一章*全ての始まり

 治癒を司る神々は廊下をバタバタと忙しく走り回っていた。 優しい桃色の髪を持つ少女もまた、その波の中で忙しく走り回る。
 しかし、治癒を統べる赤の神ウォーシップはその桃色の髪を物言いたげに見つめていた。
 その事に気付いた少女は足を止めると、今度は上司であるウォーシップに歩み寄った。
「どうかしましたか?ウォーシップ様」
 ウォーシップはその赤の瞳で少女を見初めると、少し言い難そうに口を開いた。
「……リーナ、貴女は部屋へ戻って構いません」
 少女―リーナは首を傾げた。
「いえ、お言葉は嬉しいのですが私はまだ働けます」
 少女はそう答え微笑んだ。
 しかし頭を抱えて渋い顔をするウォーシップを見て何かを悟ったのか、リーナは表情を曇らせる。
「闘いを統べる青の神イヴルが、力を抑制し下界に降りたようなのです」
 ウォーシップの言葉を聞き少女は微弱に身体を震わせると口元を押さえた。 大きな瞳が不安そうに揺れている。
「恐らく無茶をするでしょう、主治医である貴女はイヴルの……兄の手当て、看病に専念してください」
 ウォーシップはそれだけ言うと彼女の肩をポンと叩き、その場を後にした。

七話:無慈悲のイヴル

 ひざまずく住人達を所狭しと広がる炎が照らすその光景は、まるで何かの儀式のようだった。
 そして今まさに崇められているのは、上空に浮かぶ少年……青の神。
「堕落?女神の、子?一体何の話を……」
 言葉の意味が分からずシェールは青の神に問い返すが答えは返ってこない。
 しかしアミルトは違った。 戸惑いと焦り、激しい鼓動が苦しくて手で胸をグッと押さえ込む。
「君なら、その言葉の意味がわかるだろう?」
 青の神は前髪をサラッとかきあげると、微笑みながらアミルトに言った。 だけど綺麗な微笑みなのに目はまるで笑っていない。
 アミルトは見下されるような形に加え、その表情に更なる恐怖を感じた。
「おおおおおおぉぉぉ!青の神様あああああぁぁぁぁ……!」
 ひざまずいた住人の一人が声を挙げると、今度は一斉に「青の神様!」と叫んだ。
 アミルトはその歓声に驚くと、血の気が引いたように青褪めていく。 汗がツー……ッと彼の頬を撫でる。 この状況が自分の生命を脅かす程に危険だという事を、本能で悟っていた。
「聞こえるでしょ?この声が……」
 青の神はアミルトには見向きもせず、自分より更に上空を見ながら言った。 まるで他にも誰か見ているとでも言うかのように、そしてその誰かに見せ付けるかのように……。
「人間は貴女なんか選ばない……僕達を選んでいる」
 青の神はクスクスと小さく笑う。
「青の神……貴方は一体、誰に話しているの?」
 恐ろしいものを見たように表情を強張らせながら、それでも宙に浮いた神に問う。
 青の神は視線を地に戻した。 微笑みすらない、凍てついた表情でシェールを見る。
 普段は強気なシェールも、得たいの知れない存在のその表情に血の気が引く思いがした。 身体がカタカタと震えているのを感じ、これが恐怖なのだと彼女は思った。
 青の神は再びクスクスと小さく笑う。
「その先に待つ運命を、こいつらは気にとめやしないんだよ」
 誰に向けて呟いた言葉だか分からぬまま、青の神の高笑いが辺りに木霊した。
 シェールは辺りを見回し、住人達すべてが神を見上げている事を確認する。 そしてアミルトに駆け寄ると、ガタガタと震えている彼を揺さぶった。
「女神の子って天士の事よね……?今天士はここにいるの?」
 アミルトはシェールを見ると、「それは……」と小さく呟き目を泳がせる。
 しかしシェールが更に問い返すよりも前に、木霊していた声は止まり辺りに沈黙が走る。
 それに不安を覚えた二人は上空を見上げると、青の神がアミルトを指差して冷たい眼差しで見下していた。
「そこに居るのは創造主ウォレスを裏切りし、女神ウィンドの配下!!」
 住人達の視線が一斉にアミルトに注がれる。
 二人は戸惑いながら辺りを見回す。 冷たい空気の中に晒されているのに、わけのわからぬ憎しみに暑さを感じた。
 住人達は青の神が何を望んでいるのかを察知して、武器となりえそうなものを構える。 それ見て青の神はフフフ……と意味深げに笑うと右手で剣を振りぬき天高く掲げた。
「ウォレス様の敵はお前達の敵だ!!」
 彼の叫びと同時に剣がアミルトを指し示す。 それを合図に住人達は一斉に二人めがけて迫ってきた。 まるで正気を無くした獣のようにその顔は同じ人とは思えぬ程に歪められていた。
 アミルトはわけのわからぬ憎しみを一身に受け、今にも泣き出しそうなほど苦しいのを堪えて歯を食いしばる。 そして剣の柄に手をかけるが、剣を抜く事を躊躇った。
『一度剣を抜いてしまえば、もう後戻りはできないよ』
 ずっと大事にしてきた言葉が彼を戒めると、鞘から抜かぬままの剣で襲いくる者達に振りかぶる。
 シェールも水晶を用いて次々とレーザーを放つが、闘えない者と術師ではあまりに分が悪い。 仮にここの住人達は倒せたとして、剣を抜かずに逃げ出せるだろうか、 答えは否だ。 上空で見物している青の神が見逃してくれるとはとても思えない。
「どうして剣を抜かないの!?」
 背中合わせでシェールはアミルトに問う。
「それは……っ」
 アミルトは思わず小声になる。 今にも溢れでそうな涙を歯を食いしばって耐えているのだから無理もない。
「貴方馬鹿?私達を殺そうとしているのよ!?」
 更に追い討ちをかけるシェールの言葉に、アミルトの涙が堰を切って溢れ出す。
「だって……っ僕は天士だ!憎まれたって……殺されたって仕方ないんだよっ!」
 アミルトは涙で歪む視界に阻まれ、たちまち傷を負わされていく。 涙の所為だけではない、溢れ出した感情に抵抗する意志を無くしてしまっていた。 すぐそこでシェールに斬りかかろうとするものを抜かない剣で殴るのが精一杯だった。
 ボロボロになっていくアミルトの姿に、シェールはカタカタと震えながら首を横に振る。 こんなに頼りない少年が人々に害をなす天士だという事への戸惑い。 彼の所為でアレンデは死んだと告げられたようなものだが、どうしてもそうは思えなかった。
「ねえ、一つだけ答えて……村を滅ぼしたのは貴方なの?」
 シェールは攻撃の手は休めずに背中を預けているアミルトに聞いた。 「貴方の所為で村は滅んだの?」と聞けば、彼はきっと「はい」と答えるだろう。 だからあえて単刀直入に聞いた。
 アミルトは首を横に振る。
「僕がいたから……父さんに……っ」
 アミルトは更に大粒の涙を流した。 頭に受けた攻撃で流れ出した血と混じって地面を赤く汚していく。 度重なる攻撃にアミルトは膝をつく、立ち上がる気力がない。 それは足が痛いからではなく、彼の心が楽になる事を望んでしまったからだ。
 それを好機と見た住人達が一斉にアミルトに武器を振りかぶる。
 アミルトは気付いていたが、もうそれを防ぐ事も避ける事もしなかった。 死を覚悟したように目を瞑った。
 鈍い音が聞こえた。 しかし何時まで経っても痛みは来ない、何かが可笑しい。 アミルトは目をあけると、自分の前には先ほどまで背中合わせになっていたシェールが立っていた。
「シェールさん!?」
 アミルトはあの鈍い音を思い出しカタカタと震える。 また自分の所為で誰かが死ぬのか、そう思うとまた涙が溢れてきた。
「泣かないの!」
 シェールはすぐ後ろのアミルトに叱咤する。
 アミルトが「でも……っ!」と返すと、シェールは振り返る。 振り返った彼女は頭から血を流していたが、その顔はとても優しげだった。
「力を悪用してないアミルトが、どうして悪になるのかしら?」
 シェールは浮かべていた水晶に手を差し伸べる。 すると眩い光を放ち、居合わせた者全てが辺り一面が真っ白になる錯覚に陥った。

 あまりの眩さに目を瞑っていたアミルトはうっすらと目を開くと、 自分を庇うように立っていたシェールが今は膝をつき肩で息をしていた。
 更にその先を見ると、住人達全てが気を失い倒れている。 そして村の所々であがっていた炎も消えていた。
「これは……」
 アミルトはその光景に言葉がでなかった。 ただ分かるのはシェールがとても強力な術を発動させたという事だけだ。
「どれだけ集まろうと屑は屑か……」
 青の神はそう冷たく言い放つと地に降り立った。 倒れる住人達を蹴り飛ばし道を作る、二人の元に向かってきているのは明確だった。
 アミルトは容赦のない彼の言動に思わず背筋が凍る。
 青の神は長い金髪を左手で乱暴にかきあげるとこちらにまた一歩進む。
 見上げていた時には気付かなかったが、彼が右手に握っている剣はとてもどす黒い紫色の刃をしている。 邪気を纏い、鈍くぎらぎらと光るそれにアミルトは覚えがあった。
「父さんの……持ってた剣?」
 村人達の血を浴びたあの剣に間違いない、そうアミルトは感じた。
「どうしたい?」
 青の神は一言放つと、また少しずつ距離を詰めていく。
「初代天士は初代魔士の、実父の手で殺されるか」
 アミルトの目の前まで来ると青の神は彼の顎を掴み上を向かせた。 涙でくしゃくしゃになったその顔を覗き込む。
 その息すらかかるほど近い距離で目と目が合い、 アミルトは背筋が凍りつき言葉が紡げず小刻み震えた。
 シェールは後ろを振り返るが、声をかける余裕もないほど呼吸を乱していた。
「この僕、闘いを統べる青の神"イヴル"の手で殺されるか」
 その名前を聞いた瞬間シェールは目を見開いた。 そして呼吸が整わないのも構わず再び水晶に手をかざす。 ある文献で見た闘神の異名、『無慈悲のイヴル』。 彼自身"闘いを統べる"と言った以上、ここまで信憑性の高い文献などないだろう。 同時に、今自分達はとても恐ろしい存在と対峙していると言う事だ。
 しかし、その攻撃に気付いた青の神―イヴルはアミルトから手を放すと再び宙を舞う。 そして冷たい目で彼女を見下した。
「お前は大人しく見てろ」
 イヴルは冷たく言い放つとシェール目がけて手をかざした。 すると、シェールの足元に彼女の見た事ないような魔方陣が浮かび上がり、 彼女は地に這いつくばるように押し付けられた。
「!?身体が……っ!」
「シェールさん!?」
 アミルトは思わずシェールに手を伸ばす。 しかし魔法陣が放つ障壁に阻まれ手を弾かれた。
「残念だ、神の力を得ても所詮は人間、神には逆らえないか」
 イヴルは再び地に降りると、怪訝な眼差しでアミルトを見ながら空いている左手で髪を弄った。
 悪である僕を殺す為に力を与えられた魔士……、そのはずなのに僕以外の村人達まで父は殺した。 小さい頃から、いずれ自分は殺される運命なのだと、どこか諦めたように生きていたけれど、 だけどそれは、それで世界が救われるなら仕方ないという思いがあったからだ。
「世界の安息って……一体何の事なの……?」
 アミルトは思わず呟く。
「世界の、安息だよ、天士……」
 アミルトにはその言葉の意味がわからなかった。 だけどとても嫌な予感がした。 そして生きなければいけない、そう思わされた。
 イヴルはアミルトを狙っているのだ。 この場から逃げれば、シェールは助かるかもしれないという気持ちもあった。 しかしアミルトは足が地に縫い付けられたかのように動けなかった。
 少しずつ確実に距離を詰めてくるイヴルから逃げる事ができないまま、 先ほどより少し距離を残しイヴルは剣をアミルトの眼前に突きつけた。
「時間切れ、これで魔士が勝ち抜けだ」
 アミルトはその紫の刃が纏う邪気にクスクスと笑われる錯覚を覚え、汗が頬を伝った。
「哀れな女神の子……もう死んでいいよ」
 瞬間紫の凶刃は天を仰ぎそのまま振り下ろされた。
「……!アミルト――――ッ!!」
 シェールの叫び声は吹き抜ける風と共に消えた。

...2011,09.25/修正01