記憶の花:15.ダイヤモンドリリー

 あれから二年が経ち、僕は元の生活に戻っていた。この夏も、儚に出会う以前の夏に戻っただけだ。
「夜長、明日は休みでいいのか?」
 店長に声を掛けられ僕は「はい」と返事をした。
 僕は決まって儚の命日は休みを入れてもらっていた。理由は彼女のお墓参りに行くからだけではない。
 彼女の望み通りありのままを話した。あの女学生二人は恐喝などの罪は負ったが、彼女の死に対する罪はほとんどなかった。儚の両親に僕を恨むなという方に無理がある。
 駅近辺にも花屋はあるが、この辺りは駅から遠い。せめてこの日だけはイベリスを心置きなく利用してもらう為に僕が休む。そう決めていた。
「何でそんなに気にしてっかな……」
 店長は頭をかきながら言う。
 単純な話だ。遭遇する度気まずい空気が流れ、顔も見たくないのだろうなと思ったからに決まっている。
「気を遣わせたくないんです」
 僕がそう聞くと、店長は軽く溜め息を付いた。
「じゃあこの話は終りで」
 僕は話を切るとそのまま仕事に戻った。
 だけどこの時期の休憩時間は決まって儚の事を思い出す。考えないようにしていても、勉強していても、色々な花言葉が脳裏をよぎる。特に八月三十一日はダメだった。
「『ネリネ』……別名『ダイヤモンドリリー』」
 丁度二年前、僕はずっと隠してきたポストカードの花について儚に教えた。もう彼女は自殺しようなどとは考えない、だから隠していた理由と一緒に告げた。
 それを聞いて儚は唇を尖らし、だけど妙に納得した表情を浮かべていた。
 だけど僕があの花を教える事にした本当の理由は花言葉で、彼女は高校が始まり、そしてしばらくしたら僕は大学が始まる。落ち着いて会えるとすれば冬休み、それと白いアザリアの花言葉を知っても儚にまた会える事を願って、ダイヤモンドリリーの花言葉『また会う日まで』を伝えたのだ。想いは伝わっても、別の何かがダメだったけれど……。

 店長の情報では儚の両親が店に訪れるのはいつも午後二時頃だという。
 だから僕は午前中のできるだけ早い時間に彼女のお墓を訪れた。
 自分は他人で勝手をするのも悪いと、軽く掃除して、花を備え、線香をたいてお祈りする。色々な気持ちが交錯してお祈りがいつも長くなる。
「またやっちゃった、いつも長くてごめん」
 僕は苦笑し、持ってきたポストカードを取り出した。儚にあげたものとは違う、ダイヤモンドリリーのポストカードだ。
「店長がまた新しいのを作ったんだ、綺麗な写真だったから見せようと思って」
 そうしていつも僕は他愛ない話をする。楽しかった事、嬉しかった事、他にも色々。たまに辛かった事や、悲しかった事もこうして語りに来てしまうが、儚を亡くした時に比べたらたいした事はないと思い知らされる。
 気付くといつも午後を回る。普段なら気にしないが今日は彼女の命日だ。もう少しすれば儚の両親が来るだろう。
「長居しすぎた……また来るね」
 そう最後に微笑みながら声を掛け、お墓を後にした。少し進んだ先で伏せていた顔をあげた時、身体が強張った。
 目の前には儚の両親が立っていた。店で遭遇した時のように気まずい空気が流れ、僕はますますどうしていいかわからなくなる。
「(何をやってるんだ、僕……)」
 できるだけ早く帰ろうと思っていたのに、こうして遭遇してしまった。
「あ、あの……」
 僕はせめて挨拶をと声を出す。だけど声が詰まってでてこない。僕のした事は、儚の事しか考えてなくて、残された両親の気持ちを踏みにじった。そう自覚しているから声がでなかった。
「……いつもありがとう、良かった、今日は御礼が言えて」
 二人はそう言って微笑むと、僕の横を通り過ぎて行った。
 僕は戸惑いながら振り返ると、二人も視線に気付いてこちらを見た。今度こそ咎められるかと思ったけれどそうではなく、お辞儀だけして儚の眠る場所へ行ってしまった。
 儚みたいな微笑みを向けられて、僕はすごく申し訳ない気持ちになり、その後姿にお辞儀をした。
 本当は僕自身が誰かに責められる事を望んでいて、儚の両親に恨まれていると思い込む事で、何かを背負って生きている気になっていたのだ。
 だけど今日からは違う。今日からは儚の望んだ通りにして良かったと、そう胸に刻んで生きていく。

[終]...2011.12.31