夜観之君の事を『若』と呼ぶ見た目怖い感じの人達に連れられて、自動車で夜観之君の実家へ向かった。
着いた先には古風で大きい屋敷、何か雰囲気が猛々しく、私は唖然としてしまう。
だけど表札の名前は"七瀬"ではない、実家なのに何故名前が違うのか、少し気になったが聞くのは止した。
「お帰んなさい若!」
門をくぐると一斉に家の中に居た人達が挨拶をする。
夜観之君はそれを嫌そうに「あぁ」とだけ言って通り過ぎた。
「も、もしかして……ヤ……、ゴ……?」
「言いたい事はわかるから、とりあえず落ち着け……そして触れないでおけ」
雰囲気にのまれてまるで口の回らない私に夜観之君は苦笑いで答えた。
夜観之君の実家だが荷物は何も残っていないらしい。
だから舎弟らしい人の客間に案内された。
ふすまを開けると布団が二枚隙間なく並んで敷いてある。
夜観之君はワナワナと震えながら案内をしていた舎弟さんに詰寄った。
「普通別々の部屋用意すんだろ!」
「すんませんまさかコレだとは思わず……」
舎弟さんが指を立てる。
「ああ!?男だったらなお可笑しいだろ!!そもそも俺の女じゃねえ!」
その意味を理解した夜観之君は更に爆発した。
二人のやり取りを横で眺めながら、私はどうしていいかわからず手が右往左往するばかりだ。
むしろ私が口出す事ではないのだろう。
だけど今にも首根っこを掴みそうな勢いの夜観之君を放っておくわけにもいかない。
「や、夜観之君そこまで怒らなくても……布団放せばいいだけだよ」
「同じ部屋で寝られるかぁ!!」
私の言葉は火に油を注いだようで、夜観之君は真赤になって反発した。
だけど突然の来訪に対応できる状態ではないらしく、夜観之君が使っていたこの部屋しか空いてないらしい。
夜観之君もさすがに仕方ないと思ったのか渋々了承した。
夕食とお風呂までいただいて、私達は案内された部屋に戻る。
明日は早く用事を済ませて帰ろうと、それぞれ布団に潜った。
「夜観之君の部屋こんな広かったんだね〜」
「みたいだな、かなり前だからあんま覚えてねえけど」
すでに寝転がっていた夜観之君はぶっきらぼうにそう答えると、
パソコンをパチパチと打ち始めた。
「(両親が離婚して母に引き取られたとかなのかな……)」
私は布団に潜りながらそんな事を考える。
だけど私は顔や雰囲気に出やすいのか夜観之君は何かを察して溜息をついた。
「名前が違うの気になってんだろ?」
「う、うん……」
隠してもどうせばれてしまうだろうから私は素直にそう答える。
夜観之君は片手はキーボードに乗せたまま頬杖を付いた。
「俺の母親は親父の愛人だったんだ」
私は驚き口を抑える。
愛人という事は、夜観之君は望まれた子供ではなかったのではないだろうか。
そう考えると何故か胸が苦しかった。
「仕方なくババアは俺を生んだがその間に色々先を越されたらしくてな、"研究の邪魔"と生まれたばかりの俺をこの家に押し付けた」
そう言われて私は首を傾げた。
"七瀬"の苗字は母親の物ではないのだろうか、
何故父親に引き取られた筈の夜観之君は今七瀬と名乗っているのだろう。
「だけどこの家男がいないからか歓迎もされて、ここで大事に育てられた、なのに……」
夜観之君はそう続けて切る。
きっと何かあったのだろうと思い私は固唾を飲んで夜観之君を待った。
「いきなりあのババアが引き取りに来たんだ。俺は顔すら覚えてねえのに」
夜観之君はうつ伏せになると顔を埋める。
元々私を見てはいなかったが表情を悟られたくなかったのかもしれない。
「親父や舎弟達は拒否したけど、こっちのが分悪いのは子供でも判るだろ……?」
「それで、お母さんの所に……」
私がそう言うと夜観之君は力無く頷いた。
きっとこの家に居たかったんだろうなと思うと、自分の事ではないのに悲しくなる。
母親にいらないって言われるのってどんな気持ちだろう。
受け入れてくれた人達の元を去るのはどんな苦痛だったのだろう。
これは他人事ではないんだ。
私も選択しなければいけない……。
だけど"仕方なく産む"なんて、そんな理由にだけはしたくなかった。
夜観之君は少し顔をあげると、何かを呟いた。
顔を覗き込むと目が虚ろだった。
「同じ日に生まれたから比較対照になるってそれだけの為に……」
「え……?」
私は首を傾げた。
一体何の比較なのだろう。
でも夜観之君は私に関係のない話は極力しない。
だから私に関係があるから零した事なのではないかと思った。
だけど夜観之君は言い過ぎた……と口を噤んだ。
十月十六日日曜日、薄らと目をあけると外は晴天だった。
寝てすっかり体調のよくなった私は身体を起こす。
そして少し放した隣の布団で寝ているはずの夜観之君の方を見た。
だけど布団はもぬけの殻で夜観之君の姿はない、私はキョロキョロと辺りを見回す。
パソコンが出しっぱなしだからきっと家の中にはいると思う。
しかし探しに行く勇気は到底ない、私は仕方なくとりあえず布団を畳む事にした。
自分の布団を畳み終えてもまだ戻ってこない、
気を紛らわす為夜観之君の布団も畳んでしまおうと手をかけた。
「何やってんだお前……」
すると突如ガラガラッと襖が開き、中の様子に気付いた夜観之君が訝しげに言った。
驚いた私は布団が手から落ちた。
タオルで頭をガシガシと拭いている所を見るとお風呂に入っていたようだ。
「別に畳まなくていいって、それより風呂入って身支度済ませてこいよ」
そう言うとタオルを首にかけフウ……と夜観之君は溜息をつく。
だけど私は首を傾げた。
「昨日もお風呂いただいたし、洗面所貸してくれれば十分だよ?」
「お前その寝癖どうやって直すんだ?」
そう言われた途端恥かしくて自分の髪の毛に触れる。
夜観之君は焦る私が面白かったのかケラケラと笑っていた。
「嘘、そこまで酷くねえよ。ただ今日少し寒いし温まってこいよ」
からかわれた事にショックを受けたが、確かに今日は晴れ渡っているのに少し寒い。
だから私は厚意に甘える事にした。
家のとは比較にならない大きなお風呂を満喫して、私は少し楽しんでいたかもしれない。
足を折り曲げなくていいとかそんなレベルではない、何か高そうなお風呂だ。
そんな高級感溢れる物に入れるなんてなんだか幸せだった。
だけどこんな状態で部屋に戻ると"何ヘラヘラしてんだ"と言われてしまう気がする。
だから私は少し気を引き締めるが、滲み出るものを抑える事はできないだろうと少し恥かしくなった。
私は少しキョロキョロしながらも何とか部屋の前まで来ると、ふすまをあけた。
中には黒髪の人しかいない。
「あ、すいません間違えました」
そう言って私はふすまを閉める。
だけど思い返してみると、私の荷物があったように思う。
私は恐る恐るもう一度ふすまをあけた。
「何やってんだお前……」
本日二回目の台詞、そしてこの声は夜観之君だ。
「……むしろ夜観之君こそ、その髪どうしたの?」
私は見慣れたピンク色ではない髪に戸惑いながら聞いた。
「ん?チャラいのと病院行くのはきついだろ、スプレーだけどな」
よく見てみるといつも付けてるカフスもピアスもしてない。
そして何より髪の毛を軽く束ねていて、何故か眼鏡までかけていた。
ただこうして見ると同じ高校生には見えず少し大人っぽい気がする。
「でも優等生と一緒にっていうのも可笑しいような……」
「お前な……あいつ"一応"優等生だろ、いいんだよこれで」
夜観之君は唇を尖らせて言う。
ここまでしてくれる夜観之君には本当感謝してもしきれなかった。
また朝食まで頂いて私はお礼言うと、夜観之君と病院へ向かった。
家には寄らず帰るという話になり荷物は全部持っている。
私は構わなかったが、夜観之君は髪を直さなくていいのだろうか、少し疑問に思った。
産婦人科という文字が見えてきて、足が躊躇する。
どんな目で見られるのだろうとそんな事を考えると足が竦む。
周りの目が怖かった。
夜観之君も、関係ないのにどんな目で見られるのだろう。
それを思うと申し訳無さしか浮かんでこない。
私は夜観之君を見上げた。
「……行かないのか?」
夜観之君は私にそう尋ねた。
私は返事に困って俯いてしまう。
「周りなんか気にすんな」
頭をポンポンと叩かれ私は力無く頷いた。
帰りの電車の中、私達は会話をする事はなく静かに座っていた。
診断の結果は妊娠二ヶ月、中絶するにせよ母に相談してくるように言われた。
当り前の事を言ってくださったと思う。
だから「はい」としか答えられなかった。
診察待ちの妊婦さん達は高校生なのにという目で私達を見ていた。
「行くぞ、"姉貴"」
夜観之君はそう言って手を引いた。
お腹の子の父親が夜観之君だと勘違いされる事を私が望んでいないのを察しての台詞だったかもしれない。
そして私よりずっと大人っぽく見える人がそう言う事で、
私の年齢があやふやに映ったようだ。
だって数人首を傾げ、目をそらしていた。
とにかくこの結果を彼に告げなければいけない。
そして母にも相談する事になるだろう。
どんな風に思われるか考えると申し訳なかったが、先程より不安はなかった。
最寄駅につき電車を降りると、昨日出発した時間になっていた。
診察後、夜観之君に促され公園のベンチで休憩していた時間が思ったより長かったのかもしれない。
「ごめんね、こんな時間まで付き合わせて……」
「別に、明日ちゃんとあいつに話せよ?」
夜観之君がそう言ったのを合図に私達は別れた。
家まで帰ってきてもいまいち現実味がない。
今までもそうだったけど、何故か受け止めきれない。
二ヶ月と言われた。
命が宿っている。
母はわからないが、彼は中絶すべきだと言うのだろう。
病院に行く前から彼はそう言っていたのだから。
だけどどうしてこの子が死ななければいけないのだろう。
こういう事が起きるかもしれないと、考えなかった私が悪いのに……。
呆けていると母が帰ってきた。
電気も付けずただ佇んでいた私はさぞ異様だっただろう。
「どうしたの、るん?お友達と喧嘩でもした?」
母は額に手を当て熱があるのだろうかと確認する。
熱はない。
それは私が一番よくわかっていた。
「ちょっと考え事してた……夕飯作るから待っててね」
私は顔に笑顔を貼り付けてそう答えエプロンを手に取った。
気付かれてはいけない。
彼に相談してからでないといけない。
私に自由はないんだと改めて思った。
夜、私は寝付けなかった。
疲れているはずなのに、眠りを拒んでいた。
明日が見えない、想像もできない、辛かった。
いつ私は終われるのだろう、安心できるのだろう、この事件はちゃんと解決するのだろうか……。
十月十七日月曜日、無気力だった。
こんな様子ではいつか母にばれてしまうかもしれない。
何とか登校はしたが、教室でも気だるさを拭えない。
星垣 由真さんが来ていないから、きっと彼に捕まっている。
それがわかっていても私は何も感じない。
この人が関係者じゃないから殺されないとか、そう考えたからとかではなくて、
何をしても無駄だと、無力な自分を思い知らされて何も考えが起こせなかった。
机に突っ伏していると、不意に肩を叩かれその方向を見る。
振り返ると夜観之君が心配そうに私を見ていた。
髪の毛は普段通りのピンク色に戻っていて、
エクステンションもカフスもピアスもいつも通り付けている。
なんだか普段通りの夜観之君が見れた事は安心できた。
「お前どうしたんだよ、星垣の事気にならないのか……?」
昼休み私は夜観之君と屋上に来た。
今まで一つ一つに一々反応していた私が虚ろに過ごしているのが気になったようだった。
「……大丈夫、ただ、私は無力だからっ」
私は思わず本音がでてしまった。
だけど夜観之君は私を責めたりはしない。
それすら自分の責任だと思っているようにさえ感じた。
「だけど、星垣は放っておけないぞ……」
夜観之君は私に一喝するよう言った。
少し慌てているようにも思う。
「どうして……?星垣さんは関係者じゃないでしょ、そのうち戻って……」
怖い目に合う人がいるのにそれを黙止するような発言、
私は言いながら自分を軽蔑した。
「確かに今は関係者じゃない、だが星垣の親は、ババアの元部下なんだ……」
「どういう事……?」
私は首を傾げた。
一昨日の会話から考えると、夜観之君の母親の部下という事は研究者という事なのだろうか。
だけどそれがどう関係あるのだろう。
そもそも、夜観之君の母親がこの事件に関係があるという事なのだろうか、
私は意味がわからなかった。
「関係者って言うのはある研究所の研究員の事なんだ……」
夜観之君は意を決したように言った。
「あいつはそこの研究員を親に持つ奴を殺そうとしてる……」
俯き拳を握ると夜観之君は悔しそうに顔を苦痛に歪めた。
だけど私は気になる事があった。
高校なんていくらでもあるし、偏差値の高い所を狙うにしても此処以外にもある。
何故十七人もの同じ境遇の生徒がこの学校にいるのだろう。
「待って、どうしてその研究員の子供が同じ学校に何人もいるの?」
先程までの無気力だった自分に驚くくらい、まるで問いただすように私は聞いた。
「そ、それは……」
だけど夜観之君はこればかりは話す事はできないという風に言葉を濁らせた。
どうしてことさらに事実を隠すのだろう。
私には関係ないことだから?
本当にそれは関係ないのだろうか……。
私は納得できなかった。
「とにかく……星垣の親はババアのやり方が嫌で研究所を辞めてる」
夜観之君は話をすりかえ続けた。
「だが今は無関係でも研究に携わってた人物だ……きっとあいつは放っておかないっ」
「星垣さんも、殺されるかもしれないって事……?」
私はカタカタと震えた。
彼がどうしてそんな事をするのかわからない。
人殺しは許されない、だけど、理由を知っていれば少しは考え方がかわるのだろうか。
放課後になって、昨日の診察結果の事も含めて彼と話す為にまた屋上に来た。
今度は彼に呼び出されてだ。
彼は相変わらずの様子で、裏のありそうな笑みを浮かべている。
私はその表情を見て涙がでそうだった。
「星垣さんはどうしたのっ?ねえ!」
私は思わず彼に詰寄った。
夜観之君は何も言わず、ただ彼を見ていた。
彼は自分に詰寄った私の腕を取ると手を握った。
「七瀬に何か聞いたの?大丈夫、星垣には何もしないよ?」
彼は子供に納得させるように私の顔を覗きこみながらそう口にした。
「何も……じゃないでしょ?毒は飲ませるんでしょ……っ」
「でも他の奴等と同じ、星垣自体を殺したりはしないよ」
彼はそう笑顔で答え、私も夜観之君も顔を見合わせた。
きっと何も答えてはくれないのだろう、私達はそれ以上聞くのをやめた。
何より彼は診察結果を気にしていた。
他の話ばかりして彼が何かしでかしたら怖い。
「診察では……妊娠二ヶ月、だって」
私は俯いてそう告げるとお腹をさすった。
彼は複雑そうな顔をすると、その手を握る。
まるでそれは愛おしさを感じてはいけないと言うようだ。
「どうしても、中絶しろって言うの……?」
私は思わずそう聞いてしまった。
彼も夜観之君もそれには戸惑ったが、何も答えてはくれない。
私が中絶すると言わなきゃ彼もそれを強制する事はできないという事かもしれない。
「この話は……また……」
返す言葉が見当たらなかったのか、彼はそう告げると屋上を去っていく。
私と夜観之君は二人残され、仕方なく今日のところは帰る事にした。
...2008.10.31