魔法使いの法則

三話:復讐に舞う者/5

 青白くキラキラと光るそんな地下遺跡の中に鈍い金属音が響いている。 金属がぶつかりあう音、それに金属が床を滑る音だ。
 広い空間を派手に動き回る海里に対し、麗羅は相手の動きを見切る事を考えその場所から一歩も動かない。 動いた所でローラーブレードを履く彼に追いつけるはずもない、無駄に体力を削るだけだ。
「お前らはっ! そうやってオレをバカにして!!」
 しかし麗羅のこの対応に海里の怒りが再び爆発した。
「は?」
 わけがわからない麗羅は眉間にシワをよせる。
 その間も海里はプルプルと打ち震える。
 だけ怒りに震えられても麗羅には何の事かわかるはずもない。 海里が言っているのは刹那との訓練での出来事の事なのだから。
 麗羅はそれでもその場から動こうとせず、ただ避ける事に専念する。 そして冷静に考えをまとめると意地悪い笑みを浮かべた。
「ははーん、また刹那か、どうせまたあいつの挑発にのったんだろ」
 海里は相手を言い当てられ身体をピクリと震わせる。
「あいつの人をおちょくった態度はいつもの事だろ、バカにすんのが趣味なんだよ」
 麗羅はやれやれといった調子で溜め息をついた。 刹那の事まで自分に当たられる言われはない、そんな意味を含ませている。
「たださ、訓練してくれるだけまだ甘やかされてる方だぜ、お前」
 少し苦笑しながら麗羅は言う。
 すると予想通り、海里は目を瞬かせ少し動じて見せた。
「ほ、本当に?」
 そして眉尻を下げて事実を確かめるような瞳で聞く。
 それを見て上手く行ったと感じた麗羅は少し口元を緩める。
「本当本当、あいつが他の奴に訓練つけてるとこなんて、見た事ないだろ?」
 少し怪しげな笑みを浮かべながら、まるで説得するかのような顔で麗羅は言った。
 半信半疑だった海里の目が少し輝く。
 しかしここまで信じられてしまうとさすがの麗羅も良心が痛むのか、少し困ったような顔を浮かべた。
 それを見て海里は何かに気付くと、また顔に怒りを滲ませる。
「だーまーしーたーなーっ!!」
 そう叫ぶと海里はまた麗羅に突撃してきた。
「いやいやいやいや!! 他の奴に訓練つけてないのはマジ……ってうわ!!」
 先程より早さの増した蹴りが麗羅の逃げ遅れた髪の端を刻んだ。
 麗羅は結果的に更に怒らせてしまった自分に呆れながら、諦めを知らない海里に苛立ちを露にする。
 だけど麗羅の苛立ちは海里に向けられる事はなかった。
「……おい、声が聞こえないか?」
 自分の周りを派手に動き回る海里を見たまま麗羅は告げる。
 海里は再び騙されるのではと警戒して怪訝な眼差しを向けた。
 聞く耳を持たない海里を無視して麗羅は耳を済ませる。 もちろん飛び掛ってくる海里を避けながらだ。
「……追いつかれたっ」
 声の主が誰かに気付いた麗羅は悔しげに唇を噛む。 同時に彼の中の何かが安堵していて、更に首を横に振った。
「海里、その辺でやめとけ」
 低い声で麗羅は目を細めながら言う。
 海里は先程までと違い明らかに機嫌の悪そうな麗羅に少し身体を震わせる。 しかし頬を膨らませて再び飛び掛ってこようとした。
 麗羅はうんざりとした様子で大きな溜め息を付く。
「俺、怒られてもしーらね」
 そう言って不貞腐れると麗羅は剣を鞘にしまう。
 その行動に怒りを増長させた海里は何故か拳を握り、飛び上がったのと同時に殴りかかる。
 瞬間、麗羅はそれを避けた。
「うわっ!? わわわ!!」
 避けられるまま可笑しな大勢で着地してしまった海里は勢いに乗ったまま滑っていく。
「あーあ」
 その進行方向を見つめながら麗羅は意地悪い笑みを浮かべた。
 笑っている麗羅に気付いていない海里は腕を振り回しながら慌ててる。 とにかくバランスを取らないと転んでしまうし、このまま滑り続けてももしかしたら壁があるかもしれない。 そうすればどちらにせよ痛い思いをする。
 しかし涙目になりながらバランスを調整していると、先程麗羅の言った通り人の声が聞こえる事に気付いた。 しかも声の方向は進行方向からだ。
「うっそ、人!?」
 普段人が訪れる事などない地下遺跡に人がいる。 それもこのままではぶつかってしまうだろう。
「そ、そこどいてーっ!!」
 人影が見えた所で海里は叫んだ。 同時にバランスを崩し腕を更に振り回す。
「え?」
 しかし見えてきた人は避けるどころか向かってくる海里を見て目を丸くしていた。
「ちょ! どうしてどかないのーっ!?」
 海里は人に怪我をさせかねない状況に目尻に涙をためる。
 だけどその人は受け止めようとでもいうかのように身構えていた。
 ぶつかる、そう思った海里は固く目を瞑る。 しかし暴れるのをやめたのが良かったのか、少しずつ減速した海里はぶつかる事なくその人に受け止められた。
「君、何しているんですか、危ないでしょう?」
 肩に手を置かれ咎めるような台詞が頭上でする。 だが苦笑が漏れていて海里は怒っていないのだとわかった。
「ご、ごめんなさい……っバランス崩して止まれなくなって」
 俯いたまま海里は固く目を瞑ったまま謝罪する。
「怪我がなくてよかったね」
 本当に怒っていないらしいその人は海里の頭を撫でた。
 その優しさに海里は思わず涙ぐむ。
「ねえ、この子って」
 横にいたらしい女性が受け止めてくれた人に驚いたような声をかける。
 海里は首を傾げ、受け止めてくれた人を見上げた。 すると目に映ったその人に目を丸くする。
「よお、遥、茜! ……って猫ガキも一緒かよ」
 悠々と海里を追ってきた麗羅が手をヒラヒラと振りながら名前を呼んだ。
 猫ガキと呼ばれたシスは眉間に皺を寄せると威嚇するように怒りを露にする。
 それが麗羅には更に猫にしか見えなかった。
 麗羅の言葉を聞いた海里は見知っているのは気のせいではないと気付くと、涙を零す。
「麗羅! って、ちょっと君どうし……」
 突然泣き出した海里に驚いた遥は、肩に手を置いたまま顔を覗きこむように屈む。 そこでようやく、遥も何かに気付いた。
「れ、麗羅、まさか、この子……?」
 麗羅の答えを聞くより先に肩に置いた手を放し、代わりに手を握る。
「海里?」
 遥は戸惑いながら名前を呼んだ。
 名前を呼ばれた海里は歯止めがきかなくなり益々涙を零すと、そのまま遥に抱きついた。
「にーさまああああ……っ」
「え!?」
 海里を抱きしめ返すのと同時に、再会の感動より遥はその呼び方に戸惑いを露にする。
 四年前は「お兄ちゃん」と呼んでいた弟が、今「兄様」と呼んだ。 一体この四年間に何があったらそうなるのかわからない。
「気にすんな、刹那……居候先で適当な事吹き込まれたんだろ」
 遥の考えている事に気付いた麗羅は適当に手を振ると呆れたように言った。
 それを聞いた遥は思う所があり思わず表情を曇らせる。
 そして麗羅は少し目を瞬かせた後、遥が何かを知ったのだろうと気付いた。 恐らく情報源はシスだろう。
「猫ガキ……」
 不満そうに思わず声をあげる。
 遥が知ってしまったのは自分の血筋の事だろうと彼にはわかった。 それを迷惑と思う自分と、いずれは知る事だろうとどうも思わない自分がいる。 その二重思考に繋がる事に不満を感じるのかもしれない。
「猫でもガキでもない」
 シスは同じように不満を露にすると麗羅を睨みつけた。

 まだ少し涙ぐむ海里の手を握り、遥は先導する麗羅の後に続いた。
 更にその後ろに茜とシスが続く。
 ただ先程までとの変化は海里とシスが度々口喧嘩のようなものをしている所だ。
 遥と茜は一体どちらが喧嘩の発端になったのかもわからず、仲裁にも入れない。 とりあえず、遥に対して年下のシスの態度がでかいのが、海里の怒りの原因のようだった。
 しかし麗羅はそのような事は気にも留めず、何かを思い出したように後ろを振り返る。
「なあ、猫……」
「シス」
 再び猫ガキと呼ぼうとした麗羅の言葉をシスは遮る。
 麗羅は少し面倒だと感じたが、これでは聞く耳を持たないだろうと思い少し溜め息をついて「シス」と言い直す。
「お前、獣人の血も引いてるんだろ?」
 シスは少し首を傾げた後自分の羽を見ながら何かを納得したように「ああ、なるほど」と声をあげた。
 しかしまだ遺跡の中だ。別にラーンデット近辺に着いてからでも遅くはないのではと思い、シスは訝しげに麗羅を見る。
「ラーンデットなんて天使嫌いの巣窟だろ」
 それを黙って聞いていた茜の方が身体を震わせた。
 だけどシスの方は驚きもせず、知ってるというような顔をする。
 それでも麗羅はこちらを見るのをやめない。
「……わかった、でも歩行が遅くなるぞ」
 シスは麗羅の眼力に負けたように顔を背ける。 そして次の瞬間には小さい猫の姿に変化していた。
「わあ、シ……」
「お前どこからでてきたんだ?」
 茜の言葉を遮るように、目を輝かせた海里は遥の傍を離れ猫のシスを持ち上げる。
 瞬間シスは全身を震わせるが、明らかに猫だと誤解している海里に悪態を付く事ができない。 その為言葉を喋る事もできなかった。
「ええっと……海里、連れてって、あげたら、どうでしょう?」
 海里が猫とシスが同一の存在だと気付いてないと悟った遥は苦笑しながら提案する。
「え? うん」
 遥に言われ海里は猫を抱えたまま歩き出す。
 茜はそれを羨ましそうに見ていたが、遥に手招きされ渋々歩き出した。
「(おい! どういうつもりだ黄泉!)」
 シスは海里に横を歩く遥に猫パンチを食らわせながら目で訴える。
「(そうしていれば口喧嘩しなくて済みそうでしたから、つい)」
 遥は後が怖いと思いながらも同じように目でシスに伝えた。
 その猫パンチを見ていた海里はその小さな腕を捉える。
「ダメだぞ、兄様に攻撃しちゃ」
 そう言うと海里は遥に攻撃できない位置に抱えなおす。
 思わず言葉を口にしそうになるのを堪え、とりあえず遥に対して威嚇するような声をあげた。
 遥は引きつった笑い声をあげて視線を逸らすが、長くは続かずすぐに海里の方を見る。
 一人になってしまった頃の自分と同じ年頃になった弟。 背も髪も随分と伸びているが、あの頃と違うのはすごく良い生地の服を着ている事だ。 それが王族という話が紛れもない事実なのだと思わせる。
「四年間、寂しくなかったですか? きちんとご飯は食べていた?」
 たまらず遥は海里に声をかけた。
 海里は遥を見上げると苦笑する。
「寂しかったけど、狭霧さんがよくしてくれたし……それに家事全般は得意だったし」
 海里は歯切れ悪く言うとぎこちない笑顔を浮かべた。
 遥は少し首を傾げる。
「家事、全般?」
 瞬間、ラーンデットの王族という話はやはり冗談なのだろうかと思う。 王族が家事全般を自分でこなすのはどうも想像に難しい。
 しかしそれは妙な形で裏切られた。
「えっと、使用人嫌いなんだ、母様の旦那って……」
「え?」
 遥は目を見開き戸惑いを露にする。
 確かに父が死んでいるという話は聞いた事がない。 だから母の墓前で『海里と父さんを見つけられたら、ここに連れてきます』と宣言したのだ。
 しかし実際は、父の事で悲しい顔をした母を見て以来、もう"いない"なのだと思うようになっていた。
「故郷に保護されたというのは、父に保護されたという事だったんですか?」
 戸惑いを隠さず遥は思ったままを口にする。
 すると麗羅と海里は微妙な唸り声をあげた。
「どうせばれるから言うけど、その旦那に会った事あんだけどさー……"父に保護された"ってのはどうだろうな?」
 麗羅は顔を歪ませながら言う。
 少し表情を曇らせた海里はそれに同意するように頷いた。
「はい?」
 遥は意味がわからず首を傾げる。
 そして旦那という言葉に気を取られ、何故麗羅がそれを知っているのかを疑問に思う余裕がない。
「ラーンデットの家族関係は、グランスとは違う意味で複雑なんだよ」
 困惑する遥に麗羅は苦笑した。
 遥は茜と顔を見合わせる。
 麗羅はそんな二人に手を振りながら、歩くように促す。 目の前の坂を登りきれば地上はもうすぐだからだ。
 だけど坂を登りはじめてしばらくすると、遥が肩で息をしていた。
「おいおい、大丈夫かよっ?」
 麗羅は笑いを堪えながら遥の背中を叩く。
「大丈夫……っ、というか、自業自得だとっ、思っているでしょう?」
 遥は軽く麗羅を睨みながら言う。
 担任の駿が嫌いだった遥は彼の担当教科である体育を休みがちだった。 もちろん単位を落とさない程度にはでているのだが、インドア派の遥が運動不足になるには十分な事柄だ。
「ま、頑張れー、ほらもう少しで地上だぜ」
 麗羅はケラケラと笑いながら言うと遥から離れ地上を見上げた。
 しかし地上の光が人の形に遮られている事に気付いて、麗羅は驚き目を丸くする。 そしてその人影が誰だかわかると警戒するように唇を噛む。
「随分と人数が多いな」
 こちらを見下ろすその人物は口元に笑みを湛え声をかけた。
「それは、こちらの台詞なのですが……」
 麗羅は先程までの口調を正すと歯切れ悪く言う。
 入り口付近にラーンデットの兵士達と思われる軍団が控えていたからだ。
 その軍団に気付いた遥と茜は思わずお互いの手を取り目を瞬かせる。
「刹那……」
 二人より先に麗羅の後に続いた海里が小さく名前を呼んだ。
「その様子だとまた負けたみたいだな」
 刹那は喉を鳴らすように嘲笑した。
 海里はそれに少し頬を膨らませる。
「別にいいし、兄様には、会えたから」
 そう言うと刹那を素通りして地上に向かった。
 それを横目に刹那はクスリと笑う。
 シスはというと、こちらを見下ろしてくる刹那に心臓が悲鳴をあげていたが、なんとかなった事に小さく息を吐く。
「これって、守護役隊? まさか全員?」
「そうみたいですね、飛鳥がいますから」
 麗羅は整列する軍団の最前列にいる人物を見て言う。
 海里は口調を正した麗羅に怪訝な眼差しを浮かべる。
 しかし彼の様子など気にせず麗羅はその軍団の最前列に並んだ。
「(なんなんだ……あの麗羅とかいう男は)」
 シスは麗羅の言動を訝しげに見ていたが、今は海里の腕の中。 だから仕方なくこの不満を心の中に留めた。
 刹那は麗羅が整列したのを確認すると遥達の方に一歩進んだ。
 遥は思わず身体を強張らせる。 今の状況に対する不安もあるのだが、それとはまた違う恐怖を感じた。
 だけど刹那は遥の様子など気にも留めない。
「お迎えにあがりました、遥様」
 そして深々と礼をすると、そう言って笑みを浮かべた。

...2012.09.14