魔法使いの法則


 僕は問う、君が生きる理由
 君は問う、僕が生きる理由
 僕は君がいるから
 君も僕がいるから
 どちらかが欠けたら、僕らはどうなるだろう……?
...[問いかけ]2005.06.08

生きる理由

 魔法国家ラーンデットの王子『黄泉 狭霧』の私室では、 その守護役である『櫂 飛鳥』とティータイムの真っ最中だった。
 簡単に言えば守護役は執事のようなものなのか、紅茶は今飛鳥が淹れたばかりのものだ。
 そして最初は笑顔で紅茶を口に運んでいた狭霧だが、表情に影を落とし俯いてしまう。 だが飛鳥はさほど驚きもせずいつもの事という風だ。
 だが狭霧は悲しげな顔でこんな質問をぶつけた。
「飛鳥は、僕の事嫌い?」
飛鳥は口に含んだ紅茶を詰らせ咳き込んでしまう。
「ッお前……普通は好きかどうか聞くぞ……」
狭霧が変な問いかけをするのはいつもの事で、それに飛鳥がツッコミを入れるのもいつもの事。
「だって、遥君は麗羅君と仲が悪いじゃない……」
「違う、あれは喧嘩が長引いてるだけだろ」
カップの中の紅茶を見つめながら飛鳥は苦笑した。
 狭霧はそうなのかな……っと呟くと、飛鳥と同じようにカップの中を見つめようと両手でカップを掴む。 紅茶に映る自分の姿を見た狭霧が、一瞬カップに力を込めたのを飛鳥は見逃さない。
「自分が映ってるからってカップ割るなよ」
「わ、割らないよ!」
狭霧は顔を真赤に染めて恥かしそうに反論する。 しかしその瞬間カップを空中に手放してしまった。
 カップは落下しテーブルにぶつかり砕け散る。 破片は机の上に散らばっただけだが、紅茶自体は狭霧や飛鳥にまでも届いていた。
「……」
飛鳥は今起こった惨事を理解できず、紅茶のほのかな温かさが服を浸透し肌に伝わるまで呆然と見つめていた。
「ああ……カップが……」
「!?カップがじゃないッ!!」
飛鳥は立ち上がり手近にあったナプキンで狭霧と己の服、そして机に零れた紅茶を拭く。 それはかなり手馴れた手付きだった。
「破片が当らなかったから良かったものを……」
一通り拭き終えると、飛鳥はもう一度狭霧の服を念入りに拭いた。
 手間の掛かる子供の面倒を見ている母親のような感じだ。 その所為かさすがの狭霧も不満を口にする。
「自分で拭けるよッ」
「前に水の間に落ちた時、着替えてすらいなかったよな」
飛鳥にそれを言われ、狭霧は何も言い返せず、少し俯いて唇を尖らせる。 容姿だけでなく、その行動もとても二十五歳のものには見えなかった。
 飛鳥はその様子に溜息をつく。
「洗濯に出さなければな……」
飛鳥はそう呟くとナプキンを畳み机に置く。 そしてカップの欠片を丁寧に集めると、部屋の隅に置いておいた紙袋を一枚取りその中に入れた。 細かな破片はナプキンで拭き取り、もう問題は無さそうだった。
 だけど飛鳥は念には念を入れねばと、塵一つ逃さぬ掃除屋はないものかとそんな事を考えていた。
「……ごめん」
「何を謝っている」
狭霧の突然の謝罪に飛鳥は不審そうに狭霧の顔を覗き込む。 その表情は今にも泣き出しそうで弱々しい。
「だって……割るなって言われてたのに……」
狭霧は顔を伏せる。 飛鳥よりはるかに小さい狭霧が顔を伏せれば、まるで表情が読み取れない。 だが強張った肩が微弱に震えていた。
「別に……怪我をしていないならいい」
飛鳥はそう言うと、おもむろに席を立ちクローゼットを開ける。
「何してるの……?」
「お前、紅茶臭い服ずっと着ているつもりか?」
狭霧にそう返事すると、軽く溜息を付いて視線をクローゼットに戻した。
 とはいえ、もうすぐ狭霧は入浴時間だ。 適当に見繕えばいいかっと手近の和服に手取り、 だが着替えやすいものの方が……っと洋服を取り直したりと悩んでいた。
 クローゼットの中身を見ながら唸る飛鳥の様子を見ていた狭霧は首を傾げる。
「飛鳥の着れる服は入ってないよ?」
「誰が俺の着替えを探していると言った……」
一瞬飛鳥は口の端を引き攣らせるが、すぐ笑い出した。
「お前の着替えを探しているんだ」
当然飛鳥自身は自室に戻って着替えるほかない。
「これでいいな……、さっさと着替えろ、俺も一度着替えてくる」
「あ、待って!言っちゃイヤだ!」
狭霧は駄々をこねる子供のように飛鳥の腕を掴んだ。 しかし正確には裾を掴んでいたようで、その瞬間『ビリッ』と何かが裂ける音がした。
「……あ!」
「……」
飛鳥は呆然と服に隠れているはずの腕を見る。 どうやら今ので袖が破れてしまったらしい。 しばらくそうして自分の腕を見つめていたが、途端何かを諦めたように頭を抱えた。
「ご……ごめん」
狭霧は涙目で俯き、それをチラっと見た飛鳥はフゥ……と溜息を付く。
「もういい、服なんかいくらでも代えがある。破けついでに着替えも後でいい、紅茶臭いがな」
飛鳥は自分なりの微笑みを狭霧に向けると、 カップの破片に触れていない方の手で狭霧の頭をポンポンと叩いた。
 途端明るくなる狭霧に調子の良い奴だなと飛鳥は少し苦笑した。

 椅子に腰をかけず二人は床に座り込む。 飛鳥はベッドに寄りかかるように、狭霧は飛鳥に寄りかかるようにしている。
「飛鳥は、僕の事嫌い?」
狭霧は先ほどの問いを再び呟いた。
 きっと問いに答えるまで何度でも繰り返すのだろう。 そう思った飛鳥は諦めたように溜息を付く。
「嫌いなはずがない、お前は俺が生きる意味だから……お前はどうなんだ?」
飛鳥は狭霧に問い返した。
 狭霧は一瞬キョトンとし、そのまま飛鳥の顔を覗き込むと微笑んだ。
「嫌いなはずがない、君は僕が生きる意味だから……」

...2008.10.11/修正前2005.06.22