廊下を不機嫌そうに歩くイヴルの姿があった。
傷が塞がりフラフラとする様子もなくなったのは、ここ数日部下や二人の弟がずっと彼を見張っていたからだ。
その事自体には何の文句もない。
ただ勝手をされまた傷を作り取り返しがつかなくなる事を恐れるその理由、これに彼は不満があった。
彼は創造主の為に行動を起こしている。
だけど他の神々の彼がいなくなる事を恐れる理由は、彼が次期創造主だからなのだ。
「(次期って何だよ……創造主はウォレス様一人で十分だ)」
しかしイヴル以外ウォレスのいる部屋には立ち入れない。
強力な結界がイヴル、そしてウィンド以外では開ける事ができないからだ。
その為にウォレスの存在に他の神々は不信に思いはじめていた。
更には下界の事も思うように進まない、イヴルは一人その二つの問題を抱え頭を痛めていた。
「どうしたらいいですか……ねぇ、ウォレス様」
そう呟いた時、微かに足音が聞こえた。
気を静めその音を聞くと、カツカツと鳴る靴、それは自らが従える闘神に支給している靴の音だ。
つまりこちらに近付いてきているのは部下。
その上無駄のない素早くしっかりとした足並み、彼はそれだけでその存在が誰かを見抜いた。
「何の用だ、アイゼル」
存在を認めると、その様子からすぐ言いたい事がわかりイヴルは聞いた。
アイゼルと呼ばれたその人は闘神に支給されている例えるなら軍服に身を包んだ長身の女性。
黒い髪、切れ長の瞳、しかしその瞳の色は彼の知る誰かと同じ、優しく少し濃い桃色をしていた。
「わかっているだろう」
「さあ」
イヴルはそう言うと腕を組み視線を落とした。
アイゼルは少しムスッとしたが、軽く咳払いをし続けた。
「妹に心配をかけるのはやめて欲しい」
先程と声のトーンは同じだった。
しかしその言葉には切望にも近い想いが込められている。
「人間の相手など、私達下級神に任せておけばいいだろう」
その言葉にイヴルは少し表情が強張る。
彼女の妹とは彼の主治医であるリーナの事だからだ。
しかしいつものように髪をかきあげると、アイゼルを冷たく見据える。
「ウィンドの力を持った子供はどうする、お前達に倒せるというのか?」
イヴルはそう言い放つと視線を外した。
アイゼルは「それは……」と黙りこむと拳を強く握った。
ウィンドはウォレスに継いで力を持った女神だった。
太刀打ちできるとすればその女神と同等の力を持つイヴルだけ、
潜在能力が開花すれば下級神には敵うはずがない。
「……だが、せめて、私を使って欲しい!」
アイゼルはそれでも食い下がった。
イヴルは再び彼女を見据える。
「リーナを守る為、悲しませない為にお前の下に付いたのだ」
リーナが幼い頃にはもう既に両親はいなかった。
アイゼルにとっての唯一の肉親にしてか弱い妹、それを守る為に手に取った剣。
「お前を守る事もまた……リーナの為だ」
アイゼルの決意、強情な瞳、イヴルはまるでリーナのようだと思う。
そんな自分に気付けば溜め息をついていた。
「わかった」
彼はその決意を受け止めると、アイゼルを引き連れ歩き出した。
アミルトもシェールもあの日以来口を開こうとしない。
カーネルは体力的にも精神的にもボロボロだったアミルトとシェールを気遣い、
寝ずの見張りを買ってでた。
更に道すがら意識のないアレンを一人で担ぎ歩いていた。
「(世界中の人々が崇拝する神が、こうも簡単に命を奪おうとするなんて……)」
シェールはアミルトを覗き見ながらそのような事を考えていた。
言い伝えと似て非なる魔士の動き、その上にいるはずの神の言動の矛盾。
そして彼、つまり天士があまりに世界の害と言い難い存在である事。
矛盾だらけの言い伝えと現実、考えは纏まらず悪循環にはまり込み口が聞けなかった。
何よりこの事を今話題にする事などできるはずもない。
そのような日々が二日続いた夜、
カーネルの作った夕食を囲んでいた時に沈黙が破られた。
「明日にはレーファスに着きそうだ」
カーネルは言った。
本来なら一日で行ける距離だが、人一人担ぎながら歩くのは思った以上に時間を要した。
スープを力無くすすっていたアミルトはそれを聞いてスプーンを落とした。
次の瞬間身体を震わし、涙がボロボロと零れる。
「本当に……?」
「ああ」
カーネルが頷くとアミルトは涙を拭いながら何度も繰り返した。
それを見て安心したのか、カーネルは何度もそれに答えてやる。
するとアミルトの緊張の糸が途切れて強張っていた顔が涙でぐちゃぐちゃになる。
そして最後には咽返ってしまった。
シェールがそんなアミルトの背中をそっとさすってやると、今度は声をあげて泣き出した。
「怖かったのね、アレンが死んでしまわないか」
アミルトはコクッと頷くと更に大粒の涙を零した。
一人になってしまう経験をした事のあるシェールには痛い程この気持ちがわかる。
そう思うとまるで弟を慰めるようにそっと抱きしめていた。
アミルトが泣き疲れて寝てしまうと、シェールとカーネルの間にまた沈黙が流れた。
しかし先ほどまでの強張った空気ではない。
シェールはその空気に安堵しながら口を開いた。
「私にも兄がいるの」
カーネルは「そうか」と返し黙って話しを聞く。
シェールは目の前でパチパチと燃える焚き火を見つめながら続けた。
「異母兄妹でね、父様が死んだ時に旅にでてしまったわ」
「そうか」
カーネルは反対側に座り、シェールと同じように焚き火を見つめる。
「小さかったからあまりよく覚えてはいないけど、大きくて、無口で、でもすごく優しかった……」
「……そうか」
カーネルの返事と共にシェールは顔をあげた。
すると逆にカーネルは顔を背ける。
「だから母様が死んだ時、私の為に戻ってきてくれると思っていたのだけどね?」
カーネルの仕草にシェールは何かを確信したように、口の端を吊り上げて何かを試すように笑いながら言った。
「そう、だったのか」
カーネルは困ったように苦笑する。
「だから、母様やアレンデに言われた通り、探そうって思ったのよ?」
今度は嬉しそうな笑みを浮かべてシェールは言うと、カーネルも優しい微笑みを浮かべまた「そうか」と返す。
それを聞いたシェールはクスクスと笑うと「ええ」と答えた。
頑固なシェールを寝かしつけるとカーネルは再び寝ずの見張りに戻った。
もう丸二日眠っていない彼は、さすがに意識が朦朧としているように感じ険しい顔をしている。
パチパチと燃える焚き火の音だけが響く夜、それが夜明けまで続くのだとそう思っていた。
「……カーネルさん」
不意に声をかけられカーネルはッハと顔をあげた。
研ぎ澄まされた神経が機敏に反応したといえば聞こえはいいが、実際は気を失いかけていたのだ。
だから恐る恐る声の主を見てカーネルは安堵した。
「アミ……起きたのか」
アミルトはコクッと頷くと焚き火に近付き、
パチパチと燃える炎越しにカーネルをじっと見つめた。
「丸二日、寝ていないでしょう……?」
「もうそんなになるか……」
カーネルは表情を悟られないよう目を伏せる。
アミルトは何かを言いたそうに何度も頭を上下させるが、
なかなか決心がつかず一人でオロオロしているような様子を見せた。
それを見かねたカーネルは「何だ」と一言聞いた。
表情一つ変えない彼の様子にアミルトは一瞬身体が強張る。
しかしこれがカーネルなのだとそう感じたアミルトは真っ直ぐ彼を見つめ直した。
「僕……カーネルさんの代わりに見張りをします!」
真剣な眼差しにカーネルは一瞬目を丸くする。
しかしすぐ普段の彼に戻った。
アミルトの戦闘力、注意力を想定すれば当然の事だろう。
「今までろくに戦えなかったお前にできるのか?」
カーネルは目を伏せ枝を焚き火に投げ入れる。
こう言えばすぐ引き下がるだろう、彼はそう踏んでいた。
「もう守られているだけなのは嫌なんです!」
アミルトのその言葉にカーネルは再び驚かされた。
当人は思わず叫んでしまいシェールを起こしてしまわなかった気遣い、
起こさずに済んだ事で胸を撫で下ろしたりといつも通りだ。
しかしいつもと明らかに様子が違った。
再びその真剣な眼差しを向けられ、カーネルは無視する事ができなかった。
「そこまで言うならやってみるといい」
そう言って微笑むとカーネルは席を外そうと立ち上がる。
アミルトは見張りを任された事に「本当ですか!」と歓喜の声をあげた。
「ただし、一人で対処しきれないようならすぐ起こせ」
カーネルはそう注意すると寝かせていたアレンのすぐ傍に身体を横たえた。
彼の様子に異変があった時すぐに気付けるようにという対処だ。
「……意識が朦朧としていた所だ、助かる」
そう呟くとカーネルの意識はすぐ闇に落ちた。
アミルトは任せてもらえた事を実感すると、嬉しさを噛み締めながら自分の剣を抱きしめた。
次の日、レーファスの首都に着いた一行はすぐに病院に向かった。
急患に慣れた様子の医師が、アレンの傷を見てすぐ驚きの声をあげ彼はすぐ手術室に連れて行かれた。
そんなアレンが意識を取り戻したのはそれから十日後の事だった。
「……ここは」
記憶にない天井、背中には柔らかい布団とベッドの感触。
アレンは身体を起こすと傷の痛みに思わず胸をおさえた。
服越しだったがその感触から包帯が巻かれている事を察した。
そして触れた違和感に顔を歪める。
「アレン!目が覚めたのね」
シェールは病室の扉を開くとアレンに声をかけた。
そしてベッド横に備えられた簡易椅子に腰をかける。
それを確認するとアレンは顔を伏せた。
「迷惑を、かけたな……」
怒りに身を任せて飛び込んで、挙句この有様だ。
アレンは迷惑をかけた事を謝罪した。
「アミルト……アミルトは無事なのか?」
アレンの記憶はアミルトが青の神に斬り込んだ所で止まっていた。
「安心なさい、その後すぐ去っていったわ」
シェールは「理由はわからないけれどね」と肩をすくめて見せた。
「そうか……良かった」
アレンは安心したようにそう呟くと、視線を布団に落とした。
しかしシェールの視線に気付きすぐ顔をあげる。
「……何だ?」
訝しげに聞くとシェールは足を組む。
彼女は何かを指摘する時、腕や足を組む癖があるのだ。
それを見てアレンが苦笑したのをシェールは見逃さなかった。
「……あなた、アレンデなのでしょう?」
アレンは一瞬目を丸くし、すぐ微笑した。
「何を言っているんだ、妹は殺されたのに」
そう言い切るとアレンは顔を逸らし風に揺れるカーテンを見つめた。
それに不満を持ったシェールは身を乗り出す。
今目の前にいるアレンは親友に聞いていたアレンという人物より、自分の知るアレンデに似ていた。
「本当はアレンが殺された、違う?」
「アレンは私だ」
言い切るアレンにシェールは頬を膨らませ、かくなる上はとアレンの服に手をかけた。
さすがにアレンもそれには少し引いたような様子を見せる。
「正直に言わないと引き剥がすわよ?」
完全に暴走しているシェールを見てアレンは飽きれたが、「ご自由に……」と溜め息を付いた。
患者着は簡単に脱げるだろう、そして見て気が済むならと無駄な抵抗は諦めた。
シェールはその様子にムッと不満そうにしながらも彼の衣服を肌蹴させる。
しかし想定していた彼の身体は自分の親友のものではない。
「……嘘」
シェールは思わず呟くと、その手を放した。
アレンの身体には女性特有の胸の膨らみなどなかった。
アレンデはあまり胸が大きい方ではなかったが、あまりにも無さ過ぎる。
包帯の所為と考えるにはあまりに平坦だ。
それに声が高くて気付かなかったが、彼には喉仏もある。
シェールは女であるはずがない事実に言葉を失った。
「わかっただろ、私は、アレンなんだ」
アレンはそう悲しげに俯くと、黙って衣服を直した。
...2012.01.04/修正01