「ねぇ、どこにいるの?」
その声に黒猫は耳をピクッとさせると声のした方へ駆けて行った。
黒猫の首には青いリボンが結んである。
飼い主の少女は黒猫の姿を見初めるとその場にしゃがみ、腕を広げ黒猫を抱きとめた。
「来てくれてありがとう」
少女は嬉しそうに黒猫の頭を撫でた。
それが気持ちいいのか黒猫は少女にじゃれる。
しかし少女の表情が途端曇ったのを察して黒猫は「にゃぁ?」と首を傾げた。
「ごめんね、もう……一緒にいられないんだって」
少女はそう黒猫に言うと今まで堪えていた涙を流した。
「でね、お父さん達……引き取ってくれる人を見つけたって」
涙を流しながらも少女は懸命に笑顔を作ると、
黒猫に言い聞かせる。
そして黒猫は少女の言葉を理解しているのか寂しそうに鳴いた。
「だから、新しいお家に行っても……良い子にしててね?」
全部言い終わると少女は黒猫の額に軽くキスすると涙を拭った。
黒猫は判ったといように、寂しさを堪えて再び鳴いた。
ルゥは薄らと目を開けた。
肌寒さを感じ身体を起こすとピアノに身体を預けて眠っていたようだ。
ゆっくり起き上がり目を擦ると、涙の痕がある事に気付いた。
また泣いていたようだ。
「またか……何でこんなに泣き虫なんだろ」
顔を抑えると自分に飽きれて思わず苦笑した。
ペットは飼い主に似るというが、本当その通りだとルゥは思った。
だが今見ていた夢を思い出してその表情は消えた。
今見ていた夢は過去の記憶だ、思わず胸が締め付けられ自分が嫌になった。
「どうしてオレ……忘れてたんだろう……」
由良の家族が引越す事になった時、彼女は"引き取ってくれる人を見つけた"と言っていた。
恐らく両親は彼女からルゥを手放させる為に嘘を付いたのだろう。
「由良は、あんなに泣いていたのに……」
時計を振り返ると時はもう午後を回っていた。
今日処刑されるのは十人、そして由良は一番最後だ。
一人一人、動物達が受けた苦しみを味わいながら殺される。
だから順調に進んでも一人辺り一時間強はかかるだろう。
「……」
ルゥは再度時計を見つめると、きつく顔を引き締める。
すると何かを決心したように、そのまま家を飛び出していった。
処刑の順番を待つ為に由良は先程までとは違う牢屋の中にいた。
今日処刑される予定の者が集められていたが、少しずつ人数は減っていき遂には彼女一人になっていた。
それに許しを懇願する叫び声が木霊していたのに、今は静寂が辺りに満ちている。
彼女は何もせずにただその場に座っていたからだ。
それからまた一時間と少し経った頃、牢屋にシェトがやってきた。
「君、随分と静かだね、他の連中とは大違いだ」
シェトは少し笑みを零したが、彼女に対して抱いた疑問が頭を過ぎり笑みが消える。
そして彼女に同情しているようなそんな自分が嫌で少し顔を伏せると鍵をあけた。
由良は自分の順番が回ってきたのだろうと思ったのか立ち上がる。
「だって、貴方達は私達にされた事をやり返しているだけでしょう?」
由良はそう聞き返し「それを拒絶する事はできないもの」と続けると扉の外へでた。
シェトは今まで自分の望み通りに進んでいた世界にはじめて戸惑いを感じた。
だけどその事を口にする事はなく「こっち」と彼女についてくるように促した。
「あの、手錠は……」
「しないと君は逃げるのか?」
由良は首を横に振るとシェトのあとについて歩いた。
彼女を処刑する為の道のりはシェトにはすごく重く苦しかった。
その上お互いが言葉を発する状況でもなく、更に空気は沈んでいく。
「……今日の仕事は君で最後だ」
空気に耐え切れなくなったシェトは何気なく言った。
由良は一瞬首を傾げる。
彼は他の人達を連れて行く時、会話を求めなかった。
それは会話にならないからかもしれないが、それでも何故自分にだけは声をかけたのか疑問だった。
「ルゥも、これで転生の事だけ考えられるだろ」
口調だけはいつもの調子でシェトは言った。
しかし胸に引っ掛かりを作ってしまった以上複雑だった。
それを由良は不思議に思ったが「そうですね」とだけ言って笑った。
「それで君は本当にいいの?」
シェトは突然振り返るとそう答えた。
今までとかわりなく、ただ人に仕返しをしているだけのはずなのに、
シェトは彼女を止めるような言葉を口走った。
人間のした事を思えば、どれだけ仕返しをしたって足りないとさえ思っていたのに、
色々な事が頭の中を渦巻き、シェトの心はぐちゃぐちゃだった。
「言ったでしょ?ルゥがもう悲しまずに済むならそれでいいんです」
由良はそう答えると微笑んだ。
シェトは硬直した。
初めて彼女と会話した時のように、戸惑っていた。
極端な例だけをあげ連ねて、正当な裁きをしてないのではないだろうか。
彼女は本当に処刑されるような事をしただろうか。
そんな事を考え出したシェトは聞きたい事が山ほど浮かんできた。
しかしその足はもう処刑場の目の前で止まっていた。
「あ……」
シェトはさほど大きくもない個室がこの世界の処刑場、それを目の当たりにして小さく声をあげた。
聞きたい事があっても、もう猶予はないのだ。
「着いたんですね?」
由良はシェトには気付かず前へでた。
シェトは思わず「待って!」と引き止めそうになったが、それを堪え、
この少女を庇う理由などどこにもないと、時分に言い聞かせる。
「ああ……この中に入ればルゥがどれだけ苦しんだか解るし……全部終わるよ」
どことなく目を逸らしてそう答えた。
由良は特にかわった様子もなく、軽く頷くと自ら扉を開けて中へ入っていった。
「……ルゥ」
シェトは彼女の後ろ姿をジッと見つめながら小さく呟いた。
一方ルゥは真っ直ぐに保健所へ向かって走っていた。
周りが目に入らず、普段のように気持ち悪くなる事はない。
そのかわり、横道からでてきた者とぶつかり危く転倒しそうになった。
「イタタ……ッその、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
ルゥはすぐ体勢を立て直すと、ぶつかった相手に歩み寄り手を差し出した。
ぶつかった相手が顔をあげるとピンク色の淡い髪の毛がふわふわと動いた。
目立つ長い耳から生前は兎だったのだろう。
「こっちこそごめんね、今日は天気がいいからボ〜ッとしてたよぉ」
相手はヘラヘラと笑いながらそう答えると、ルゥの手を取り立ち上がった。
ルゥは相手に怪我した様子がなく安堵の息を吐いた。
しかし時間がない事を思いだし、すぐに走り出した。
「本当にごめんなさいっオレ、急いでるのでまた!」
そう言いながらルゥは走り去った。
それを見ていた相手はルゥの背中を見送りながら長い耳を傾げた。
「また……か、楽しくなりそうだね?」
その声の先には虚ろな瞳をした人間の少女がいた。
少し屈んでその頭を撫でると、少女は虚ろな瞳でその淡い髪を見上げた。
保健所に着いたルゥは受付に声をかける事もせず処刑場へ向かった。
逃げようとした過去と連動して足に痛みを感じるが、それを必死に堪える。
あの頃と全然違うけどそれでもあの頃のように、もう一度主人に会いたかった。
「……ルゥ」
処刑場の目の前で腕を組んでいたシェトが彼の姿を見初めて名前を呼んだ。
ルゥの足取りはフラフラとしていたが、それでも何とか扉の前にやってこれた。
遂に倒れそうになったルゥをシェトが支えてやると、その腕をきつく掴んだ。
「この中に、由良は、いるんですね?」
自分を見上げてそう聞いてくるルゥに、シェトは少し違和を感じながら頷いた。
それを確認するとルゥはシェトから離れ扉に触れた。
すぐ何をする気か気付いたシェトは止めようとしたが、ルゥの真剣な眼差しに諦めたように溜息をついた。
「由良!」
扉を勢いよくあけるとそう叫びながらルゥは中へ飛び込んだ。
由良や中にいた者達は一斉に彼に注目した。
「どうして……?」
由良は小さくそう呟くと驚いた様子でルゥを見つめた。
だがルゥは軽く苦笑すると由良に歩みよる。
突然の事に中にいた者達には動揺が走っていた。
こんな事は前代未聞だったからだ。
その様子をシェトは干渉する事はなくドアの向こうから黙って見ていた。
「構わない、撃て」
だがよく知る声に驚きシェトも一歩足を踏み入れた。
彼の視線の先には長い金髪で顔を覆い隠した長身の男性がいた。
前髪の奥に見える瞳は冷たい金色、それはシェトが見知った人物だった。
「どうして、貴方が……」
シェトは滅多に人前に現れない彼がどうしてこんな所にいるのか判らず、
周りとは別の意味で動揺していた。
しかもルゥは彼女を迎えに来たというのに、何故そんな命令をするのだとシェトの心はゾワゾワとしていた。
彼の命令では元主人を迎えに来たとはいえ、撃たない訳にはいかないだろう。
ルゥやシェトと同じ境遇の者が、持っていた銃の的を慎重にあわせている。
しかしブルブルと銃身は震えていた。
同じ境遇である彼らがルゥを傷つける事などできるはずがなかった。
「……貸せ」
金髪の男性は銃を奪い取ると由良の足首目掛けて引き金を引いた。
辺りに銃声が響き渡り、現場に居合わせた者達は身を強張らせ固く目を瞑った。
それに驚いたルゥは咄嗟に由良を突き飛ばした。
「キャ……!」
突き飛ばされた由良は倒れ込むと、恐る恐るルゥの方を見た。
ルゥは左足を両手で掴んでうずくまっていた。
掴んだ手をも飲み込んで赤黒い血がドクドクと流れる。
錯覚で起きるものではないリアルな痛みに、ルゥは声をあげる事もできずにいた。
シェトは「ルゥ……!」と名前を呼ぶと彼に駆け寄った。
他の同士達は慌てふためきながらも一人が「早く医者を……!」と叫ぶと、
すぐに団結しルゥを助けようと動いた。
だが金髪の男性だけはその冷たい瞳でルゥやシェトを見下し、
銃を投げ捨てるとその場を立ち去った。
「この馬鹿!ショック死しても可笑しくないんだぞ!?」
シェトがそう怒鳴るとルゥは「あはは……」と苦笑いを浮かべた。
だけどその顔はどこか満足げなものだ。
しかし由良は彼の赤黒い血を目の当たりにしてガタガタと震えている。
「ルゥ……っ何で……どうして……っ」
そう何とか呟くと由良はボロボロと涙を零した。
ルゥは嫌な汗をかきながらなんとか口を開く。
「だって……もう一度、会いたかったから……」
そう言うと苦しいながらも由良に微笑んで見せた。
...2008.12.15/修正01