Trente et Quarante

第九話:新しい約束/4

 あれだけの爆発がありながら、何故か城の中は煙で満ちてはいなかった。
 阻むのは瓦礫だけ、無我夢中で進むルミエールは痛みに鈍感になり、瞬く間に足が赤く染まっていく。
 玉座の間を訪れると少し隙間が開いていた。ルミエールはソレイユがいる事を期待するが中に人影はなく、落胆したように首を横に振る。
「ソレイユ、どこにいるのっ」
 そう呟いて俯くと、目に付いたものに心臓が跳ねた。
 ルミエールは恐る恐る跪くと床に触れる。すると手には赤黒い液体が付き、間違いなくこれは血なのだと思った。
 それが誰のものかはわからないがルミエールの不安は益々大きくなる。
「ルミエール様っ」
 名前を呼ばれ振り返ると、息を切らしたノワールが視界に入った。
 彼女の血の痕を追ってきたノワールは不安そうに顔を歪めている。
 そんな彼を見て、ルミエールは思わず涙ぐむ。
 ノワールはいきなり泣きそうな表情を見せる彼女に驚き歩みよると、理由を察して唇を噛んだ。
 更にそのまま進むと何かが足に当たって転がった。転がった物に目を向けると肩を強張らせて青褪める。
 ルミエールもそれを見るなり泣き出してしまう。
 転がっていたのは普段ソレイユが被っていた冠だった。
 ノワールはそれを拾い上げると益々悔しさを滲ませる。
「……一体、何をしているのですっ」
 ここにいない誰かに向けて苦言を吐いた。
 しかし誰も答えるはずはなく、それに代わるように爆発音が響く。城が揺れ壁の一部が破損したのか辺りに塵が降る。
 怪我をしているルミエールを庇うようにノワールは彼女を引き寄せると、マントを広げて塵を防いだ。
「ふぇー……っ、どれだけの爆弾を仕掛けているの……っ」
 揺れが収まると二人を追ってきたベルナーが悪態をつきながら言う。肩で息をして覚束無い足取りでルミエール達に歩み寄ると、崩れるようにその場に座り込んだ。
「ベルナー様!? 何故追ってきたのですか!」
 目を見張るとノワールはまるで怒っているかのように声を荒げた。
 今回の事態で赤の国はまた混乱するだろう。その上青の第一王子まで何かあれば国家間で何が起こるかわからない。
「それは、事態が、収まったら……っ、それよりルミエール様、足を見せてください、出血が酷い」
 いつも携帯しているのか傷薬と包帯を取り出すと、慣れた手つきで彼女の足に包帯を巻いていく。
 ノワールは内心感心していたが、ベルナーの表情は冴えない。
「ありがとう、ございますっ」
 ルミエールは涙が止まらないままなんとか御礼を言うと、立ち上がろうとする。
 しかしベルナーは彼女の行動を否定するように首を横に振り抱き上げた。
「貴女にもしもの事があれば、事態は収拾しません」
 困惑したようにルミエールはベルナーを見る。いつものような笑みがなく、どこか深刻な面持ちだった。
 ただ普段筋力に頼るような事をしないのだろう。ベルナーはルミエールを抱えながら腕が震えていた。
「ルミエール様を落としそうですよ、俺が連れていきます」
 思わずノワールは言う。
「いえ、貴方には他にやる事があるようなので、ご遠慮しますよ」
 だけど彼の提案をベルナーは拒否すると、ルミエールに視線を戻す。
 ルミエールは少し怯えたような目で見返した。
「ソレイユ様の部屋がどこだかわかりますか?」
 普段なら苦笑する所なのだが真剣にベルナーは聞く。
 想像も付かなかった真剣さにルミエールは少し驚きながら頷いた。

 ソレイユの部屋に辿り付くと、ベルナーはベッドにルミエールを下ろして何かを探し始めた。
 ノワールも何を探しているのか聞くと、共に探し始める。
 ルミエールはソレイユを探しているわけではないと気付くと扉に目を向けた。
 しかし瞬間二人がこちらを見た為、探し物を終えるしかないと悟る。
 ここをでた時ルミエールは、このような事態になるなど想像もしていなかった。見慣れたはずの部屋を見渡しながら思う。
「この部屋はあまり崩れていないのね……」
 そう呟くとゆっくりベッドから下りた。少し足が痛むが何もしない事などできない。
 二人が懸命に本棚を見ているのを見て本を探しているのだと判断すると、ソレイユの書斎の方に足を運ぶ。
「そこは私が読んでいた本ばかりなので、こちらではないでしょうか」
 ルミエールはそう言うと、覗いた事もない書斎の扉を開く。
「何故ここに貴女の読んでいた本が……?」
 ノワールは本棚とルミエールを交互に見ながら困惑する。
 するとベルナーは少しだけ意地悪い笑みを浮かべた。
「野暮だなーノワール様」
 硬直するノワールを素通りしてベルナーは招かれるまま書斎に向かう。
 書斎の中は部屋に比べると本が飛散して酷い有様だった。恐らく数回の爆発で本棚が倒れたのだろう。
「全てを備えた神の子も、最初から何でもできるわけではない、か……」
 ベルナーは散らばる本を拾い上げると、小さく呟いた。
 勿論頭の出来は良いのだろう、だけど何もしなければ意味はない。彼もまた努力していたのだと思う。
 同時にノワールもソレイユを羨ましく思った事のある自分を少し反省した。
 ベルナーはその中から机に広げられたままの本に目を留める。
 広げられた本に描かれた魔方陣には、ルミエールのものと思われる毛髪が縫いとめられていた。魔方陣の中央には血と思われる痕があり、それを貫くようにナイフが突き立てられている。
「これで間違いありません、ただ……、これではどうしようもないな」
 落胆するとベルナーはナイフを抜きルミエールに本を手渡した。
 ノワールには今の本が何かはわからない。
 しかしルミエールはそれが何か気付き、簡単にナイフを引き抜いてしまったベルナーに戸惑った。
「安心してください、貴女の呪いは完全に解けているでしょう? もうこれには何も残っていません」
 ベルナーは笑みを滲ませて言う。しかしいつものように楽しげな様子ではなかった。
「ルミエール様を呪う? ソレイユ様が?」
 わけのわからないノワールは訝しげに聞く。
「姉弟の件は知っているでしょう? 察してください」
 適当に返すとベルナーは踵を返し、またルミエールを抱き上げる。
 ノワールは明らかに対応の違うベルナーに少し虚しさを感じたが、今の言葉で大体の話はつかめた。
「僅かでも術が残っていればと思ったのですが……」
 ベルナーは小さく呟くと、本当に申し訳なさそうにルミエールを見る。
 ルミエールは何故そんな顔をするのか見当が付かない。
「術者に何のリスクもないと思いますか?」
 曇った顔でベルナーは告げた。
 今の言葉に思い当たる事があるルミエールは身体を震わせる。
 最近のソレイユは不意にルミエールを『姉上』と呼び、実際にルミエールを姉だと錯覚したりもしていた。
 そしてノワールも半年前に彼が『姉上』と呼んだのを聞いている。
「今は記憶混濁を起こしているだけですが、近々完全に記憶が書き換わる」
 ベルナーは少し言い難そうに告げた。
 彼がここに来た理由は、ルミエールにかけていた呪術が完全に解けていないと思ったからだ。呪術の反動ならソレイユも完全に彼女を姉だと思い込むはず、だけど先程会話した彼はそうは見えなかった。
 しかし呪術は完全に解けている。瞬間、今の彼はルミエールが受けていた呪いの初期症状と同じなのだと悟った。
「ソレイユ様の呪いは解けないのですか?」
 今にも泣きそうなルミエールを見ていられずノワールは言う。
 ベルナーはルミエールの表情を見て唇を噛むと、首を横に振った。
「いずれは、解けるかもしれません……でも無理に解くのは危険ですから」
 血の痕はソレイユが自身を代償に呪術を使った証拠だ。代償が大きければそれだけ術の効力は高まる。
 同時に、術が解けた時術者に返る呪いも大きく、同等か運が悪ければ永続的に呪いを受ける事になってしまう。
「でも、命に関わるものでは、ないですよね」
 説明を聞いていたルミエールは涙を堪えながら微笑した。
 何かを諦めたように見えてノワールは何かを言おうとするが、何も言葉はでない。
「ええ、この呪いでは死にません」
 どこか晴れない顔でベルナーは言う。
 だけどルミエールは悲しむでもなく、納得したように目を瞑った。

 ソレイユの部屋をでると、廊下を早足で歩きながら一室ずつ確認していく。玉座の間に冠が落ちていた以上、ソレイユが自分の意志で城に残っている可能性は低い。
 しかしどの部屋にも人の気配はなく、この階層で確認していない部屋は一番奥にある亡き王妃の部屋だけになった。
 部屋をこじ開けると中は少し散らかってはいたが壁や天井が崩れた様子はない。危険物はないと判断したベルナーはまたルミエールを降ろす。
 三人は何か手がかりはないか部屋を調べ始めた。
 そしてルミエールは飾られている肖像画に目を止める。そこには王妃と幼いソレイユの小さな肖像画が幾つも飾られていた。
 ただその中に一つだけ伏せられているものがあり、ルミエールは肖像画に手を伸ばす。
「描きかけ……」
 その肖像画には人形のような笑みを浮かべる王妃と無表情のソレイユが途中まで描かれていた。日付から見て王妃が亡くなる直前に描かれたのだろう。
 ただ何故か先代の描かれた物が一枚もない、ルミエールは疑問に思うと肖像画に書かれた名前を見て目を見張った。
「これ、王様が……」
 思わず声をあげると、他の所を探していた二人が彼女の傍に寄る。
 そして肖像画の数々を見て、ベルナーは小さい溜め息をついた。
「あの王にこのような健全な趣味があったとは」
 ベルナーの小さい嫌味にルミエールは思わず同意する。
 画家を雇って三人描かせるくらいの事をしそうに思うが、この部屋にあるものは全部彼の作品らしい。まだ赤子のソレイユの肖像画がある所を見ると、対象に動かないよう命じていたわけでもなさそうだ。
「こういう愛情があったとか、逆に怖いですね」
 小さくぼやくとベルナーは少し顔を背ける。約十年前のソレイユと先代の会話を聞いてしまっているからかもしれない。
 一方ルミエールは幼い頃のソレイユが「陛下が部屋に入れてくれない」と言っていたのを思い出した。
 ここにある作品は二人を大事に思っていた証ではないのか、それなのに何故ソレイユを拒絶したのか彼女には理解できない。
「意味がわかりませんっ」
 まるでルミエールに呼応するようにノワールは苦言を吐いた。
 それを聞いたルミエールは少し顔を曇らせる。
 王妃を自殺に追い込んだのも、ソレイユが彼を嫌悪したのも、全部彼自身が招いた事だ。それなのに彼なりの愛情があったのだと分かっても納得はできない。
「この部屋も、燃えてしまうのかしら……」
 だけどルミエールはこの部屋が灰になるのを苦しいと感じた。自分や家族を苦しめた男の描いた物だが、それでもソレイユの為に残って欲しいと思う。
「気になるのなら一つ持っていきましょう、これなんてどうです?」
 ベルナーは適当に見繕うとルミエールに渡した。
 花に囲まれた王妃と三歳のソレイユの肖像画らしい。
「花……」
 ルミエールは小さく呟く。
「どうかしましたか?」
 関心なさそうに顔を背けていたノワールが首を傾げて聞いた。
 適当に渡したベルナーも首を傾げる。
「空中庭園に行きませんか? あそこは広いですし、もしかしたら」
 ルミエールの提案に二人は顔を見合わせるとすぐに同意した。

 空中庭園に向かう為最上階に踏み入れると、今までが嘘のように煙に覆われていた。
 この先に行かせない、あるいは空中庭園から出さない為にそうしているように見える程差が激しい。
 そのまま闇雲に進むのは危険だと判断すると、一度下の階に引き返す。
 ベルナーはルミエールに最上階の構図を聞いた。さすがに彼女を連れて煙が立ち込める中は危険だと判断したからだ。
 ノワールも構図を頭に叩きいれると、大きく深呼吸をした。
 それを見てルミエールは自分の足でついて行くと言うが、それは簡単に拒否される。
「言ったでしょう? 貴女にもしもの事があれば、事態は収拾しません」
 そう告げるとベルナーはその場にルミエールを降ろそうとした。
 ルミエールはなおも食い下がるが、ノワールにもここで待つように言われてしまい口を噤む。
 しかしベルナーは急遽降ろすのをやめると、何かを警戒するように階段を見つめた。
 二人も同じように階段を見つめ耳を澄ますと、足音のようなものが聞こえてくる。
 それがソレイユなら良いと誰もが思うが、姿を現したのは彼ではない。
「珍しいですね、いつも裏で手を回す貴方がこのような所にいるなんて」
 そこには服を所々赤く染めたリオネルがいた。
 彼の姿を見るなりノワールとベルナーは息を呑む。
「いやああああああ……っ!」
 赤く染まった服に気の動転したルミエールは、ベルナーの肩に顔を埋めた。
「ルミエール……?」
 リオネルは怪訝な表情を浮かべると、ベルナーの横にいたノワールを睨んだ。
 彼の中にある舞台にノワールとルミエールの姿はない。つまりノワールがルミエールを連れてきたのだろうと思った。
「その血は何?」
 ベルナーは顔を引きつらせて聞く。最悪の事態を想像して恐ろしくなり頬を汗が伝う。
 一瞬リオネルは彼を睨むが、泣いているルミエールを見て観念すると首を横に振った。
「僕が美しいソレイユ様に傷を負わせるはずがないでしょう?」
 それを聞いたルミエールはリオネルを見るが、涙は止まらない。
 彼女の様子にリオネルは少し顔を曇らせる。
「じゃあ、ソレイユは、どこにいるの? ……お兄ちゃんっ」
 リオネルは一瞬目を見張るが、頭の回転が速くすぐ事情を理解した。
「爺ちゃんと婆ちゃんか、口止めしていなかったし」
 苦笑しながら言うと今度は哀れみを込めた瞳で彼女を見る。
「折角ソレイユ様に本を渡したのに、全部無駄になってしまった」
 ルミエールは首を傾げると、ベルナーの服をきつく掴んだ。兄だとわかっても、リオネルが恐ろしいものに見える。
 彼女の態度にリオネルは首を横に振ると、ベルナーを見た。
「ルミエールに気付かれる前に、終わらせたかったのに」
 ベルナーは意味を理解しかねて怪訝な顔をする。
 同時にノワールも、リオネルを警戒して身構えた。
 それを見たリオネルはまた首を振る。
「貴方達がルミエールを連れているのに、僕が危害を加えると思いますか?」
 不服そうに言うと、まるでルミエールを人質に取られているかのように睨みつけた。
 それを聞いたノワールも不服そうに顔を歪ませる。
「そんなつもりは……!」
「ノワール様になくても、ベルナー様はそういうつもりでしょう?」
 違いますか、そう続けるとベルナーをもう一度睨んだ。
 抱きかかえられているルミエールは思わずベルナーを見る。
 するとベルナーは唇を噛みリオネルを真っ直ぐ見つめた。
「彼女を連れていれば、話くらいは聞いてくれるだろう?」
 否定する事はせずに聞くと、抱きかかえているルミエールを見て申し訳なさそうに目を瞑る。
 それを見たルミエールは口を噤む、彼なりの考えがあるのだと思ったからだ。
 そんなルミエールを見てノワールも伸ばしそうになった手を堪えた。
「貴方とは妹より長い付き合いですよ、これ以上何を話す事があります?」
 リオネルは面白くなさそうに言い捨てる。
「確かに十二年は長いね、だから、君がソレイユ様を気に入っている事に気付けた」
 ベルナーは苦笑しながら告げると最後に微笑んだ。
 黙って聞いていたリオネルは、ルミエールと過ごした倍にもなる時間をベルナーと過ごした事に苦笑する。
「だから余計にわからない、ソレイユ様に、君は何かしたのか?」
 ベルナーはリオネルを見据えて言う。
 黙って聞いていたルミエールとノワールも思わずリオネルを見る。
「……僕の目的は、最初からこうだったじゃないですか」
 リオネルは呆れたように笑った。
「僕達の先祖から王座を奪い、王族に対する信頼を消失させた」
 そして口元を歪め奥歯を軋ませる。
「そんな傲慢な血を根絶やしにする事……貴方も知っていたはずだ」
 冷たい目でベルナーを見返して言った。
 ルミエールはその傲慢な血にソレイユも含まれているのかと想像して身体を強張らせる。
「そうだね」
 ベルナーはそんなリオネルの言葉にただ頷く。
「そのような大昔の事!」
 黙って聞いていたノワールは思わず口を挟む。
 するとリオネルはノワールに視線を移し睨みつけた。
「奪う側にはそう見えるだろうさ! ソレイユ様からルミエールを奪っていた貴方にはわからない!」
 リオネルの迫力に思わずノワールは言いよどむ。
 しかし当時の彼には奪っていたという自覚はなかった。特に幼い頃はソレイユも来ればいいのにと、恋などとは無縁な事さえ考えたものだ。
 リオネルは嘲笑するように笑う。
「大体大昔だと? 父を奪われ戦争を起こそうとした貴方がそれを言うのか?」
 ノワールは身体を震わせる。
 例え先祖の事がなくても、リオネルは同じように王族を討とうとしたのだろう。彼は赤の王の首に拘っていた頃のノワールと同じだった。
「貴方も父に似ているな、何かに目を瞑り平和を望んでいるふりをするっ」
 リオネルは口の端を吊り上げる。
「噂は聞くに堪えない……、貴方の父はそう言って僕を追い返しましたよっ、本当は事実なのだと気付いていた癖にっ」
 荒げた声に呼応するように、また城のどこかが爆発した。
 城が揺れて身体がぐらついたベルナーを、ノワールは支える。
「そして、その事すら忘れた……赤の国だけではない、黒の国も最低最悪だ!」
 いつもの冷静さを取り戻したのか、虚ろな目をしてリオネルは言った。
「ベルナー様、貴方もだ。僕を利用して赤の王を殺し、それで止まらないようなら僕も消すつもりだったのでしょう?」
 ベルナーを指差しリオネルは言う。
 彼の発言をベルナーは否定する事はできない。できるならそうはしたくないと思っていたが、国の為なら非情になる覚悟をいつも持っている。
 だけどソレイユに言われたからか、それとも彼との付き合いが長すぎたのか、彼の中に迷いが生じていた。本当ならリオネルを消しソレイユを救いだすのが最善だというのにそれができない。
 しかしベルナーの気持ちをよそに、リオネルは首を横に振る。
「ソレイユ様だけだ、僕に手を差し伸べてくれたのも、僕の望みを叶えてくれたのも……」
 一度悲しそうに俯き、今度はルミエールを見た。
 戸惑いルミエールの肩が跳ねる。
「ソレイユ様はお前の為に何でもしてくださる、自分自身を生贄にする事も厭わない」
 リオネルは一瞬微笑む。
 ルミエールもソレイユが何でもしてくれていたのを知っている。だけど彼女は先代と彼の間に身代わりになるという話があった事を知らない。
「お前の代わりにソレイユ様でもいいと、あの王は言ったそうだよ」
 笑みを湛えたままリオネルは言う。
 身体を強張らせたルミエールは、この後続く言葉に耳を塞ぎたくなるのを必死に堪えた。
「だけど、それは僕が許せなかった」
 リオネルから笑みは消え、厳しい顔をする。
「あの美しいソレイユ様を、あのような下劣な王に穢されてたまるかっ」
 奥歯を軋ませていたが、すぐクスリと笑う。
「やめろ……それ以上ルミエール様に聞かせて何の意味がある?」
 身代わりの件を知り、何となく察しがついていたノワールは彼を制止する。
 同じく事情を知るベルナーはノワールに同意した。
「貴方が連れてきてしまったのだから仕方ないでしょう? もう仲間外れは終わりだ」
 リオネルはわかっていないというように首を横に振る。
 ルミエールは固唾を呑むと、怯えた表情で彼を見た。
「僕はね、二人共救いたかったのですよ、だから助言して差し上げた」
 そこまで言うとリオネルはまたクスリと笑う。
「所有物にした貴方を次期王にするでしょうか? って」
 世継がいなくなるという事は、ルミエールという生贄は解放されない。今の言葉はそういう意味なのだと悟るとノワールは肩を強張らせた。
「だから、ソレイユに王様を殺させたっていうの……?」
 しかしノワールと別の事を考えていたルミエールは、表情を曇らせ聞き返す。リオネルから聞いて知ってはいたが、そうするよう仕向けたのがリオネル自身という事実に首を振る。
「そうだよ、あの時のソレイユ様は本当に美しかった」
 リオネルは肯定すると、ベルナーに聞かせるかのように彼を見た。
「赤い花と共に踊る純白の花嫁が、深紅に染まっていく……、それを僕は間近で見ていた」
 剣舞の事を言っているのだろうと気付きベルナーは顔を伏せる。しかし赤の王殺害については彼も少なからず関与しているからか何も言えない。
「美しい亡霊は人の殺し方も美しい、残された遺体すらも」
 発見された遺体はどれも腕や足を切断され綺麗とは言えなかった。三人共その目で見たわけではないが、不可解に思い顔をしかめる。
 だけどベルナーは何かに気付き、リオネルを異常だと感じた。
「ふふ、あの方達に美しい死は勿体無いでしょう?」
 それを察したリオネルはまた口元を歪める。
 ルミエールとノワールはリオネルが遺体を刻んだのだと気付くと背筋を震わせ、特にルミエールはそのような事ができる兄が信じられず涙を浮かべた。
 リオネルは悲しそうにルミエールを見ると、更に表情を曇らせて何かを否定するように目を瞑る。
「ただ、最近のソレイユ様はとても苦しそうだった」
 ルミエールの心臓が跳ねた。ソレイユが苦しそうだったのは彼女を見ていて気付いていたからだ。
 そしてベルナーも記憶混濁の事を言っているのだと気付き、警戒する。リオネルはそれを理由に何かしたのかもしれない。
「美しさが薄らいで、見ていられない」
 リオネルの言葉にノワールは思わず息を呑む、他の二人も同じだ。
 それを見てリオネルはクスリと笑う。
 ルミエールがいないうちに、全てを終わらせれば、ソレイユを奪うのが自分だと気付かれずに済むと思っていた。失った事を悲しんでも罪悪感を与えずに済む。
 だけど現実は彼が考える程上手くはいかない。リオネルは現実を痛感すると自嘲気味に微笑んだ。
「だから僕は……、ソレイユ様と共に行くよ」
 ルミエールを真っ直ぐに見つめて言うと、最下層に向かって走りだした。
 ベルナーは彼が何を考えているのか見抜くと彼の後を追おうとする。
 しかしまた最上階から爆発音が響き、ルミエールは彼を止めた。
「降ろしてください! ソレイユはまだ上にいるのっ!!」
 大人しくしない彼女をこのまま連れていき、途中で暴れられては思うように進めない。ベルナーはリオネルの走っていった方向を見ながら困惑した。
「やめてくださいっ!」
 そんな彼女をノワールが制止する。
 ルミエールは驚いたように彼を見た。
「貴女をこれ以上危険な目に合わせたくない! ソレイユ様もそう言う筈だっ」
 彼女の事であれほど怒るソレイユが、立ち込める煙の中に飛び込む事を喜ぶはずがない。
「彼も、俺も! 貴女が大切なのです……っ、だから、引き返しましょうっ!」
 彼女の気持ちを盾にするようで気は引けるが、それでもノワールは彼女を一刻も早くこの城から出したい一心で口にした。
 一瞬ルミエールは戸惑った表情を浮かべると、少し大人しくなる。しかしすぐ首を横に振った。
「私もソレイユが大切ですっ、だから、これ以上私の大切な人を奪わないで……っ」
 切望とも言える表情で告げると、彼女の目にまた涙が滲んだ。
 それを聞いたノワールは少し悲しげな表情を浮かべるが、すぐ彼女に微笑んで見せた。
 ベルナーは少し様子の変わったノワールに首を傾げる。
「俺が、貴女の大切な人を必ず連れて帰りますから」
 ノワールは笑って見せるマントを投げ捨て最上階に向かって走り出した。
「ノワール様!?」
 ルミエールは思わず手を伸ばすが届かない。
 ベルナーは彼の他にやる事があると占いででた意味に気付いて踵を返した。
「ま、待ってください」
 戸惑いながらルミエールはベルナーを止める。
「今はリオネル君を追いましょう」
 しかしベルナーは首を横に振り、歩みを止めない。ここで彼女を降ろせば、ノワールとソレイユ、それにリオネルを敵に回す事になるだろう。
「それとも貴女にとってリオネル君は、もう大切な人には入らない?」
 問われたルミエールの心臓が跳ねる。リオネルの言葉が何度も頭の中に響き、顔が強張っていく。
 それを見てベルナーは満足そうに微笑んだ。
「大丈夫ですよ、ノワール様なら約束を守ってくださります」
 根拠などどこにもない言葉だったが、ベルナーはいつものように笑う。
 彼の笑みにルミエールは唇を噛むと黙って頷いた。

 最下層まで戻ってくると、何も変わりなく消火活動を続けている兵士達にベルナーは少し疑問を持った。
 血に塗れた男がでてくれば警戒するはずだし、犯人を追ったソレイユがでてこないままでは疑われ捕縛されるはず、そうなれば赤の民は大騒ぎになっているだろう。
 同じように考えていたルミエールも、胸騒ぎがして固唾を呑む。彼の言葉の意味はソレイユと共に死ぬという意味だと感じていたからだ。
 ベルナーは少し足を速めた。もしかしたらリオネルがまだ外にでていないだけかもしれない。
 案の定入り口近くまで来るとリオネルの後ろ姿が見えた。
「待ちなさい!」
 珍しくベルナーは大声を出すと彼を制止する。
 しかしリオネルは立ち止まるどころか振り向きもしない。
 ベルナーは内心小言を吐きたいのを堪えながら彼を追う。しかしリオネルはもう扉の前、間に合わないと唇を噛んだ。
 だけどそれは以外な形で裏切られる。
「っつ、は……っ」
 リオネルは苦しげに声をあげてその場に蹲った。
「お兄ちゃん!?」
 ルミエールは様子の可笑しいリオネルに声をあげる。
 しかしリオネルは答えず、何故か嬉しそうに笑っていた。
「リオネル、君?」
 ベルナーはルミエールを降ろすと、彼に駆け寄り身体を揺さぶる。
 相変わらず何も答えないリオネルは、虚ろな目でどこか遠くを見ていた。
 ルミエールも驚いて駆け寄ると、故郷からずっと肌身離さず持っていた本を落とす。
「はは……まさか、まだ抗うのですか?」
 リオネルはゆったりとした動作で天井を見上げた。
 傍らに寄り添いながらルミエールは首を傾げる。
「貴方はもう、忘れてしまうのに? 苦しいって、嘆いていたのに?」
 ここにいない誰かに問いながら、リオネルは苦しげに笑う。
 その異様な光景にルミエールは戸惑うが、彼を止める事はできなかった。
「もう、貴方が望んだルミエールの幸せは、ないっ、だから忘れる前にと、思ったのに」
 全身で笑いながら、リオネルは俯く。そして瞳を揺らがせると、何故か涙を零した。
 ルミエールは彼の独り言を聞きながら困惑するが、何故か聞き返す気にはならない。
「貴方もやはり、傲慢だ……、なのに……」
 リオネルはいつものようにクスリと笑う。
「今は、それが、美しく見える」
 そして満足げに言うとそのまま眠るように意識を失った。
 ルミエールはリオネルを抱き起こし呼びかける。何故このような場所で突然意識を失うのかわからずうろたえた。
 事態を飲み込めず考えこんでいたベルナーは、ルミエールの落とした本を拾いあげると、中を見て驚愕する。
「呪術の反動か……」
 ソレイユと同様に、毛髪を縫いとめた呪術の痕跡があった。効果を高める為に言葉を指定し、自身を代償に彼を呪い続けていたようだ。
「お兄ちゃんは、もう目を覚まさないのですかっ!?」
 ルミエールは何かに気付いているベルナーに聞く。
「……それはわかりません、先程説明したのと、同じです」
 ベルナーはそう告げると、自分より背のあるリオネルを背負う。
 今話す内容ではないと悟ったルミエールは、ふらつくベルナーを支え城の外に向かい歩きだした。

...2012.08.21