魔法使いの法則

一話:旅立ち/4

 麗羅は東外れにある自分も住んでいる家に着くと、抱きかかえていた茜を下ろす。 茜は抱えられたまま高所を徘徊されて、恐怖からか足取りがフラフラとしていた。
「しっかりしろよ茜」
「ほっといて……」
茜はそう不満そうに言った。 追っ手がいる時は黙っていたが、やはり遥と麗羅のやり取りが忘れられないのだ。 麗羅は呆れたような諦めたようなそんな表情で溜息を付くと、ドアノブに手をかけた。 だが中には踏み込まず、茜を手招きする。 それに気付くと仏頂面なまま茜もドアに歩み寄った。
 二階建てでこの国特有の鉱石で作られた家、麗羅は先に茜を通し後から続いた。
「おかえりなさい」
二人が中に入ると中から四十代くらいの女性が声をかけた。 麗羅の母親、明だ。
 麗羅はぶっきらぼうに「ただいま」と言うと茜を玄関に残してリビングに入っていった。
「明おばさん、ただいま」
茜は精一杯笑顔を浮かべてそう明に返した。 しかし長年共に暮してきた明が気付かないわけもない。 それを明は見守るように微笑むと、麗羅を追うようにリビングに向かった。
 沈んだ表情のままリビングに入ると、茜に気付いてソファーに腰掛けていた人物が立ち上がり振り返る。
「茜、おかえりなさい」
少し高めの男声が茜の名前を呼んだ。 聞き覚えのあるその声に顔をあげると茜は驚きその場に立ち尽くした。
「悪いな遥、遅れちまった」
「いえ、麗羅も追われてるようだったので遅れる事を想定してましたよ」
だが麗羅は何も気にせず、その声の主―遥と会話している。 先程の張り詰めた空気が嘘のようにない。
「あ?お前何で知って……」
「僕が塔に入った時、一時的に検査ストップしてたんです。」
二人は茜の様子に気付いていないのか、そのまま話を続けた。
「部屋の数に全体の人数、そして順番から考えて僕達のクラスの先行組の生徒……まあ、勘ですよ」
遥と麗羅は会話を終えるとどちらともなく笑い出す。 しかし意味のわからない茜は顔を真赤にして麗羅に詰めよった。
「ど、どういう事!?ちょっと麗羅!」
「は?……まだわかってないのかよ」
麗羅は呆れ顔で茜を見た。 遥は茜の慌ててる意味がわからず首を傾げるばかりだ。
「俺達の動き見て変だと思わなかったのか?」
一瞬唸り声をあげると麗羅は茜に指を突きつけて言った。 茜は今だ意味がわからず不審そうな顔でその指を見る。
「遥に"継と同じ"って言われて俺はちゃんと否定しただろ?」
茜はそんな言葉は聞いていないと言う風によりいっそう訝しげな顔をした。
 二人は中々理解しない茜にあのやりとりの説明をする事にする。 一緒に暮していた者には必要な事だからだ。
 二人が言うにはあのやりとりにはこういう意味があった。
『貴方も継達と一緒って事ですか』
遥がこれを口にした時点では遥はまだ麗羅の真意を理解していない。 だから警戒する遥を麗羅は"髪をかきあげる"自分の癖を利用してその言葉を否定した。 麗羅は不機嫌な時や呆れた時にそうした動作をしてだんまりを決め込む。 長年共に暮してきた遥がそれに気付かないはずがない。 そして同時に麗羅が向いた方向、それは国の門のある方向。 外に出ようと考えている遥から見れば、彼が協力者である可能性は高かった。
 麗羅の考えに推測を立てた遥は警戒を解かないが出方を伺う為に、こう言った。
『魔力を持つ事は悪い事何ですか?ここに存在してはいけないって理由になるんですか?』
"魔力を持つ者はグランスにいてはいけないのか?"という質問だ。 そして麗羅もそれに答える形でこう答えた。
『聞かなくてもお前は判ってんだろ?該当した時点でここに存在する事は許されねーんだよ!』
"聞かなくてもグランスを出る事を考えてるだろ"という返答。 この時斬りかかったのはただ会話を続けていては怪しまれる可能性があったからだ。 それを察した遥も彼の上手くあけた隙を利用して飛ぶ。 そして遥が肩に手をかけた瞬間、麗羅は小声で『家で待ってろ』と耳打ちしたのだ。
 理解した遥は"判った"という意味と、 "本気で斬りかかる奴があるか"という意味を込めて彼の背を踏み台したらしい。 本当は追撃を考えていた麗羅だったが、この時の痛みで動けず視線を交わした。 そして遥はこう言った。
『ここに存在する事が許されないなら、お別れですね』
この言葉の意味は"グランスにいられないならでましょう"だ。 そして耳打ちされた言葉の通り遥は家に向かって駆け出した。
 話も終わり、それを聞いた茜はブルブルと震えていた。 二人は疑問に思い首を傾げる。
「どうしてそんな会話で意思疎通できるの!?」
そんな二人を見て爆発したように茜は言った。
「できないですか?」
「できないわよ!」
茜は顔を真赤にして遥に一発パンチ喰らわせる。 割と本気だったのか遥は喰らった部分を抑えてしゃがみこんだ。
「なんだお前、俺と遥が熱々な絆で結ばれてて嫉妬したか?」
「熱々とか言うな!!」
麗羅がニヤニヤとそう言うと、遥と茜はそうハモる。 しかも茜は麗羅の頬にパンチをお見舞いし、悶絶していた遥も反対の頬にパンチを喰らわせた。
 三人のやりとりを廊下から見ていた明はその和やかな空気にクスクスと笑う。 元々家族として暮していたが、 遥の母美姫が死んでからは自分が母親代わりにならなければと強く考えていた。
 特に遥は同時期に弟の海里まで何処かへ姿を消してしまった。 何故か無事であるという話だけは聞いていたが、消息は不明のまま。 そんな彼が孤独にならないように、悲しまないようにと、家族としてできる限りの事をしようと誓った。
 だから明は三人が笑顔でいるのを見ると、何か満たされた気持ちになった。 こんな幸せが何時までも続けばいいのにとさえ考えていた。
 だけど彼女は、その思いとは裏腹にこの日々に終わりが来る事を、"今日終わる"という事を知っていた。

 明は相変わらず廊下で三人のやり取りを見つめていた。 まるでそれは今ある幸せを目に焼き付けておこうとしているようだ。
 しかし明は外から不穏な空気を感じ、この光景の終わりを心から悲しむ。 心に焼き付けるよう目を瞑るとドアノブに手をかけ、何かを決心したように目をあけるとリビングへ入った。
「麗羅……」
母親に声をかけられ麗羅は首を傾げたが、その悲しげな表情にこの時間の終わりを悟った。
「わかったけどちょっと待って……、茜」
急に麗羅は茜に声をかける。 明はそれを理解しているのか何も言わないが、 遥と茜は意味がわからずキョトンとした。
「え、何?」
「お前はどうする?」
二人は一瞬何の事かと考えたが、遥は何かに気付いて暗い顔をした。
「(忘れてた……茜は検査をパスしているんだ……)」
小さい頃から共に過ごしてきたからか、別れなど想像した事もなかった。 ずっと一緒にいるのが当り前のようになっていた。 そんなはずなどないのに……。
 茜は遥が突然沈んだ顔をして戸惑った。 今の質問は何か悪い意味だったのか、それを理解できていないのだ。
「どうするって?」
「俺と遥は逃亡すっけど、お前はどうするかって聞いてんだ」
麗羅は意味を理解してない茜に少し苛立ったのかそうぶっきらぼうに言った。
 逃亡と聞いて初めて意味を理解した茜は俯くと目を強く瞑った。 外など出た事もない世界は怖い。 だがずっと一緒にいた二人が突然消える、しかももう会えないかもしれない。 これもまた茜にとって恐怖以外の何ものでもなかった。
「俺はグランスに居るべきだと思う、お袋と一緒にな」
麗羅はそう言って髪をかきあげた。 正直麗羅も別れは辛い。 だが麗羅は外の危険を知っている。 遥の弟がいなくなった時、たまたま現場を見てしまった彼はそれを追って外に一度でているからだ。 怪我を負っても帰ってこれただけ奇跡とさえ思う。 だから妹のような存在の茜を危険な目には合わせたくなかった。
 麗羅はきちんと考えるように言うと、明と一緒にリビングの外へでた。
「明さん、なんか顔色悪かったですね……」
遥は先程の質問をはぐらかすようにそう呟いた。
「麗羅がいなくなるんだもん、当り前だよね……」
茜も先程の問いから逃げるようにそう返す。 だけど今しなければいけない事だ。 逃げるわけにはいかない。
 それを察した遥は口を開いた。
「いつお父さんが迎えに来るかわからないでしょう?」
「うん……」
遥の言葉に茜は力無く返事をした。
 彼女の父は美姫と明に茜を預けて何処かへ消えた。 いつか必ず迎えに行くと告げて。 だから茜はその言葉を信じてこの家で過ごしてきたのだ。
 だが茜は首を振ると、何かを決意したように遥を見つめた。 茜がどうするか決めたのだと、遥はそれを受け入れる為に固唾を飲む。
「私がお父さんを探せば……まだ一緒にいられるよね?」
遥は目を大きく開いた。 当然"ここに残る"と言われると思っていたからだ。
「僕らと居たいだけなら、やめておくべきですよ……」
内心一緒に居れた方が嬉しいが、遥はそう返した。 それが彼女の為であり、そうするべきだと思っているからだ。 その父親と入れ違いになったら意味がない。
 だが茜は首を振り真剣な眼差しで遥を見た。
「違うもん、探し出して引っ叩きたくなったの!」
遥は数回瞬きをすると、訝しげに茜を見た。 当の本人はニッコリと笑っている。
「この家で思い出作ったらすごい悲しい想いする事になっちゃったじゃない!ってね」
これじゃダメかな?と、茜は続けると、首を傾げた。
 正直思う所はあったが、遥は茜の目を見つめながら、諦めたように目を瞑る。 そして一つ溜息を零すと苦笑いを浮かべた。
「茜がそう決めたなら、誰も文句ないと思いますよ」
その言葉を聞いた茜は嬉しそうに微笑んだ。
 一方、リビングの外で会話をしていた麗羅達母子は少し様子が違っていた。 麗羅の表情は普段からは想像できないほど真面目なもので、 それでいてどこか冷たさを感じさせる表情なのだ。
「もう近くにいるのか?」
麗羅はそう明に問うた。 それは母親に向ける態度とは思えない態度だ。
「えぇ、ラーンデットから与えられた監視術式の届く範囲にもう……」
しかし明は文句を言う事はなく返答する。 麗羅は明の顔は見ようとはせず、『ッチ』と舌打ちした。
「仕方ない俺は先にでる、二人の事は明に任せる」
「判りました、麗羅様」
明は何の躊躇もなくそう返す。 その所為か麗羅は一瞬悲しそうな目をした。 だがすぐ割り切ったように表情を作ると指示をする。
「時は満ちた、己を犠牲にしてでも必ず遥様を護りきれ」
「御意」
何の文句も言わない母に今度は不満そうな顔をした。 しかしこれは仕方の無い事だと思い、気持ちを振り切りドアノブに触れる。 すると明に「麗羅……」と声をかけられビクッと肩を強張らせた。
 戸惑いを露にした表情で振り返れば明は慌てて「様」を付け加える。
「何だ……」
「気をつけて……あと、"大和様"に宜しくお伝えください」
麗羅は大和―父の名前を聞いて一瞬悲しそうな目をしたが、 明に悟られぬうちに顔を背けた。
「わかった」
麗羅はそう答えるとドアを大きく開け放ち外へ出て行った。
 明はリビングへ引き返すと、『ゴゴゴゴゴ……』と機械音が外から聞こえてくる。 そしてその音はドンドン遠ざかっていく。
「あ、明さん……麗羅は?」
遥は明だけが戻ってきた事に疑問を感じて問い掛けた。
「麗羅は先に行ったわ……次の行動を起こすためにね」
「次の行動?」
明の言葉に疑問を持った二人の声が重なった。 その様子に今まで固かった明の表情は緩み、次第に笑いだす。 それにつられて二人も笑い出した。
 しばらくしてそれは自然に止み、明は話を始めた。
「茜はどうするか決めたの?」
明は優しく微笑みながら茜にそう切り出した。
「私もグランスを出ます、私が探すってそう決めたから……」
茜は思うままを明に打明ける。 どう告げればいいのか彼女が戻ってくるまでずっと悩んでいた。 だが、飾り立てず正直に答えれば遥と同じく判ってくれると茜は考えた。
「思った通りね……気を付けるのよ?」
明は茜の頬を優しく包み、真っ直ぐ瞳見つめながら言った。
「はい……」
茜は照れながらそう返事をした。 明はその手を放すと遥と茜の顔を交互に見ながら微笑んだ。
「麗羅を、よろしくね」
遥は思わず顔を赤らめる。 母が生きていた頃は母が「遥をよろしくね」と頼む事が多かったからだ。
「いえ、むしろ僕の方が……」
遥はそう言いかけたが、少し寂しさを宿したその瞳にそう答える事を躊躇する。
「はい、わかりました」
遥は多少照れ笑いを含めながらそう言って微笑んだ。
 麗羅の話を済ませると、明は手に持っていた物を遥に差し出した。 遥はそれを受け取り首を傾げる。
「これは、何ですか?」
渡されたのは手の平二つ分くらいの水晶だ。 透明なそれを手に包み込んだり覗いてみたりして色々な用途を考えたが、 遥にはそれが何なのか検討がつかなかった。
「貴方のお母様が大事にしていた物が入ってるから、持っていなさい」
明はそういうと微笑む。 だがどこをどう見ても遥には何の変哲もない水晶にしか見えず、 入っているというからには取り出せるはずと首を傾げた。
 しかし質問する余裕はなく、明は物置を指刺した。
「二人共、そこに隠れていてくれるかしら?」
二人は指差された方向を見る。 遥はそれが物置だと判った瞬間、「また物置……」と苦笑した。
 普段掃除用具を入れている物置なのだが、中身はすでに取り出されている。
「少し狭いかもしれないけれど……」
「いえ、大丈夫です!」
明を困らせまいと二人は見事に声を重なる。 明は二人に微笑みかけるとリビングを後にした。
 二人は明が見えなくなると、物置の扉を開けた。
「二人……」
思った以上の狭さに遥は少し口の端が引き攣った。 いくら幼馴染とはいえ年頃の男女だ。 茜はそれほど気にしないのだが、遥はこういう事を異様に気にしていた。
「(いくらなんでも横暴です、明さん……)」
遥は口には出さなかったが心で溜息を付いた。 しかしその場所に隠れる事を躊躇している余裕はなく、 家の扉が乱暴に叩かれる音が聞こえてくる。 明は鍵は開けず応対しているようだったが、二人は言いつけどおりにその中に入る事にした。
 家の中を探されたらさすがにバレてしまうだろう。 だから明は玄関でドア越しに応対しているのだろうが、 この先明が何をするつもりなのかまでは二人とも考えていなかった。
 しばらくして、遂に捜索隊が強行突入を決めたようだ。 ドアを抉じ開けようとする音が響く、同時に茜が小さい悲鳴をあげた。
 遥は物置の扉の隙間からずっとリビングの外を見ていたが、 何かを思い出して茜を見ると彼女は自分の肩を抱いて怯えていた。
「ごめんなさい茜、気付かなくて……」
遥はそう優しく声をかけるとできる限り音が聞こえないように茜の耳元を覆うように抱きしめる。 そして頭を二三度、ポンポンと撫でるように叩いた。
 理由はしらないが茜は荒々しい物音等、危険だと判断できるそういうものが苦手なのだ。 小さい頃からそれを知っていたのに何故今忘れていたのかと、遥は申し訳なくなった。
 しばらくして茜の震えが落ち着いてくると、遥は視線をリビングの外に戻す。 音はまだ止まない。 だが強行突入を決めたのなら破られるのは時間の問題だろう。 そう思うと、遥は胸騒ぎがしてならなかった。
「明さん、大丈夫でしょうか……」
遥は小声でそう問う。
「わかんない……っ」
茜はそれに涙声で返す。 するとリビングの扉が勢いよく開いた、明だ。 遥は思わず扉をあけそうになったが、明が首を横に振ったのを見て思いとどまった。
 明は肩で息をしながらリビングに飾ってあったオルゴールを手にした。 遥は何をする気かわからない。 だがそのネジを巻き終え音を紡ぎ出すと、声は聞こえないが明が言葉を紡いでいるのが判った。
「(これは詩か……?まさか……魔法!?)」
母だけでなく彼女まで魔力所持者だとは、遥はそう驚いた。 規定年齢を過ぎているから無事だったのだろう。 どれだけの魔力所持者がこの国に流れつき、どれだけの子供達が囚われたのか……。 それを考えると何故か遥は悲しみではなく、申し訳ない気持ちを覚え心苦しかった。
 明が詩を紡いでいる中、何かが倒れる音が響く。 どうやら玄関を突破されたようだ。 ドカドカと複数の足音がリビングに近付いてきている。 その音に恐怖を感じて、 再び身体を強張らせた茜を遥は庇うように抱きしめる手に力を込める。 そして遂にリビングの外に捜査隊の者達が見え、絶体絶命に陥った。
 しかしリビングの扉を破られる前に二人の足元が青白く光り出す。 その光に驚き二人は足元に目を向けると、先程はなかった魔方陣が浮かび上がっている。 明は詠唱を間一髪で終えたのだ。
 だが明が呟いた魔法の名を聞いて、遥は目を見開いた。 その歌のタイトルは移送に纏わるもの、つまりこれは移送魔法なのだろう。 遥と麗羅を逃がす手助けをした魔法使いが無事で済むとは思えない。
「明さん!!」
茜も気付いたのか一緒に名前を呼ぶ。 だが声が届いても明はぎこちない微笑みを向けるだけだ。 扉を開けようにも魔方陣が光の壁と化して動けない。 そうしている間にも捜査隊はリビングにも上がりこみ、明は床に押さえつけられてしまった。
「明さん!明さん……!!」
遥は何度もその光の壁を叩くがビクともしない。 遂には幾つもの光の線が走り、光は強さを増す。 二人はもう目を開けている事さえできなかった。
 捜査隊の者が物置の扉を開けた時には二人の姿は消えていた。

...2008.10.21/修正02