Genocide

 十月十二日水曜日、今日のホームルームに西澤 乙矢君はいなかった。 だけど西澤君も殺される事はないのだろう、こっそりとメモを見るとそう考える。 もうあまり動揺しなくなった自分が恐ろしい。
 そして彼の神経の図太さにも少し恐ろしさを感じた。 まるで私の事とこの殺人ゲームは別というような……。 いつものように夜観之君と二人で問いただせばクスクスと冷笑している。 かと思えば、私の話になれば途端手の平を返したように態度が激変するのだ。 本当に別人のような、そんな状態だ。 どうして彼は……その優しさを他の人に向けられなくなったのだろう……?
 そんな事を考えている時、夜観之君が彼を殴ったのが目に入った。 彼は口の端を手の甲で拭うが、夜観之君を見る事はなく虚ろな目をしていた。 一体どういう流れでこうなったのか、他の事を考えていた私にはわからない。
「こればかりはお前の不注意だぞ!?わかってんのか!!」
あまり彼に強くでれない夜観之君が、今日ばかりは感情的だった。
「そのくらいわかってるよ、人の所為にしてないだろ……」
彼はそう言って顔を背けた。 それを見てこのやり取りが妊娠しているかもしれない自分の事だとわかった。 ただ夜観之君の「こればかりは」という言葉が少し気に掛かる。 だけど質問しようもなくて私は何も言えなかった。
 しばらくして、彼が私に向き直る。 何かを言われる合図だと思った。 私は首を傾げる。
「この辺りの病院はよくない……だから十五日に少し遠くの病院へ行こう」
この辺りには彼の父が経営する大きな病院がある。 当然その中には産婦人科も……。 何故彼はわざわざ遠くへ行くというのだろう? 私は少し疑問だったが、すぐ一つの考えに至った。
「親に知られたら、困るから……?」
そう聞くと彼は少し動揺した。 そんな彼を夜観之君は睨んでいる。 二人が何かを私に隠しているのは知っていたけど、ここにも私に言えない事があるのだと悲しくなった。
「うん……困る、でものるが考えてる理由とは違うよ……」
彼はそう言って悲しそうに微笑むと私の手を取った。 そして「バイト休めそうにない?」と続けると首傾げる。
 私は何が違うのか理解できなかった。 だけど今後の事を考えれば、近所の病院はよくないという事は理解できた。
「バイト、休めないか今日聞いてみる……」
彼は「ありがとう」と小さく言うと、手を放した。
 ただ彼の知名度は思った以上に高い。 どんなに遠くの病院に行っても、産婦人科に同じ年頃の女と居たと噂が広まるかもしれない。 私はそれが不安だったが、一人で行く勇気もなく何も言えないでいた。
「付き添いは俺が行く」
私の気持ちを知ってか知らずか、夜観之君はそう言った。 すごくありがたい申し出だけど、関係のない夜観之君に迷惑をかけるのは心苦しい。
 だけど私に断ることを許されるだけの間はなかった。
「……のるの事になると妙に協力的だよね、どうして?」
彼がそう冷たく言い放ち、断るタイミングを完全に外してしまったからだ。
「こんな事に巻き込んでるんだ、このくらい当たり前だろ」
夜観之君はそう言い放つと更にキツく彼を睨みつけた。
 何故夜観之君は被害者なのに、まるで共犯みたいな発言をするのだろう。 保身の為にクラスメイトを見殺しにしている、 その事実に罪悪感を感じているのは私だって同じだ。

なのに、どうしてすべてを背負いこんでいるのだろう……。

10.似ている二人

 十月十五日土曜日、授業を終えた私は早々と帰宅すると私服に着替えた。 夜観之君とは十七時に駅前で待ち合わせている。 すぐに帰宅した私にはまだまだ余裕があった。 だから私は他に何か忘れている事がないか考える。
 バイトの方は睦月さんが了承してくれたから心配いらない。 西澤君も今日は解放されていて少しだけ心にゆとりもある。 心配事をあまり持ち込まないようにという彼なりの配慮だったのかもしれない。
 母は日曜の朝まで帰ってこない、だけど遅くなった時の為に友達の家に泊まると言ってある。 だからバレないように着替えも鞄に詰めた。 問題はないはずだ。
 十七時十分前、いつもならバイト先へ向かう時間に私は駅へ向った。 着替えの入った少し大きめの鞄を肩から下げて、トボトボと歩いていく。 ただ駅に近付く度自分の服装が気になった。 十月の夕方は少し肌寒い、せめてカーディガンくらい羽織るべきだったかもしれない。 それにスカートじゃなくてズボンを穿くべきだったかも……外気に晒されて足が寒かった。
 待ち合わせ場所に着くとすぐ夜観之君を見つけられた。 駅前以外特別場所は指定していなかったが、ピンク色の髪の毛は少し目立つからだ。
「大荷物だな」
「夜観之君こそ」
私はそう言って笑った。 斜め掛けのリュックの他に少し四角いしっかりとした鞄を持っていたのだ。
「これはパソコン、部屋に忍び込まれたらたまんねーからな」
私の前にその四角いしっかりとした鞄を突き出した。
「パソコンってこんなに小さくて軽いの?!」
突き出された鞄を手にして私は驚いた。 それが聞こえたのか周囲からクスクスと笑い声まで聞こえてくる。 思わず叫んでしまった自分が恥かしい。
「ほら行くぞ!」
夜観之君はパソコンの入った鞄を奪い取るようにして自分の手に戻す。 そしてもう片方の手で空いた私の手を握りすぐ走り出した。
 改札近くまで着てようやく立ち止まると、二人揃って呼吸を整える為に深呼吸をした。 傍から見ればこれも十分恥かしいが、そこまで考える余裕もない。
「ったく、お前は……、恥かしい奴だなっ」
まだ呼吸も整いきらぬうちに夜観之君は言った。 言葉とは裏腹にすごく楽しそうだ。 笑われてるのは正直面白くなかったけど、怒っていない事に安心した。
 夜観之君は彼に渡されたメモを見ると一瞬嫌そうな顔をする。 だけど特別何も言わず切符を一枚買って私に手渡した。 一人で行くよう促されてるのかと一瞬不安に思ったが、それに気付いたのか夜観之君は噴出している。 私は意味が判らず首を傾げた。
「俺はカード持ってんの!」
そう言ってケラケラ笑う。 こんなに大笑いしている夜観之君を見るのは正直初めてかもしれない。 笑われてるのに何故かそれが嬉しかった。
「ったく、此間は断ろうとしてた癖に」
夜観之君は私の顔を覗きこむと、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「(断ろうとしていた事に気付いていたんだ……)」
私はそう驚いたが、撫でる勢いが増して硬く目を瞑る。
 そしてやっと手が離れた時、私は仏頂面になっていた。 あんな勢いでやられたのだから髪の毛はぐしゃぐしゃだろう。 特別髪の毛を弄っていたわけではないけど、ぐしゃぐしゃな髪の毛はさすがにイヤだからだ。
「っぷ……お前でもそんな顔すんだな」
だけど夜観之君は面白おかしく笑っていた。 だから私は「夜観之君こそ」と笑い返した。

 滅多に乗らない電車に揺られながら私はキョロキョロとしていた。 人が思ったより乗っていない。 少し残念で足元に視線を落す。 窓の外を楽しそうに見てる子供やそれをやめさせようとするお母さん、 部活帰りの学生をたくさん見れるかと思っていた。 そうすれば少しは普通の生活を思い出せるかと思っていたのに……。
「この辺りはまだ帰宅ラッシュには早いからな、田舎に向かう奴少ねーんだよ」
その言葉に私は横にいる夜観之君を見上げた。 同じ立場だからか、夜観之君には心を見透かされている。
「そうなんだ、残念だな……」
「人の群れなんていいもんじゃねぇぞ?」
夜観之君は苦笑した。 私はどういう事?と言う風に首を傾げる。
「痴漢に痴女だろ?冤罪事件もよくある話だし、それを利用した犯罪もあるしな、それに……」
夜観之君はそこまで言うと一旦切った。 私はどんな台詞が続くのかと思わず固唾を飲む。
「満員電車は苦しいし痛い。座ってても目の前の奴が非力だったらマジ潰れる」
夜観之君はそう言ってニッと笑った。 私は思わずポカンとしたが、その話の流れに思わず一緒になって笑い出した。
「痴漢とその潰れるって関係あるの?」
「密着具合から考えてあながち外れちゃいねーよ」
笑いながら夜観之君はそう言った。
 思えば今日は夜観之君と一緒に居る間ずっと笑いっぱなしだった。 これは私の為に気を使ってくれてたのかもしれない。 事実はわからないけど私は夜観之君に感謝せずにはいられなかった。

 電車に乗ってから一時間くらいが経ち、十八時を過ぎた。 そろそろ目的の駅に着く時刻だ。 だけど私は少しクラクラして、いつの間にか夜観之君の肩に頭を預けていた。
「調子悪いか……?今日は土曜だもんな」
私の様子に気付いた夜観之君がそう優しく声をかけた。 毒を飲んで以来毎週土曜に眩暈や痺れが襲ってくる。 今までは毒を飲んだ時間と同じ二十二時頃だったのにどうして今日に限ってこんなに早いのだろう……。
「夜観之君は……大丈夫?」
「俺がアレ飲んだのは学校終ってすぐくらいだったから……」
そう歯切れ悪く言った。 夜観之君が待ち合わせを十七時にしたのはそういう理由だったんだと、申し訳なくなった。
「お前が気悪くする必要ねえよ、大体俺は……」
夜観之君は言葉を切る。 きっと言いたくない事なのだろう、だから私も聞き出そうとはしない。
 目的の駅に着いても私の体調はよくなる事はなかった。 夜観之君に手を引かれてなんとか電車からは降りれたものの、とても立っていられない。 だから駅備えつけの椅子に座り様子を見る事にした。
 電車の中では気付かなかったが外は遂一時間前よりずっと冷え込んでいた。 眩暈に痺れ、加えて寒気までする。 軽装できた事を後悔せざる得なかった。
「……ほら」
声をかけられて夜観之君の方を振り返ると、今まで着ていたジャンバーをそっとかけてくれた。 まだ温もりが残ってて暖かい。 だけど夜観之君はその下にタンクトップしか着ていない。 正直私以上に寒いはずだった。
「あ、ありがとう……でもその格好じゃ夜観之君風邪引いちゃうよ……」
私はジャンバーを返そうとしたが、夜観之君の手が静止した。
「具合悪い癖に遠慮すんな」
「で、でも……」
彼は休む事を許可してくれないのに、風邪なんか引いたら夜観之君が辛いはずだ。 だから甘えるわけにはいかないと思った。
「返したら絶交な」
「え!?」
私を言い負かす為に夜観之君はそう言って立ち上がった。 きっと今すごい情けない顔をしているだろう。 夜観之君は私を見下ろしながらクスクスと笑っていた。
「なんかあったかいの買ってくっから、お前そこで大人しくしてろな」
夜観之君はパソコンの入った鞄だけ私に預けると階段の方へ駆けて行く。 パソコンの入った鞄をギュッと抱きしめながら、私は大人しく夜観之君を待つしかなかった。
 一人でいるとどうしてこんなに昔の事を思い返してしまうんだろう。 彼と出かけた時もこのくらいの時間に外にいて、今見たいに軽装で寒さに震えていた。 そんな私に彼もジャケットを貸してくれた。 しかも夜観之君みたいに下にはタンクトップしか着ていない。 だから返そうとしたら、彼も言ったんだ。
「返したら絶交だよ」
 二人は似てる。 口ぶりも見た目も全然違うけど、優しくて、時に行き過ぎて頑なになる所がそっくりだった。 きっとこれを聞いたら二人共全力で否定するだろう。 特に夜観之君には失礼にしかならない。 犯罪者と似ていると言われて嬉しい者などいるはずがないのだから……。 だから私は、心にそっと置いておく事にした。
 帰ってきた夜観之君は缶と肉まんを二つずつ持っていた。 缶と肉まんを一つずつ手渡され、一体何だろうと缶を見る。 それはホットココアだった。 隣から『カシッ』と缶を開ける音が聞こえ私はその缶にも目をやった。 それもやっぱりホットココアだ。 ホットココアを一口飲んだ夜観之君は視線に気付いて私を振り向いた。
「何だよ?」
「甘い物飲むんだね……」
意外だったという風に私が言うと夜観之君は缶に口を付けたまま赤面した。
「た……たまたまだ!たまたま!」
そうそっぽを向く様子が何だか可笑しくて具合の悪さも忘れて笑ってしまった。 その声に気付いて耳まで真赤になっているのが、普段からは想像も付かなくて可愛いと思う。
 厚意に甘えてココアを飲んだ。 暖かくてこの甘さがなんだかホッとする。 ココアを堪能してすぐ肉まんを頬張ると、寒かった所為か余計に美味しく感じて幸せな気分になった。
 同じく肉まんを食べ始めた夜観之君に気付いて、肉まんを頬張りながらまた夜観之君の方を見る。 そしてその中身を見てまた笑ってしまった。
「な……なんだよ?」
夜観之君は少し頬を赤らめながら私に問い掛けた。 きっと私が何に笑っているか判っているのだろうけど、
「まさか、あんまんだとは、思わなくて……っ」
あえてその問いに答えた。 無論夜観之君は再び赤面してしまう。
「ったく欲しかったら半分やるよ!だからお前もよこせ!」
私はあんまんを半分受け取ると、肉まんを半分割って渡した。 私が欲しがってる訳ではないのは夜観之君も判っているだろうけど、 ここは乗ってあげないとさすがに可哀相かと思って何も言わなかった。
 痺れはまだ少し続いているが、眩暈は大分治まった。 だけど毒の症状がでている状態で病院に行くのは阻まれる。 彼が禁止したわけではないのだが、 外に漏れれば私や夜観之君だけでなく被害に合ってるクラスメイトも解毒する事ができない。 しかし痺れが切れるのを待っていては何時になるかわからない。 それでも足は夜観之君に手を引かれるまま改札に向かっていた。
 改札に切符を通し私は辺りを見回す。 最寄駅は割と人も多く都会的な雰囲気を持っているが、 ここは人通りも穏やかで、なんだか素朴な印象だ。
 だけどよく見てみると、出口近くに少し怖い印象の人達が居て、 私は肩を強張らせると夜観之君を振り返った。 するとカードを通す直前、盛大な溜息を付いたのが目に入る。
「どうしたの……?」
「あ?揃いも揃って……と思っただけだ」
意味がわからなかったが、すぐ出口に向かって歩き出したのを見て私も後に続いた。 気の所為かその向かう先にはその怖い人達が居るような気がしてならない。 自分に気のせいだと言い聞かせて夜観之君の後に続くが、 やはり気のせいではなく、夜観之君はその怖い人達の前で止まる。
 近くで見るとより一層怖さが増して私は思わず夜観之君にしがみついた。 その人達はギロッと私と夜観之君を眺める。 そしてリーダー格のような人が頷くと他の人達も了解と言うように頷いた。
「遠路はるばるご苦労様です、若!」
全員が一斉に叫び、私は驚きの声をあげてより一層夜観之君にしがみつく。 そんな私に「落ち着けって……」と夜観之君は子供を慰めるようにして言う。 駅にその人達の声が反響している。 この時私はこの人達の言葉をきちんと飲み込めていなかった。
「うっせーぞ場所考えろ!」
夜観之君がそう一声かけると、「すいません若!」と再び全員が答える。 そこで初めて私は気付いた。
「……わ、若?」
意味が判らず反復すると、全員が一斉に私を振り返る。 驚きのあまり私は身体が跳ね、夜観之君の後ろに隠れるよう顔を引っ込めた。
「病人怖がらせんな!」
「す、すいません若!」
夜観之君は振り返ると、再び盛大な溜息をついた。 私は状況が読み込めず、涙目で夜観之君を見つめる。 私の様子を見ながら夜観之君は苦笑する。
「……怯えなくていいって、何もしてこねーから」
そう言って頭をポンポンと撫でるように叩いた。 とりあえず切符を買う時に嫌そうな顔をしたのはこれだったようだ。
「すごい人達だね……どうして夜観之君が来るって判ったのかな?」
この人達と夜観之君の関係はとりあえず聞かないでおこう。 そう思いながら、私はその疑問を投げかけた。 すると夜観之君は顔を背け、顔を歪める。
「……俺が実家に連絡した」
そう小さく言うと、やっぱり止めれば良かったっと後悔の言葉をブツブツ言い始める。 こう言うという事は元々連絡するつもりはなかったのだろう。 そして夜観之君に予定外の連絡をさせてしまったのはきっと私だ。
「……ごめんね」
私は思わず謝ってしまった。 彼みたいに夜観之君は私の気持ちを一手以上先までわかってくれている。 此処で引き返すわけにもという事まで……。 だから連絡したくなかった実家に連絡してくれたのだろう。 夜観之君は私に再び向き直ると、再び苦笑する。
「今の状態じゃ病院行く気になんねーだろ?仕方ねーよ」
夜観之君は私の手を取ると、その人達が案内する先へ歩きだした。

...2008.10.03