部屋の主に反応して扉が開いた。
同時に辺りに音が反響する。
部屋へ一歩踏み込んだ主は、今まで我慢してきたものを解放し不愉快そうに、また不機嫌そうにしていた。
しかし同時にそれは酷く辛そうにも見えた。
「どうしたの?イヴル」
その部屋にいた少女が部屋の主―イヴルに心配そうに声をかけた。
声に反応してイヴルは少女を見る。
少女の年頃はイヴルと同じくらいだろうか、髪は桃色、瞳もまた少し濃い桃色。
その色はとてもやわらかく優しい色だ。
イヴルはその少女を見て気が抜けたのか、その場に膝をついた。
「イヴル!」
少女はそれに驚き駆け寄ると、膝をついた彼を覗き込む。
「リーナ……っ」
イヴルは目の前にいる少女―リーナを強く抱きしめた。
彼女の肩に自分の顔を埋め、顔は見せないように。
突然の事にリーナは慌てふためくが、
しばらくして肩が湿っぽくなるのを感じて、そっとイヴルの背中を撫でた。
彼は涙を流していた。
「泣いていいんだよ……だけど、その後は笑顔を見せてね?」
リーナは少しポンポンと叩き目を瞑った。
イヴルは彼女の優しさに甘えていたが、しばらくして力無く頷いた。
森の奥にある村、アゼルの宿屋にアミルトとその兄アレン、そしてシェールが居た。
シェールは落ち着きを取り戻したものの顔には涙の痕がはっきり残っていた。
「つまり貴方達の父親が魔士として覚醒、里帰りしていたアレンデは巻き込まれて……って事かしら?」
「そうです」
アミルトはシェールのまとめた答えに力無く頷いた。
シェールはしっかりとした口調で話してはいたが、声はまだ少し震えていたからだ。
「そして魔士の出現に天士も現れ、その場はとりあえず収まったという所に貴方が現れた」
「そうだ」
アレンの返事にシェールは溜息をつき頭を抱えた。
「魔士だの天士だの……本当にいたのね、空想だと思っていたわ」
「あぁ、案外歴史的に初代なのかもしれないな」
アレンはそう返事をするとテーブルに置かれたカップに口を付けた。
「……そうね、それなら文献にないのも合点がいくわ」
シェールはそう苦笑いをした。
しかしアミルトだけは二人の言葉に思いつめたような表情を浮かべていた。
「(僕は……自分がその天士である事を知ってた……)」
アレンがそれをシェールに隠した事がアミルトは更に心苦しかった。
アレンが天士の力とアミルトの妙な力が同じである事を知らないだけなのかもしれないが……。
彼はその力を生まれた時から持っていた。
両親はその力の所為で彼が奇異の目に晒されないようにと村から出そうとしなかった。
そしてどこに出かける時も、必ず兄や姉が一緒に行動し見守っていた。
それは全て優しさ故だった。
しかしそれはアミルトにとってとても窮屈な事でしかなかった。
村が自分の全てで終わる、この事に不満があったわけではない。
だけど世間知らずで、外を知らずに一生を終えるにはあまりにも退屈だった。
兄や姉が外の世界にでて行ってしまってからはその想いは更に強くなっていた。
この力の所為で自由を奪われている、そう感じて辛かった。
アミルトは目を閉じると遠い記憶を思い返した。
その記憶の世界は真っ暗で何もなく、ただ自分だけが見える。
『アミルト……』
聞き覚えのある声が彼を呼んだ。
「(お母さん……?)」
振り向いた先にいた女性は母親だった。
しかし笑みはなく悲しみに押しつぶされ、今にも涙が零れそうな表情をしていた。
『アミルト……』
母親は再び彼の名前を呼んだ。
それに彼は答えるが、返事はない。
だけど彼女が彼の名前を呼ぶ度変化があった。
一度目は髪の色が美しい金の髪に変わった。
二度目は瞳の色が深い緑色に変わった。
そして三度目にはとうとう母親ではない別の女性に変わっていた。
「……誰?」
『アミルト……私は、ウィンド……昔、女神と呼ばれた女』
アミルトは目を疑った。
女神ウィンド、それは創造主を言われる裏切った女神の名前だからだ。
「女神ウィンド……ってあの?」
アミルトはおずおずと聞いた。
『そう、私はウィンド、神を捨てた命……』
ウィンドは彼の様子を気にせず答える。
アミルトはわけがわからないという風に困った顔をした。
これは夢かとも思った。
しかしこのやり取りは小さい頃からずっと続いていた。
何度出会っても同じやり取りを繰り返し繰り返し……。
その奇妙なやり取りが夢とは思えなくなっていた。
『貴方は天士……私の創った力を持つ者』
彼女は彼を指差しそう断言する。
「待ってよ!貴女は裏切り者だろ!?じゃあ僕この力は創造主様へを冒涜じゃないか!」
アミルトはそう叫ぶ。
彼女の創った力、それが天士なら当然創造主への反逆だ。
そして外を知らない彼にはいずれ魔士と呼ばれる敵が現れる。
だけど彼は正義ではない、悪だ。
創造主を裏切った、そんな女神の力を持った悪だ。
『貴方は天士……下界を救う為に生まれた者』
しかし彼の切なる叫びはウィンドには届かない、そして一文言い終えるたび一歩、また一歩と彼へ歩み寄る。
「下界を救う……?何でだよ!僕が悪じゃないか!!」
アミルトは気がおかしくなったかのように髪を振り乱し、反論した。
『貴方は天士……上界を解放する為に生まれた者』
「来るな……!来るなあぁぁぁ!!」
一歩一歩確実に近付いてくるウィンドが恐ろしくて、アミルトは後退る。
だけどそれは見えない壁に阻まれ、遂に触れられる距離という程距離を縮められてしまった。
アミルト身体を強張らせて、彼女の目を見るしかない。
『貴方は天士……あの方を壊す為に生まれた者』
ウィンドは彼の頬を撫でながら呟くと、その瞳からは涙が零れる。
それを聞いたアミルトも『あの方』の見当が付いてか狂わんばかりに涙を流した。
『貴方は天士……貴方は希望……』
しかしウィンドは涙を流しながら続けるのだ。
彼が目を覚ますまで、何十何百と……。
特に最近では酷い時には毎日これを見続けていた。
彼女はきっと父の事を見抜いていたからだろう。
しかしそれは逆効果で、心が疲れきり村どころか外へすら出れない日が続いていた。
それが原因で満足に眠る事ができなくなっていたのだ。
「アミルト!」
アミルトはアレンの声を聞いてハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい……」
彼は兄に謝罪すると、目尻に涙が溜まっているのが判り急いで拭う。
またあの夢を見ていたようだ。
その所為で嫌な汗をかいていて、アミルトは次に額の汗を拭った。
眠気はなかった、ただ思い返していただけだ。
だけどアミルトはまた、あの夢を見させられていたようだった。
「貴方、居眠りだなんていい度胸しているじゃない?」
シェールは怒りの滲む笑顔で言った。
「ち、違うんです!これは、その……」
アミルトは慌てふためくが、彼女の表情にとても言い返せなかった。
「アミルトは考え事をすると周りが目に入らなくなるんだ」
そんなアミルトの様子を察してか、アレンが助け舟を出す。
するとシェールは「あらそうなの」と割とあっさりとした口調で言った。
「そ、そうなんです……どうにも止められなくて……」
アミルトは後ろ頭を軽くかきながら話を合わせ、シェールの様子を伺った。
「……ま、そのような事はどうでもいいわ」
「いいのかよ」
呆気に取られるアミルトに代わってアレンは思わずツッコミを入れた。
シェールはそれに目をぱちくりとさせると、しばらくして笑い出した。
「貴方のツッコミ、まるでアレンデみたいだわ」
そう言ってクスクスと笑いつづけるシェールをよそに、アレンは複雑そうに口元を隠した。
「……できればもう一度、あの子に会いたかったな」
しかしすぐそれは悲しみに変わり、シェールは思いつめた表情を浮かべると俯いた。
アレンは手にグッと力を込め、言葉を飲み込む。
二人共これ以上話はできなそうだった。
「あの……今日はもう遅いし、この辺りでお開きにしませんか……?」
二人の様子を察してアミルトは遠慮がちにそう提案した。
「シェールさんも、疲れてるでしょ?」
そう付け加えると、シェールは「……そうね、そうするわ」と席を立った。
シェールは一度顔を背けて軽く鼻をすすると、自分の私物を持ってその場を後にした。
アミルトは「また明日……」と後姿を見送った。
そして一息付くと、自分の私物を持ち立ち上がった。
「兄さん、僕達も……」
そう声をかけようとして口を噤む。
先程からアレンの様子がおかしいのは気付いていたが、明らかに顔色が悪かった。
「兄さん、どうしたの?」
「……何がだ」
アレンは素気なく答えた。
その様子にアミルトは「何がって……」と首を傾げる。
「いや、シェールさんが姉さんの事口にしてから……なんか変……」
「そんな事はないっ!」
アレンはアミルトの言葉を遮るように怒鳴った。
その様子にアミルトは思わず戸惑ってしまう。
兄の怒鳴り声など聞いた事がなかったからだ。
父の事で温厚だった兄も気が動転しているとしか思えなかった。
「……すまない、大声を出してっ」
アレンは弟に当っている自分に驚いてそう謝罪する。
「今日はもう休もう……」
そう続けると私物を全て持ち先にその場を後にした。
「あ、うん……兄さん」
アミルトは少し遅れてアレンの後を追った。
しかし丁度シェールの部屋の前を通った時、中からすすり泣くような声が聞こえて思わず立ち止まる。
「(シェールさん……)」
自分達家族に出会わなければ、彼女は悲しまずに済んだ。
そう思うとアミルトは申し訳ない気持ちで一杯だった。
だけど立ち止まってしまった理由はそれだけではない。
実感の湧かないアミルトは事件当時こそ涙を流したものの、今はもう涙がでない。
そんな薄情な自分が悔しかったのだ。
部屋ではアレンが剣の手入れをしていた。
自分もするべきだろうかとアミルトは思ったが、まだ一度も抜いた事のない剣だ。
それを抜く事を何となく躊躇し、黙ってアレンの様子を見ていた。
「明日は早めにでよう、早く"アイル"に追いつかなくては……」
剣の手入れを終えたアレンは剣を鞘に戻すと、そうアミルトに告げた。
その言葉の中で彼は父と決別している。
もう家族ではないと、そう割り切っている兄にアミルトは戸惑った。
「父さん……」
突然の事をありのまま受け入れきれなかったアミルトは抵抗を露にした。
しかしアレンはその甘い考えが許せずアミルトを睨む。
アミルトは身体を強張らせた。
「父さんだって?笑わせるな!」
アレンは怒鳴った。
「あいつは、母さんと……アレンデを殺したんだ!」
感情的なアレンの言葉に、アミルトは「ごめんなさい……」と俯いた。
兄の言う事が最もだと言う事は判っている。
だけど母も姉も、そして父も家族だった。
アミルトにはそう簡単に割り切れる問題ではなかった。
アレンはアミルトの様子を見て我に返ると、「……すまないっ」と謝罪した。
だけどその重い空気に耐え切れずアレンはドアへ向かっていった。
「兄さん……どこいくの?」
慌ててアミルトはそうアレンを引き止める。
「少し夜風に当ってくる……今日の私はどうも怒りっぽい」
アレンはそう申し訳なさそうに微笑むと部屋を後にした。
「……どうして僕、天士なんかに生まれたんだろう」
アミルトは先日まであった幸せを思って顔を埋める。
神を冒涜した力、これの所為で……きっとこれは罰なんだと、自分を責めるしかなかった。
宿屋の屋上まで来たアレンは思った以上の気温の低さに自分を抱きしめる。
そう広くはない屋上だが一人佇むには丁度良い。
少し遠くに視野をのばせば空を隅々まで見渡せる、とても綺麗な景色だった。
「駄目だ……上手くいかないよ……」
アレンは星を見上げて、どこか悲しげな表情で口を開いた。
「"アレン"みたいに、優しくはなれない……っ」
そう呟くと、アレンは大粒の涙をポタポタと流してその場に蹲った。
...2009.05.11/修正01