温かいぬくもりをイヴルは肌に感じた、恐らくこれは手だ。
そして肌に何かを塗られてツーンと染みる感覚、恐らく消毒しているのだろう。
よく知るその手が自分の肌に触れ、そして手当てを行っているようだ。
意識がはっきりしてきてから、イヴルはゆっくり思い瞼を開いた。
「……僕の部屋か」
辺りを見回した訳ではなかったが、その雰囲気からイヴルは自分の部屋である事を悟った。
「イヴル兄!……大丈夫?」
聞き覚えのある声に呼ばれ、イヴルは飛び起きた。
声の方向を見るとそこにはイヴルと同じ顔の、だけど髪の長さも目の色も彼やウォーシップとは違う少年がいた。
そこにいた少年の髪の色はウォーシップより少し長め、目の色は自然を表すような緑色だった。
「アスファル?何でお前が……」
イヴルは面倒そうに頭をくしゃっとかいた。
「ああ!酷いなイヴル兄!折角ここまで運んでやったのに!」
アスファルと呼ばれた少年はそう言って頬を膨らませた。
しかしイヴルがそう反応するのには訳がある。
彼の異名は天邪鬼、わざと人に逆らう言動をするひねくれ者なのだ。
ウォーシップと同じく自分の弟だがその点だけはどうも彼は好きになれないでいた。
「……あぁ、その事は感謝する、床に血が付いたら拭き取るのも大変だ」
イヴルは頭の包帯に触れながら苦笑した。
アスファルは唇を尖らせると少し訝しげに彼を見る。
「別にそれはいいんだけさ、っていうかそんな事気にしてるの?」
「ウォレス様の部屋の前を汚すわけにはいかないだろ」
イヴルの返事を聞いたアスファルは頭をくしゃくしゃとかきながら渋い顔をした。
「イヴル兄しかあの中しらないのに、ウォレス様の部屋とか言われてもなぁ……」
創造主ウォレスの部屋の結界を解除できる者は今やいない。
ここにいる神々の中で一番力を持っているイヴルにですら一時的に抉じ開ける事が精一杯。
その為これだけいる神々達にとって創造主という存在は無いに等しかった。
しかしイヴルにとって創造主の存在は何に置いても大事なもの。
当然彼の顔は引き攣り、怒りにも似た表情でアスファルを睨んだ。
「本当の事じゃん!まったく……」
そこに居ずらくなったアスファルはそう悪態を付く。
そして椅子にかけていたいつも羽織っている布を手に取り入り口へ向かった。
だけどそのまま行く事はせず扉の前で一度イヴルを振り返った。
「一人で背負い込むのはやめてよね、イヴル兄の喜びも哀しみも……痛みすら感じ取るんだから」
そう言って扉をくぐる。
「俺達が三つに分かれた一つの魂だって自覚してよ」
アスファルは不敵微笑むとそのまま扉を閉めた。
「自覚して……ね」
イヴルはそう呟くと丁寧に巻かれた頭の包帯を無造作に取り去った。
包帯を見つめ傷の状態を確認すると、そっと傷に触れる。
そうして傷口をなぞるとそれにそって傷は消えた。
「……狩りに行くか」
ガサガサと木々を掻き分けながらアミルト達は薄暗い山中を歩いていた。
山道はなく、どう考えても人の通る道ではない。
獣道というにも難しい。
カーネルの後に続いてシェールとアミルト、最後尾にアレンが付いていたのだが、
ここまできてアレンは遂に口を開いた。
「……迷っただろ、カーネル」
その言葉を聞いたアミルトは涙目になりながらカーネルとアレンを交互に見た。
シェールは驚いて口をぱっくりと開けて呆然としている。
しかしブルブルと肩を震わせているアレンに対してカーネルは首を傾げて「何の事だ」と答えるだけだった。
「とぼけるなぁ!」
真赤になって怒り狂うアレンはカーネルに掴みかかった。
身長的な問題で襟首を掴んでいるだけだが、背の高いカーネルは無理矢理屈まされる形になって苦しいようだ。
それでもアレンはガクガク音をさせながらカーネルを揺さ振った。
最初は責任の追及をしていたが、だんだんと訳の判らない事を言い出す始末だ。
呆然としていたはずのシェールがいつの間にか我に返ってクスクスと笑う。
「兄妹揃ってこんなだったのね、差し詰め貴方は突然変異かしら?」
突然そうふられたアミルトは「え?」と疑問の声をあげた。
「(兄妹揃ってこんなだった……?)」
違和感を覚えたアミルトに対してシェールは特別気に止める事はなかった。
今まさに終わりを迎えそうなカーネルとアレンのやり取りの方がよほど魅力的だったからだ。
「落ち着け……っ確かに迷いはしたが、あっちに光が見えるっ」
カーネルは揺さ振られ続けて観念したのか正直に答えた。
「やっぱり迷ったのかーっ!」
アレンの怒りの炎は更に勢いを増す、だがカーネルの指し示す方向を見て表情が一変した。
「確かに、明るいな……」
そういうとアレンは掴んでいた手を放し、光の方向を確認するように一歩ずつ進んで行く。
カーネルもフゥッと一息つくと、その後に続いた。
『ゴ……ッガサァッ!!』
アミルトは妙な音に気付いてアレンやカーネルの方を向いた。
しかし状況がよくわからず、答えを求めてシェールに目をやる。
シェールはというと、一部始終を見ていたために言葉が出ずまたも呆然としていた。
仕方なくアミルトはもう一度二人を見た。
足元に手をやると、アレンの足が地についていない……いや、地面が根こそぎ落ちていったようだった。
フワッとした感覚にアレンは足元を見ると血の気が引いた。
「のわああぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!?」
悲鳴と共に落ちていくアレンをカーネルは掴んだが、勢いの強さに負けて二人共落ちていった。
今まで葉に埋もれて見えなかったが、そこには人が落ちそうな少し大きな穴が確かにあいている。
アミルトとシェールは急いで駆け寄ると穴を覗き込む。
穴からはまだアレンの悲鳴が響いていた。
「ふぅ……バカねぇ」
「シェッシェールさん!そんな事言ってる場合じゃないですよ!?」
冷静に、むしろ呆れてるシェールに対し、アミルトは目の前で起きた惨事に気が動転していた。
その様子にシェールは再び溜息を付くと腕を組んで彼を見据える。
「貴方が慌ててどうするの、こういう時こそ冷静になさい」
「れ、冷静すぎるのもどうかと思うけど……」
アミルトはそうぼやきつつ、目を瞑り深呼吸するように息を吐き、空気を胸一杯に吸い込んだ。
そうする事で少し落ち着いてきたような気がした。
「この穴、どこに繋がってるのかな……」
冷静さを取り戻すと、アミルトは穴を見つめながら渋い顔をした。
「叩きつけられる音がしないのだからスベリ台のようになってるんじゃない?」
「どこかへ繋がってるって事ですか?」
シェールは「そこまではわからないわ」と答えるとある方向へ向かって一歩進んだ。
「あの、どこへ?」
状況を理解できないアミルトはシェールを呼び止める。
シェールはそんなアミルトにまた溜息をついた。
「カーネルが"あっちに光が見える"って言っていたでしょう?その方向よ」
そう言うとさっさと歩きはじめてしまった。
アミルトはワンテンポ遅れたが、置いていかれまいと後に続いた。
光に近付いていくと、二人の顔にだんだん汗が滲みはじめた。
どうやら光の方向へ向かって行くほど温度が上昇しているようだ。
その原因が判らない二人だったが、理解するまでにそう時間はかからなかった。
「な……」
森を抜けた先に広がる光景にアミルトは言葉を失った。
「……どうしてこんな事」
シェールも驚きながら一歩踏み出す。
二人の眼前には緑のない殺風景な町並みと、光の正体である所々に立ち並ぶ火柱だった。
火柱の中には刈り尽くされた植物が山となっている。
二人は恐る恐る町の中を進むと、更にその先では森に向かって炎を放つ魔法使い達の姿があった。
それ住人達は止めるでもなくただ見ているだけ、むしろ見物しているようだ。
まるで何かの儀式でもしているかのような光景だった。
「暑さの原因はこれだったようね」
戸惑いを隠せぬままアミルトは辺りを見回した。
すると今引き抜かれたのだろうか、まだ燃やされていない植物の山が目に入った。
その周りにぞくぞくと住人達が集まり、今まさに点火しようとしている。
「やめろ!!」
「ちょっ貴方……!?」
アミルトは居ても立ってもいられず飛び出していった。
住人達は一斉にこちらを見る。
「何だ坊主、お前火が付けたいのか?」
「違う!そんな事絶対僕はしない……っどうして燃やそうとするの!?」
その言葉を聞いて住人達は代わる代わる顔を見合わせ、示し合わせたように一斉に笑いだした。
「そんなの人類滅亡を回避する為に決まってんだろ?」
アミルトは目を見開く。
「そうそう、"青の神様"が私達に教えてくれたんだ!」
それを聞いて今度はゴクッ固唾を飲んだ。
"青の神様"はこの世界にとって創造主様の次に神格の高い存在。
それは正義の言葉だ。
アミルトの持っている力は裏切りの女神の力、創造主様や青の神様とは違う、反対側。
途端自分は間違った事を言ってるのだろうかと、アミルトは不安にかられた。
「"自然が災害を起こすのは、人を殺す為だ"ってね!」
アミルトの様子を知ってか知らずか、一人の住人が高らかに神の助言を復唱した。
アミルトは途端真白になって、愕然とした。
人類滅亡を回避する為に自然を破壊するというのか?
"青の神様"は正義のはずだ、そんな正義の者が命ある植物達を蔑ろにしたというのか?
自然災害は人を滅亡させる為なんて、そんなバカな話があるのか?
今得た情報がグルグルと思考を支配した。
悪であるはずの女神の力を持つ自分が間違っているはずなのに、
正義の言葉があまりにもおかしくて、不自然だった。
彼の様子を見て一層笑い声は大きくなった。
アミルト自分の手をギュッと握る。
全身に震えが伝わっていく、収まる事はない。
「そんなの違う……!そんなの間違ってる!!」
彼の叫び声に笑い声は止む。
空気がとても重苦しくなっていく。
「空気も食物も、自然がなきゃ生まれない……自然がなきゃ僕らは生きていけないっ!」
今度は彼の叫びを住人達が呆然と見つめていた。
そのほとんどが聞く耳を持っているのではなく呆れているのだが、
それでも彼は懸命に訴えた。
「自然は何もしてないっしてないんだよ!!」
顔を真赤にしてアミルトは言いたい事を言い終えると俯いて肩で息をした。
その間にシェールは彼の傍に寄ると、そっと肩を叩いた。
アミルトは不安にかられながらも彼女に目をやると、彼女はいつもの挑発的な表情で笑っていた。
それだけで彼はすごく救われた気がした。
しかし今まで呆然としていた住人達の顔にはもう笑顔はない。
リーダー格の人物がアミルトに一歩近付く。
「じゃあなんだ?"青の神様"が嘘付いてるってのか!?」
自分達の信じる正義を貶されて住人達は怒りを露にする。
彼らにとって自然のあり方は関係ないのだ。
"青の神様"が悪だと言うものが悪でしかない。
「そ……それはっ」
しかし自分の存在が正義の真逆に位置していると思っている彼にとって、
この言葉はあまりにも強く、怖かった。
何も言い返せず一歩後退る。
「"青の神様"を悪く言うとはなんて罰当たりなガキなんだ!」
「こいつらをつまみだせ!」
襲いかかる住人達にシェールは正当防衛だと言うように攻撃し返した。
しかしアミルトは襲いかかる住人達に成す術がなく、鞘がついたままの剣で叩き返すのがやっとだった。
自分の力は悪なのだ。
そんな力で正義の為に戦う者を攻撃できるはずがなかった。
「でも……でもっ自然が無くなったら人類は滅亡するんだよ!?」
「このガキ!この期に及んでまだ"青の神様"を侮辱する気か!!」
聞く耳を持たない住人達に懸命に問い掛けるが、
これ以上何を言っても火に油を注ぐ行為でしかなかった。
地に居る人々を傍観していた人物はクスクスと笑い出す。
その声が地に届いて辺りが静まり返ると、住人達は跪いた。
「無駄無駄、そんな事を言っても、自分の首を絞めるだけだよ?」
その人物はアミルトだけを見下げていた。
アミルトは声の方向、宙を見上げた。
暑いはずなのに、冷たい汗が頬を伝う。
見上げた先には同い年くらいの少年、その青い瞳が自分を見下げている。
綺麗な長い金髪にも、まるで羽のような彼の纏うオーラも目に入らない。
ただ自分を見下してどこか冷たいその瞳に、アミルトは恐怖を感じていたのだ。
"青の神様"はこの世界にとって創造主様の次に神格の高い存在。
それは正義の言葉だ。
アミルトの持っている力は裏切りの女神の力、創造主様や青の神様とは違う、反対側……。
「はじめまして、堕落した女神の子」
裏切りの女神の作り出した天士と、"青の神様"の時が交わった。
...2010.07.24/修正01