Trente et Quarante

第五話:深紅の花嫁/1

 ソレイユは王に命じられるまま所定の場所へ向かうと、そこには青の国の第一王子ベルナーがいた。
 ベルナーは彼を見つけると笑顔を浮かべ、控えめに手を振っている。
「そういえば、赤の国に滞在中だと聞いたような気がするな」
 ソレイユは少し目を細めると小さく呟いた。
 人柄も良くとても友好的なベルナーは面倒な相手ではない。国が絡むと他を排してでも自国を優先する所があるのが、そういう所に好感さえ持っている。
 問題はベルナーがソレイユを気に入っている事で有名な事だ。お陰で彼は会う度調子を狂わされていた。
「いやー嬉しいな、ソレイユ王子が食事にお付き合いくださるなんて」
 ベルナーは嬉々とした様子で言う。
「そうですか」
 ソレイユは愛想笑いを浮かべた。
 しかし何かに気付いたベルナーは眉尻を下げる。
「残念、今日は剣舞が見られないようだね」
 ベルナーは言った。
 ソレイユの剣術を剣舞と呼ぶのも、まるで美術品を味わうかのように鑑賞するのも、ベルナーと青の国の者だけだ。
 まるで見世物にされているようで、ソレイユはその言葉を好ましく思っていない。だから剣を置いてきた事を心の中で安堵する。しかし問題はそれだけではないようだ。
 席につくなり、ベルナーは当然のように二人分の酒を頼んでいた。
「ベルナー様、私はまだ十七なのですが」
 赤の国での成人は十八、飲酒も十八歳からを推奨している。まだあと二週間十七歳の彼は飲む気などない。むしろこの状況で初めての飲酒などありえなかった。
「私の母国は、十七歳も成人ですよ」
 ベルナーは笑顔で酒の注がれたグラスを差し出す。
「ここは赤の国ですから」
 ソレイユは少し口の端を吊り上げると首を横に振った。
 ベルナーは残念そうにグラスを傾ける。
「確か禁止はしていませんよね? 大丈夫、むしろ艶がでそうですよ」
「意味がわかりませんがっ!」
 早速陽気になりだしているベルナーに、ソレイユは思わず強い語調で反論した。
「ああ、そのような厳しい顔をしては貴方の可憐さが!」
「ベルナー様、もう酔っているようですよ」
 内心怒りに震えているソレイユだが、平静を装う。
「もっと笑ってくださいよ、折角綺麗なのに……」
 ベルナーは女性の機嫌でも取るかのような発言をした。
 酒癖が悪い。ソレイユは失言と言える言葉の数々に苛立ちを隠せる自信がなくなっていく。
「わかりました、飲めばいいのでしょう」
 ソレイユは溜め息を付くとグラスを受け取った。全て冗談のつもりなのだろう、真に受けては駄目だと自分に言い聞かせる。
「そうですか、それは良かった」
 するとベルナーは普段の語調で笑った。どうやら本当に冗談のようだ。
 ソレイユはもう一度溜め息を付くと、護衛の兵士達に心配されながら酒を口に含む。
 目を輝かせて様子を伺うベルナーが少々鬱陶しい。
「……」
 少し苦い果実の炭酸水、それ以上の感想はない。ソレイユは目を細めグラスを見る。
「おや残念、お強いですねソレイユ王子」
 ベルナー嬉しそうに言う。
「どちらですか」
 言葉と表情が噛み合わないベルナーに呆れながら、ソレイユは残りも飲み干す。
 すると、それを見ていた者全てが一斉に拍手した。
 ソレイユは怪訝な顔をすると、また何かに気付いて肩を震わせる。
「ベルナー様、見世物にしましたね」
 ベルナーは首を傾げるが、すごく楽しそうに笑っている。
 剣術と同じだ。剣がないなら別の何かで、そういう事だろう。
「細かい事は気にせず、もう一杯どうぞ?」
 いつの間に頼んだのか、ベルナーは空いたグラスに酒を注いだ。
 これに付き合わなければいけないのか、ソレイユは顔をしかめながらグラスを傾けた。

 つい先程まで平然と飲んでいたソレイユだが、何の前触れもなく頭痛を訴えはじめた。
 護衛の兵士達は酔いが回ったのだと判断し、早急に水を用意し大慌てだ。
「酔いっ?」
 気分が上気するのは悪くなかった。あれも知識として持っていたものと照合すれば酔いのはずだ。
 だけど今は頭が痛む、まるで何かに頭の中を弄くられているような感覚だ。
「……頭が痛いっ」
 ソレイユは頭を押さえながら水を飲んだ。しかし気分は良くならない。
 本当にこれも酔いだろうか、ソレイユは痛む頭で考える。
「大丈夫ですか?」
 ベルナーは心配そうには聞こえない声色で言った。
 ソレイユはそれを恨めしそうに見る。
「えーっと、とても艶っぽいですよ?」
「意味が、わかりませんがっ」
 今の彼は頬を染め、目は潤み、気持ち悪さの所為で呼吸も荒かった。確かに艶めかしいと言えなくもない。
 だけど豪快に水を飲む姿は、とても女性と錯覚できるものではなかった。
「ソレイユ王子、もっと淑やかに飲めませんか」
「何が淑やかだっ」
 ソレイユは思わず心の声がでてしまうが、訂正する余裕がない。
 ベルナーはその悪態を笑顔で受け止める。
 しかし二人の妙な会話は突然の来客に打ち切られた。
「失礼しますっ」
「おや懐かしい、リオネル君じゃないか」
 ベルナーは来客の顔を見るなり名前を呼んだ。
「お久しぶりです、ベルナー様」
 リオネルはいつもより浅いお辞儀をするとすぐソレイユを向いた。
 慌てている、そう感じたソレイユは胸騒ぎがして即座に立ち上がる。
 瞬間頭の痛みが嘘のように消えたが、彼はそれどころではない。
「ルミエール様がお部屋からでてこないのですっ」
 リオネルはまずそう告げるとソレイユの傍に寄る。そしてルミエールに起きた出来事をそっと耳打ちした。
 ソレイユの顔は青褪めていく。
「残念、今日はお開きのようだね」
 ベルナーは名残惜しそうに言う。
 ソレイユはベルナーに頭を下げるとすぐ城に戻った。
 それを見た護衛の兵士達が慌てて後を追うのをベルナーとリオネルは黙って見送る。
「君は戻らないのかい? なら久しぶりに付き合いなよ」
 ベルナーは新しいグラスをリオネルに差し出す。
 リオネルはいつもの仏頂面で彼を見ると、僅かに表情を和らげグラスを受け取る。
「ソレイユ様の行動は読めますから、少しだけならお付き合いできます」
 先程まで慌てていた者とは思えない程、彼は落ち着いていた。
「へえ、そうなのかい?」
 ベルナーはリオネルのグラスに酒を注ぎながら、関心を示す。
「ええ、あの馬鹿の者はもう終わりですね」
 リオネルは僅かに笑う。
 ベルナーは注ぎ終えると酒瓶をリオネルに手渡す。
「ソレイユ王子の剣舞はとても素敵だよ」
 リオネルは酒瓶を受け取ると、ベルナーのグラスに酒を注ぎ小さく笑った。

...2012.06.19