Trente et Quarante

第七話:決別/2

 赤の国は王を含めた重臣数十名の遺体を回収し街道を封鎖、死人を笑う民の群も解散させた。
 死体が遺棄されていた街道の先には、黒の国との境界線でもあるあの森だ。この道以外で黒の国に続く道は限られている。
 ソレイユは封鎖せざる得ない状況を不満に思った。
「仕方ありません、あれだけの遺体が発見された場所ですから」
 リオネルは彼の考えている事を察して発言する。
「誰の所為だ」
 ソレイユは表情を歪めると、爪を軽く噛む。
 瞬間リオネルは彼の手首を掴み、止めさせると真剣な表情で爪を見ていた。爪が傷付いていないのを確認すると、表情はすぐに和らぐ。
 ソレイユはやんわりと手首を掴まれた事に加え、人の爪を気にするリオネルを気味悪く感じ手を払った。
 しかしリオネルは悪びれた様子もなくクスリと笑う。
 そこに、二人のやり取りなど露知らず、回収した遺体を持ち帰った兵士達が彼らの元を訪れた。
 酷く顔色の悪い兵士達を見てソレイユは少し違和感を覚える。
 戦争になれば彼らは嫌という程死体を目にする事になるだろう。それなのに今このように青褪めているようでは頼りないと感じた。
「……っ!」
 しかしその違和感は遺体を見てすぐ消え去る。頭と胴、それに四股を裂かれていてどの部位が誰のものかわからない。
 ソレイユは目を見開き言葉を失った。
「これはこれは」
 リオネルは肩を竦めると楽しそうに笑う。
 ソレイユは彼を睨みつけると、忌々しそうに舌打ちをした。
 兵士達もどれが誰の部位か識別する事はできずにいたが、それでも王の身体だけは揃えようとする。それは王の為というより、実子であるソレイユの為だ。
「腕はそれだ、他の者より……豪華な布を纏っているだろう」
 ソレイユは兵士達の善意に気付いて申し訳なくなりそう告げた。先日王が着ていた服とも一致している。
 そうして集まった部位を兵士達は豪華な柩の中に収めていく。並べているという方が正しいかもしれないが、繋がらない箇所を花で隠す事で王がただ横たわっているように見えた。
 ソレイユは横たわる王を見て妙な気持ちに駆られる。
「二人きりに、してくれるか」
 王を眺めてはいたが、泣きそうなわけでも悲しいわけでもない。だけどいつの間にか口にしていた。
 兵士達は一礼するとすぐに部屋をでる。
 しかしリオネルだけは酷く歪んだ表情を浮かべそこにいた。
「どんな関係だろうと俺達は父子だ、最後の別れぐらいさせないか」
 ソレイユはリオネルを見据えて言う。
 リオネルは揺らぎない彼を見て満足したのか微笑すると、仕方ないというように部屋をでた。
 一人残ったソレイユは王の遺体を見下ろす。
「貴方が悪い」
 言い捨てると、柩の端に腰をかける。罰当たりな行いだが彼は気にしない。
 しばらく黙っていても誰も返事はしない、誰も命令しない。約束も破らず交わす事もない。
 だけどその事実に心がざわめいた。
「何故だろう、この間から俺はおかしいのです」
 どこか遠くを見ながらソレイユは言う。
「貴方が憎いはずだ。だけど今は、どうでも良かった頃より、もっと前に……」
 ソレイユは頭痛を感じて頭を抱える。
 おぼろげな記憶の中で愛しそうに王に抱きかかえられていた。きちんと記憶している幼い頃より更に身体が小さく感じる。
「どうしてしまったのだろう、俺は」
 痛む頭をおさえながら呟くと、思わず目頭が熱くなった。
 悲しみを感じるような関係ではないと理解しているのに、何故か憎しみを上書きするように本当に幼かった自分が邪魔をする。
「父上……っ」
 自分に人並みの情があるという事だろうか、どんな理由であれ確かに愛されていた日々があったからなのだろうか、それともそれらとは無縁の要因なのだろうか。
 彼は自分の気持ちがわからず、溢れ出る涙を抑えられなくなった。

 王と臣下十数名の葬儀を終えてからまた数日、赤の国はまだ混乱している。
 しかし民は、これで少しは国が良くなると喜びに沸いていた。
 ルミエールにしか感心のないソレイユを不安に思う者もいたが、彼と王の不仲が知れ渡っていたお陰で喜びの方が勝っている。
 そしてソレイユが現状には何の関心もない事は事実だ。彼の関心は王の死を素直に喜べずにいるルミエールの事ばかりだった。
 だけどソレイユは今城にいて、家臣達が勧める玉座に面倒そうに腰掛けている。そして苛立ちが酷くなると肘をつき、足を組み、明らかに不機嫌な顔をした。
 家臣はその偉そうな態度に戸惑いながら、今後の事を話す。
 それを適当に聞きながら、ソレイユは自分なりに今後を思案する。
 国政にも関心はないが、蔑ろにすればルミエールが悲しむだろう。だから今の悪政を正さなければいけない。
 それに彼女の望みを叶えるなら権力はある方がいい、つまり自分の今の態度も改めなければいけないと考えていた。
 家臣達が話している中、玉座の間に現れたリオネルは、彼らより前にでるとソレイユに跪いた。
「ソレイユ様、戴冠式は貴方が十八になられる日で宜しいですか?」
「ああ」
 ソレイユは素気なく答える。
 リオネルは満足そうに微笑む。しかしそれが分かるのはソレイユだけだろう、家臣達には仏頂面に映っているはずだ。
「もうすぐ貴方は王になられる、素晴らしい」
 しかし今のリオネルの表情は、先程より明らかに喜びに溢れていた。
 それを見て家臣達はいつもと少し様子の違うリオネルに戸惑い、ソレイユも明らかに嫌そうな顔をする。
「そのように怒らなくても」
 リオネルは肩をすくめ苦笑した。
「全てを備えた身も心も美しい王の誕生を、喜んでいるだけではないですか」
 家臣達の顔が一斉に怪訝になり、ソレイユも顔が引きつる。
 彼は自身の心根が歪んでいるのを自覚していた。それなのに家臣達の前でこの発言はかなり迷惑だ。
「適当な事を言い続けているなら、お前のその口を縫わせるぞ」
 そう言ってソレイユは顔を背けた。
「それが貴方の望みだと言うなら」
 しかしリオネルは臆さない。
「もういい」
 ソレイユは面倒そうに眉間に皺を寄せると呆れたように答えた。
「そうですか」
 リオネルは僅かに微笑む。
「このような事態ですので、ベルナー様は国に帰られました」
「は? ……ああ」
 まるで話の噛み合わないリオネルに、ソレイユは変な声をあげる。しかしすぐ意味を理解した。
 リオネルはクスリと笑う。
「ただ戴冠式を御覧になりたいそうです、あの方も美しいものが好きですから」
 また先程通り話すリオネルにソレイユは頭を抱える。悩んでいるのではない、苛立っていた。
「ベルナー様は俺の剣術を気に入っているだけだろう」
 平静を装い言い返す。苛立ちを露にしたら負けだと彼は思った。
「いいえ、貴方がその姿だから美しいと感じるのです」
 リオネルは表情一つかえず言う。
 怒らせたいのかという風にソレイユは口の端を吊り上げる。
「そのような顔をなさらないで、皺になってしまいます」
「誰がさせている」
 ソレイユは玉座から立ち上がると、玉座の置かれた高台から階段をおりていく。
 それに反応するように、彼が真横を通る瞬間家臣達は深々と一礼する。
「どちらに?」
 リオネルも同じように頭を下げると声をかけた。
 ソレイユはリオネルに向き直る。
「わかるだろ」
 彼の言葉にリオネルはまたクスリと笑うと、後ろ姿を見送った。

 ルミエールは今も別邸で隠れるように過ごしていた。
 王が死んでも、あてがわれていたあの部屋に戻る勇気はないらしい。
 だけどソレイユはそれだけではないと気付いていた。もう生贄を必要としていない事、これが城に戻れない一番の理由だ。
 しかしだからなんだというのだろう。生贄に全てを押し付けてきたこの国は、今こそ彼女を幸せにする義務があるはずだ。そしてそれを放棄するなら、このような国滅べばいいと、そう考えていた。
 でもそれを言えばルミエールは悲しむだろう、だから彼は口にしない。
「ルミエール」
 ソレイユは姿を見初めると彼女の名前を呼び優しく微笑んだ。
 ルミエールの顔に笑みがこぼれる。
「お城にいなくてもいいの?」
「まだ王ではありませんから」
 ソレイユが肩をすくめるのを見てルミエールは苦笑した。
「でも、王様になったらそうはいかないのよね?」
 当然の事なのだが彼女は少し表情を曇らせる。
「ええ、だから、城に戻ってきてはいただけませんか?」
 ソレイユはルミエールの顔を覗きこみ聞く。普段の彼なら何かを頼む時は必ず手を取るのだが、それはしない。
 代わりにルミエールが手を取ると、ソレイユの手が少し震える。それを彼女は両手で包み込む。
「私、戻ってもいいのかしら」
 彼が想像していた通りの事を彼女は言う。
「貴女が望んでくだされば、遠慮など無用です」
 ソレイユはルミエールの手を握り返し、同じように両手で包む。だけどどこかぎこちなく、壊れ物のように扱う。
「でも、私は、自分が怖い」
 ソレイユは訝しげに彼女を見た。
 ルミエールは身震いがしたのか、手を離して自身を抱きしめる。
「王様が死んだのに、それに安心している自分が怖いのよ」
 仮にも父と呼んだ男が死んだというのに、それを悲しむ事のない自分自身を彼女は恐れていた。
「私は、本当にお城に戻ってもいいの?」
「ルミエール」
 ソレイユは驚き、思わず彼女の手を振り払いそうになったのを堪えた。
「貴女が気に病む事など何もありませんよ」
 彼はどのように笑顔を貼り付けていたのか思い出せず、心を支配しようとしている悲しみが表情に表れていた。
 ルミエールは彼の手を強く握りなおす。
「そうよね、貴方のお父様だもの、私より貴方の方が辛いわ……」
「違っ」
 ソレイユは更に表情を歪ませ、今にも涙が溢れそうなのを堪える。
 ルミエールはいつもと様子が違う彼に少し戸惑う。
「いえ、そうです、ね。思う事がないと言えば、嘘になります」
 しかしソレイユは表情のない顔で答えた。
「そう、よね」
 ルミエールは俯く。
「もう、起きてしまった話は止しましょう」
 ソレイユはいつもとは違う笑みを浮かべて言った。
 ルミエールはその笑みに違和感を覚える。しかしこれ以上何かを言うと、彼を追い詰めてしまいそうなだと感じて何も言えなかった。
「それでどうなのですか? 戻りたくないと言うのなら、無理強いはしません」
 少し意地悪く言う自分自身にソレイユは自嘲気味に笑う。
 否定するようにルミエールは首を横に振る。
「ただ、あの部屋には戻りたくないの」
 傷付けた胸元に手をあてて言う。あの部屋に戻ればあの夜を思い出すだろう。同時にあの王が死んだ事も、それは負の感情を連鎖させかねない。
 ソレイユは目を丸くし、すぐ微笑んだ。
「でしたら新しい部屋を用意しますよ」
 ルミエールは目を瞬かせ少し眉尻を下げる。
「そうじゃなくてっ」
 顔を赤く染めると顔を伏せた。
 ソレイユは首を傾げ、やはり戻りたくないという事なのか考える。しかしこの様子はそういうのとは違う気がした。
 ルミエールは覚悟を決めたように赤くなった顔でソレイユを見る。
「一人は怖いの、だから、ソレイユの部屋にいさせてっ?」
「はい?」
 覚悟を決めて言い切った彼女に対して、ソレイユは首を傾げて返す。
 ルミエールは小さい頃の彼の仕草を思い出し、わけが分からないと思われているように感じた。
「だ、駄目?」
 彼女は思わず涙目になる。
「いえ、別に構いませんが」
 しかしソレイユは少し戸惑ったように承諾した。
「本当?」
 ルミエールは目を輝かせ、甘える時に見せるような表情を浮かべる。
「俺が貴女の願いを断るはずがありません」
 部屋の間取りを思い浮かべ、何を無くし何を増やせばいいかを思案しながら言った。二人分の家具を入れると少し狭いかもしれないが、書斎に幾つか移せば問題なさそうだと彼は自己完結する。
「えっと、嫌なら断っていいのよ?」
 何かを深く悩んでいるように見えたルミエールは困った様子で言った。
「いいえ」
 一度告げた事を撤回する気などソレイユにはない。それに撤回させたくもなかった。だけど気になる事が一つある。
「弟ではないと、思い出した上での発言ですよね?」
「え、ええっ」
 ルミエールは更に顔を赤く染めて恥ずかしそうに答えた。
 ソレイユは苦笑する。
「信用してもらえるとは思わなかったので、とても嬉しいです」
 握られた手を愛おしそうに見つめながら、まるで嫌われずに済んだ事を安堵したように彼は呟いた。

...2012.07.24