」
「そう、ですね……」
遥は不安そうに顔を歪めた。
 崖上に行く為に辺りを見回すが、そうしている間にも人が宙を舞い、崖から降ってくる。 雑音には悲鳴も混じり、更には人体を切裂いたような気味の悪い音も混じって響く。 その音を聞いて遥は気が気ではない。
「あそこは村のふもとから回り込む以外行く方法はない」
シスは「心配なら今は進め」と急かす。 それを聞いた遥は黙って頷くとシスが示した方向へ走り出した。

 「殴り飛ばしても蹴り飛ばしても斬り飛ばしてもッ全然数減らねェ!面倒くせェッ!!」
遥がすぐ下にいるなど露も知らず麗羅は文句を叫びながら襲いくる者達を宙に飛ばしていた。 もちろん行き先は崖の下だ。
 普段なら急所目掛けて攻撃する彼だが、今は大振りを多用していた。 一人一人を相手にしていてはキリがないからだろう。
 一方茜は数の多さに戸惑いながら立ち尽くす。 そんな時麗羅は敵が落した少し長めの細身剣を茜の足元へ投げた。
「さすがに丸腰じゃ危険って事でお前それ振り回してろ!」
麗羅は振り返る事なくそう叫んだ。
 守りきれる自信がなくなったように見てとれる行動だったが、 それでも一人また一人と敵を崖下に突き落としていく。 その様子からはとても不安を感じているようには思えない。
 茜はそれなりに体術の心得はあった。 だがそれは幼馴染二人と遊び感覚でやっていた手合わせや、 明から教わった簡単な護身術程度のものだ。 とても刃物相手には太刀打ちできなかった。
 茜は恐る恐る剣を握る。 初めて握る剣に怯えながらも身を守る為に敵が近付く度振り回した。
 剣の心得のある者より心得なく適当に振り回す者の方が厄介なのだろう。 自然と標的は麗羅に定まっていった。
「私、すごく滑稽な気がする……」
「実際滑稽だから仕方ねえだろ!」
普段ならここですぐ叩き返しているのだが、状況が状況だけにそんな気は起きない。
「(あとで覚えておきなさいよ……っ)」
茜は心の中で制裁予告をした。
 そんな茜の様子など気にもせず、麗羅は目の前の敵だけを見つめていた。 口ぶりは焦っているように感じさせたが、 その表情は溜まっていたストレスを解消するかのように活き活きとしていた。

...2008.11.13/修正02