Trente et Quarante

第三話:消失/2

 ソレイユは店を見て歩きながら、ルミエールが気に入った物や彼女に合うと思った物を次々購入していた。
 問題は彼が使用人を連れ歩く事を好まず、今日も一人として連れていない事だ。
 彼の様子に目を丸くしたルミエールの顔は、戸惑いに満ちている。
「二人で分担しても大変な量になりそうよ」
 ルミエールは思わず言った。
「俺が姉上に荷物を持たせるわけありません」
 ソレイユはそう言い切ると、目の前にある山のような荷物を一人で抱えた。
「無理しないで」
「無理していません」
 ルミエールは「もう」と呆れたように歩き出す。だけどその表情はとても楽しそうだった。
 ソレイユは安堵すると、同時に哀れみのようなものを感じた。
 彼の極端な行動には目的あり、買い物を楽しんでいるわけではない。赤の民なら誰もが知っていて、彼女だけが知らない事を隠す為に、気を逸らしたいだけだった。
 彼女が離れれば、辺りから密かに聞こえてくる。
「彼女には、聞こえなくていい……」
 ソレイユは誰にも聞こえないような声で小さく呟いた。
「今回は幾つまでもつと思う……」
 聞こえてきた囁きにソレイユは身体を強張らせた。彼にはその言葉の意味がわかっているからだ。
 彼女が傍にいないのが不安に変わり、これまでの出来事が津波のように彼にのしかかる。自分の選択全てが間違っているような、そんな感覚に陥っていく。
 しかし、ソレイユの気持ちなどお構いなしに、その声量は彼女にも届きそうなほど大きくなっていく。
「だが誰かがいてくれないと、安心できないし……」
 己の保身だけを気にした発言に、ソレイユは奥歯を軋ませた。
 立ち話をしていた者達はソレイユに気付いていなかったのか、彼の形相を目の当たりにして身体を縮こまらせるとすぐに立ち去っていった。
 ソレイユは唇を噛み、自分の中に溢れた感情を抑え込んだ。
 ルミエールは何も気にした様子はない。
「姉上、そろそろ行きましょう」
 安心したように息つくと、彼は提案した。
 しかし彼女との距離は囁きが届かないほど離れている、それを思い出して少し歩み寄ってからもう一度声をかけようとした。
 だけどルミエールは彼を振り返り「そうね」と頷いた。
 ソレイユは目も丸くする。本当は全部聞こえているのではないか、そう疑り深くなり、表情が曇る。
「どうかしたの?」
 ルミエールは首を傾げ、「変なソレイユ」と微笑んで見せた。
「考え過ぎ、か?」
 彼女の後ろ姿を見つめながらソレイユは呟く。
 しかし仮に聞こえていたとしても、彼女にわかるはずはない。だから喉まででかかった疑問をそっと飲み込んだ。
「俺は約束を果たした。周りを気にする必要などないはずだ」
 今考えていた事全てを振り払うように首を振り、自分を嘲笑し空を見上げた。
「ない、はずなのに……」
 不安が拭えずソレイユはまた唇を噛んだ。

 町並みが茜色に染まる頃、二人は城に向かいゆっくり歩いていた。
 ルミエールは夕焼け空を見上げて歩き、ソレイユはその歩調に合わせる。
 だけど密かに聞こえてきた声にソレイユは焦ると、彼女を急かした。
「どうしたの、ソレイユ?」
 ルミエールは戸惑う。
「いいから、先に戻ってください……っ」
 ソレイユは言葉が荒くなる。
 様子の可笑しいソレイユに、ルミエールは困惑した。
 そうしているうちに、声の主は彼女のすぐ横を通過していった。
「え?」
 すれ違い様に聞こえてきた言葉に、彼女の目が大きく見開かれる。
「どういう、事?」
 ルミエールは彼を見つめた。
 悲しげに揺れる瞳にソレイユは顔を背ける。
「黒の国と、戦争になるの!?」
 ルミエールはソレイユに詰め寄り、問いただすように彼の身体を揺さぶった。王の傍にいる彼が知らないはずはない。世間知らずな彼女にもそれはわかっていた。
 荷物が辺りに散乱する。
「どうして……っ」
 揺さぶり疲れたルミエールは顔を伏せると、今にも泣きそうな声をあげた。
 ソレイユは言いよどむ。だけど何かを言わなければ彼女は突飛な行動にでるだろう。そう思った彼は重たい口を開いた。
「黒の王は、殺害されたという噂です……」
 ルミエールは驚きと戸惑いに目を見開いた。
「そして、その嫌疑は陛下にかけられている」
 事実かはわからない、ソレイユはそう続けた。
 黒の国全体は赤の国を警戒している。即位したのがブラン王でなければ、今すぐ戦争が起きても可笑しくない程に。
 ルミエールは話の中にノワールがでてこない事に不安を覚えた。
 ソレイユもそれに気付いているが、何も言えない。それを知った時の彼女の行動が読めていたからだ。
 しかしそれは言わなくても同じだった。
「私、ノワール様に会いに行く……」
 ソレイユは「ノワール……ッ」と不満そうに呟いた。
 彼女が頼りにするのはいつもノワールで自分ではない。それが悔しかった。
 それも先月までは我慢できた。彼女を救うには彼が必要だと、その為に助力する事すら惜しまなかった。
 しかし、今は状況が違う。
「やめてください、危険です」
 ソレイユは冷たく言った。
「だけど!」
 ルミエールは許しを得ようと食いさがる。
「ノワール様が王になっていたら戦争は避けられなかった!」
 思わず声を荒げると、彼女を怒鳴った事実に頭を抱えた。
 赤の姫が黒の国でどのような扱いを受けるか、彼は想像するだけで恐ろしかった。
「ごめんなさい、ソレイユ」
 しかしルミエールは彼に背を向けた。
 ソレイユは咄嗟に彼女の腕を掴む。
 ルミエールは悲しげな表情で振り返るが、自分以上に悲しげで辛そうな表情をする彼を見て、振り払う事を躊躇した。
「貴女に何かあったら、俺は……っ」
 掴む手が恐怖に震えていて、ルミエールは胸が苦しくなった。
「でも私、ノワール様の真意が知りたいの……」
 だけどルミエールはその手を振り払う。
 瞬間彼の身体はよろめく。
 彼女は離れた手に心が抉られるような痛みを感じながら、一歩後退り、町の外に向かい走り出した。
「……ルミエールッ!」
 ソレイユは彼女が城を抜け出したあの日のように叫んでいた。
 それに驚いたルミエールは、一瞬彼を振り返る。だけど立ち止まる事はなかった。
 呆然と彼女を見送ってしまったソレイユは慌てて後を追う。
 しかし不意に呼び止められ、目の前に数人の兵が立ちふさがる。
「なんだ!」
 声を荒げ振り返ると、そこには陛下に忠実な家臣が一人。
「陛下がお呼びです」
 王が仕事を言いつけている、そう理解したソレイユは唇を噛む。しかし彼にはそれを無視する事ができなかった。
「……すぐ行く、だがその前に、リオネルを呼んでくれ」
 ソレイユは何かを耐えるように拳を握ると、一人城に戻った。

...2012.05.29