先程と同じだった。
私に痛みはない。
それとも、即死ってこんなものなのかな。
だけど死を覚悟した事に途端罪悪感が込み上げてきた。
私のお腹にいる子供は生きる権利があったはずなのに、私の勝手な覚悟でそれを奪ったんだ。
「ごめんね……」
私が今言いたかった言葉だ。
誰かが私の代わりに言ってくれたの?
どこか聞き覚えのある声だったな。
だけどそれは自分で言わなければいけない言葉だから……。
だから私はゆっくり目を開けた。
「律君……?」
彼は私の傍に倒れていた。
いつも隠している額の傷から血が滲んでる。
いや……これは……。
「……!リツ君!?」
私は状況を把握した。
斉藤さんの身体を横たえて彼に近付く。
「何でこんな……っ」
彼はゆっくり目を開けると私を見て悲しそうに笑った。
「じゃあね……」
彼は再び目を閉じた。
私は驚いて彼を抱き起こす、額の傷は血こそでてるけどそんなに酷くはない。
むしろ埋め込まれたというチップが盾になったように思う。
だけど彼は死んでしまうかのように別れを告げ、そして眠った。
「リツ君!!起きて……っ起きてよっ!!」
私は一心不乱に彼を呼んだ。
だけど彼は答えない。
「……壊れちゃったのね、残念」
しかし智早は悲しみを微塵も出さずただ玩具が壊れたかのように言い放った。
この人が同じ人間なの、とても信じられなかった。
悪魔だってこんなに酷くないとさえ思えた。
「可哀想だから貴女追いかけてあげてちょうだい」
クスクスと笑いながら智早は再び銃を構えた。
私は彼女を睨みつけるだけで動かない。
いや、動けない。
二人がもし死んでいたとしても彼女は遺体すら弄ぶ気がするのだ。
だから二人を見捨てて逃げる事はできない。
そして三度目の銃声が響く。
だけどそれは智早のものではなく、彼女の銃は宙を舞った。
「三人から、離れなさい……!」
私はッハとして声のした方向を見た。
その方向にいたのは銃を構えた母だった。
母は二階の家の前から彼女の銃を撃ち抜いていたのだ
智早は銃を拾い上げると舌打ちをして逃げていった。
サイレンの音はまだ聞こえてこない、結局彼女を逃がしてしまった。
母は階段を駆け下りるとすぐ斉藤さんやリツ君に応急処置をする。
私は顔を合わせづらくて目が泳いでしまったが、母の方から私を見つめた。
「無事で……良かった」
母はそう一言呟いて涙を流しながら私を抱き締めてくれた。
しばらくしてパトカーと救急車が駆けつけた。
同時に母は事情を説明する為に現場は駆けつけた警官に任せて署に向かうとその場を後にした。
母がいつもの母に戻ってくれて嬉しい反面、色んな事が一気に詰め込まれて頭が回らない。
それにリツ君の事はどうなるか気になって仕方なかった。
斉藤さんとリツ君は別々に運ばれる、病院に運ばれるのは変りないが彼女は被害者で彼は加害者なのだ。
私は重傷である斉藤さんに付き添う事になった。
すぐ親御さんが駆けつけるだろうけど、彼女を一人にはしたくなかった。
だけど本当は彼の傍にいるべきだったのかもしれない。
病院では斉藤さんの緊急オペの為色々なお医者さんがバタバタと走り回っていた。
律君の養父が経営していた病院は今機能していない、
その上昨日の夕方頃に馬島君とその父が運ばれているのだから。
恐らく馬島君は処置もされなかったのだろうが……。
私にできる事はただ座って祈る事だけだ。
あと彼女のご両親が早く駆けつけてくれる事、
それだけでも彼女は心強いだろうと思ったから。
しばらくしてご両親が駆けつけた。
そして私にお辞儀をするのだ。
むしろお礼を言うのも謝るのも私の方なのに。
だけどそのあまりに長いお辞儀の中に、七瀬博士の部下であった自分達の力の至らなさが含まれているようだった。
オペというのは長いものなのだろうけど、待ち時間はとても苦痛だった。
早く終わって成功の言葉を聞きたい。
だけど、早くでてくればそれだけ悲しい言葉を聞く確立が高くなりそうでそれも怖かった。
そうこうと考えているうちに手術中のランプは消えた。
私は彼女のご両親と一緒に中から先生がでてくるのを待つ。
心臓がバクバク言う、嫌な汗が流れる、酷い緊張だ。
中から姿を現した執刀医は、私達の姿を見初めるとすぐにこちらに来た。
「手術は成功しました、後はお嬢さんの体力次第です」
私はとりあえず危機を脱した事に思わず膝を付いた。
「良かった……っ」
ご両親の前で初めて涙を見せた。
むしろ安堵して流す涙なんてどれほどぶりだろうか、
もう悲しさでしか涙は流せないとさえ思っていた。
斉藤さんのご両親にお辞儀をして私はリツ君の様子を見に行く事にした。
警官が見張っているし本来なら面会謝絶なのだろうが、特別に許可をもらう事ができた。
中に入るとある人と目があって思わず口元が綻んだ。
「良かった、回復したんですね先生」
「ああ……」
足取りは少し覚束ないけど危機は脱したようだった。
だけどそれ以上に先生は元気がない。
重傷を負ったからというわけではなく、リツ君を見つめている姿が寂しげなのだ。
これだけ見たら息子を心配している普通の父親だ。
共に歩んだ時間がなくても、そんなの関係ないんだとそう思える。
先生の横に並びリツ君の様子を見ると、彼は特に苦しむ様子もなく眠っていた。
頭に巻かれた包帯も患者着も、三ヶ月前なら想像も付かない姿だ。
「あれが見えるか」
私は先生の言う方向に目を向けた。
それは彼の治療の際に取り出されたものらしい。
「こんな小さな物が、律君を苦しめてたの……」
先生は小さく頷いた。
そこには砕けて割れている機械の部品のようなものがあった。
恐らくこれが彼の頭に埋め込まれていたチップなのだろう。
私の父が望んで埋め込んだものとはまったく意味違う恐ろしい物なのだろう。
同時に私は本当の本当にもう三ヶ月前の律君には会えないのだろうと思った。
少し考えが幼稚で悪い事の分別もつかない、だけど素直なそんなリツ君だけになったんだ。
それは彼の立場で言うなら喜ばしい事だ、もちろん頭からこれが取り出された事も。
だけど三ヶ月前の大好きだった彼が、ただ苦しめられてた彼が、こんな形で消えたのだと思うと悲しかった。
「坂滝、お前身体は大丈夫なのか」
しばらく黙っていた先生がそう私に問う。
先生に心配してもらえる日が来るなんて、なんだか可笑しいけど大きな怪我はしてないと伝えた。
「そうじゃなくて……いや下っ腹を油断したのか」
先生は表情は変えずでもいつもの口調で失礼な事を口にした。
意味がわからず目をパチクリさせる。
だけど下っ腹というワードで意味を理解して驚いた。
「あの……先生に言いましたっけ……?」
「律の様子やお前の体型の変化を見てれば気付く」
それって可笑しいようなと思いつつ、先生はちゃんと人を見てるんだなっと考える事にした。
それにもう四ヶ月なんだ、いい加減私が気付いてないだけで体型に変化があってもおかしくない。
こんな生活で成長してくれてるこの子はきっとタフだと思う。
全てが終わったら、頑張ってくれてありがとうって言いたいな。
数十分後、身体に障るからと先生は病室に戻るよう命じられ、私もそのタイミングで面会が終わった。
結局リツ君は目を覚まさなかった。
私も念のため今日は入院する事になっていた。
目立った怪我はしていないが、お腹には子供もいるのだから検査しとくべきという事だ。
だけど私はどうしてももう一人会わなければいけない人がいた。
夜観之君だ。
今だに危険な状態が続いてると言われているが、それでも遠目でもいいから会いたい。
「夜観之君……」
よほど危険なのだろうか、彼は病室ではなく隔離されていた。
父や父方の関係者はたまに見舞いに来るそうだが、母は一度として来た事がないという。
彼が運ばれた時はまだ智早に疑いの目は向けられていなかったのに、酷すぎる。
それにもしも、リツ君と夜観之君のあの争いを智早は知っていたのだとしたら、
私は彼女を絶対許せない。
いや、許さない。
「今まで来れなくてごめんね……」
どうして私の特別な人達にはこんなに辛い人生が待っていたのだろう。
二人が一体何をしたっていうのだろう。
それなのに二人は悲しいって気持ちを口にはしないんだ。
二人より恵まれてる私の方が悲しいを使うんだ。
日が昇り私は身体を起こした。
警察の張り込んだ病院の中でも恐怖が身体を支配して中々眠りにつく事ができなかった。
リツ君がこちらにいる今、相手は智早一人なのに、あの人ならどこにいても誰でも殺せるような錯覚を覚えている。
これから事情聴取と検査が待っているというのに、無事に終えられるか心配だった。
ある程度どういう状況だったかはすでに説明してあった。
その為簡単な状況説明だけで解放される事になった。
恐らく私の体調に配慮されていたのだろうと思う。
昨日一日あんな緊張状態に晒されていたのだ。
何か悪い影響が身体にあったかもしれない。
今までの状況も過酷ではあったけど、昨日は今までのを上回っていると思えた。
だけど心配されていた検査の結果は異常なし。
私が特殊なのかこの子が丈夫なのか、どちらにせよ嬉しい結果だった。
協力していた人達が次々に倒れた時は孤独を感じる事もあったけれど、
今ならこの子が常に私のそばにいたのだと思える。
あとはリツ君と夜観之君が無事に目を覚ましてくれれば言う事ないのだが、
二人共今も昏睡状態が続いていた。
お医者様は目を覚まさない恐れがあるのはリツ君の方だと言っていた。
軽傷とはいえ脳に指令や命令を与えるような機械が破壊されたのだ。
十七年間それを装着していた彼からそれが消え、脳が正常に機能するのかを心配されていた。
だけどそれだけではない。
智早の口ぶりから殺人という行動は制御できるものではなかった事が推測できるが、
例え自分の本当の意志ではなかったとしても、自分が殺したという記憶は消えない。
心を守る為に目を覚まさない……その可能性だって十分あるのだ。
どちらがリツ君にとって幸せなのか、私にはわからない。
だけど、辛くても現実を受け止めて生きて欲しい。
それが私の気持ちだった。
たとえ罰せられる事になったとしてもだ。
もうあと数時間で二十三日になるという時、私は再び署で保護される事になった。
人員が不足してる今、智早が捕まらない限り帰宅できないだろう。
母が家から持ってきた荷物こそあったが、元々何も持ってなかった為簡単に病院をでる準備ができた。
そして最後に斉藤さんや先生、そして夜観之君やリツ君を見舞ってから行きたいと願いでる。
少し間はあったがなんとかリツ君以外の面会の許可が下りた。
リツ君は相変らず危険な状態のようで、会っていけない事が私は辛かった。
斉藤さんは大分落ち着いていた。目が覚めれば回復に向かうだろう。
先生は今だに足元が覚束ない所はあったが、前みたいに悪態をつくだけの元気はあるらしい。
お医者様も心配はないと言うほど怪我の具合は良いみたいだ。
夜観之君も大分状態は安定してきたようだ。
元々出血こそ多かったが刺されてた場所は大事な器官を避けていたらしい。
お医者様は運が良かったと評価したが、今なら私はこう思う。
リツ君はあえて避けたのだと、重体だが彼の生命力を信じてたのだろうと……。
三人のお見舞いを終えて私は病院の入り口へ向かった。
入り口は厳重に警備されていて、今の智早ではきっと侵入は不可能だろう。
今までは二人だったから可能だったのだ。
「ありがとうございました」
私は母と共にお医者様に頭をさげた。
お医者様を一足先に病院内に戻ってもらい、私は母と共に車へ向かう。
智早を警戒しパトカーではなく普通の自動車が私達を待っていた。
母が先に乗り込み私も後に続こうとして、できなかった。
乗り込めなかった原因は私に何かあったからではない。
病院は入り口以外の電気を消していたのに、突然明るくなったからだ。
私はそちらを振り返り一歩病院へ進む、だけど母に止められる。
「行くわよ、るん……何があったかは署で聞いてあげるから……」
母はきっと私がどうしようとしているのかを見透かしているのだろう。
大騒ぎになってないようだけど警備の為にきていた刑事さん数名が慌しく何かを探している。
看護婦さんやお医者様が動いていない事、だけど深刻な状態とまでは言えない事、
そこまで考えれば何を探しているのかは大体想像が付く。
「リツ君……」
私はまた一歩また一歩と病院の方へ歩み寄る。
そして私の考えは的中していた。
二階の窓から入り口の屋根へ、そしてそこから私の目の前に降り立った。
朝霧 律が。
動き回った所為で頭に巻かれた包帯は血が滲んでいた。
目は酷く虚ろで私を見ているようで見ていない。
「リツ君……?」
私はすぐそこにいる彼に手を伸ばした。
彼は私の声にピクッと身体を震わせると、ただ一筋、涙を流した。
私は驚いて更に近付く、もう少しで彼に触れるだろう距離。
だけど……。
「あ……あああぁぁ……っ!!」
彼は頭を抑え、私が触れるのを拒むかのように横を走り抜けていった。
私はそれを追おうとするが、母が私の前に立ちはだかる。
心配でたまらない、そういう目だ。
その目はまるでこれ以上彼に関わってはいけないと言うようだった。
だけどこうしている間にも彼はドンドン遠くへ行ってしまう。
そして彼を追わないといけない。
彼が目覚めてしまったのだから、傍に居てあげないといけない。
だってそうしないと、きっと彼は壊れてしまう。
どうしてかはわからないけど、後悔しない為に行かなきゃいけないと私は思った。
時計が零時丁度を指した時、私は母に向けて困ったような笑みを浮かべる。
母は一瞬ホッとしたような表情を浮かべた。
「私、行くね」
私は母の制止を振り切り彼を追った。
十二月二十三日金曜日、私は息を切らし寒い夜空を風を切って走る。
だけど平凡な私と運動神経も良い彼とでは走るスピードも違う。
すぐ彼を見失う事になってしまった。
「はあ……はあ……」
午前一時、彼の家。
立ち入り禁止になっているけど怪しいものはすでに押収されていて誰もいない。
家の中ももぬけのから、彼の部屋も少しの思い出だけ残して何もない。
午前二時、私の家。
随分と帰ってなかったけれど中は相変らずで彼が玄関で待っているなんて事はない。
午前三時、公園。
昨日の争いの痕跡と言うべきか、地面に銃弾のあとが幾つも残っているだけ、
私達が出会うきっかけになった大きな木にも、銃弾が埋っていた。
思い出を傷付けられた事が辛い、だけど警官がまだ現場検証をしているようだ。
見つからないうちにここを去らないといけないと涙は堪えた。
午前四時、スーパー。
この辺りの人なら大体の人が使ってるであろう店。
お互い日曜日の二時から三時くらいに利用しているのを知って、
示し合わせて一緒に行動する事も多かった。
だけどこんな時間に店はあいていない、だからいるはずもない。
午前五時、駅。
始発が動き始めてるから人をちらほらと見かける。
私達は学区内に住んでるから遊びに行く事でもない限り利用する事は少なかったけれど、
逃げるなら駅だろうかと少し思った。
しかし彼は所持品等持っていないし、あの格好で人目についたら注目を集めてしまうだろう。
だからここもない。
午前六時、学校。
冬とはいえさすがに日が昇ろうとしてる。
学校の中はあの日のまま、ただ少し埃っぽくなっていた。
夜観之君が刺された教室、血はそのまま固まってる。
屋上から辺りを見回して他に彼が行きそうな場所を考える。
あと二つしか思い当たらない。
そのうちの一つは、リツ君はきっと行かない場所。
だからもう一つの本当は踏み入れたくないけれど、あの始まりの場所へ……廃墟へ行ってみる事にした。
午前七時、
彼が自分は壊れたと呟いていた場所を見上げながら息を整えて中へ入る。
「はあ、はあ……いない……」
私は息を吐いた。
絶対に見つけないといけないのに……。
だけど何故そう思うのだろう。
だから今度はその理由を自分に問うた。
それは彼を一人にしたら罪の重さに押し潰されて心が死んでしまうと思ったからだ。
だって逃げた彼じゃ耐え切れないから、耐え切れないから逃げたのだから……。
そうだ。
本当は病院から逃げ出した彼が誰かなんて判っていたはずなんだ。
ただどうしてだろう、彼が"彼"である事はありえないとそう思ってしまった。
それはきっと"彼"自身が望まない展開だから。
...2010.06.08