Genocide

 十月二十一日金曜日、私は母に連れられて警察署を訪れていた。
 面会室に一人通されて相手がでてくるのを待ちながら、 彼の事がバレて呼び出されたのなら、どれだけ気持ちが楽だろうと思う。 昨日の事を思い浮かべれば、今度は夜観之君に対して罪悪感を感じずにはいられなかった。
 昨日、夜観之君は落ち着きこそ取り戻したが、まだ決心できずにいた。
『今月中……いや、来週中には絶対話すから……』
 そう呟くと『もう少し時間をくれ……』と苦しそうな表情を浮かべてその場を後にした。
 結局私は何も前進していなくて、しかも協力してくれている夜観之君を苦しめただけだったのだ。
 しばらくすると、看守さんに連れ添われてその相手がやってきた。
「坂滝さん、来てくれてありがとう」
 透明な仕切りの反対側から、星垣さんが姿を見せた。
「ううん、それはいいんだけど……」
 私は少したじろぎ、とりあえず苦笑した。
 これも昨日の話になるが、母は帰ってくるなり私に星垣さんと面会して欲しいと言った。 最初は意味がわからなかったが、星垣さんが私以外と話すつもりはないと黙秘を続けていたらしい。
 私は承諾したが、どうして私が呼び出されたのか少し不安を覚えていた。
「あの、どうして……どうして原田君を殺したの……?」
 母に動悸を聞くよう言われていた私はその質問をぶつけた。 殺す、死ぬ、そんな単語を簡単に話すこの口が恐ろしく思える。
「坂滝さんは知っているんじゃない?」
 星垣さんはそう少し微笑むが目はまるで笑っていない、私は少し身震いがした。
「お父さんの……仇?」
「そう、正確にはお父さんの仇の息子だから」
 そう言うと星垣さんは拳を握る。 まるでその中に恨むべき人がいるように強く強く握り締めていた。
「大事なお父さんを奪っておいて罪を償わない仕返しなのよ」
 ゆっくり握っていた手を開くと、よほど強く握っていたのか小さく震えている。 そしてその手を眺めた。
「だけど私は違う、同じように大事な者を奪ったけど罪は償うの」
再びその手を握ると星垣さんは勝ち誇った表情を浮かべた。
 私は驚き戸惑ってしまった。 人によって、こんなにも考え方は変わるものだろうか。
「……犯した罪は一緒だよ、世間が知ってるか知らないか、それだけなんだよ」
私は思わずそう口走った。
 それを聞いた星垣さんは表情を変えたが、すぐ冷たく微笑んだ。
「坂滝さんは私のお父さんの事しか知らないんだ」
 私は星垣さんの言葉に戸惑った。 知らない事が多すぎる自分を見透かしている台詞にこの先を聞くのが怖い。
「誰からも教えてくれてもらえなかったのね、可哀想……」
 星垣さんはそう私を哀れむと、「じゃあ教えてあげる」と続けた。
 私は今までずっと願ってきた知らない事が一つ判る事に小さく怯えた。 これを聞いて私は普通にいられるだろうか。 星垣さんのように誰かを殺したいほど憎んだりしないだろうか……。
「坂滝さんのお父さんってもう死んでいるんでしょ?」
 星垣さんはそう質問をした。
 接点がないように思うこの質問に私は身体が震えた。 今から彼女が言わんとしている事が、なんとなく判る。 その言葉が外れであって欲しいと心の中で願った。
「どうして……星垣さんが知ってるのっ?」
 私が恐る恐るそう答えると、星垣さんは口元を緩ませた。

「だって坂滝さんのお父さんも、"あいつら"に殺されたんだよ」

15.隠滅された事件

 面会を終えた私は母に今聞いた全てを話した。 きっと動揺していた事で何か良くない話を聞いたのは察したのだろう、 決して急かす事はしなかった。
 しかし話が終わると母は私以上に動揺してみせた。
「殺されたって言ったの?……あの人は、殺されたって?」
 私は取り乱す母に戸惑いながらもゆっくり頷いた。
 母は一回深呼吸をすると、何か確信を得たようだ。 私にも見せた事のないような鋭い眼光に、少し身体が震えた。
「やっぱり事故じゃなかったのね……」
「え?」
 母は何かを口走ったがそれ以上何も教えてくれなかった。 それどころか「るんはもう家に帰りなさい」と言い放つのだ。
 私は問いただそうと思ったが、母の同期の刑事さんに強引に手を引かれる。 結局そのまま母とは一言も口を聞けずに車に乗せられてしまった。
 刑事さんの運転する車の中、私はきっと不満そうな顔をしていたのだろう。 刑事さんは苦笑しながら私に気を遣っていた。
「仕方ないよのるんちゃん……彩音さんは君のお父さんの件があって刑事になったんだからさ」
 作り笑顔を浮かべながら刑事さんは言った。
「そう……だったんですか」
 今度は不満ではなく申し訳ない気持ちが私の心を蝕む。 私が、私が隠している事を全て母に話したら、 もしかしたら全部解決するのではないか? 母が突き止めたい真実を突き止められるんじゃないか?
 だけどその考えはすぐ振り払った。 クラスメイト達の命を盾にされてるも同然なのだから……。

 十月二十四日月曜日、今日から一応授業が行われる事になっていた。 だけどこの状況下だしどれだけの生徒が休むかわからない。 ただ私や夜観之君、そして被害を受けたクラスメイトに休む権利はない。
 普段通り屋上に夜観之君とやってきたが、夜観之君は普段より元気がなかった。 まだあの事を悩んでいるのだろう。
 とりあえず私は木曜日の出来事を話した。
「それでお前不安そうだったわけだ」
 夜観之君は普段の調子を思い出すようにしてそう軽く返した。 だけどわざとらしさは拭えず、夜観之君は普段通り振舞えない事に舌打ちすると頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「うん……お父さんが、殺されたなんて……」
 私はそこまで言って語尾を濁し、「でも母さんは疑ってたみたい」と付け加えた。
「そうか……あ、朝霧の文章だけど、次の四人が判った」
 夜観之君は少し複雑そうな顔をしたが、この話にはこれ以上触れず話を代えた。
 私は少し気になったが、問い詰めるような事はしたくなくて「誰?」と聞き返す。
 それを合図に夜観之君は「遠野 柚希、武下 形哉、桐島 美弥、久納 村雅」と名前を挙げ、 私が誰かに反応するのを待つ。
 それに気付いた私は以前教えて貰った関係者の名前を思い出していった。
「……桐島さんって確か」
「ああ、研究所で働いてる奴の娘だ」
 夜観之君はそう言って軽く頷いた。
「ど、どうしよう!!」
 私は何をすればいいかで頭がいっぱいで動揺して考えがまとまらない。 ただ原田君のように、気付いたその日に殺されるような事を繰り返したくなかった。
「落ち着けよ、今回は遠野と武下がいるんだ、まだ日はあるだろ?」
 だけど夜観之君は私が取り乱したからかもしれないが落ち着いていた。
「じゃあ桐島さんに話して……」
「朝霧の事じゃ絶対取り合わねーよ、お人好しな斉藤ですら怪訝そうに見てたろ?」
夜観之君はそこまで言うと溜息を付いた。
「いいか?研究者の子供達がこの学校に居るのは、様々な思考で様々な視点から朝霧を観察する為だ」
 私は驚きに目を見開いた。 何故彼が観察されなければいけないのか、まるで実験用のモルモットのようで彼が不憫だ。 そんな中で彼はずっと人の目を気にして生きてきたのか? いや、彼自身気付いていなかったのか? 想像するだけでもゾッとする。
「どうして律君がそんな目に合うのっ律君は知ってたの!?」
 私は思わず声を荒げた。 答えが知りたい、だけど自分でわかる問題じゃない。 待つって約束したのに、今の私には夜観之君に答えを求めずにはいられなかった。
「あいつは、知らなかった……俺もただ居ただけで、知らなかった……」
 夜観之君はそう呟くと目を伏せた。
「誰が見てもあいつが模範的な良い子ですってなれば、大成功ってな」
 そう言って夜観之君は笑うが、その表情は酷く苦しそうで私は我に返った。
「悪い……こんな中途半端で……でも絶対全部話すから、今日は……」
 チャイムの音が聞こえると、夜観之君はすぐ屋上を後にした。
 なんとなく見えた表情はこの間のように今にも泣きだしそうで、 でもそれを必死に堪えていていたようだった。
 一人残された私は改めて夜観之君を苦しめてる事を思い知って、自分が嫌になった。

 十月二十八日金曜日。 夜観之君の言葉に反して、木曜日にはもう桐島さんの順番が回ってきていた。
 月曜日のホームルームは殺された三人と捕まった星垣さん以外ほぼ全員出席していた。 だけど、遠野さんだけは姿を現さなかったのだ。 しかし翌日には彼女が戻ってきていて、そうかと思えば翌日には武下君が行方をくらませる。 そしてまた翌日には武下君も戻ってきていたのだ。 二人共青褪めた姿で……。
 誰も知らない犯罪のスケジュールの一部を知っている私と夜観之君は寒気がしてならない。 まるで桐島さんを殺す日を教えられているみたいだった。
 だけど今日になっても彼は行動を起こさない。 彼を直接止める以外に手立てのない私達はいつ彼が行動を起こすか判らず不安で仕方なかった。
「のる、もう帰るでしょ?」
 放課後、ここ一週間ずっと先に帰っていた彼が声をかけてきた。
「え……うん」
 私はその行動が不可解だったが返事をしないわけにもいかない、だから小さく答えた。
 だけど彼は私の様子は気にも止めず、ただ「家まで送ってくよ」と微笑んだ。
 桐島さんも寮暮らしという事もあって、夜観之君も先に行ってしまっていたし、 私には断る術もなく、何より聞きたい事が沢山あって断る理由もなかった。
 しかし一緒に通学路を歩きながら、私はソワソワしていた。 私を家に送ったあとで、桐島さんを殺す何か段取りがあるのではと嫌でも疑ってしまうのだ。
 それでも彼はそんな素振りを見せる事はなく、たまに寂しそうな表情を浮かべるだけ。 だけどその表情にすら、私は疑わずにはいられなかった。
「のる、星垣さんと面会したんでしょ?」
 彼は唐突にそう質問した。
 私は何故知っているのか問い返そうかと思ったが、何となく自分の心が拒んだ。 余計な事を聞いていないか、それを確かめる為に送っていくと言われたんだと、 結局最近の彼のままなのだと、少しガッカリした自分が居たからかもしれない。
「私のお父さんは本当は殺されて、それに原田君の親が関わってるって聞いたよ」
 私は星垣さんとの面会した時の得た情報を彼に伝えた。 ただこの事についてこれ以上質問されたくなかった。 そしてこれ以上ガッカリしたくなかった。
「お父さんがどうして殺されたのかは、聞いてないんだね……」
 彼はそう呟くとそれ以上は追及せず、複雑そうな表情を浮かべていた。
「私が余計な事聞いてないか確かめる為に……わざわざ送るって言ったの?」  私は思わずそう聞き返した。
 きっとすごく不満そうな顔をしていたのだろう、 私の不機嫌な表情に驚いたのか困り顔で「違うよ!」と声を張り上げた。
 全力で否定する彼に私も驚いた表情を浮かべた。 何故か疑い辛くて、何より切実さというかを感じたからだ。
 彼は私が疑うのを忘れただ困惑してるのを見て、 これが本来の私だと言うように安堵の溜息を付く。 そして「これから、時間取れないかな……」と悲しそうに、それでも笑顔で言った。

 連れてこられたのは始まりのあの場所だった。
 私はイヤイヤをするように首を横に振って拒んだが、彼はそれを許そうとしない。 また騙されたのかと思ったが、彼は意地悪いあの表情を浮かべてなくて、私は渋々承諾した。
 通されたのは悪夢のようなあの出来事の後、はじめて学校があった日に訪れたあの部屋だ。 中は相変わらず埃まみれだったが、赤ん坊の為のおもちゃもボロボロのベビーベットもそのままだった。
「……この部屋がどうかしたの?」
 私がそう問うと、彼はベビーベットのローマ字を軽く親指で擦った。 埃を拭っても読めない程朽ちてしまっているが、 今日は何故かその文字が読めるような気がした。 それはもしかしたら、この後彼が紡ぐ言葉をなんとなく予知していたのかもしれない。
「生後間もない僕の部屋だったんだって……」
 彼は彫られたローマ字を擦りながら言った。
 私はその事実には驚いたけど、それほど表情にでなかった。 きっと話には続きがあるのだとそう思ったから。
「ここは小さいけどこれでも研究所だったんだ」
 彼はそう言って笑うと朽ちて屋根のない天井を見上げた。
「今はもう一階だった部分しか残ってないけど、二階が研究所だったらしい……」
そこまで言うと語尾を濁し、今度は床の埃を足で払った。
 その床には黒点が所々に散っていて、更に埃を払いのけていくとタイル一面が黒く染まった部分がでてきた。 恐らくこの黒く染まっている部分は変色した血の色なのだろう、そう考えたらなんだか身震いがした。
「昔ここで人が殺されたのは聞いたでしょ?」
 彼は表情に暗い影を落としたまま、私にそう投げかける。 私は「一応……」と答えると、彼は話を続けた。
「殺されたのはこの研究所の女所長、僕の本当の母親って書いてあった……」
 私は瞬間的に何かを納得した。 そうでなければ彼の部屋がある理由がつかないからだ。 ただそれはどこに書いてあったというのだろう、 以前彼の家で見た何かの資料だろうか。 それにもしそれが真実なら、彼の両親は一体誰なのだろう。
 彼は実の母を殺されているという事実にか憎しみが溢れ出したのか、爪が食い込む程強く拳を握っていた。 しかし憎悪というより悲しんでいるように感じる表情だ。
「そして研究所を引継いだのはその所長の弟だった、あの病院の院長、今の父なんだ」
そこまで言うと、彼は壁を強く殴りつけその場に崩れた。
 本当の母親が殺されていた事、この事実は確かに痛ましくて憎悪もするだろう。 だけど実弟が姉の残した物を引継ぐ事に何故それに嫌悪感を抱いているのか、 私いはわからなかった。
「姉の残したものを、家族が引継ぐのは普通の事なんじゃ……」
 私がそう口走ると、彼は虚ろな瞳をこちらに向けた。 同時に彼の顔がよく見えて、それで初めて彼がやつれている事に気付いた。
「病院の管理化に置かれる事で研究所は大きくなった」
 彼は冷静さを取り戻すと、再び話を戻した。 しかし先程以上に苦痛に表情を歪め、「だけど、母の思想からはかけ離れているんだ」と歯を軋ませた。
「人の願いを叶えてあげる事、そういう思想が、あったはず、なのにっ」
 彼はそこまで言うとボロボロと涙を零した。
 覚えていない母の為に涙を流す彼があの恐ろしい彼と同一人物とは思えない。 毎回そうだ、どうしてこうも違うのだろう。 だけど、その理由はもう少しでわかるような、そんな気がした。
「今じゃ問題が起こればすぐ病気や怪我だと捏造して揉み消すんだ、自分達のミスを」
 彼は自分が何を憎んでいるのかそれを明らかにしていく。 私に教えるためなのか、それとも思い出すためなのか、それはわからなかった。
「何を引継いだっていうんだ?母の研究成果を利用して好き勝手してるだけじゃないかっ」
 彼はそう言って声を荒げると、現実を受け入れたくないというように頭を抑えた。
 その後も彼は感情の起伏は激しかったが、度々深呼吸を入れどうにか落ち着かせながら話を続ける。 だけどその度に顔色が悪くなっていった。
 その後彼は壁に背を預け床に座っていた。 足がガクガクと振るえていて立っている事ができなかったからだ。
「……母が最後に検体を頼んだT-01は、知的障害者の男性だったらしい」
 他人事のような言い方を続けるのは、彼自身残された資料から読み取った情報だからだろう。 それを彼は淡々と喋り続ける。
「その男性は健常者になれるならと、恋人が反対するのを押し切ってそれを承諾した」
 私は黙って聞きつづけたが、段々と不安になってきた。 その話と誰かが重なるからだ。
「結婚を反対され、彼女が家族を捨てようとしたのが嫌だったらしい」
 彼はそう言うと、少し申し訳無さそうな顔をした。 端から見れば弱みに付け込んだ取引にもなりえるからだろう。
「その男の人は……どうなったの?」
 私は戸惑いながら、そう聞き返した。
「死んだよ、僕達が四歳くらいの時に」
 彼は私が何か答えを導き出すのを待っているようだった。
 私は内心信じたくはなかった。 だけどここで立ち止まっていては、何も解決しないのだとそう思って覚悟を決めた。
「お父さん、なの……?」
 彼はコクッと頷くと、顔を伏せた。
 私は思わず膝を付いた。 だけど、父が検体だった事はまた違う話だ。 父が死んだのは、彼の母親が死んだ四年も先の話なのだから……。
「まだ、話の続きがあるんでしょ……?」
 私がそう問うと、彼は再び頷いた。
「母と君のお父さん、T-01……いや浅木 知則さんは、ある契約を交わしてた」
 遠慮がちに話す彼に私は不安が募っていく、聞くのが怖い。 だけど今聞かなければいけないとそう思ったから必死に耐えた。
「実験の結果、浅木さんが母に危害を加えても、何の罪には問わないよう計らう」
 そこまで彼が一気に言うと私は血の毛が去った気がした。 つまり、彼の母が怪我をしたり、最悪死んだりしても、父は罪にはならないと言う契約だろう。 それはつまり……そう言う事なのだろうと、私は思った。
「私のお父さんが……律君のお母さんを……?」
 そこまで喋って私は耐え切れずに涙を零した。
 しかし私の予想に反し、彼は首を横に振り「違うんだ……」と俯いた。 先程とは比べ物にならない程罪悪感に歪んだ表情と、 更に青褪めた顔色が、今にも倒れそうなほど弱々しく映った。
「じゃあ、どうしてその契約の話を……」
 私は涙を拭うと少し遠慮がちに聞いた。
 彼は私の目を真っ直ぐ見つめると、 「母の件は、実験中検体が暴れた為に起った不幸で片付けられたんだ」と冷静に言った。
 私は少し安心したが、彼の説明が不可解に感じられて首を傾げた。
 彼は「……わからない?」と私に聞くと、その表情から話が読めてないのを察して続けた。
「検体、つまり君のお父さんに……あいつらは罪を着せたんだよ」
 私は目を疑った。 つまり、万が一にも罪が露見しないように、証拠を隠滅するために父は……。

 父が不憫で一言も口が聞けないまま、彼に連れられて秘密の隠れ家にやってきた。 もう時間は六時を回っていたが、 彼が「今日じゃないとダメなんだ」と言うのが気にかかって、手を引かれるまま来てしまった。
「良かった来れて……」
 彼は手を繋いだまま空いてる方の手で何かを取り出した。 それを私の空いている方の手に渡すと、繋いでいた手を放す。
「これ……」
 私は思わず目をみはった。
「うん、この隠れ家の鍵」
 だけど彼は笑顔でそう答えると、突然切なげな表情を浮かべた。
「もう、無理だと思ったから……」
 私は何が無理なのかよくわからず「ダメだよ、大事なものでしょ?」と彼の手を取った。
「思い出まで汚したくないんだ」
 彼はそう切実そうに言うと、私の手を振り解いた。
 私はどうしてそんな事を言うのかわからなくて、戸惑うしかなかった。
「思えばこの隠れ家をくれたおじさんは、ちょっと君に似てたよ……」
 彼は表情を悟られたくないというように背を向ける、 だけどすぐ振り返ると「ごめんね」と謝罪した。

...2009.03.01