校庭に佇んでいた女子生徒が誰だかまでは見えなかった。
だけどあの女子生徒は間違いなく星垣さんだと私は思った。
一先ず教室に戻されると、先生は生徒達を落ち着かせる為に状況を説明していた。
今日はもう授業はやらないだろう、むしろ明日学校があるかも怪しかった。
私は校庭に少し視線をそらすと、刑事達が赤くなっている校庭の一部を取り囲んでいる。
そして慌しく動きまわる刑事達の中に自分の見覚えのある姿も見えた。
もしかしたら母かもしれない。
平和だと言っていた母が娘の高校で殺人事件があったなど、どう思うのだろう。
自分は何もしていないけど、その何もしない事に申し訳ない気持ちになった。
結局事件直後に下駄箱に居た者以外全員下校させられる事になった。
非常ベルに気を取られ、外を見ていなかったらしい。
それは同時に下駄箱に居た者以外の目撃証言は期待できないという事だった。
事情聴取の為にあの時下駄箱に居た人が学校の一室に集められた。
全員恐ろしい事が近くで起きた事に動揺を隠せずにいたが、
校庭から遠い部屋をあてがわれた事が唯一の救いだった。
しばらくすると刑事数名が教頭先生に連れられてこの部屋へやってきた。
そこには自分の見覚えのあった人がいた。
あれは本当に母だったようだ。
「るん……!」
母は複雑な顔をしながらもキリッとしていた表情をしていたが、私の姿を見初めると途端一人娘の母親になった。
娘が事件に巻き込まれる事を望む親などいないだろう。
複雑な表情をしていたのは私の通う学校だったからに違いなかった。
「お母さん……っ」
母の姿を見初めて私は思わず涙目になりそう小さく呟いた。
「その子が、最初にあの現場を目撃したようです……」
教頭先生は汗をハンカチで拭いながらそう申し訳無さそうにそう言った。
母はあの痛ましい現場を最初に見たのが私だという事実に身体が震えていた。
だけど母の想いとは裏腹に、私はもう三回も殺人現場を見ていて、
その所為か佐々川君の無残な遺体を見た時程の動揺はなかった。
それが更に母へ申し訳なさを感じさせた。
「いえ、彼女のすぐ傍に居た僕も最初の目撃者になると思います……」
「あ、朝霧君……っ」
彼は痛ましいというような表情を顔に貼り付け母に告げると、
教頭先生は余計な事を言わないでくれというように額を抑えた。
「朝霧……もしかして、律君?」
母は教頭先生には目もくれずそう彼に聞くと、
彼は「はい、朝霧 律と言います」と返した。
「僕の事、ご存知なんですか?」
彼は逆に質問をすると、教頭先生は更に頭を悩ませていた。
神童と呼ばれる彼がこの事件をきっかけに転校するのを恐れているのかもしれない。
だけどそれとはまた違う理由があるように思えた。
「ええ、この地域で神童と呼ばれてる貴方を知らない方が珍しいわ」
「そ、そうですか?」
彼はそう照れたように苦笑したが、少し残念そうにしているようにも見える。
だけどその事には触れず、「それより……あの時の話なのですが……」と話を切り替える。
母は表情を引き締めると「何かしら?」と聞いた。
「坂滝さんはとても動揺しているので、あの時の事は僕が代わりにお話したいのですが……」
彼はそう告げると刑事さん達の表情を伺っていた。
私を第一発見者に仕立てておきながら、
彼はあくまで私に事件の話をさせない気なのだろう。
「そう、ね……朝霧君は比較的落ち着いているようだし……」
母はそう言うと他の刑事さん達に目配せし、
それに気付いて小さく頷いていた。
瞬間彼が怪しく微笑んだ事など私以外誰も気付かなかった。
他の生徒達は少し話を聞かれるとすぐ帰され、この場には私と彼だけが残されていた。
本当なら私も帰される筈だったのだが、母が残るように言ったのだ。
恐らく家に一人にするのが心配だったのだろうと思う。
「じゃあ朝霧君、普段と違う事とかなかったかしら?」
母は彼の目を真っ直ぐ見てそう質問をした。
「違う事……あ、昼休みが終わってすぐ非常ベルが鳴り響いて、みんな突然の事に驚いて机の下へ隠れていました」
彼は少し唸る素振りを見せながら、的確にあの時の状況を説明した。
母はそれを書き止めながら、次の質問を考えている。
私は二人の様子を見ながらひたすら緊張していた。
彼が何をする気なのか、母に何を吹き込む気なのか、得体の知れない恐怖に怯えていた。
だけど私の様子に母は"怖い物を見てしまった可哀想な娘"としか思わないだろう。
この状況すら彼が仕組んだものとしか思えなかった。
「二人共どうしてみんなと一緒に机の下に隠れず、下駄箱に移動したの?」
母はそう彼を見据えて聞いた。
「坂滝さんの気分が優れないようだったので、保健室に付き添うつもりだったのですが、
その直後に非常ベルが鳴り、廊下が混雑しないうちに外に出るべきかと思いまして……」
彼は少し視線を外すと今度は申し訳なさそうに答え、私を向いた。
それはきっと相槌をうてという事なのだろう、私は小さく頷いた。
「そう、この子に優しくしてくれてありがとう」
母は思わずお礼を言ってしまうと、他の刑事さん達の手前少し恥かしそうにした。
「いえ、坂滝さんにはいつもお世話になっているので……」
彼は事情聴取中という事を気にも止めず軽く微笑むと、母は苦笑して返した。
「えー……、当時下駄箱は混雑していたらしいのだけど……」
「みんな混乱していて騒がしかったので、外に出た方が落ち着けるかと思って……」
母の問いを遮って彼はそう答えると、申し訳無さそうな表情を浮かべ項垂れた。
母は疑問に思い「どうしたの朝霧君?」と聞くと、彼は震える両手で額を抑えた。
「今思えば、その場で待っていれば良かった……っそうすれば坂滝さんにあんな現場を見せずに済んだのに……っ」
彼は身体を震わせ、後悔しているような口ぶりでそう言った。
そこに一滴の涙を添える。
その涙を見た母は疑う事なく騙され「君の所為じゃないわよ」と慰めの言葉をかけた。
私も思わず涙を流した。
だけどこれは彼の涙とは違う。
彼を恐ろしく思っての涙だ。
学校で事件を起こし、彼は自分の首を絞めているのかと思った。
だけど実際は違う、こうして刑事さん達を味方につける事が彼の目的だったようにしか見えない。
刑事さん達が彼を捕まえてくれなければ、事件の根本は解決しないのに、まるで希望を摘まれる思いがした。
事情聴取を終えた時、時刻は午後六時を回っていた。
聴取中電話を許可して貰ってアルバイト先に連絡を入れると、
「しばらく休みなさい」と店長に言われてしまった。
気にかけてくれたのは解っているが、私にとっては今頃でしかない。
そして人の厚意にこんな事を感じる自分に腹が立ってならなかった。
「生活費、大丈夫?」
通学路を歩きながら彼は言った。
本当は刑事さんが家まで送ってくれようとしたのだが、
私達、正確には彼が「少しでも気分を落ち着かせたいので……」と断った。
実際は私が余計な事を口走らないようにする為だろう。
彼といる時間が長くなるのが、私は恐ろしくてならなかった。
「私のバイト代には、お母さん手をつけてないみたいだから……」
私は大丈夫だと思うという意味を込めて答えた。
だけど本当は違う、生きていくのに支障はなくても、余計な事を考えてしまう時間が増えてしまう。
家で一人でいる時間が増える事実が怖くてたまらなかった。
彼は少し間を置くと「そう」と答えた。
その表情は少し安堵しているように見えたが、私は何も返さなかった。
「そういえば、のるはお母さんに"るん"って呼ばれてるんだね」
そしてそう私に言うと少し笑って見せた。
私はその顔を複雑そうに眺めて頷いた。
「むしろ律君くらいだよ、私の事"のる"って呼ぶの……」
そう答えると、彼は「そうなんだ」と答え、クスクスと笑った。
私は何がそんなに可笑しいのかわからなかったが、とりあえず彼の顔を覗きこんだ。
「いや……ルンルンしてるって事なのかなーって思って」
彼は思っていた事を口に出すと、視線を空に向けた。
「……こんな事になる前は、本当、いつもルンルンと楽しそうにしてたよね」
私は彼が何を言いたいのか理解できなかった。
こんな事になったのは全部彼の所為なのに。
保身の為に警察に駆け込めない私も同罪だけれど……。
「まあ、その引き金をひいた僕が言う事じゃないけど」
彼はそう呟くと半歩先を歩き出した。
「律君……?」
その言葉の意味を知りたくて私は聞き返したが彼は何も答えない。
その間にも距離はドンドン離れて行ってしまう、
だから私も少し歩みを速めたが、半歩の差が埋る事はなかった。
アパートに着くと彼は立ち止まった。
私は不思議に思ったが、何も聞かず「それじゃ……」と踵を返す、
すると彼は私の手を取り「……待って」と小さく呟いた。
「……何?」
私は振り返ると彼の顔を見る事はなく聞いた。
「話が、あるんだ……」
彼は小さく振り絞るような声で言う、それに私は首を傾げた。
事情聴取の時怪しく微笑んだ彼、その同一人物は目の前にはいるとは思えなかった。
「ここは少し冷えるし……中で聞くよ」
私は彼に手を掴まれたまま、部屋の鍵を開けた。
部屋の中に入ると彼に椅子を進めて私は台所に立った。
まだ十月だと言うのに今日の寒さは異常だと思う。
だから私はお湯を沸かし、ココアの袋を手に取った。
「律君、ココア嫌いじゃなかったよね?」
「うん、でも、お構いなく……」
彼はそう答えると寂しく微笑んだ。
私はそれを気に止めないようにして、ココアの粉を二杯三杯とカップに入れお湯を注ぎスプーンでかき回す。
茶色く濁ったお湯がココアらしい色になると私は手を止め、カップをテーブルに運んだ。
「はい……」
私がココアのカップを手渡すと彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取った。
そして私が席につきとココアを一口飲むと、それを合図に彼もカップに口を付けた。
カップの温かさにピリピリとしたような感覚が手を襲う。
だけど身体が少し温まってくるのを感じて「フゥ……」と一息ついた。
「それで……話って何?」
私は少し伏せ目がちに彼に聞いた。
彼も私の様子を見て顔を伏せると、カップを置いた。
「七瀬に、昨日の事聞いたでしょ……?」
私はドキッとしてカップを落としそうになった。
このまま手に持っていると身震いしているのがバレてしまいそうでカップを置く。
「怯えないで……そんなつもりで聞いてるんじゃないんだ」
彼は辛そうにそう言うとココアに映る自分の姿を見つめた。
「僕が昨日何してたか……どこまで聞いた?」
教室での無言の圧力は感じなかった。
ただ単純に私が彼にどれだけ近付いたのか、それを聞いているように思う。
だけどそれを全部話していいのかわからない。
頭の悪い私には駆け引きなんかできもしないのだから。
「四月に比べて……色々不安定とか、結果がどうとか、聞いたけど……」
私はとりあえず朝聞いた話を断片的に彼に告げた。
「検査の事は、聞いたんだ……」
彼はそう呟くとカップを揺らし、ココアに映った自分の姿を歪めた。
「検査?」
私が疑問に思った事をすぐ口に出すと、彼は右手で右側の髪をかきあげると額を見せた。
「これだよ」
その額には古い傷があった。
だけど私はその傷の存在も、右に髪が偏ってるのがそれを隠す為なのも知っていた。
そして物心付く前に怪我をして縫ったらしいという事も……。
だからよく意味が解らず首を傾げた。
「その怪我の痕が……どうかしたの?」
私はそう聞き返すと彼は髪を元に戻した。
彼は少し複雑そうな顔をすると「いや……」と小さく呟いた。
「打ち所が悪かったんじゃないかって毎年二回検査してるんだよ……それだけ」
そう微笑むとココアを飲み干して立ち上がった。
「怖い目に合わせてごめん……帰るよ」
彼は本当に申し訳無さそうな顔をすると、そのまま踵を返した。
その言葉を聞いて驚いた私は目を見開いた。
いつもそうだ、邪悪に笑っていたかと思えば、
何かをきっかけにすぐ優しくしてくる、悲しげに謝ってくる。
気が付いたら、私は彼の手を取っていた。
「何でそんな事言うの!?酷い事がしたいなら酷い事だけしててよ!」
そして自分でも驚く程声を張り上げて、彼を攻め立てた。
彼は自分を見失ってひたすら怒りを露にする私に驚き「のる……?」と私の肩を掴み顔を覗きこんだ。
「謝られたって、どうしたらいいかわからないよ!許す事も憎む事もできない……っ」
私は彼の胸を何度も叩き、バランスを崩した彼はその場に転倒した。
肩を掴まれてた私も彼の上に倒れこむ、そしてその場でボロボロと涙を零した。
彼は何とか上半身を起こして、戸惑いながら私を見つめていた。
彼を責めた事がなかったわけではない、だけど今日ほど彼に対して怒りを露にしたのは初めてだった。
「どうして優しくするのっ何で嫌わせてくれないの……っ?」
ここまでされておいて嫌えない自分への苛立ちを彼にぶつけた。
どうして私はこんな事をする人が好きなのだろう。
どうして彼はこんな事をする人に成り下がったのだろう。
その理由は誰も教えてくれないのに、私は彼にこの気持ちを叩きつけた。
だけど彼は私の問いには答えず、今度は彼が私を組み敷いた。
私は驚いて涙目の情けない顔のまま彼を見ると、彼の目は冷たく私を見下ろしていた。
「何で気付いてくれないんだよ……僕はこんなに苦しんでいるのに……」
先程とは人が代わったように彼はそう呟くように言った。
普段より低く放たれた声に自分の身体がガタガタと震える。
彼の冷たい手が自分の頬にそえられると、その冷たさにまた身震いがした。
ナイフを首に押し当てられたあの時と同じような感覚に襲われる。
「僕だって知らない、知ってるけどっわからないっ」
彼は虚ろな目でそう小さく呟くと、私の目元に溜まった涙を舐め取った。
その感触に驚いて身体がまた震え、怯えた表情で彼を見つめる。
それが辛いのか彼は事情聴取の時とは違う涙を流す。
「イヤだ、イヤだ……っ」
彼は首を横に振って身体をガタガタと震わせた。
私は何がイヤなのか解らず彼にかける言葉がなかった。
ただ彼の中に、何か問題があって自分で制御できなくなっている、そんな風に感じた。
「のるが、のるだけが、僕を繋ぎ止めてるんだ……っ」
彼はそう言い放つと、深く口付けた。
組み敷かれてる状態の私はどうあっても抗う事はできない。
そして何故か抵抗しようとも思えないでいた。
彼が何かに抗おうとしているように見えて、彼を放っておく事ができなかった。
何より放っておいたらもう彼は彼でなくなるような、そんな嫌な予感がした。
服越しに床の冷たさを感じながら、彼が落ち着くまでずっと彼の頭を撫でていた。
泣き疲れて眠る彼の顔を見つめながら、被害に遭った人達に罪悪感を感じる。
だけど何度同じ事を繰り返しても結局私は、同じ所に戻ってきてしまうのだ。
彼はたまに苦しげな表情を浮かべていた。
眠っていても目覚めていても、彼が安らぐ時間はないように思う。
それを受け入れなければならない、それだけの罪を犯していると解っているのに私は、
彼を苦しめる原因を、彼を狂気に走らせた原因を、理由を求めずにはいられなかった。
何度この事を考えても私が答えに辿り付く事なんてないのに……。
しばらく考え事をしていると、以前夜観之君に言われた言葉を思い出した。
『今のお前じゃ、あいつに同情し兼ねない』
そう言って夜観之君は頑なに彼の犯行動機を口にする事を拒んでいた。
それは同時に、同情に値する理由だからなのではないか?
私はそう考えながら、首を横に振った。
同情に値する理由があろうと、犯罪は犯罪なのだから……。
...2009.01.01