Trente et Quarante

最終話:世界を照らす光

 赤の国の出来事は和平を結ぶ以上の効果があった。
 ブラン王の的確な指示もだが、何より燃え盛る城からソレイユを救い出したノワールの行動が、心を開くきっかけになったようだ。
 だが国同士の確執を和らげる事ができも、赤の国が受けた傷は計り知れない。
 国の象徴である城は空中庭園だけ残して半壊。長時間凍て付く柩の中にいたソレイユは、呪いの影響も伴い療養生活を余儀なくされた。
 ソレイユの代わりにルミエールが国王代理を務める事になったが、彼女の今までの人生は愛玩動物と変わりない。その為とても頼りなかった。
 それでも彼女が日々国の為に奔走し続けられたのは、ソレイユを慕う者達とノワールの協力があったお陰だ。
 更に青の国からは今回の騒動に関する謝罪と、城の建て直しを全面的に引き受けたいとの申し出があった。
 勿論それで許される事柄ではないが、これ以上無用な争いが起きる事を誰も望まず、青の最初の償いを素直に受ける事にする。
 そして残すはリオネルの処遇のみになった。
 その話がでた瞬間、ベルナーは二人の王に膝を折り彼を庇う。騒動の直前にソレイユが言っていた事を守る為には黙認するわけにはいかなかった。
 自国を守る為に非情になる事、それ自体は間違いではないのかもしれない。しかし他国を犠牲にすればやがては自分に返ってくる。そう言われた気分だった。
 だけどベルナーが膝を折ろうが折るまいが、この出来事についての記憶が曖昧なソレイユと、彼に罪悪感を持っていたブランが彼を罰する事を望むはずはない。そうしてリオネルは故郷に送還される事になった。
 本来なら民が反発しかねない事柄だが、この出来事の詳細を王族以外誰も知らない。だから不思議なほど簡単に、事実は闇に葬られた。
 リオネルは今、故郷でいつ目覚めるかもわからない眠りについている。罪の分だけ、許されなければ命が尽きるまで……。
 ルミエールはこれもまた一つの罰の形なのかとそう思った。

 それから五年が経ったがまだ城の建て直しは終わらず、今もソレイユの所有していた別邸で日々を過ごしていた。
 だけど今日は少し違い、赤の国全体が賑やかでお祭り騒ぎだ。別邸を取り囲むように赤の民や黒の民、それに仕事で来ている青の民が見守っていた。
 黒の王ブランとその弟ノワール、青の王子ベルナー、そして赤の王ソレイユとルミエールが一堂に会し、あの日叶わなかった和平を結んだ。
 二人の王が握手を交わすと、ベルナーはいつもの調子で適当に笑いながら拍手する。しかしブランに冷めた目を向けられすぐに縮こまった。
「相変わらずですね」
「仕方ないでしょうっ」
 ソレイユの言葉にベルナーは困惑したように返す。
 それが面白かったのかソレイユは意地悪く笑う。
「楽しそうですね」
 少し引き気味にノワールは苦笑する。
「勿論楽しいですよ? そうでなければ用事が済んだ時点でベッドに戻ります」
 ソレイユは意地悪く笑うのをやめない。
 それを見てノワールは背筋を震わせ目を背ける。
 しかしブランはそれを微笑ましく見ていた。
「ブラン様、何か面白い話はありませんか? 寝てばかりだと身体が重くて」
 ターゲットを変えたソレイユはブランを見ながら首を傾げる。
 先程まで真面目な会話をしていたはずなのに、年齢層が若すぎるのかただの宴会と化していた。
「そうですねー……ああ、小さい頃の話でいいですか?」
 そしてブランもその空気が嫌ではないのか笑いながら言う。
 瞬間ソレイユの目が輝き、頷いてみせる。
「貴方が一緒に来ないって、ノワールはいつも嫌われていると繰り返しながら落ち込んでいました」
「兄上ええぇ!?」
 突然の暴露話にノワールは浜に打ち上げられた魚のように口を動かした。
 ブランとしてはソレイユが喜びそうな話をと思っただけで、弟を辱めているという自覚はない。
「そう何ですか?」
 だけどソレイユは笑うでもなく目を瞬かせるとノワールを見る。
 笑われると思っていたノワールは逆に困惑すると、益々息ができない。
「好きかと言われると微妙ですが、行かなかったのはそういう理由ではないですよ」
「そこは否定しましょうよ、ソレイユ」
 ルミエールは苦笑しながら言う。
「へー、じゃあどういう理由です?」
 気を取り直したベルナーが話に加わる。まるで弄り返そうとしているような態度だ。
 それに気付いたブランがまた冷めた目で彼を見る。
 ソレイユは二人の様子など気にも留めず、少し顔を背けた。
「俺がいると、降らないのです」
「え?」
 聞いていたルミエールが首を傾げる。
 疑問を返されソレイユは更に顔を伏せると、少し不満そうに顔を歪めた。しかしそれはルミエールに対してのものではない。
「あの場所、物心付く頃には知っていました……嫌いでしたけど」
 ソレイユは唇を噛む。
 その回答にノワールは少し複雑な顔をした。彼があの場所を見つけたのはルミエールに出会う一ヶ月前、ソレイユほど幼くはない。
「泣いているあの人が、更に悲しむから……」
 顔をあげようとしないソレイユに、ルミエールは表情を曇らせる。
 それを見てその場にいた全員が困惑した。
 特に発端であるブランは目に見えてうろたえ、いつもとは逆にベルナーが彼を見つめている。
「……でも、誰の話だ?」
 周りの様子に気付いていないソレイユは誰に聞くでもなく疑問が口についた。しかし考えはじめてすぐ体調に違和感を覚えて頭を押さえる。
 瞬間、ルミエールは苦笑すると、ただソレイユの傍に寄り背を擦った。
「無理してはダメよ、ソレイユ」
 そう言われたソレイユは困ったように苦笑いを浮かべる。
 以前のソレイユなら無理をしてまでこういう場に居座るような事はしなかったが、今はこういう空間が嫌いではない。そう感じるようになった理由を彼にはわからないが、もう少しこうしていたかったと思う。
「すみません、姉上」
 彼が謝罪すると、思わずその場にいた全員が口を噤む。
 だけどルミエールは微笑みを絶やさない。
「……皆様、申し訳ございません、私はこの辺りで失礼致します」
 ソレイユは丁寧に謝罪すると深々と頭を下げた。
 それを見た全員がソレイユに頭を下げる。
「では、俺はこれで失礼します」
 最後に満足そうに微笑むと、ソレイユは口調を崩して別れを告げ自室に戻っていった。
 ノワールは唇を噛むと複雑な表情を浮かべる。
「そのような顔をしなくてもいいのに」
 全員が気にしている、そう感じるとルミエールは苦笑した。
 姉でいいから傍にいてと願ったのは彼女自身だ。恐らくソレイユは覚えていないだろうが、それでも彼女は今の生活に満足していた。

 今日の夜は満月、ルミエールは一日の仕事を終えるとあの湖にでかけた。思い出を懐かしむ為ではなく、光の強さを比べる為だ。
 再び降るようになった頃の光の花はとても弱々しいものだった。でも今は記憶に残る光と同等か、それ以上の光を放っている。
「あなたにもわかるのね、今日は良い事があったのよ」
 ルミエールは光の花に手を伸ばし笑う。
 光の花の前では些細な争いも隠す事はできない。同時に、争わずにいられれば光は強さを増すようだ。
 光がまた強くなった事をソレイユに教えよう、ルミエールはそのような事を考えながら湖を眺める。
 すると、草木を掻き分ける音が赤の国の方向から聞こえた。
「今日もお疲れ様です、ノワール様」
 ルミエールは驚きもせず笑ってみせる。
 黒の国に戻る途中だったノワールは目を丸くした。
「ああ、そうか、今日は満月でしたね」
 苦笑すると同じように湖を眺める。再び降るようになった事は話で聞いて知っていたが、実際に光を目にしたのは五年ぶりだ。
 あの日以来ノワールはブランの傍を離れ、赤と黒を行き来し多忙な日々を送っていた。
 ずっと身体の弱い兄を支える事を義務と思ってきたが、ブランは行動力があり何かを変える為の力も持っている。
 同時に彼はこの義務がただの自己満足なのだと思い知らされたからだ。
「ブラン様、寂しくはないかしら?」
 ルミエールは小さく笑ながら聞く。
「兄は強いですから、むしろ俺の方が落ち着かなくて」
 ノワールはまた苦笑すると頭を軽く掻いた。
「もう五年ですよ?」
「そうですね、仕事の方は慣れたのですが、こればかりは」
 少し気恥ずかしそうに言うと、微笑みを浮かべてみせる。
 ルミエールは小さく笑ながら、彼の言葉に頷いた。
「貴女こそ、寂しくはないのですか?」
 ノワールは少し俯き、何でもない事のように聞く。
 ソレイユが彼女を姉と認識してからもう五年だ。ある意味二人は似た境遇にいた。
「まだ半分、ソレイユは十年も耐えてくれましたから」
 同じようにルミエールも苦笑する。
「でも、辛いなら、こっちに来てもいいですよ?」
 冗談に少し本音を滲ませながらノワールは手招きした。
 ルミエールは一瞬目を丸くすると、すぐに彼に笑ってみせる。そして湖に視線を戻した。
「残念」
 ノワールも笑いながらそう告げると、同じように湖を見る。
「だけど、彼が誰かとご結婚されたら、どうするのですか?」
 彼が一番危惧しているのは、ソレイユの記憶が戻らないまま二人の道が別れる事だった。
 驚いたようにルミエールはノワールを見ると、首を傾げて少し唸る。
「そうですね、何も思い出さなければ、最終的にそうなるでしょうし……」
 だけど悲しむでもなく困ったような顔をしていた。
「嫌では、ないのですか?」
 思ってもない反応に今度はノワールが驚く。
「嫌というより、お嫁さんの迷惑にならないかが気になりますね」
 ルミエールは笑いながら答える。
 ノワールは目を瞬かせると、小さく息を吐いて苦笑した。
「ならその時は、こっちに来ればいいですよ。何なら俺が行きます」
 また冗談のような事を口にする。先程と違うのはこれが本気だという事だ。
 彼の言葉にルミエールも目を瞬かせると、すぐ苦笑する。
「何だか我慢比べみたい、ふふ、じゃあ勝負ですね」
 ルミエールは笑顔を向けて言った。
 それを見てノワールは、再び目を瞬かせると小さく唸る。
「その勝負、俺に勝ち目ありますかね」
「どうでしょう」
 どちらともなく二人は笑い出すと、満月を見た。するといつもと違う光の降り方に気付いて互いに顔を見合わせる。
「これは……」
 戸惑いながらノワールは声をあげるとまた天を見た。だけど見間違いではないようだ。
 ルミエールは思わず、一歩後ろに下がる。
「あの、ノワール様、今日は帰りますね」
 そして申し訳なさそうに告げた。
「それは構いませんが、今から帰っても間に合わないのでは……」
 ノワールも申し訳なさそうに言う。
 するとルミエールは首を横に振る。
「実はそこまで馬で来ているの、だから間に合います」
 そう言ってまた笑うと、ノワールに一礼して踵を返した。
 ノワールは目を瞬かせながら彼女を見送ると、苦笑しながら天を仰いだ。
「どこまでたくましくなるつもりなのでしょう」
 世間知らずで弱かったあの少女はもういないのだと気付くと、彼の独り言は誰に聞かれる事もなく空に消えた。

 屋敷まで戻ると、使用人に馬を任せて急いである部屋に向かった。
 正直この時間に起きているのかも怪しいが、それでも向かわずにはいられない。
「起きているソレイユ?」
 そして目的の部屋に着くとノックも忘れて扉を開けた。
「姉上!? ノックをするようにといつも」
 ベッドで本を読んでいたソレイユは驚いて本を落とすと、慌てふためきながら小言を口にする。
 ルミエールは起きていた事に安心すると、彼の言葉に首を横に振り小言を制止し腕を掴む。
「それは後でね、来て」
「え、あの……っ」
 顔を赤らめたソレイユは引きずられるように部屋から連れ出された。
 バルコニーまで来ると、ルミエールは辺りを見回して満足そうに微笑む。城のバルコニーほど高さはないが、それでもこの屋敷の中では一番空に近い。
「ほら、見て」
 そしてソレイユを手招きすると、空を見るように促した。
 ソレイユは少し戸惑うが、言われるまま空を見上げる。するといつもと違う空の光景に思わず目を見張った。
「ほら、これが……光の花」
 ルミエールは降ってきた光に手を伸ばしてみせる。
 それを見てソレイユも手を伸ばすと、光は彼の手の中ではじけた。
「光の、花」
 小さく呟き、本当に幼かった自分の思い出を瞼の裏に映す。
「争いのない所にしか降らない、光の花」
 もう一度目を開きソレイユは空を見上げ呟いた。
 ルミエールは安堵したように大きく息を吐く。
「まさか湖以外でも降るとは思わなくて、急いで帰ってきたの」
 手を後ろで組み、首を傾げる。この花を見てソレイユが何を感じるのか、それを聞きたかった。
 ソレイユはそれが分かると、やんわりと微笑んだ。
「すごく、綺麗だ」
 彼女を見ながら告げると、また光の花を見る。降ってきた光を受け止め噛み締めるように手の中の光を見つめた。
 ルミエールは初めて光の花を見た自分のように、彼も感動しているのだと感じると彼の横で同じように光を見る。
「これが、母上の見せたがっていた、光景か」
「お母様?」
 昼間言っていた事柄を思い出したような口ぶりにルミエールは首を傾げた。
「うん……」
 ソレイユは苦笑する。
「光の花と、俺、唯一与えられて嬉しいと感じたって」
 そして照れたように告げると、また視線を空に戻した。
 ルミエールは王妃様もまた、誰かに光の花の存在を教えてもらったのだと思うが、見当は付かない。
 だけどソレイユはその誰かに見当が付いたのか小さく笑う。そしてその光景に思わず溜め息を漏らした。
「俺には、一生縁がないと思っていたのに」
 少し瞳を揺らがせながら微笑むソレイユに、思わずルミエールも涙ぐむ。
 ソレイユはバルコニーの端に寄ると、降り注ぐ光を見ながら笑う。
「この五年で、ここまで成し遂げたのですね……」
 ルミエールはソレイユの言いたい事を察して恥ずかしそうに顔を伏せると、首を横に振る。
 赤の民が他の国を受け入れなければ光の花は降らなかっただろう。つまり今あるこの光景はこの国の人々のお陰だ。
 だからルミエールは素直に彼の言葉を受けない。
 ソレイユも素直に受け入れない彼女に首を横に振る。
「ううん、君はすごいよ、ルミエール」
 そして彼女を振り返ると、優しい笑顔を見せた。
 ルミエールは一瞬目を見開き、彼を見る。聞き間違いだろうと思いながらも、身体が震えて涙が溢れた。
 するとソレイユは彼女の傍に寄り、震える手を取る。
「何故、泣いているのですか? 泣かないで」
 しかしルミエールの涙は止まらない。
 ソレイユはまた困ったように苦笑すると、彼女を慰めるように優しく抱きしめた。
 心臓が跳ねて、ルミエールは顔を赤らめながらまた首を振る。
「今日一日、全部、夢?」
 夢ならなんて残酷だろう、思わずソレイユの腕の中で呟く。
 だけどソレイユは何も言わず微笑すると、ただ抱きしめる力を強めた。
 痛みを感じてルミエールは益々涙が溢れる。
 もしかしたらこの症状は一時的なものかもしれない。今日を最後に二度とソレイユは戻らないのかもしれない。
 だけどルミエールは、今確かに幸せを感じている事を伝えたくて、彼を抱きしめ返した。

 光の花はルミエールの故郷にも降り注いでいた。そこに住む誰もが空を見上げて、その美しさに心奪われる。
 そして目覚めたばかりのその人も、同じように空を見上げていた。
「……美しい」
 いつか別の何かに感じた気持ちを口にすると、遠く離れた王都を見つめる。
 するとこの町以上に眩い光が降り注いでいて、その光景に微笑みを浮かべながら涙を零した。

[終]...2012.08.28