Genocide

 どのくらい眠っていたのだろう、私は暖かい布団の中で目を覚ました。 辺りを見回してみると整理された部屋、机と本棚、クローゼット、そして私の寝ているベッド。 そして思い出した、ここは、彼―朝霧 律の部屋。
 だけど何か重大な事を忘れているような気がする。 そう思いながら私は起き上がった。
「……え!?」
起き上がってすぐ、私は驚いて布団で身体を隠した。 驚いた理由は服を身にまとっていなかったから、下着だけで彼のベッドに寝ているなんて、驚くしかないだろう。
「目、覚めた?」
そうして慌てふためく私をよそに、彼は自室のドアを開けた。 彼は頭をワシャワシャと拭いていて、シャワー帰りな事がすぐわかった。 だから私は顔を真赤にして動揺した。 彼は不思議そうに私を見ている。 だけどすぐ、私は佐々川君の事を思い出して、恥かしさは消えて恐怖が甦った。
「……百面相?」
彼は普段の調子でジトーッと私を見つめていた。 もしかして、あれはただの夢だったのだろうか、そう思いたくて、口を開いた。
「嫌な夢見てたみたい……ねえ、律君?」
彼はキョトンとした。 これも普段の彼、だけど夢かもしれないあの彼も同じような仕草をしていた。 だからか、あれは現実だと、そう思った。
「嫌な夢って、佐々川を殺した事?」
そう冷たく言い放った。 現実を見ろよと言いたげなその表情がすごく怖い。 もしあれが私の夢なら彼に判るはずもない、淡い期待は簡単に打ち砕かれた。 悲しくて涙がでたけど、見られたくなくてすぐに拭った。
「そう、だよね。……あと、私の制服は……?」
「のるは替えの制服持ってないだろ?だから今洗濯してる」
何を言い出すのかと思えばと、彼は呆れて言った。 確かに彼は『休学するな』と言っていたし、 血の付いた制服で登校などしたらいくらなんでも怪しまれるだろう。 だけど、それで怪しまれるのは彼じゃなくて私じゃないかと、そう疑問に思った。
「服脱がされた事気にしてるんだ、でも今頃だろ?」
そう腕を組んで彼は不敵に笑った。 確かに彼からすればどうって事はないかもしれない、だけど私は顔を真赤にして俯いた。 こんな事言うような人じゃない。 まして、あんな事をするような人じゃない、はずなのに……。
 しばらくそうしていると、私の反応を気にしたのか彼は目をそらした。 そして、目はそらしたまま、彼はクローゼットを指差した。 私は泣きそうな顔のまま、その方向を見る。
「その中に服入ってるから、サイズ合わないと思うけど適当に着て……」
そういうと彼は部屋から出て行った。 耐えかねて出て行ったような、そんな印象だ。 優しさを抑え込んで悪ぶっているようにさえ見える。 でも、それが何だというのだろう。 彼は、人を殺した。 人としてやってはいけない事をやったんだ。 誰も許してはくれないし、許してもいけない、犯罪を犯したのだから……。
 なのに私は、かすかに覗く彼の悲しげな表情が忘れられなくて、 どうしてこんな事したのか、理由も全然判らなくて、 嫌いだと言えない自分が情けなくて腹立たしくて、また涙がポロポロ零れ落ちた。

「どうしてこんな事はじめちゃうの、律君……」

02.涙に意味はないと知った日

 彼の服はやはりどれもサイズが合わなかった。 細身とはいえ、彼は男で私は女で、背も十三センチもの差がある。 仕方なくGパンの裾を折り、更に落ちてこないようにベルトをきつめにしめた。 上は、男性物のTシャツやYシャツは透けてしまう気がして、二枚重ねて着た。 そうして着替えを終えた私は、彼の部屋をでた。
 階段を恐る恐るおりていくと、彼はリビングのソファーに腰かけて誰かに電話しているようだった。 怪しく笑うその様子によくない会話である事がわかって、すごく嫌で、私はその場に立ち尽くした。 窓の外を見れば、外は何事もなかったように明るくて、私だけ昨日の夜に取り残されているように感じた。
「……そう、用意できる?……くれぐれも慎重に……」
電話を終えた彼は携帯をテーブルに置き、立ち尽くしている私の方を見た。
「やっぱりサイズ合ってないね」
彼は私の格好を見てそう言った。 私は返す言葉が思いつかず頷くだけだった。
 しばらくすると朝食を差し出された。 トーストとコーヒーだ、 彼は「あ」と何かを思い出すとガムシロップ一つと角砂糖を一つ入れた。 私は苦いのが苦手で、何より甘党だと彼は知っていた。 だけど、とても喉を通るとは思えなくて、私は首を横に振った。
「きちんと食べないと身体が弱って回りが早くなるかもよ」
彼はそう小さく言った。 そう、私の中には毒が潜んでいる、 死ぬのは怖い、 そうでなければ、私は彼に従う必要はなかったのだから……。 仕方なく私は差し出されたトーストを小さくかじった、 それを確認すると、彼は満足したようにコーヒーを口に運んだ。
 「……そういえば、今日、ご両親いないの?」
今日は日曜日、彼は両親がいない日でないと私を呼んだりしなかった。 だから私はそれを聞いた。 だけど彼は一瞬目を見開くと顔を歪ませた。 コーヒーカップが『ガシャンッ!』と置かれて、それを持った彼の手は小刻みに振るえていた。 私はまずい事を聞いたのだろうかと彼の様子を見て怯えるしかなかった。
「あいつらはいないよ、僕は良い子で、精神状態も良好だから、安心なんだってさ……笑わせる」
そう言う彼はククク……っと笑いながら口元を歪ませた。
「僕のどこが安心だって?こんなにいかれてるのにな……馬鹿だよあいつら」
表情とは裏腹に手を爪が食い込む程強く握っていて、何かを悔しがっている、そんな風に私には見えた。
 朝食を終えると彼は自由にしていてと言った。 だけど彼の家にいなければいけないという事、それが私には負担でしかない。 彼もそれは判っているようで、私に話し掛けようとはしなかった。 何もする事もなく、仕方なく私はテレビのリモコンを手に取った。
 しばらくすると、彼は二階へあがっていった。 携帯は置いたまま、だから私は彼の携帯に手をのばした。 正直戻ってきたら時見たのをばれたらという不安もあったが、 先程の電話の相手が誰なのか、それを知りたかった。 彼が怪しく笑っていたから、昨日の事にも関係があるのではないかと、そう思ったから……。
 私は携帯をゆっくり開いた。 着信履歴は色々な名前が並んでいて、日付も昨日のものではなかった。 という事は発信履歴にさっきの電話の相手がいるはずだ。 開いて見ると、私以外に頻繁に電話をしている相手がいた。 そしてその人はさっきの電話の相手でもあるようだ。
「七瀬……夜観之……?」
私はその名前を呟くと、携帯を元の場所に戻した。
 その人物もクラスメイトで、校則違反の常習犯だと先生方が問題視していた。 確かに髪を染めたり、カフスやピアスをしていたりと見た目は派手だったし、 クールで誰とも馴れ合わないし、少し怖い印象があった。 そして、その七瀬君が二学期からよく彼と一緒にいたのも気になった。 だけど以前、廊下でぶつかって鞄の中身をぶちまけた時、悪いと言って拾うのを手伝ってくれた。 そんな優しい所のある七瀬君が、昨日の事に関係があるとは思いたくなかった。
 それから一時間は経っただろうか、彼はまだ一階に戻ってきていなかった。 私は階段を下から見たが、降りてくる気配もない、むしろ家の中にいるのかすら怪しいくらいだ。 再びソファーに腰を掛ける気にもならず、仕方なく制服がどういう状態か見に行く事にした。 乾いていれば帰してもらえる、そう思ったからだ。
「……乾燥機ってどこにあるんだろ」
彼の家は普通の家庭のより大きい、アパートに住んでいる私には目が回る程だ。 私は思わず右手法で廊下を進んでいた。 寝室だけでなく、本が沢山並んでいる部屋や、グランドピアノなどの楽器の置いてある部屋、 そして両親それぞれの私室などを完備していた。 それぞれ鍵がついているのだが、何故か母親の部屋は扉があいていたらしい、 右手を付いて進んでいた私は、バランスを崩してその部屋に入ってしまった。
「イタタ……ッまさか鍵あいてるなんて……?」
顔をあげると私は首を傾げた。 廊下の明かりだけで薄暗い部屋を見回すと、難しそうな本は本棚から落ちて散乱しているし、 机の上にあったのであろう花瓶は床に落ちて粉々に割れ、花も萎れてしまっていた。
「何……この部屋、まさか、強盗?」
私は思わず目に付いた紙を手に取った。 薄暗くてよく見えなかったが、そこにはよく判らない事が書かれていた。 やっと読み取れても難しくて理解できない。 だけどよくない事が書いてある、そんな気はした。
「……検体?……記録?」
私は胸騒ぎがして、なんとか理解できないかと、他の紙を拾おうとした。 しかし唐突に明かりが遮られ、そして腕を取られた。 恐る恐る振り返ると、そこにはさっきと違う服の彼が、冷たく見下ろすように立っていた。
「ダメだよ勝手に入っちゃ」
片手には赤く染まったさっきの服を持っていた。 二階から外にでて、また誰かを殺してきたのだと、そう悟った。
「律く……っまた……」
昨日のように、私はガタガタと震えるしかなかった。 彼に腕をひかれて部屋からでると、私は力が抜けたようにその場に蹲ってまた涙が溢れた。 彼は私を無理矢理立ち上がらせ、視線を外さないように顎を持ち上げる。
「のる、今日は誰だと思う?」
そして壁に追い詰めると、そう問い掛けた。 彼の冷たい目の中に怯えた私が映って恐怖は増していく。
「そんなの、わかんないよ……っ」
私がそう答えると彼は満足そうに軽く口付けた。 そして涙を指で拭うと、耳元で答えを告げた。
「今日はね……窪谷だよ」
私は耳を疑うように彼を見上げた。 だけどククク……と笑う彼が嘘を付いているとも思わなかった。 私はまた涙がでて、それをまた彼が拭った。
 名前は窪谷 まりん。 クラスのリーダー的な存在で、おしゃべりが好きで、校則には厳しい女の子だった。 だけど正直に言えば私は苦手だった。 みんなの前では優しげに声をかけてくるけど、二人になるとまるで別人のように態度が違うのだ。 それでも仲良くなれたら、どんなに良いかと思った事は何度もあったけれど……。
 しかし殺していいのかと言ったら話は別で、 好きな人も嫌いな人も、誰にだっている。それが普通なのだ。 私と窪谷さんが相容れなかったように、苦手な人がいるのは可笑しい事じゃない。 だけど、私の所為で窪谷さんは殺されたみたいで、罪悪感で胸が締め付けられる思いがした。
「のるが窪谷を好きだったとしても、彼女は今日死ぬ運命だったんだ」
彼は私が何を考えているのか見透かしたようにそう言った。
「死ぬ運命って何……っ律君が殺したんでしょ!?」
私はそう叫ぶと彼を押しのけていた。 彼は私を眺めるだけだったけど、私はその場に膝をついて泣き喚いた。 ただ泣くだけじゃ何の解決にもならない。 でもみっともないけど、情けないけど、悲しくて辛くて、泣かずにはいられなかった。 もうそんな私を優しく慰めてくれる彼はいないのに……。
 昨日の事が嘘のように血でぐちゃぐちゃだった制服は綺麗になっていた。 着替えてとか、家まで送るとか、色々言われたけど、 私は泣き疲れてになっていてどれも行動に移せない。 彼は何も言わず、家に連れ込んだ時と同じように、私の着ている服を丁寧に脱がせていく。 ベッドの中で目覚めた時、あんなに真赤になって動揺したのに、今の私は何の抵抗もしない。
「のるはお人形になるの?自由に生きられるのにそれでいいの?」
彼は私にそう問い掛けた。 まるで自分のようになる気かと聞かれているようだった。 だから首を横に振った。
「……自分で、着れる」
泣き喚いた後で喉が痛かったけど、私はそう返事をした。
 足取りが覚束ない私の腕を掴んで先を歩く彼、 でも決して早くなくて私の歩調に合わせて歩いている。 どうして彼は人を殺そうと思ってしまったのだろう。 どうして優しさが見え隠れするのだろう。 私は答えの出ない問いをいくつも考えながら、沈む夕日を力無く眺めた。

 翌日、私を心配した母は学校を休んだらと聞いた。 だけどそれはできない、許さないって彼は言っていた。 許さないって事は、私はきっと殺されてしまう。 こんな私を心配してくれる母を、泣かせたくない。
「熱があるわけじゃないし大丈夫。どうしてもダメだったら保健室で休むね」
私は精一杯の笑顔でそう答えると、手を振って家を飛び出した。
 学校に着けば朝礼までまだかなり時間があるし、 教室に着けば佐々川君と窪谷さんの席が嫌でも目に付いた。 私はまた泣き出しそうになって、口元を押さえ、鞄を置いてすぐ廊下にでた。
 こんな顔を誰かに見られたらいけない、私は下を向いて職員室へ向かった。 そう『先生に"僕が殺した"と伝えればいい』と彼は言っていたからだ。 でも前から歩いてくる人に気付かなくて、ぶつかった拍子に私はそのまま尻餅を付いた。
「っおい、大丈夫……ってまたお前か」
声の先を見上げるとそこには七瀬君が立っていた。 しかも以前の事を覚えているような口ぶりで、すごく恥かしい。 そして七瀬君は右手に携帯を持っていて、自分が余所見していてぶつかったと思ったようだ。
「ほら、手」
そう言って七瀬君は手を差し伸べてくれた。
「ご、ごめんねっ」
私は慌てながらその手を握って、なんとか立ち上がった。
「怪我ないか?」
七瀬君はそう尋ねた。 無表情だけど、心配されているのが伝わってきて、私は恥かしくなってコクコク頷いた。
「大丈夫!本当ごめんね、余所見しててっ」
「そう、俺も余所見してた、悪い」
そう言うと七瀬君は私の頭をポンッと叩いて教室へ行ってしまった。 その時軽く笑ったように見えて、七瀬君もそんな顔するんだと、失礼だけど驚いてしまった。 こんな風に人を気にかけることのできる七瀬君が、彼と関わっているとはやっぱり思えない。 いや、思いたくない。
 だけど思いとは裏腹に、七瀬君は彼に関わっていた。 この時は判らなかったが、今の電話は彼だったのだ。
「今の?坂滝を転ばせちまっただけだ、朝霧には関係ねえだろ」
七瀬君は今起こった出来事を話していた。 イライラとしているような表情だ。
『本当にそう思う?まあいいや、切るよ』
だけど彼は意味深にそう言うと、電話を切ってしまった。 七瀬君は面白くなさそうに舌打ちをして、携帯をしまったが、 彼の言葉を思い返して、来た道を振り返るように見た。
「……坂滝のやつ、もしかして」
七瀬君が何かに感づいた事を、その場にいなかった私はわからなかった。
 職員室の前で私は緊張と不安が入り混じって少し震えていた。 こんな突拍子もない事を信用してもらえるだろうか、 すぐに彼を止めてくれるのだろうか、 不安な理由は他にもあった。 だけど、その場所を見てもらえれば、まだ残っているはずだった。 私は意を決して職員室のドアをノックした。
「……失礼します」
中に入ると眼鏡をかけ白衣を着た人、化学担当で担任の千草 一先生がいた。 先生は詰まらなそうに私を眺めると、おもむろに煙草を取り出しそれに火をつけた。 職員室を見回してみれば、千草先生しかいない、最悪の状況だ。
「坂滝、俺はお前に付き合える程暇じゃないんだがな」
そう言うと煙草の煙をフウッとはいた。 誰もいないのを良い事に足を机の上にのせ、ダラダラとしている。 入学当時は女子の間でカッコイイと評判だったけど、 生徒の事を見下すような嫌味な態度に、今では嫌われ者だ。 特に私にはあの噂の事も手伝って本当に冷たかった。 それでいて、親や他の先生の前では良い人を演じている。 生徒以外誰も気付かない、だから問題視されなかった。 先生の大事な生徒は彼だけで、他の生徒はどうでもいいのだ。 ただ、七瀬君に頭が上がらないような印象はあった。
「先生、お話が……」
「暇じゃないって、俺は今忙しい」
そう言いながら先生は如何わしい本を広げていた。 それに気付いて私が恥かしさで顔を真赤に染めれば、 先生はその様子をニヤニヤと見下している。 だけど先生の行動に一々動じていたらきっと彼を止められない、 だから私は声を振り絞った。
「聞いて、ください……!」
普段とは違う私の態度に先生は怪訝そうにこっちを見た。 言うなら今しかない、そう思った。
「あ、朝霧君が、佐々川君と、窪谷さんを……殺し……っ」
私はそこまで言うのが精一杯だった。 これ以上言葉を紡げばまた意味のない涙がでてしまいそうだったから、 しかしそれを聞いた先生は、煙草を灰皿に置いてゆっくりと立ち上がる。 そして私の腕を思い切り掴む。
「朝霧がそんな事するわけないだろ!付くならもっとマシな嘘をつけ!」
掴まれた腕が痛くて、怯えた顔で先生を見上げた。 確かに見ていない人から見れば想像も付かない事で、 でもこれは紛れも無い事実で、 私は必死に訴えるしかなかった。
「本当、なんです……っ路地裏の、半壊した建物の中で……っ」
「半壊?ああ……昔人が殺されて立ち入り禁止になってるあれか?」
先生はそう言うと私の腕を引いた。 抱き締められるような形になって、すごく嫌で、離れようとしたが先生はそれを許さない。 そして耳元で私に言った。
「坂滝、そんな所に行くから夢でも見たんだろ?ん?」
普段は出さないような子供をあやすような声、 それがたまらなく気持ち悪くて、怖くて、私は首を横に振った。
「ち、違います!……私……っ」
そう否定すると先生の手が私の太ももに触れた。 私は驚いて空いてる手でその手を掴んだが、大人の、まして男の力に敵うはずもない。
「や……やめてくださいっ」
「じゃあ今すぐ謝れ!『私は嘘付きです。申し訳ございません』ってな!」
先生の態度に私は折角堪えた涙を流してしまった。 無論先生はそんな事を望んでいるんじゃない、私に謝罪させようとしているんだ。 でも謝るなんて冗談じゃない、だから私は口を閉ざした。 その態度に先生は逆上すると、今度は机に私を押さえつけた。 顎を持ち顔を覗き込むと言った。
「俺はお前みたいなガキは大嫌いだ、大人の言う事聞きもしないで、図々しい!」
そんな時、職員室の扉が開いた。 それに驚いた先生は飛びのき、私の立てと言うように腕を引く。 私は涙を流したまま、その方向を見た。
「な、七瀬!ノックくらいしないかっ」
入ってきたのは七瀬君で、先生は必死に笑顔を作りながらそう注意した。
「あー……すいません、怒鳴り声聞こえて、坂滝に悪いな〜って」
七瀬君はいつも通りの様子でそう言った。
「……どういう事だ?」
先生は乱れた白衣を整え、ずれた眼鏡をクイッと上げる。
「そいつ俺の冗談真に受けたみたいで、許してくれませんか?」
悪びれた様子もなく七瀬君はそう言った。 だけど先生には効力があったようで、口の端をヒクヒクとさせ、苦笑いを浮かべていた。
「七瀬も冗談言うんだな、でもそういう冗談はダメだぞ?」
七瀬君は私の手を取ると「行くぞ」と職員室からでた。
 七瀬君に連れられるまま、私は校舎裏まで来ていた。 七瀬君が辺りを注意深く見回して、明らかに何かを警戒していた。 人の気配がないと判るとやっと安心したように手を放し、代わりに肩を掴んだ。
「お前さ、もしかして朝霧のあれ、知ってる?」
思わず私は息を飲んだ。 その凍った空気を和らげるかのように、木の葉は私たちに降り注いでいた。

...2008.04.07