「君ってやつは……無茶をするね」
シェトは腕を組み飽きれたように溜息を付いてそう後ろを歩く相手に言った。
後ろに付いて歩くのはルゥだ。
病院での治療を終えシェトに付き添われてでてきたところだった。
左足に手当てを受け、それを庇う為に左手に松葉杖を持っている。
ルゥはシェトの言葉に「ははは……」と恥かしそうに苦笑すると頬をカリカリと掻いた。
「笑い事じゃないよまったく、彼女酷く動揺していたよ」
ルゥはそれを聞くと少し止まった。
由良は死ぬ覚悟を決めていた。
ルゥをこれ以上苦しめないため、彼が望むまま消えてしまおうとした。
しかしルゥは由良を迎えに来て、挙句怪我まで負ってしまった。
どうようするなという方が無理な話だろう。
ルゥは少し目を伏せた。
「金の髪の人が、引き金を引いたのが見えたんです」
瞬間シェトは身を強張らせた。
「そしたら、身体が勝手に動いていたんです、すごく痛かったですけど」
ルゥはそこまで言うとシェトに向かって苦笑いを浮かべた。
しかしこの間までの不安定で壊れてしまいそうな弱々しさはない。
何か吹っ切れたような、良い表情をしているようにシェトは感じた。
「まあ、君がいいならいいんじゃないかな」
「……ありがとうございます!」
ルゥは満面の笑みで感謝の言葉を口にした。
いつも辛そうな顔をしていて、シェトがからかえば嫌そうな顔をするルゥが今笑顔を向けている。
その事実に思わずシェトは赤面すると顔を逸らした。
「お礼なんていいから……さっさと彼女を迎えにいってきなって!」
照れ隠しにそう答えると、ルゥは「あ」と小さく声をあげ、「そうですね、行ってきます!」と
踵を返し、走れないなりに急ぎ足でその場を後にした。
シェトはその後ろ姿が見えなくなると処刑場で起きた出来事を思い返した。
引き金を引く事を躊躇した処刑人から銃を奪い取った金髪の男性。
見た目だけなら人間とかわりない彼のあの行動が、
"自分達"の事をいつも一番に考えてくれていると、
そう思っていたシェトにとって大きな出来事だった。
「あの人は、どうしてあんな事を……」
シェトはそう呟くと空を見上げ目を細めた。
ルゥは今まで自宅までの道のりが苦手だった。
だが今日は由良と共に歩いているからか、彼の顔色はとても良好だ。
「ルゥ、足痛くない……?」
由良は心配そうにルゥに聞いた。
ルゥは笑顔で「大丈夫だよ」と答えると、また前を向いて歩き出した。
それを聞いて安心した由良は彼の後を歩きながらキョロキョロと辺りを見回し、
初めて見るものではない町並みを不思議に感じた。
ルゥもここに来た当時は不思議そうに見回した。
目線の高さに多少違いはあっても、ここはとても見慣れた風景が広がっていた。
違うのは人間のようで動物のような中途半端な生き物が人間をペットのように連れて歩いている事実だけだ。
「ここって、一緒に住んでいた時のあの街並みと同じだね……なんか不思議」
由良はそう笑顔で言う。
その言葉を聞いたルゥは由良を振り返った。
「そうだね、オレも初めてここを歩いた時は不思議だったよ」
由良の問いに笑顔で返したが、ルゥがここに来た時の気持ちは彼女とは違い最悪だった。
しかしそれを彼女に言うと申し訳無さそうに謝られるのがわかっていたから、
ルゥはそこには触れずまた歩き出した。
由良もまたその後ろをついて歩き出したが、
度々すれ違う者達が不思議そうに自分達を見ている事に気付いて足を止めた。
「何か……注目されてる……よね?」
由良は戸惑いながらルゥの服の裾を掴んで言った。
ルゥ自身はその理由に気付いていた。
ペットであるはずの人間に縄や鎖の拘束具を付けていない。
更に彼女は保健所の質素な服を着ているのだ。
注目を引くのも無理はなかった。
「そろそろ家、着くから……急ごう」
ルゥは俯くと由良の手を引き歩く速度を速めた。
「一緒に住んでいた時の家……!」
由良は家を見上げながら歓喜の声をあげた。
ルゥは由良の様子に笑顔を取り戻すと「懐かしい?」と苦笑し鍵を開けた。
一人で住むには不相応な二階建ての白い家。
そして広いリビングには白いグランドピアノが置いてあり、
それは彼女の使っていた物と瓜二つで、小さな傷も同じ個所に付いていた。
由良はそれを見かけるなりピアノに駆け寄った。
「ルゥのお家にもグランドピアノがあるのね!」
同じピアノを眺め楽しそうに由良は微笑んだ。
ルゥはその笑顔に赤面しながら「た、多分下界の事が反映してるんだよ」
と答えた。
「ほら、オレはずっとここに住んでたわけだし」
そうルゥ苦笑いを浮かべた。
「そうか……ルゥは新しい人に貰われた訳じゃ、なかったんだもんね……」
ルゥの返事とは裏腹に由良の表情は曇った。
ルゥは由良達家族が引越した二年前にもう殺されていたのだ。
親に引越す先では動物は飼えないと言われ、優しい人に預けよう、いつか戻ってくる時まで……、
そう言われていたのに……。
現実は由良を納得させる為に吐いた嘘で、両親は彼女の見ていない所でルゥを保健所に送っていた。
気付かなかったとはいえ、両親を信じきっていた自分も同罪だと彼女は心苦しくて仕方なかった。
そんな由良の様子に何を考えていたのか悟ったルゥは、話題を変えようとあれこれ考えた。
そしてピアノの鍵盤を目にして何かを閃いた。
「……なぁ!由良ってピアニストだったんだよな?」
場の空気に耐え切れず作り笑顔を浮かべたルゥは言った。
「う、うん」
由良はキョトンとしながら少し歯切れ悪く頷いた。
「だったらさ、ピアノもあるし、何か弾いてみてよ!」
ルゥは由良の手を引くとピアノの前に強引に座らせた。
由良は内心戸惑っていたが何かを思い浮かべながら恐る恐る鍵盤に手を置く。
そしてルゥが拾われて間もない頃に弾いた曲を奏でる。
ルゥは懐かしい音色に一瞬穏やかな気持ちになった。
だけどその曲は由良の親がいつも「弾いてはいけない」と言っていた曲だ。
その度由良が悲しそうな表情を浮かべながら演奏をやめるのを何度も見た。
そんな嫌な思い出のある曲を何故彼女は弾いているのだろう、ルゥにはわからなかった。
由良は最後まで演奏を終えるとゆっくりルゥを振り返る。
苦笑いを浮かべながらそれでも満足そうに微笑んでいる。
「この曲ね、癖が抜けなくなるから弾いちゃダメって言われてたんだ」
「癖?」
ルゥは首を傾げた。
由良はコクッと頷くと鍵盤に視線を戻し指でなぞる。
そして再びルゥを見た。
「鍵盤に配置する指の位置っていえばいいのかな……」
上手く説明できないけど……と語尾を濁して再びピアノを見た。
ルゥはプロだから色々ルールがあるのだろうと、その程度にしか考えられない。
だけどそのルールが由良には辛いものだったのかもしれない。
それだけは理解できた。
「でも、由良は自由だ、好きなように弾けばいいよ」
その言葉を聞いた由良はパチパチと瞬きしたあと、ニッコリと微笑んだ。
由良の反応にルゥは自分の言葉が間違ったものではないと胸を撫で下ろした半面、
ピアノを弾く事が楽しかったわけじゃないのかもしれないと少し戸惑った。
「(好きだけど楽しくない……そんな事あるのかな……?)」
ルゥは由良の背中を見つめながらそう思った。
元猫と人間、共に生活したことがあったというのにその関係はとても奇妙だった。
由良は共に暮らしていた頃より成長している。
そしてルゥは人間のような青年の姿を与えられていてあの時とは状況が違っていた。
それでも由良は気にせずにあの頃のようにルゥに接しているが、
視界という世界が変わっているルゥにとってこの変化は簡単に慣れるものではない。
外を二人で歩けば由良に綱をつけない事に変人扱いされる。
ルゥ自身も息苦しいが由良は本当辛いだろうと彼は思った。
しかし彼女にいつまでも牢獄に居た時の衣服を着せているのは自分が辛かった。
ペット用品として売られている人間の服を買うのもしのびなかったが、
由良は気にせず楽しそうに服を眺めていたからルゥは少し安心した。
衣服、夕飯の買出し、それだけでもう日が傾いている。
松葉杖をついているからと、ゆっくり回り過ぎただろうかとルゥは少し後悔した。
だけど由良は彼の気持ちを知ってか知らずか夕日を見て目をキラキラと輝かせている。
「世界は違っても同じなんだね」
そう言うと由良はルゥに笑顔を向けた。
「でもやっぱり違う、視界の高さも、物の見え方も」
ルゥは少し辛そうに額を抑えた。
周囲の目が気になって仕方ないからかもしれない。
「由良は辛くない?周囲の目とか……自分と同じ人間が綱を付けられてたりするの……」
由良は少し俯くと、「確かに気持ち良いものではないけど……」と濁した。
ルゥは予想通りの言葉なのに何も返せなかった。
自分も奇妙に思われてないだろうか?
本当は猫なのに、今は猫じゃない……。
「でもきっと、良い事もいっぱいあるはずだから」
しかしルゥの気持ちに反して由良は笑顔で言うとルゥの右手を握った。
「例えば、あの時のままだったらこんな風に並んでは歩けなかったでしょ?」
ルゥは由良の笑顔を眩しく感じた。
同時にすごく恥かしくなって、手こそ放さなかったが顔を真赤に染めてそっぽを向いた。
嫌だからじゃない、嬉しいから、悲観的な自分が恥かしいから、由良を見ていられなかった。
大好きだった主人、ずっと変らない自分の中にある事実。
だから由良に今の自分が受け入れられたのがルゥは嬉しかった。
由良がどんな状況でも笑顔でいるからか
ルゥは次第に周囲の目を気にせずにいられるようになった。
この世界に来たばかりの時はそれこそ動けなくなる程この環境が苦手だったのだから、
確実に心身ともに良い方向へ進んでいる、そうルゥは感じた。
...2010.01.24