一章*全ての始まり

 目が覚めたイヴルはゆっくり目を開く、すると見慣れた自分の部屋が映った。 だけど碧の瞳は虚ろに濁り、何も考えられず放心状態が続いていた。
 しかし、彼が意識を取り戻した事に気付いたリーナは、すぐに声をかけた。
「イヴル!良かった……」
   イヴルは声をかけられた事で意識が戻ったのか、リーナの顔を見た。 すると彼女は涙の痕に更に新しい涙の線を作る。
「リーナ……」
 彼は思わず声をかけた。 すると次々と自分が今どういう状況なのか情報が飛び込んでくる。 術で隠していた傷を今は包帯で隠されていて、 腕に負った傷は手当てを受けて同じように包帯を巻かれていた。
 イヴルはギリッと歯を軋ませた。
「人間の分際で……っ」
 腕の傷が原因で彼は下界から帰ってきた事を思い出し、怒りを露にした。
 リーナはそれが悲しくて少し俯くが、すぐ顔をあげイヴルの手を取ってその顔を見つめた。
「……何だ?」
 突然手を取られイヴルは驚きに目を瞠るが、何事もなかったかのように首を傾げる。 先程の怒りの形相がまるで嘘のようだった。
「いつもの、イヴル……」
 リーナは俯いて呟くと、すぐ困ったように笑顔を見せた。
 その様子をイヴルは少し疑問に思ったが、何も聞かず微笑み返した。

八話:決意

 それは半日前に遡る。
 青の神イヴルが紫の凶刃を振り下ろしたその瞬間、 何者かがその太刀を防ぎイヴル目掛けて斬り込んできたのだ。
「な……っ!」
 イヴルは後ろに一歩飛びずさり、その人物を見た。
 その人物は力こそないが身体に合った剣はアミルトからイヴルを遠ざけるだけの力を持っていた。 間髪入れずに大きく一歩踏み込んでは一発、二発とイヴル目掛け剣を振るう。 その度に身体に纏わり付く葉が一枚一枚舞散った。
 全ての太刀を受け止めきり宙に逃げたイヴルは忌々しい者を見るように睨み舌打ちをした。
「……兄さん!」
 アミルトは叫んだ。
 その人物―アレンはアミルトの声に軽く頷く。 振り返る事はせず肩で息をしながらイヴルと睨み合う。 しかし次の瞬間アレンの身体は大きく震え、彼は右肩を抑え声を殺した。
「兄さん!?」
 アミルトは身を乗り出したが、ボロボロの身体はいう事をきかない。 恐らく穴に落ちた時に打ったのだろう。
 それでもどんなに痛みが走ろうともイヴルと睨み合うアレンの眼光に遜色はなかった。
 イヴルはアレンを訝しげに見回すと、意味有り気にクスリと笑った。
 背筋が凍るように感じたアミルトは、まるで恐ろしいものを見るような目でイヴルを見上げた。
「ふーん、お前がね……折角生きながらえたのに、お前も死にたいのか?」
 イヴルは剣を持ったまま軽く腕を組むと、アレンを嘲笑した。
 アレンは強く歯を軋ませる。 そして強く剣を握りなおす、だけど態度に対比するように身体は震えていた。
「アイルに母さん達を殺させたのは青の神イヴル……あんたなのか!?」
「あの子が勝手に決意したんだ、それは言いがかりだね」
 イヴルは否定を口にしたが「確かに殺すよう命じはしたけど」と付け加えクスクスと邪悪に笑ってみせた。
「貴様アアァ……ッ!!」
 アレンは大きく剣を振りかぶる。 すると真空波が空を翔るがどれだけ無数の真空波を空目掛け放ってもイヴルに容易く避けられてしまう。
 その攻防は長くは続かず、イヴルはすぐ冷めた表情で「飽きた」と一言告げた。 同時に、紫の凶刃がその真空波を受け止め跳ね返す。
 真空波はアレン達を避け地を抉り、三人は砂埃にまかれた。 咄嗟に口を抑えるが咳き込まずにはいられない。
「全てウィンドが悪いんだよ、お前達の母親に憑依し……天士を産ませたあの人がね」
 イヴルは再び地に降り、彼の高笑いが辺りに木霊する。
 それに混ざるようにアレンの叫び声が響き渡った。 同時に剣と剣がぶつかりあう鈍い音、それを合図にイヴルの口を閉じる。 そして眼前にいるアレンを冷たく見据えた。
 対して、完全に冷静さを失っているアレンは、イヴルを睨みながら低く唸り声をあげている。
「大人しくしていれば、そんなになっても生きていられたのにね」
 意味深げに囁いたイヴルの口が怪しげに歪んだ。
「!?」
 剣が地に落ちカランッと音を立てると、今度はポタポタとどこからか雫の落ちる音が聞こえてくる。 地に這いつくばるシェールには何が起こっているのかわからない。 ただわかった事は苦しげな声がアレンのものだという事だけだ。
 アミルトは全てを目の当たりにして呆然としていた。 アレンの背中から、あの紫の凶刃が突き出ているのが見えた。 まず口から血を吐き、咽る度に血飛沫のようにアレンの血が辺りに舞う。 そして剣が刺さっている所からジワジワとどす黒い血が染み出て裂けた服を汚す。 苦しみもがきながら凶刃に素手で掴み、またボタボタと地を赤く染める。
 しかしイヴルは崩れ落ちる事を許しはせず、アレンの首を掴んだ。
 アレンは剣を抑えていた手で今度はイヴルの手を掴むが、その力は弱まらない。 そして呼吸が苦しくなればなるほど更に咽かえり、また血が辺りに飛散した。 もがけばもがくほど傷口からはおびただしい血がまるでポンプのように溢れでる。
「邪魔だから力の差を思い知らせてやった……」
 そう冷たく言い放つとイヴルは凶刃を抜き取る。 するとあの細い身体のどこにそれほどの力があるのか、アレンをアミルトの目の前に投げ飛ばした。
「兄さん!!」
 アミルトは叫ぶがアレンはぐったりとして動かない。 痛む身体を引きずりアレンを抱き起こすと自分自身も真っ赤に染まる。 アミルトはますます動揺しガタガタと震え、ただ「兄さんっ!」と泣き叫んだ。
「……アレン!?」
 ようやく現状が掴めたシェールは、二人に手を伸ばすように必死に身体を動かす。
 それを見てイヴルは再び笑い出した。
「兄という者は本当苦労するな、そんなになっても学習しなかったみたいだよ?」
 意味有り気に言うと「同じ兄として同情するよ、"アレン"」と冷たく微笑んだ。 そして一歩一歩イヴルは投げ飛ばしたアレンに近づいていく。
「だけど、アレンも逃げてばかりのそいつを死に物狂いで守ったんだろうな」
 イヴルが足元のアレンとアミルトを見下し意味深げに言うと、 シェールは何かに気付き「まさか、アレン……?」と言葉を詰まらせた。
 一瞬視線をシェールに向けたイヴルはその様子に満足げに微笑むとすぐまた二人に視線を戻した。
「……さあ、もういいだろう?」
 この一言にシェールは血の気が引く思いがした。
「……やめて!!」
 緊張を破るようにシェールは叫び術を放とうともがく、しかし身体は動かない。
 その間にイヴルは剣を真下に構える。 そこには瀕死のアレンと彼を抱きしめるアミルトがいる。
「僕も弟が二人いるからね、一人だと寂しいだろう?だから……」
 まるで二人に問うように言うが二人は何も返さない。 そしてイヴルも、答えなど求めてなどいない。
「みんなまとめて殺してあげる」
「……っ!!」
 もう間に合わないと悟ったシェールは固く目を瞑った。

「(もう、死ぬんだ……)」
 アミルトはアレンを抱えたまま俯いた。そして固く目を瞑った。 元々死は受け入れていたのだ、これが自分の運命だったのだろう。 アミルトはそう思い何も考えないようにした。
 しかし、家族を巻き込みたくはなかった。 母が女神ウィンドに憑依されたから自分は産まれたとイヴルは言っていた。 つまり自分さえ産まれなければ、家族四人は今も幸せに暮らしていたのかもしれない。 彼らの人生を壊さずに済んだのかもしれない。 それが心残りだった。 今も兄のアレンを巻き込もうとしている。 これは許されるのか、兄は許してくれるのか。 それを考えると色んな気持ちがない交ぜになって、涙が止まらなくなった。
『貴方は天士……下界を救う為に生まれた者』
 何度も聞いた事のある声が聞こえた。
「何度も言ったよ。裏切り者の力で、悪の力で、どうして下界が救えるの?」
 アミルトは自分の心に語りかけてくる声に向かって返した。
 するとウィンドは彼の心の中に姿を現し、真っ直ぐにアミルトを見据える。 その瞳はいつも悲しげで、彼女自身が救いを求めているようにさえ見えた。
『貴方は天士……上界を解放する為に生まれた者』
「解放……それは神々と争えという事?」
 ウィンドはアミルトの問いに少し考えると『そうするほかないのであれば……』と答えた。
 アミルトは複雑そうに顔を背ける。 だけど、以前のような恐怖はない、上界から来たであろうイヴルという神を知ったからかもしれない。 神々は決して人の味方ではないと、そう感じたからかもしれない。
『貴方は天士……あの方を壊す為に生まれた者』
 ウィンドは以前語りかけた言葉を繰り返した。
「何故僕が……創造主様を壊さなきゃいけないの?」
 あの方は恐らく創造主の事だとずっとそう感じていた。 壊すは、殺す。
 アミルトは人が神を殺すなど、許されるはずがない。 そんな悪行に手を染めたら、自分の魂は未来永劫救われないとそう思う。 死ぬ事でさえ怖くてたまらないのに、そんな事できない。
 しかしウィンドは首を横に振り、何かを懇願するように涙を流した。
『あの方を救えるのは貴方達だけ……』
 アミルトは不思議そうに首を傾げた。 貴方達だけ……伝承に結びつけるなら、十の代まで続くという自分は決して出会うはずのない天士達の事だろうか。 このような思いをするのは自分だけではないのかと、心が痛む。
『貴方は天士……貴方は希望……』
 ウィンドは涙を流しながら続ける。
 アミルトは今まで恐れてまともに聞く事のなかった彼女の言葉を冷静に聞いていた。
 自分は悪だと思っていた。 だけど正義だと思っていた魔士が、正義とは思えなくなっていた。 それにその力を与えたであろう青の神イヴルも。
「……世界の安息って…一体何の事なの……?」
 アミルトは先程イヴルにした質問を彼女にした。 天士が魔士を打ち倒す事で世界は再び安息を得るという、それは一体何を指しているのだろう。
『世界の……安息です、天士』
 ウィンドは苦しげな表情を浮かべ、イヴルと同じ事を口にした。
「それはつまり……人は世界に含まれてない……?」
 アミルトはこの答えを導き出し、その答えにウィンドは頷いた。
 魔士である父が村を崩壊させたのは、ただ人を殺す為……。 人間がいなくなれば、世界が救われるから。
「"自然が災害を起こすのは、人を殺す為だ"……青の神様はそう村の人に吹き込んでた」
 ウィンドは残念そうにそして悲しそうに目を瞑ると俯いた。
 世界、つまり自然を守る為に人を殺す父。 人が自然を破壊するよう仕向ける青の神。 行動の矛盾にアミルトはギュッと拳を握る。
「……青の神は、父さんに人を殺させたいだけなの?」
『恐らく……』
 ウィンドの言葉を受け、アミルトは立ち上がると、真っ直ぐ彼女を見据えた。
「……僕が本当にしなければいけない事は、人を殺す事でも、世界を壊す事でもないよね?」
 まるで自分に言い聞かせるかのようにアミルトは聞いた。 辛そうにしながらも涙はもう止まり、瞳には強い意志を宿している。
 ウィンドは彼のその言葉に強く頷き手を合わせ祈るように彼を見た。
「貴女を、信じるよ……女神様」
 アミルトは微笑むと再び目を瞑った。

 何かを裂いた音が聞こえ、シェールは悔しさに歯を食いしばった。 しかし聞こえてきた苦痛を滲ませた声はアレンのものではない。 シェールは恐る恐る目を開けると驚きに目を瞠った。
 イヴルの剣はアレンに突き立てられる事も、アミルトを切り裂く事もなかった。 それどころか今傷を負ったのは今まで余裕の表情で見下していたイヴルだった。
 腕に感じた痛みに小さく声をあげたイヴルは、痛みを感じた右腕に視線を走らせる。 そしてみるみる表情が怒りに歪んでいき、緑の服は赤と混じり黒く染まった。 イヴルは腕を斬られた事を自覚すると歯を軋ませその人物を睨みつける。
「貴様……っ」
 彼の腕を斬りつけたのは、今までただやられていたアミルトだった。 手に強く握った剣にもう鞘はついていない。 剣はギラギラと真新しい赤を帯びて輝いている、それに相反するようにアミルト自身はカタカタと震えていた。 しかしその攻撃はイヴルに確かなダメージを負わせた。
「アミ、ルト……」
 アレンは弱々しく彼の名を呼んだ。
 その声に気付いてアミルトは兄をその場に横たえると、薄らと微笑みを浮かべた。 そして表情を再び引き締めるとイヴルに向け剣を構える。 身体の震えは止まらない、腰の低い構え、だけど強い決意を持った目でイヴルを見据えた。
「剣を抜かずに後悔するのは……もう嫌だからっ!」
 イヴルはアミルトの人が変わったような様子に面白くなさそうに舌打ちをする。 しかし何かに気付くと紫の凶刃が手を離れ、この場から消えうせた。
「……っ、術が!」
 アミルトに負わされた傷の所為でイヴルが自分自身にかけていた術が解けた。 隠していた傷が次々に露になる。 無茶をしすぎたのかどれも傷口が開いて出血していた。
「!?」
 アミルトは驚くと思わず構えを解いた。 おびただしい傷の数を見て、恐れすら感じた。 人から見てこれほど脅威の存在が、これほどの怪我を負わされている事実が恐ろしい。
 イヴルも傷口が開いてしまった事は誤算だったのか、口元を歪め悔しそうに歯を軋ませた。
「……っち、ここまでかっ!」
 そう零したイヴルは忌々しそうにアミルトを睨みつけると、その場から姿を消した。
 ほぼ同時にシェールにかけられた術が解け、シェールは立ち上がる。
「動ける……もう近くにはいないみたいね」
 シェールは呟くとすぐアレンの傍に駆けていった。 ぐったりと横たわるアレンを見てシェールはゾワッと背筋が凍る思いがした。 震える手で頬に触れるとまだほのかに温かさが残っていて一先ず安心はできた。 しかし抱えてみると、弱々しい吐息と血色の悪さ、このままでは危険な事に変わりはない。 シェールは助ける事ができるのか考えると恐ろしくなった。
「アレンデ……」
 シェールは親友の名を祈るように呟いた。
 緊張の糸が解けたアミルトはその場にへナヘナとしゃがみこんだ。 鼓動が早い、ドッと汗が噴出して呼吸も荒くなる。 だけどフと視線を燃え盛る木々に移すと自分を奮い立たせ、震える身体を起こした。
「火、消さなきゃ……っ」
 重い身体、重い瞼、よたよたと火の方向へ向かうアミルトを何者かが制した。
 アミルトは思わずその人物にもたれかかる。
「そんな身体で何ができる」
 声の主を見上げるとアレンと共に穴に落ちたカーネルの姿があった。 身体中に葉を付けているが、アレンと違い軽傷だったようだ。 アミルトは思わず安堵の息を吐いた。
「でも……火が」
 自分の身を省みず木々を心配するアミルトを、カーネルは簡単に抱えてしまうと、そのままアレンの傍に座らせた。
「俺がなんとかする、だから休め」
 カーネルはアミルトの頭を優しくポンと叩くと今まで見せた事のない微笑みを浮かべた。
 それに安心したのか、アミルトは「すみません」と一言謝るとすぐ横の兄を心配そうに見つめた。
 安心したカーネルはすぐ火を止めに行こうと一歩踏み出すが、アレンの様子を見るなりシェールを気にした。
 シェールもその視線に気付いて彼を見ないように俯く。
「治癒術を使えるだろう?」
「……基礎だけよ、とてもこんな傷っ」
 いつも自身満々なシェールが恐ろしく暗く、そして怯えていた。
 その不安を察したのかカーネルは少し溜め息を付くと、シェールの頭を撫でた。
 突然の感触にシェールは一瞬戸惑ったが、しかしまるで子供のように扱われても嫌な気はしない。 それは何故か考えた時、何かに気付いたシェールはカーネルを見上げた。
「基礎も応急処置に使える」
 カーネルはそう言って先程アミルトに向けたような微笑みを浮かべるとすぐ火を止めに走った。
 シェールは「応急処置……」と小さく呟くと、何かを決意したように術を唱える。 するとアレンの身体を温かい光が包み、アミルトも薄れゆく意識の中でそれを感じた。
 その光が消えるとシェールは再びアレンを横たえた。 心なしかアレンの表情が少し穏やかになり、アミルトの表情が少し緩む。
「アミルトにもかけてあげるわ、少しは元気になるかもしれないから」
 シェールはアミルトに向き直り、先程の術を詠唱した。
 アレンを包んだのと同じ温かい光。 ふわふわとしたその感覚が心地よく、それ以上にくすぐったさを感じてアミルトは笑みを零した。
 術を唱えおえたシェールは訝しげにアミルトを見る。
「僕の名前、呼んでくれたんですね」
 アミルトはそう微笑むと嬉しそうにその場に横たわった。
 シェールは一瞬何を言っているのかわからなかったが、すぐ照れたように「気のせいよ!」と否定した。  二人の距離は少し縮まったようだった。

...2011,11.29/修正01