Trente et Quarante

第六話:約束/1

 夢の中で、ルミエールは城に連れてこられた頃を思い出した。
 赤の王の娘として生活する事を余儀なくされた幼い彼女は、不自由のない生活の中で心が恐怖に縛られ不自由だ。
 逆らったら殺される、そればかりが頭を過ぎり食事が喉を通らない。そして誰の目から見ても彼女は衰弱していった。
 そして六歳の誕生日に計画されていた式典は、彼女自身の体調不良で中止する事になる。
 ルミエールはベッドの中恐怖に怯えていたが、王に咎められる事はなかった。暇を持て余した王は城を留守にしていたからだ。
 それを知ったルミエールは、今しか逃げ出す機会はないと、弱った身体で自分にあてがわれた部屋をでる。
 しかし城の敷地内からでる事はできず、彼女は同じ階層に存在する空中庭園で足を止めた。
 ルミエールの虚ろな瞳が花壇を映す。
「きれい……」
 花壇に近付き、その光景に少しだけ笑みが零れる。だけどこの光景を共に綺麗だと感じてくれる人が彼女にはいない。
 ルミエールはあの日の光景を思い出して涙が零れる。
「おとうさん、おかあさん、……おにいちゃんっ」
 故郷を思いながら泣きじゃくると、苦しくて何度も咽かえった。だけど泣く事を止められない。
 しかし突然葉を掻き分けるような音が聞こえ、涙が止まる。自分を連れ戻しにきたのかと身体を震わせ、息を殺す。
 だけど現れたのは彼女と同い年くらいの子供だった。
 子供心にも綺麗だと感じるその顔からは性別が読み取れず、可愛らしい薄い赤の髪を見て女児だと思った。
「あなたも連れて来られたの?」
 ルミエールは問いかける。
 だけどその子供は少し首を傾げると、返事もせずに踵を返す。
「ま、待って!」
 大人ばかりのこの城の中で初めて会った子供。ルミエールはこの出会いを無駄にしたくなかった。
「……、何?」
 呼び止められたその子供は振り返ると、今度は反対の方向に首を傾げた。
 ルミエールは喋った事に内心驚いたが、それでもどこか事務的で表情がない事に違和感を覚えた。
「ここは怖い所だから、一緒に逃げましょう?」
 目尻に溜まった涙を拭い、その子供に手を差し伸べる。
「逃げる?」
 相変わらず表情は変わらない。だけど言っている意味がわからない、そういう態度だった。
「だって、あなたも連れて来られたんでしょ?」
 ルミエールは戸惑い、眉尻を下げる。
「またそれ」
 ルミエールは「また?」と首を傾げる。どうやら「あなたも連れて来られた」の事を指しているみたいだ。
「違うの?」
 ルミエールは困惑した表情で聞いた。
「ぼくは違う」
 その子供は首を横に振る。
 瞬間ルミエールは驚く。「ぼく」という事はこの子供は男児で、城にいるという事は……。
「王子、さま?」
 子供は何も答える事はなかったが、否定もしなかった。

 何とか名前を聞き出すと、子供は本当にソレイユ王子その人だった。
 ルミエールはすぐ横で花壇から花を摘んでいるソレイユを見る。
「お花、どうするの?」
 ルミエールは問いかけた。
 ソレイユはまた首を傾げる。質問の意図が読めないのかもしれない。
「摘んでるって事は、どこかに持っていくんでしょ?」
 ルミエールも首を傾げる。
 ソレイユは、何か納得したように「あー」と声をだす。
「母上の所に持ってく」
 そう言うと両手いっぱいに花を抱え、ソレイユは歩き出した。
 ルミエールは慌てて後を追う。母上、つまり亡くなった王妃の事だろう。お供えするという事だろうかと漠然と考えた。
 しかし彼が足を止めた場所は城内のとある部屋の前。しかも花を無造作に置くだけで、とても供え物という印象を受けない。
「ここでいいの?」
 ルミエールはなんとなく聞いた。
 ソレイユはこくりと頷く。
「陛下が中に入れてくれないから」
 そう言うとまた踵を返す。だけど悲しんでいるようには見受けられなかった。
 ルミエールは王にソレイユは泣いていないと言われた事を思い出す。薄情者、能面と実の子に対する言葉とは思えない言葉を吐いていた。しかし……。
「どうして」
 ルミエールはソレイユの背に向かって搾り出すように声を出した。
 ソレイユは振り返るとまた首を傾げる。
「おかあさん、死んだのに、泣かないの? 悲しくないの?」
 唇を噛んだルミエールは涙を堪える。それでも涙は零れてそれを懸命に拭う。
「悲しい……?」
 ソレイユは小さく呟きまた首を傾げた。
 予想外の言葉にルミエールはますます涙が溢れる。同じような境遇なのにまるで違う、それが悲しい。
 だけどソレイユは真っ直ぐにルミエールを見つめて言う。
「どうして……? 母上は、やっと救われたんだよ」
 ルミエールは聞き覚えのある言葉に目を丸くする。
 両親も『代わりに王妃様は……やっと救われたのだと思うよ』と言っていた。両親と同じだ、ソレイユは同じ視線で王妃を見ている。
 ルミエールはまた涙を零す。
「どうして、泣くの?」
 ソレイユはルミエールの顔を覗きこみ聞いた。
 ルミエールは首を振り、「ごめんなさい」とただ謝る。
 ソレイユは謝られている理由がわからずまた首を傾げる。しかし何を思ったのか、口を開く。
「母上が死んだから、君は連れてこられた……それが悲しい」
 自分なりの解釈に納得したのか、ソレイユは自分の言葉に頷いた。
 そのような事は言っていない。ルミエールは涙目のまま誤解を解こうと口を開く。しかし言葉は紡がれる事はなく遮られた。
「ぼくが守るよ、だから泣かないで」
 台詞とは裏腹にやはり表情はない。何よりその言葉は償いのようにさえ聞こえる。
 しかしルミエールは、僅かに滲むソレイユの優しさにまた泣いてしまった。

...2012.07.10