魔法使いの法則

二話:森に住む少女/3

 後を追う者がいる事も知らず遥はただ川沿いを歩いていた。
 見渡す限りの大自然、遥はその森の中で耳を澄ましてみる。 聞こえてくるのは鳥の声、 聞こえてくるのは川のせせらぎ、 聞こえてくるのは木々の揺れる音。 どれもとても心落ち着く音色なのだが、最後に聞こえて来た声だけは慣れない。 それは魔物の唸り声だ。
 遥は思わず青褪める。
「駆けてくるタイプの魔物だったら確実に死ねますね……」
口の端をヒクヒクとさせ遥は呟いた。
 グランスからでた事のない遥は魔物を知識でしか知らない。 そして大体は獰猛で血を好み、生き物を襲うというものだ。 遥は思わず身震いした。
 しかも遥はここ数年体育の授業は抜け出してばかりいた。 補習だけは嫌で単位だけは落さないようにしていたが、それでもギリギリの出席率だった。 どちらかと言えばインドア派の遥にとって運動不足以外の何ものでもなかった。
「(体力もないし見つかったら終わりですね……急ごう)」
遥は心の中でそう決意すると歩く速度を上げた。
 何も考えないようにしながらスタスタと歩いていく、 そんな時あの少女―シスを思い出して速度を緩めた。
「あの子、こんな森に一人で生活して、大丈夫なのでしょうか……」
獣人は自然の子と言われている。 だから森に住んでいる事は普通なのだろう。 だが彼女がハーフである事、そして一人だという事が遥には引っ掛かった。
「森の中に子供一人なんて、危ないに決まってますよ……っ」
遥は途端心配になって元来た道を引き返そうと踵を返した。
 体力がないなりにペースを気にしながら駆けていく。 そんな時何かに気付いて遥は立ち止まった。 弱々しい泣き声が聞こえてきたからだ。
「みゃぁー……」
「猫……?」
声はどこから聞こえるのだろうと遥は辺りをキョロキョロとした。 すると一箇所だけ草が風とは明らかに違う揺れ方をしているのを見つけた。
 遥は草むらを掻き分けると、そこには子猫と思わしき生き物が一匹丸まっていた。
「あ……」
その子猫と思わしき生き物は茶色毛で覆われ、その背からは小さくも羽が生えていたのだ。 羽の生えた猫など聞いた事がない遥は魔物かと思ったが、 仮に魔物だとしてもこんな小さい子が何をできるというのだろう。 弱っているのか目を瞑ってブルブルと震えて鳴くだけだ。 それに、本には全ての魔物が獰猛で人に危害を加えるとは書いていなかった。
 遥はその子を抱き上げると頭を優しく撫でてやった。
「大丈夫ですか?何か怖い事があったんですか?」
答えられる筈がないのは判っていたが、遥は優しく質問した。
 抱き上げたその子は今もブルブル震えている。 羽が生えていても、遥にはただの子猫にしか見えなくなっていた。
 安心させようと遥は優しく子猫の頭を撫でつづける。 そして丁度良い場所を見つけるとその場に腰をおろした。
「お前も一人なんだね……落ち着くまで傍にいますからね」
遥はそう言って微笑んだ。

 大分時間が経ち、遥は再び腕の中にいる子猫に視線を落した。 目は今だに瞑ったままだったが、子猫は腕の中をモゾモゾ動き回っている。
「そんなに動き回らないで、くすぐったいですよっ」
遊んでいるかのようなその行動を眺めながら遥はくすぐったくて笑った。
 そんな時、遥は視線のような殺気を感じてその方向を振り返った。 気のせいだと思いたかったがやはり何かが自分達を見ている。 よく耳を澄ますと、『グルルッ』と小さく唸り声をあげている。
「(魔物……!?)」
遥は子猫をその場におろすと立ち上がった。
 横に立掛けておいた杖を構え、魔物がいる方向を睨みつける。 子猫は温もりが遠ざかり「みゃぁー……?」と不安そうな声をあげた。
「危ないですから、そこにいてくださいね?」
遥は口元に指を立て静かにというような行動を取って言った。
 子猫はまるで人の言葉を理解したように静かになり、遥は魔物に集中した。 辺りに沈黙が走ると、一人歩いていた時のようにあらゆる音が聞こえてくる。 聞こえてくるのは鳥の声、聞こえてくるのは川のせせらぎ、聞こえてくるのは木々の揺れる音。 唯一違うのは魔物の唸り声は間近で響いている事だ。
 遥は息を呑む。 木々の揺れる音は勢いを増し、風の音も強く聞こえてくる。 遥の心臓は鼓動を増し、嫌な汗が頬を伝った。
「グルルルルアアァァァッ!!」
瞬間、魔物は草むらから子猫目掛けて飛び出してきた。 白と黒、そして青の混じった毛を纏うその魔物は狼に良く似た容姿をしている。
 遥は構えていた杖で大きく開かれた魔物の口を捕える。 弾かれた魔物は宙を舞いながら苦しそうな声をあげるが、 すぐ体勢を立て直し軽やかに着地した。
「これが……魔物……」
遥は自分を睨むその生き物に身震いがした。
 先程も考えていた事だが、遥はこの魔物に勝つ事はできないと悟る。 遥は子猫を連れてどうにか逃げる方法がないかを考えるしかなかった。
「(相手は狼に似た魔物だ……走って逃げきれるはずがない……っ)」
遥は視線も外さず構えも解かず一生懸命思考を巡らせる。 しかしここには戦力外の子猫と魔力のあてにならない自分しかいない。 生き残る事すら危い、今の状況が絶体絶命の危機である事を思い知っただけだった。
 襲いくる魔物を杖で跳ね除ながら、遥は魔物の攻撃パターンを収集する。 この方法で導き出せる答えがあるかもしれないと考えたからだ。
「ハァッ……ハァッ……」
遥は呼吸を荒くしながら、額の汗を拭う。 頬を掠めたらしい攻撃の痕から微かに血も滲む。 体力のない遥に長期戦は不利なのだ。
 そんな時、不自然な点に気付いた。 魔物は何故間を置いて攻撃してきているのか、だ。 遥は魔物の攻撃してくる時、何が起こるかを考えた。
「(……風?)」
遥は攻撃された時の状況を全て思い返す。 そして魔物は風が吹くのと同時に攻撃を仕掛けてきている事に気付いた。 恐らく風が強く吹く瞬間を狙い、攻撃のスピードを速めているのだろう。
「(という事は……風属性!?)」
風属性と言う事は相反する属性である地に弱いという事だ。 石を投げつけるだけでも十分効果はあるかもしれなかった。
 だが気付いた時には遅く、また木々の揺れる音が勢いを増す。 強い風が来る予兆。 魔物はこれを待っていたというように勢いをつけて襲いかかる。 狙いはあの子猫だ。
「あ……!!」
途端遥は子猫の元へ走る。 こんなに小さい身体では一撃でも攻撃されたら痛みに耐え切れず死んでしまうだろう。 自分なら耐え切れるかもしれないと、本能でそう悟っての行動だ。 間一髪魔物の攻撃の前に子猫に覆い被さる。 そして来るであろう痛みに遥は歯を食い縛った。
 その時、子猫は瞑っていた目を開く。 右目は少し血の色に近い赤紫色、左目は自然を表すような深い緑色。
 子猫は今の状況に満足したように笑みを浮かべたようにだった。
「合格だ、黄泉 遥」
「……え?」
腕の中から聞き覚えのある声が聞こえ遥は目を開く。 すると腕の中に子猫はいない。 代わりに辺りからはハープの音色が響いていた。 遥は状況がわからず魔物の方を振り返る。
「グルワアアァァァッ!!」
ハープの音色が終わるのと同時に、光の槍が魔物に突き刺さり断末魔が木霊した。
 その衝撃と眩しさに遥は思わず目を瞑り腕で顔を覆う。
「グルッギャア……ッ!……ガァッ!!」
魔物はのた打ち回った後、絶命した。
 辺りが静かになり遥は恐る恐る目を開けた。
「こ、これは……ッ!」
遥は顔を顰める。 眩しかった光の槍が消えた事により辺りは血が飛び散り真赤だった。 しかも目に映るのは血肉だけではなく、切断された骨まで見える。 遥は気持ち悪さに口を抑えた。
「これが魔法だ」
遥は声のした方向を振り返ると、再び目の眩みそうな光を放っていた。 しかしその中に何かが存在しているようだ。 遥は目を細めその光の中を苦しげに見つめた。 だが今度は人の姿を残してすぐ光は消えた。
「君は……!」
光の中にいたのは昼間わかれたハーフの少女―シスだった。
 遥は目を見開き、驚きのあまり言葉が言葉にならない。
「ど、どうしてこんな所?あの子猫は?!」
ようやく発した言葉も聞きたい事が混ざって遥自身意味がわからなかった。
「落ち着いて一つずつ質問しろ」
遥はその言葉でようやく我に返った。
 シスは呆れ顔で遥を見つめ、遥は一人戸惑っていた事に赤面していた。 しかしいつまでも疑問をそのままにしてはおけない。 遥は顔を伏せたまま質問する事にした。
「あの、さっきの子猫は、君、ですか?」
本から得た知識では獣に姿を変えられるとあったのを思い出し、遥はそう聞いた。 もしそうならさっきの子猫に羽があったのも頷ける。
「そうだ」
シスは呆気なく答えた。 目を瞑っていたのはきっとさすがに気付かれると思ったからなのだろう。 何の為に子猫のふりをしていたのかはわからない。 それに遥は自分の言動を思い出して、それどころではない。 恥かしさのあまり地面に突っ伏しカタカタと振るえた。
 だけどそう行動してしまったものは仕方ないと開き直り、 身体を起こすと再び質問をした。
「あの魔物って……」
「知らん、襲いかかってきたから試験に使おうと思っただけだ」
遥はそれを聞くと俯いた。 だがそれもそうかと遥は妙に納得する。 自分はこれだけ掠り傷とはいえ傷だらけだ。 これが仕組まれた事だったら少しゾッとする。
 しかし一つ気になった言葉があり顔をあげるとシスを見つめた。
「試験……?」
その疑問の声を聞いたシスはようやく本題に入れるという風に肩を竦めた。
「そう、試験だ」
そう真っ直ぐにシスは遥を見つめて言った。 その色の違う二つの瞳に居抜かれて遥は少し緊張する。
「私は腰抜けは嫌いだ」
何の事かわからず遥は首を傾げたがシスは何も答えない。 まるで試されているような錯覚を持った。
「よ、要するに、僕が子猫を守るか見捨てるかを試してたって事ですか?」
「さすがにそういう所だけは鋭いな」
シスはそう言うと薄らと笑った。
 遥は昼間までとシスの様子が何か違うように感じた。 だが何が違うとわかっているわけでもなく口は挟まなかった。
「そしてお前は弱者を庇った、だから合格だ」
「は、はい?」
そこまで言うとシスは遥に近付きハープの音色を奏でた。 心地よい音色だ。 そしてそれを聞いていると何だか傷口がこそばゆいような気がした。
 シスが音楽を奏でるのをやめると、遥は自分の頬に触れた。 血はそのままだが、傷口が消えている。 恐らく治癒術をかけてくれたのだろう。
「あの、ありがとうございます」
遥は戸惑いながらも傷を治してくれた事にお礼を言った。
 しかしシスは少し照れただけで瞬間顔を背けた。 だけどすぐ振り返ると遥を指差した。
「お前は杖や舞服まで所持しているのにまるで魔法を理解していない!」
「え?」
遥は苦笑しがちにそう反応した。
「……それが歯痒いて追いかけてきた」
シスの言葉の意味がわからず遥はオロオロとするばかりだった。 一体彼女は何が言いたいのだろう、遥は一生懸命考えた。
 しかしそれはシスも同じで何をどう伝えればいいか判らずイライラしていた。
「折角助けたというのに今のままでは無駄死にするだけだ」
シスは視線を外し、長い髪を指でクルクル弄る。 それがパラパラと指から離れていくと再び視線を遥に戻した。
「だから!私がお前に魔法というものを教えてやる」
「……え!?」
思わぬ言葉に遥は一瞬間を置いて驚いた。 それをシスは不満そうに口を尖らせながら見つめている。
「嫌だというなら仕方ないが……」
シスは不満そうなまま顔を背け、「年下を師にするなど屈辱的だろうしな」と続けた。
「いえ、そんな事はありません!ただ……」
遥は誤解を解くようにそう声をあげるが、言葉を濁した。
 確かに今のままでは不安が残る。 魔法と言う名の武器を手にできる機会を逃したくはなかった。 だけど、
「僕は一刻も早く幼馴染を探しに行きたい、ここに留まる訳にはいきません……」
そう答えて俯いた。 手をきつく握り、歯を軋ませる。 折角の機会を逃す事が遥は悔しくて仕方なかった。
「?私が同行すれば問題はないだろう」
シスは遥の思いとは裏腹にそんな事を口にした。 遥の考えに反して彼女はここに留まる気は毛頭なかったからだ。
 遥は即座に視線をシスに戻すが、幼い少女を目的のない放浪紛いの旅に連れ出すのは気がひけた。
「でも、君にはまったく関係のない旅です……」
「同行されるのも嫌なのか?年下でも構わないんじゃないのか?はっきりしろ」
シスはそう溜息を付くと呆れた。 その様子に遥は気を悪くさせたかと思い慌てる。 人を面倒事に巻き込む不安、手に入れたい物を手にできるかもしれないという期待、 それらが入り混じって複雑な気持ちになっていたからだ。
 しかしそれではシスは納得しないだろう、遥は正直な気持ちを打明ける事にした。
「教えて頂けるなら、その機会を無駄にしたくはありません、ただ……」
そこまで言い再び遥は俯いた。 だがこのまま言葉を濁らしたままではいけないと、顔はあげず続ける。
「あまりにも君に不利益な条件です……っ」
遥の様子を眺めていたシスは口元だけ笑うと遥に近付いていった。
「気にするな、お前に付いていけばいずれ目的が果たせる」
遥はそれを聞くと顔をあげた。
 幾つか疑問は残る。 こんな都合よく事が運んでいいのだろうかと、遥は複雑だった。
「お言葉に……甘えていいんですか?」
「遠慮する事はない」
そうシスは軽く笑うと川沿いを先に歩き始めた。 遥に教えた村の方向だ。
 しかし遥は昼間聞きそびれた事を思い出し急いで立ち上がり、
「あ、待ってください、君の名前は……?」
と呼び止め、シスのすぐ横に立った。 シスは足を止め、遥を見上げる。
「シスだ、好きなように呼べ」
シスは踵を返すと再び歩き出した。 遥は名乗りあげるタイミングをなくしたまま後を追う。 そして追いついてきたのを見計らい、
「私はお前を"黄泉"と呼ぶ」
そう背を向けたまま言った。
 遥は一瞬首を傾げる。 何故自分の名前を知っているのだろう。 自分は一度も名乗っていないはずだからだ。
 だけど小さい子に苗字で呼ばれるのは何だか不思議で、 師匠らしく振舞おうという心の表れなのだろうか、 苦笑している間に遥は些細な事に思えてしまった。
「はい、シス師匠!」
そう遥は笑顔で返事をするとその後について歩きだした。

...2008.11.07/修正02