魔法使いの法則

二話:森に住む少女/5

 遥は村のふもとまで走りきると膝に手をついて肩で息をしていた。
 だが距離から考えるとまだ中間地点。 遥は自分の体力のなさを後悔するが、それでも体育の授業を必要以上に受けていなかった遥にしては健闘した方だった。
 手の甲で汗を拭い呼吸を整えていると、少し送れてシスがやってきた。
「そこから……さっき見えた所に、行けるはずだ……」
荒い呼吸でシスは言った。
 遥同様膝に手をついて肩で息をしているが、呼吸は整う気配がない。 その様子に遥は急かす言葉を飲み込んだ。 今にも倒れてしまいそうなこの少女にそのような言葉は言えなかった。
「シス師匠、少し休憩しましょう……」
遥は少し休めばまだ走れるだけの余裕はあった。 だけど彼女は違う、もう体力の限界だというのは一目瞭然だった。
「先に……行ったらどうだ」
シスは力無く遥を見上げるとそう呟いた。 遥は一瞬目を見張る。
「師匠を置いてはいけません!」
当然のように遥はそう答えた。 だがシスは眉間に皺を寄せて遥を睨みつける。
「危険なのは、あっちだ……」
シスは小さくそう呟くと遥を指差す。
「私を理由にして足を止めるなッ!」
そこまで一気に言うとシスは咽かえる。 呼吸が整わないうちに大声を出したからだろう。 遥は見上げられてる筈なのにどこか見下ろされてる錯覚を覚えた。
 遥は驚きにしばらく瞬きを繰り返していたが、シスはそんな様子は気にせずその場に座り込んだ。
「私も少し休んだら行く、黄泉は先に行け」
そこまで言うとシスはそっぽを向いた。
 遥は戸惑ったが行けと言われた以上従うべきだと思った。 何より彼女の言う通り、危険なのは茜達の方だからだ。
 問題はシスなしで助けられるのかという事だ、遥はまだ魔法の基礎しか知らない。 そんな状態で魔法を使えるとは思えなかった。
 だが魔法が使えなくても数年前までは手合わせもよくしていた。 鈍ってはいるだろうが背後から行くのだから有利なはずだと遥は自分に納得させた。
「わかりました……でも、無理はしないでくださいね?」
遥はそう言って微笑むとシスの頭を撫でた。 そして踵を返すと振り返る事なくそのまま崖の先端に向かって走り出す、 シスはそれを横目で見ながら、撫でられた頭に触れて複雑な気持ちになった。
「師匠師匠って呼ぶ癖に……扱いは子供なんだな」
頬を膨らませ唇を尖らせる。 だけどそれは不満というより照れているような顔だった。 だがそんな自分が恥かしかったのかシスはその場に不貞寝した。

 「……片付いたか?」
麗羅は周りにもう立っている者がいないのを確認すると剣を鞘に収める。 それでも周囲には細心の注意を払った。
 茜は麗羅の言葉に安心したのか剣を早々に手放しその場に膝をついた。 鼓動が早く、剣を振り回していただけなのに肩で息をしている。
「んだよ茜、だらしねぇな」
 その様子を見ていた麗羅はクククと喉を鳴らした。 その言葉にムッとした茜は即座に立ち上がる。 さすがに麗羅もそれには苦笑してしまった。
「それにしても、どうしてこの人達襲ってきたの……?」
 気絶している人々を眺めながら茜は疑問を投げかけた。
 途端麗羅は髪をかきあげると不機嫌そうに「ハア……」と大きな溜息をついた。 まるでそれは呆れて物も言えないという態度だ。
「な……何?」
「あのな、俺ら天使だと思われてるらしいって言ったよな?」
理解していない茜に麗羅はもう一度言った。 しかしそれでも茜は納得できず首を傾げるばかりだ。
 なんとか耐えて話していた麗羅だったが「さっきも言っただろ!」と声を荒げた。
「天使が魔力所持者を嫌うように、人間も天使が大嫌いなんだ!」
その言葉に茜は思わず目を見開くとポカンと麗羅を見つめた。
 その彼女の様子を目の当たりにして麗羅は口を噤む。 グランスに住んでいた人間の発言とは思えない言葉を口にしたからだ。
 グランスはトップに立つ有翼天使だけが天使な訳ではない。 羽を持たない天使が数多く存在する国だ。
 天使と人間の混じる家族こそなかったが争いもなく暮していられたのは、 お互いの種族がお互いを差別せずに生きていたからである。
 当然茜はここで暮していた麗羅が天使を嫌っているなどとは思っていなかった。 だから声を荒げて"人間も天使が嫌い"なのだと主張した彼に戸惑ったのだ。
「クラスの子達……嫌いだった?」
茜は物悲しげにそう呟いた。
 その瞬間麗羅は何かに射抜かれたように動きが止まった。 人間以外のクラスメイトが嫌だと思っていたのだろうか、 造形が同じだから気にならなかっただけなのだろうか、 それとも……。
 答えの出せない問いに麗羅は俯きうろたえた。
「俺は……」
ズキズキと胸が痛み、段々と頭痛までしてきた麗羅は頭を抑えた。
 結局言葉が浮かばず二人の間には沈黙が流れた。 その時「……天使の癖に、生意気なんだよ!!」 と気絶していた中の一人が起き上がり襲いかかってきた。
 隙を付かれ麗羅は声の方向を振り返る。 しかし気付くのが遅すぎたのか敵はすでに剣を振り下ろしていた。
「れ、麗羅!!」
茜は肩を強張らせると彼の名前を叫んだ。
 間一髪避けながらも麗羅は「ッチ」と舌打ちする。 剣は左腕を掠めていた。 白い制服の裂けた所から血が飛び散り白い制服を鮮血に染めていく。
 茜には飛び散った血がコマ送りのように見えていた。 呆然と血の粒を見つめながらドンドン目は大きく開かれ、 ドンドン顔色は青褪めていく。
「イヤアァァァァ……ッ!!」
茜は悲鳴をあげるとそのまま膝をつく。 そして顔を覆い隠しボロボロと涙を流し身体はガタガタと震えていた。
 麗羅は即座に茜を振り返る、そして彼女がパニックを起こしているのに気付いた。
「茜……ッ……!」
麗羅は茜の名前を呼ぶが痛みに顔を歪めた。
 敵はその間も容赦なく襲ってくる。 それを剣を抜きなんとか太刀を受け流した。
 だが血の滲む左腕を庇いながら、更に気の動転している茜も庇わなければいけない。 一対一とはいえ麗羅には分が悪かった。
 そんな時、遠くの方から足音が聞こえてきた。
「(新手か!?……さすがにやばいぞ……!)」
増援が来たら絶体絶命だ。
 そもそも麗羅は同族に勘違いで襲われるなど想定外だった。 それでも余裕だろうと思っていた。
 だが動揺のあまり隙を作ってしまい、今その所為で殺されそうになっている。 麗羅は後悔に歯を軋ませた。
 太刀を防ぎながら麗羅は遠くを見つめる。 心臓は今にも破裂するのではないかというくらいバクバクと脈打っている。 しかし良い意味で裏切られた。
「(あれは……遥か!)」
こちらに向かってきているのは遥だった。
 麗羅は口には出さず増援ではない事に安心した。
 その一方で遥は麗羅が怪我をしている事に気付き、今剣を交えている相手が敵なのだと考えた。 更に近付いていけば麗羅の表情が苦痛に歪み、追い込まれている事も判る。
 遥は敵がこちらに気付かないうちに背後に周り込まねばと隙を伺う。
「しばらく寝ててくださいね!!」
遥はそう叫びながら麗羅を追い込む者の頭部を力任せに杖で強打した。
 強烈な一撃を受け敵はその場に崩れ落ちる。
「はぁ……大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけねぇよ!もう捨て身だったぜ!!」
麗羅の言葉にどちらからともなく笑い始めた。
 再会を喜ぶ余裕もなく茜がパニックを起こしているのに気付き遥は駆け寄る。 そしてガタガタと震える茜の肩を揺さぶった。
「茜、茜!」
そう名前を呼ぶと、茜は恐る恐る声の主を見上げる。
「遥……!」
遥を見て安心したのか、茜はようやく落ち着きを取り戻した。
 遥は胸を撫で下ろし、「無事で良かった……」と呟いたが、 気にかかるのはそれだけではなかった。
「麗羅、怪我は大丈夫ですか……?」
遥は振り返るとそう麗羅に聞いた。
 麗羅は急に話を振られキョトンと目をパチパチさせたが、 いつも通りの笑顔で「大丈夫じゃねーよ!」と答えた。
 途端遥は茜の方を向きなおすと「そのくらい元気があれば大丈夫ですね」と素気なく言った。 そして茜に手を差し伸べる。
 茜はその手を握り立ち上がるが、麗羅の傷を見て再び顔を歪ませた。
「ごめん、麗羅……私の所為で」
再び俯いてしまった茜を見て二人は顔を見合わせる。 麗羅はバツが悪そうに頬を掻いていたが、遥は肘で麗羅を突付くと何かを急かした。
「お前の所為じゃねえよ、気にすんな!」
麗羅はそう照れ臭そうに言うと茜の頭をポンッと撫でた。
 茜は涙を堪えて目尻に溜まった涙を拭うと「ありがと・・・」とお礼を言った。
 昔から二人はまるで兄妹みたいに麗羅が何かと世話を焼いていた。 遥も同様に世話を焼かれているのだが、実際に弟がいたから少し違う。 だから遥は二人が羨ましく見える事も多かった。
 懸命に涙を拭き顔をあげた茜は、無理矢理作った笑顔を引き攣らせていた。 それに二人は首を傾げる。
「遥後ろ……!!」
「え……?」
振り返った瞬間、遥は強く突き飛ばされた。
「っな!?」
そこには遥が殴り倒した人間がいた。
 遥の身体は目の前に立っていた茜ごと宙に投げ出される。 一足先に気付いた麗羅は二人に駆け寄るが、どちらの手も掴む事はかなわなかった。
 崖から下を見下ろし、二人の身体が水に吸い込まれるのを見ている事しかできない。 川に落ちた音が耳に届いた時、麗羅は顔面蒼白だった。
 水音が止めば代わりに背後から笑い声が響き、麗羅はワナワナと震えた。
「……てめえぇッ!!」
麗羅はまだ鞘に収めていなかった剣でその人間を斬り付けた。
 勘違いされているとはいえ同族、だから麗羅は斬る事はしないでいた。 だがその甘さが二人を危険に晒してしまい、麗羅は自分に腹が立った。
 しかし大量の血が傷口から噴出しているというのに、その人間は笑う事をやめない。
「ははははははッ!!……天使に、必ずや天罰をぉ!!」
口からも傷口からもどす黒い血を流しながら、力尽きるまで人間は笑い続けた。
 麗羅は人間のなれの果てを見下ろしながら、剣の血をはらい鞘に収める。 そして再び川を見下ろした。
 川の流れは早く、二人の姿は確認できない。 ただ生死に関わらず下流に流されているだろうと言う事だけはわかる。
「くそ……っ!」
麗羅は地面を強く殴り歯を軋ませた。
 だが再び足音が聞こえその方向を振り返る。 ただそれは柔らかい音だった為先程に比べると警戒心は湧かない。
「……黄泉?」
それは遥の後を追ってきたシスだった。
 彼女はキョロキョロとするが遥らしい人影は見当たらない。 だが遥と同じ制服を着ている麗羅を見初めると思わずジロジロと眺め始めた。
「何だこの猫ガキ……」
 麗羅はジロジロと見られ不服そうに呟く。 すると今度は麗羅を睨みつける。
「んだよ、俺様に何か言いたい事でもあんのか、あ〜?猫ガキ」
シスの態度に麗羅は唇を尖らせ柄悪く言った。
 そして当然のようにシスは更に不満そうに顔を歪める。
「私はガキじゃない!お前と同じ制服を着ている弟子を探しているだけだ」
 やっぱりガキだ、と思うと麗羅は面倒そうに頭をカリカリ掻いた。 しかし気になる単語に思わず動きを止める。
「同じ制服?弟子?なんだそりゃ」
麗羅は首を傾げた。
「黒髪で漆黒の舞服を着た男だ、お前心当りあるだろう?」
見下ろすようにシスは微笑する。 そこまで言われなくても遥の事かと思っていた麗羅は「何してるんだあいつ……」と苦笑した。
「あーそれ多分俺の幼馴染だ、でも今川に落されちまった……」
恐らく遥が世話になった相手なのだろうと麗羅は無視する訳にもいかずに答えた。
 それを聞いたシスは川を見下ろす。
「よく流される男だな」
そうぼやくと「ここは水深が高いから恐らく無事だろう」と続けた。
 麗羅は「俺以外二度目だし」と口の端をヒクヒクさせ苦笑する。 だが麗羅の言葉など無視し、彼の腕に目を止めた。
「怪我しているのか?見せてみろ」
シスは麗羅に駆け寄るとその腕を見た。  痛みのせいか知らず知らずのうちに麗羅は左腕を抑えていた。 掠めたと思っていたが結構深く斬れていたようだ。
 傷の程度を見てシスは少し顔を顰める。
「……さすがに魔法では無理だな」
「あ?」
その言葉に麗羅は首を傾げるが、 そんな事には目もくれずシスは傷に手を寄せ意識を集中した。
 すると暖かい光が麗羅の傷を包み込みその光が消えた頃には傷は完全に塞がっていた。
「へえ〜魔法使いでも法力使える奴もいるんだな、サンキュ」
麗羅は驚きに目を見張りながらシスにお礼を言った。
 ハーフだから二つの術を取得できたのだが、中途半端な二つの力は混ざり合い力を弱めていた。 だからシスは感心されても嬉しくはなかった。
「よく魔法使いだってわかったな」
「そりゃ、"魔法では無理"って呟いてたし?」
麗羅はそう言ってニヤリと笑った。
 シスはちゃらんぽらんに見える麗羅が思ったより抜かりがない事に感心した。
「でさ、猫ガキは何であいつに魔法教えてんの?」
そう麗羅が質問すると、シスは少し不満そうな顔をした。
「天使はあいつが魔法を取得するのを防ぎたいだろ、ハーフとはいえお前も気にかかんね?」
まるで子供に悪い事をしてはいけないと麗羅は教えているような気分になった。
 だけどシスは何も返せない。 彼女自身もそれは気に掛かっている事だからだ。
 麗羅は複雑そうな表情を浮かべるシスを見て、溜息を付くとその頭をポンッと叩いた。
「とりあえず降りようぜ」
そう声をかけると麗羅は村のふもとに向かって歩き始めた。

...2008.11.15/修正02