Genocide

 十月三日月曜日、憂鬱で不安で……そして恐怖を最も感じる曜日だ。 それでも私は神経が図太い方なのだろう、 人が殺されたり、行方不明になったり、ましてやその犯人が自分の彼氏だとわかっているのに、 こうして命令とはいえ、学校に通えてる。 常識では考えられない、そんな事が起っているのに気付かない学校側や彼の両親も……。
 学校に着いて教室の扉を開くと、夜観之君がいつも通り眠っていた。 私は起こさないようにそうっと自分の席についたが、物音に気付いて夜観之君はむくりと顔をあげる。
「なんだ、のろ子か……」
薄ら開かれた目をゴシゴシと擦りながら夜観之君はそう呟いた。
「あ、起こしちゃってごめんね」
「別に、それほど眠れるなんて思ってねえから……」
夜観之君は大きく欠伸をすると後ろ頭をガリガリとかいた。 それで夜観之君の髪に付いた薄紫色のエクステが揺れる。 それを見て一学期は時折色を変えていたのに、それをしなくなった事に気付いた。 夜観之君もきっと憂鬱で不安で、恐怖を感じる日々を送ってるんだ。 私だけじゃない、事実を知っている人はみんな……。
 私は首を軽く振る、そして夜観之君の傍に行く。
「夜観之君いつも教室で寝てるね、寮では眠れない?」
「どんな細工されてっかわかんねーから……教室開くまで箱と格闘……」
私が「箱?」と首を傾げると、夜観之君はぶっきらぼうに「パソコン」と答えた。
「お前、このご時世に持ってねーんだな……」
夜観之君はそう溜息をついた。 私は少し恥かしくなって余所見をしたが、すぐ夜観之君に向き直る。
「教室開くまでって……寝てないって事?身体に悪いよ!」
「俺ショートスリーパーだから二・三時間寝れりゃいいんだよ」
そう言い切った後、私が再び首を傾げたのを見て夜観之君は項垂れた。
「短時間の睡眠でも健康でいられる奴の事……」
それを言われた瞬間、世の中にはそんな人もいるんだなと、そう思った。 私は寝付けなくて睡眠時間が短くなっているが、 習慣は六・七時間だから身体の調子は悪くなる一方だ。 あと気にしないようにしていたが、土曜の夜には身体が熱く痺れるように重い。 毒薬を飲まされた直後の痛みに比べれば我慢できる程度ではあったが、 それも少なからず影響しているだろう。
 そう考えると、夜観之君も私同様に体調はよくなさそうに思う。 それに、夜観之君の目のしたには少しクマができているように見える。 いくら健康でいられると言っても、数週間前とは状況が違うのだから……。
 その時、廊下から足音が響いてきた。 音が近付いてくるにつれ、それが彼の足音だと察しがついて寒気がした。 事件以来予鈴ギリギリで来ていた彼が今日は早い。 だけどそれを疑問に思ったわけではなかった。
 昨日彼と交わした約束……"以前の再現"。 これの為なのはわかっているけど、以前と違う点がいくつもある。 私が演技でしかない事、そして以前のように人目をはばかる事はないだろうという事。 今教室には夜観之君がいる。 彼がいる前で夜観之君にこの事を話せない。 それにこれは私個人のミスで起った事だ。 私の所為で二人が酷い目にあうかもしれなかったのに、自分の置かれた状況を話す気にはなれなかった。
 ガラガラと教室の扉が開き、私達は扉の方を見た。 そこにいたのはやはり彼で、以前のように微笑むその姿が怖かった。
「おはようのる。七瀬君も、二人共早いね」
彼は教室に踏み込んでまたガラガラと、扉を閉めた。
「それはてめえだろ……」
七瀬君は頬杖をついて眉間にシワを刻む。 私は心臓がバクバクといつもより早い鼓動を刻んでいて、少し身体が震えていた。 だけど、言わなければいけない、演じなければいけない、それが約束だ。 彼の微笑みが怖い、冷たさしか感じられない微笑みが……。
「おはよう、律君。早いけど、ちゃんと朝ご飯食べてきた?」
私はそうぎこちなく言うと、できる限りの笑顔で返事をした。 新しい言葉なんて思いつかない、だから以前の私が彼に向けていた言葉を言った。 自然な笑顔なんてできない、自然に喋る事もできない……だけど満足でしょう。 夜観之君がいるとわかっていて、それでも私に話し掛けたのだから・・・。
 夜観之君は驚いたように私を見ていた。 私は戸惑う夜観之君を見ようとはせず、彼の傍に行く。
「少しだけだけどちゃんと食べたよ。それより、予鈴鳴るまで屋上にでもいようか?」
彼は一瞬私から視線を外した。 驚いて言葉の出ない夜観之君を見ているのだろう。 だけど私は振り返る事ができなかった。 元々別れたわけではなかったけど、彼とよりを戻したような私の言動。 きっと軽蔑されているだろうと、そう思うと怖くて夜観之君を見る事ができないのだ。
「う、うん……行こう」
私は彼に差し出された手を握り、夜観之君を残して教室をでる。 夜観之君がどう理解したかはわからない。 だけどガツンッと何かをぶつけたような音が響いて、怒っている事はなんとなく伝わってきた。 その音にビクッと震えながら、それでも私にはどうする事もできない。

心がズキズキと痛んでも耐えるしかなかった。

07.すれ違い

 屋上で彼と寄り添って座る。 以前は当たり前だった事が、今では一つ一つが心に突き刺さる。 演技とはいえ、以前のような関係を取り戻すのは、被害を受けた人達を裏切っている。 これは仕方ない事だと言い聞かせても、苦しくて仕方なかった。
 予鈴までが長く感じる、どちらも口を開かないからだろうか、 他愛も無いお喋りもしたけど、こうして二人ボーっと過ごす事も多かった気がする。 だから会話をきりだす事ができなかった。 すると、彼は私の肩を抱き顔を覗き込んだ。
「最近、七瀬君と一緒にいる事多いよね、ヤキモチ焼いてもいい?」
冗談っぽく、首を傾げながら彼は言った。 だけど本心は、"夜観之君と一緒に行動するな"という事だろう。
「そんなんじゃないよ、律君の話してるだけ」
「判ってるよ、言ってみただけ」
彼はそう言って私の頬に軽くキスを落した。
 以前は予鈴が鳴る前にバラバラに教室に戻っていた。 だけど今日は違う、手を繋いで教室に戻る。 みんなに私を「大切な人」だと言っていたから、隠す意味がないという事だろう。 ネタがない時に穴埋めとして彼を追いまわしていたマスコミ、その人達に知れるのも時間の問題だ。 世間はなんで彼は私を選んだのだろうと語るだろう、 そして彼が捕まった時には私を蔑むのだろう、 もう以前のような平凡な生活は送れない、そう思った。
 教室の扉を開けると、みんながこっちに注目する。 だけど彼はそんな事は気にせず私を席まで送った。
「相変わらず調子悪そうだから、無理しちゃダメだよ?」
そう一声かけて席に戻った。 私は軽く頷く、周囲の妙な視線が気になって仕方ない。 なんとなく草川君の席を見ると、ビクビクと震えている草川君の姿が目に映る。 殺されなかった事に安堵したというより、あんなに怯えていて気の毒だった。
 そのままさりげなく教室を見回してみると、今日は寺石 瑠貴君がいなかった。 そして草川君がオズオズと手を挙げる。
「寺石君、休むそうです……」
先生はそうか、とだけ言って出席簿をチェックをするだけだ。 どうしてそれ以上踏み込んで話を聞こうとしないのか、 聞かれた所で話す事はできないけど、どうして異変に気付かないのだろう、私は悔しくて仕方なかった。
 草川君がそれを答える事は彼の命令なのだろう。 メモではチェックされていない寺石君は生きているだろう。 だけどどういう順番で被害に遭っているのかわからない以上止める事も注意を促す事もできない。 夜観之君なら何かわかるかもと、そう思ったりもしたが、 今は目があっても顔を背けられてしまう、だから無理だった。
 でも仕方ない事だと思う、理由のわからない夜観之君にはよりを戻したようにしか見えないだろう。 彼が豹変して孤独になった私に声をかけてくれた夜観之君を、こんな形で裏切った。 それが苦しくて、寂しかった。
 ホームルームでは千草先生が来週の体育祭についての説明をしていた。 この学校は生徒数が少ないから学年対抗だ。 勝ち負けには拘る先生は自分で割り振ると言っていた。 佐々川君がいない事に不服そうにしているのかと思えば、 抜けた所には先生の思い通りに人を配置できる、だからあまり文句はなさそうだった。
 放課後は彼に手を引かれ、いつもの場所に向かう。 こんな状態では夜観之君に声をかけ辛い、だから学校にいなくて済むのは気が楽だった。 ただ、こうしてる間も夜観之君は草川君に事情を聞いて、色々な事を調べているのかもしれない。 なのに私は彼に翻弄されているだけだ。

 十月四日火曜日、今日は夜観之君は教室にいなかった。 どこにいるか知らないわけじゃない、校舎裏だ。 ここに向かう途中、薄いピンク色の髪の毛をそこで見た。 薄紫色のエクステをクルクルと指で弄りながら、地面に横になっていた。 声をかけようかと思ったけど、無理だった。 二人を危険にさらしたのに、自分が苦しいから夜観之君に事情を説明するなんて、それは甘いと思った。
 一人で佇む教室はひどく寂しかった。 夜観之君と話していた内容は決して楽しい話ではなかったけど、孤独ではなかった。 それに私のわからない事をぶっきらぼうにだけど教えてくれる。 その時間は今思えば楽しかったように思う。
 しばらくすれば彼が来るけど、私達の間にできた亀裂は近くにいても遠く感じる程、深く刻まれている。 こんな状態を三ヶ月も我慢しなければいけない、なのに私は正気を保っていられるだろうか、私はどうなるのだろう。
 ボーッと空を眺めていた彼はふいに私の方を見た。
「のる、身体の調子はどう?」
「え、普通……だよ?」
私はぎこちない笑顔で答えた。 実際はすごくよくない、土曜日の夜に起きる痛みを抜いても、貧血気味だし何より睡眠不足だ。 それに食事中に気持ち悪くなる事が増えていて、ちゃんと食事を取れてなかった。
 その事全てを見透かしているように彼は引こうとはせず、私の身体にペタペタと触れる。
「な、何……!?」
私は身震いがして何をされてるのかわけがわからず驚いた。 そして恥かしくなって顔を真赤に染める。
「いや、何でもないよ、あえていうならセクハラ?」
そう彼は笑ったが、目はあまり笑ってなくて、複雑そうなそんな表情をしている。 彼は私が目先の事に囚われて見過ごしている事に気付いているようだった。
   教室に戻ると昨日と色々と違っていた。 寺石君が少し顔色が悪く学校に来ている事と間野 麻美さんが来ていない事だ。
「間野さん、来週まで学校に来れないそうです……」
高水さんがそう先生に言う、これもきっと彼の命令。 彼はヒントをくれたけど、私はそれほど頭がよくはない。 だから法則を見つけ出せない私には意味をなさなかった。 被害者がドンドン増えていく、今はこのメモで安否を確認する術しかない。 チェックされている人がいなくなったらどうしよう、不安で仕方なかった。
 いつものように頭に入らない授業を終えて、放課後は彼に手を引かれて通学路を歩く。 見た目だけは仲が良さそうに、だけど心の中はグチャグチャで……。 そんな風に一日一日が過ぎていって、何だかクタクタだった。

 だけど十月八日土曜日、以前を再現した日常に異変が起った。 前に三人で帰宅した時通った、寮に行く道の曲がり角で夜観之君が待っていたのだ。
 月曜日以来、ろくに話す事はおろか顔を合わせる事も少なかった。 だから、月曜日の夜観之君の印象が美化していたといえばいいだろうか、 冷たいその表情が、ぶつかるより前の危なげな印象しか持っていない頃を思い出して怖かった。 正直、私には優しく映っていたあの夜観之君には見えなかった。
「なあ、今のお前らってどうなってんだ?」
夜観之君は彼に詰め寄った。 でも彼が動じるはずもなく首を傾げた。
「どうって言われても、僕達恋人同士なのは七瀬君知っていたでしょ?」
彼は笑顔で答えると私を肩を掴んで抱き寄せた。 私は不安そうに夜観之君の表情を見つめるしかない。
「別れてないのは知ってたが、先週までこんなにベタベタしてなかったろ」
彼は挑戦的な表情で夜観之君を眺めると、すぐクスクスと笑いはじめる。 そして空いてる方の手で私の顎を掴むと深く口付けてきた。
「な……!」
夜観之君は驚きの声をあげた。 だけどそれは私も同じで、彼を身体を押し退けようと手を伸ばす。 でも男の人の力に勝てるはずもなくて、苦しいのと恥かしいのとで思わず涙がボロボロ零れた。 人前でこんな事を平気でする彼が信じられない。
 ようやく彼は唇を解放すると、今度は涙をあとに沿って舐め取った。 やっと解放されて一息ついた所だったのに、思わず身体が跳ねた。 一連の行動に顔を赤く染め、涙のあとが残るまま夜観之君を恐る恐る振り返る。 俯いていて表情が読み取れないけど、ワナワナと震えるその様子は怒っているように思った。
 だけど彼は更に挑発するように夜観之君を見ながら、両手で私を囲うように抱き締めた。
「わからない?以前の再現をしてるんだよ」
そう彼は冷たく言い放つと彼は指きりをするように小指を立てた。
「付き合いの浅い七瀬君は知らないだろうけど、のるは誘導尋問には弱いんだ」
そして微笑むとその立てた小指を夜観之君に差し出した。 夜観之君はわけがわからなかったが、とりあえずその小指と彼を交互に見ていた。
「だから指きりしたんだ、以前の再現をする代わりに高水さんと七瀬君を許すって」
私は何で彼がそんな事を話すのか不可解で仕方なかった。 私が夜観之君と関わるのが嫌なら、放っておけば良かったのに、 どうしてこう意味のわからない優しさを向けるのだろう……。
「そういう事だから七瀬君、他の駒尋問するのはもうやめてくれる?」
彼は夜観之君を嘲るように笑う。 だけどどういう事なのか理解した夜観之君は溜息をつくだけだった。
「そうすればそいつを解放するのか?」
「それはまた話が別だよ」
彼はニコッと笑う。 当然といえば当然だろう、彼の言葉は命令でしかない。 交換条件なんてものはないのだ。
「でものるに無理させるのは可哀想だからね……」
でも彼は私の頭を撫でながら意外な返事をした。 それには私だけでなく夜観之君も驚いて彼を凝視してしまった。 この役回りにした時点で私が苦しいのはわかっていたはずなのに、 彼はどうしてこうも不可解なのだろう……。
「……僕と体育祭で勝負でもする?七瀬」
彼は俯き加減に嘲笑した。 スポーツも万能な彼からすれば勝負にならないという意味なのだろう。 夜観之君はどの授業も適当に受けている為に、どれほど運動できるのかはわからないけど、 正直勝てる見込みもない。 そして何より、私のミスの肩代わりが夜観之君なのも可笑しかった。
 だけど夜観之君は少し考えると彼に聞いた、
「俺が勝ったら再現は終わりにしてくれるのか?」
彼は嘲笑は止めずに「勝てるならね」と答えた。 運動部の誰もが彼を欲しがっていた事も手伝って自信満々という風だ。 もちろん有名になるからという理由もあっただろうが、彼には本当に実力があった。 だけど彼の余裕の表情は気にも止めずに夜観之君は再び少し考える。
「わかった」
そして簡単にそう答えた。 これには彼も驚いているようだった。
「へえ……まあ勝負する種目は当日決めようか、何に入れられてるかわからないし」
彼がそう言うと、夜観之君は「ああ」とだけ言った。 私が巻き込んでしまった事に俯いていると、 夜観之君はゆっくり近付いてきて頭をポンと叩く。 私がゆっくり見上げると、夜観之君はフウっと溜息をついた。
「のろ子の"のろ"は呪いの"のろ"なんじゃねーか?」
夜観之君はそう嫌味を言って笑う。 ぶっきらぼうで口が悪いけど、どこか優しいあの夜観之君がそこに居た。

...2008.06.30