魔法使いの法則

 居場所を奪われ
 家族も奪われ
 悲しみと憎悪を植え付けた
 新しい居場所
 新しい家族
 得たものより奪われたものを取り戻したい
...[奪われたもの]2006.4.1

 兵士同士が模擬戦闘を行う為の訓練場。 その中には鈍い金属音が響いていた。
 理由は遥のような黒髪と赤い目を持った二人の人物がここで訓練を行っていたからだ。
 派手に動き回るのは長髪の赤いジャケットを着た少年。 素早く動き回れるのは履いているのがローラーブレードだからだろう。
 だがそれはただのローラーブレードではない。 鋭く仕上げられた車輪はそのスピードと合わさって一つの武器となっていた。
 一方は肩に付くくらいの黒髪、それを右上で一掴みくらい結わいた青い軍服の男。 細身で刀身が少し長い剣を手にし、少年の攻撃を剣で受けている。 どうやら彼が少年を指導しているようだ。
 どれだけ素早く動き回っても男は少年の攻撃を何一つ逃す事なく受け流す。 しかも一歩とてその場所を動いてはいなかった。
「殺す気で来い、そうでなければ一撃も与えられないだろう?」
男はそう言うとククク……と喉を鳴らすように笑う。 その挑発に少年は眉間に皺を寄せ、鋭い車輪で男の首目掛けて蹴り上げる。
 しかし男はそれを軽々と避け、僅かに髪がパラパラと舞うだけだった。
「くそぉ!」
 少年は悔しそうに声をあげ、体勢を立て直そうと男の周りを走る。
 だが男は少年には目もくれず、切られて少し短くなった髪の毛をクルクルと指で弄っていた。 その態度に少年はカナヅチで叩かれたかのような衝撃を受け、口を歪める。
「またオレをバカにしてー!!」
少年は体勢が整わぬまま怒りに身を任せるかのように男目掛けて飛び込んで行った。
 しかしそれこそが男の狙い。 男はその速度を利用するように少年が蹴り上げた足を掴み、その速度を保ったまま放る。 無論少年はバランスを崩して激しく転倒した。
「いったぁ!!むううぅ……っ卑怯だぞー!!」
「相手を怒らせ理性を失わせるのも立派な戦術だ、簡単に挑発に乗った貴様が悪い」
男は微笑すると剣を鞘に収めた。
 少年はその場にあぐらをかき頬を膨らませて男を睨む。
「私は多忙にも関わらず貴様の為に時間を割いている、少しは楽しませる努力をしろ」
男はそう見下すように笑うと踵を返した。
 その向かう先は出口、その付近には中性的な銀髪の人物が立っていた。 どうやら二人の模擬戦闘をずっと見学していたようだ。
 男はその人物を横切る前に一度立ち止まり、「それでは失礼致します」と深々とお辞儀をして訓練場を後にした。
 男が居なくなると少年は手をブンブンと振って怒りを爆発させた。
「何が多忙だよ!いーっつも飛鳥に仕事押し付けてる癖にぃ!!」
そう文句を叫びながら車輪をブーツの仕込み部分に収納した。
「大体屋敷の掃除も洗濯も、料理だってオレがやってんだよぉ!?」
少年は銀髪の人物を向いてそう叫びながら、転倒した拍子にグチャグチャになった髪を手櫛で整え、服を叩いた。 そして念入りにブーツの紐を結び立ち上がると、トントンとつま先を叩く。
「……よし」
完璧と繋げるかのように少年が得意げに呟くと、一部始終を見ていた銀髪の人物はフフッと笑う。
 少年はその声に反応しその場で宙を舞って見せる。
「飛び具合もばっちし!」
同時に腰に手を当てピースするとニッコリと銀髪の人物に笑いかけた。
 銀髪の人物はそれを微笑ましく見つめ、少年の頭を撫でた。
「気をつけて行っておいで」
「うん!刹那には負けちゃったけど、あっちは倒してくるから楽しみに待ってて!」
少年は先程の男―刹那に負けたのは仕方ないというように、両手を頭の後ろに組んでニシシッと笑った。
「フフ、ほどほどにね?」
そう微笑む銀髪の人物の表情はまるで我が子を愛しく思う母親のようだった。

三話:復讐に舞う者/1

 『バシャアアァ!!』という音と共に、無数に散る水の中から酸素を求めて人が顔を出した。
「げほっげほっ!!」
それは崖から突き落とされた遥だった。
 遥は苦しそうに咽かえりながら、水に濡れて顔に張り付く前髪を乱暴にかきあげた。
「っけほ、げほ、はぁ〜……」
呼吸を落ちつかせようと川の流れには抗わず時が流れていく。 そしてとりあえず顔をあげると、太陽の眩しさに目を伏せた。
「(なんか……水難続きです……)」
いい加減この冷たさにも慣れてしまいそうだと、遥は心の中で呟いた。
 しかしいつまでも川の流れに身を任しているわけにもいかない。 行く着く先が湖なら良いが海や滝だったらひとたまりもないからだ。
 そしてやっと、遥はある事に気付いた。
「茜……?」
バシャバシャと音を立てながら、辺りを見回すが彼女らしき人影はない。
「茜ー!どこですかー!」
遥は茜の名前を呼びながら水の中を探した。
 ビラビラとした舞服が一見動き辛そうだったが、水を吸い難い材質なのか動くのに支障はなかった。
 しかし流れに抗うと頭から水を被る機会が増え、 中途半端に伸びたままの髪が鬱陶しく顔に張り付く。 その度乱暴に髪をかきあげるのだから結果的に動き辛かった。
「(一体どこまで流されてしまったんでしょう……それとも自分が流されてるのか……?)」
キョロキョロと辺りを見回しながら遥は思った。
 次第にそれは最悪の事態を想像する引き金になり、 その度首を振りその想像を振り切った。
 最後には意気消沈してしまい水に抵抗する事もやめて遥は流れに身を任せてしまう。 だがグランスの崖に比べれば先程の崖は低い方だ。 希望を持とうと遥は必死だった。
 その時視界に空色が移った。 遥は水に空が映りこんだのかと目を擦り、再びその方向を見る。 そしてその水色が茜である事を確信した。
 しかし岩に引っ掛かり流されない彼女の身体ぐったりとして動かない。 遥はすぐ彼女の傍に寄った。
「はぁ……はっ……かね……しっかり、してください……茜!」
息を吐く暇もなく遥は彼女の細い肩を揺さ振った。
 だが呼びかけても返事はおろか反応すらない、遥はみるみる青褪めると茜を抱きしめた。
「ごめんなさい……っ僕が、油断したばかりに……っ」
誰が聞いてるわけでもないが遥は涙声で謝り、更に強く抱きしめた。
 そうした事で耳元に茜の微かな呼吸が届いた。 それに気付いた遥は身体を離し安堵すると涙を拭う。
 しかし状況が最悪な事にかわりはない。 周囲は断崖絶壁、グランスのと比べれば低いとはいえ登るのには無理があった。
 それにシスと歩いてきた川の上流に比べこの下流は流れが速い。 元の場所に泳いで戻るのも無理だった。
 遥はどうする事もできず、ドンドン顔色が悪くなっていく茜を見つめ再び涙目になった。
「(何もできない……どうすれば……っ)」 悔しさから再び茜を強く抱きしめた。
 遥は己の無力さに身体が震え、今にも零れそうな程目尻に涙を溜める。 外の世界の恐ろしさをたかが二日で身を持って体感したような気分だった。
 その時、涙に滲んだ遥の視界に黒い羽根が映った。 その羽根を遥はなんとなく掴む。
「有翼種族だったら……あんな崖くらい……」
遥はその羽根の主を羨んだ。
 歩きながら移転魔法について聞けば良かったとか、 何故自分は人間なんだとか、 遥に意味のない後悔が押し寄せた。
 だがそれは頭上からした「遥君……?」という言葉に止められた。
 崖上に人がいる、遥は恐る恐る空を見上げた。
「赤月……さん?」
困惑した表情はそのまま頷くと、遥には聞こえないくらい小さい声で溜息をついた。
「今、助ける……」
 しばらく待つと、赤月はどこからか持ってきたロープの端を遥達の方へおろした。 それを遥自身に固く結ぶよう言う。
 遥は言われた通りロープを自分に結びつけると、赤月はそれを引き上げた。
 赤月の援護を受けながら遥は崖を登リきると、 茜を見て涙を堪えるような苦しい顔をした。

 崖を登りきっても一息付くことはなく赤月の案内で遥は洞窟のような場所に連れてこられた。
 今だ意識の戻らない茜を抱えたまま遥はキョロキョロと辺りを見回す。 そして赤月が火をおこしていて一番暖かそうな所にそっと横たえ、遥自身は入り口に一番近い場所に腰かけた。
「あの、ありがとうございます……本当……助かりました」
「そんな事はいい、それより服を乾かしておけ」
そう言われて遥は口を噤む、これ以上何も言えなかった。
 とりあえず濡れた服をいつまでも着ているのもよくないと思い、黙って舞服に手をかける。 だが舞服は水の中にいたのが嘘のようにまるで水気がなかった。
「何で……?」
制服がビショビショで今まで気付かなかったようだ。 それを遥は気味悪く思った。
 しかし濡れてないならその方がいい。 遥は手早く制服だけ脱ぐと唯一露出する足を隠すように座った。
 制服を脱ぐと更に更に全身が黒ずくめになる。 赤月はそれに目を見開いた。
「君の着ているそれは……」
そう赤月は呟くと、遥は何か知っているのかと思い赤月の顔を見る。
「いや……、その服には特殊な術式が縫い込められてるな」
一度顔を伏せたが、すぐその服について赤月は答えた。
 遥は最初の部分が気にかかったが、聞いても答えないのだろうとそこは堪えた。
「その特殊な術式って一体なんですか?それに水気を吸わないのとどんな関係が……」
立て続けに質問する遥を赤月は静止する。
「今の技術じゃ作れないという事だ、それと恐らく液体類なら何でも弾くのだろうな……」
赤月は小さく「血液も」と呟いたが、遥には聞こえず首を傾げた。
「いや、なんでもない」
赤月はそう話をそらした。
 二人は会話が止まると今度は茜を見遣った。
「目を覚まさないな……」
赤月が茜を見ながらそう言う、まるで目を覚ます気配がないのだ。
「そう……ですね」
遥は苦痛に顔を歪めた。
 再び会話が止まると、不意に赤月は茜の髪をすいた。 それを見た遥は一瞬目を見開き、何が起きたのかを理解するなり不機嫌そうな顔をした。
 赤月は遥の様子に気付き首を傾げる。
「どうした?」
「え!?……いえ、別に……」
そういうと遥は視線を外した。 埋める膝があるなら埋めたいが、足を露出している以上今の体勢は崩せなかった。
 ここでようやく察した赤月は茜の髪に触れるのをやめたが、 自分のちっぽけな嫉妬に気付かれた事すら面白くない。 思わず遥は訝しげに赤月を見た。
 さすがに手におえない赤月は盛大に溜息をついた。
「君はどうしたら満足するんだ?」
途端遥は顔を赤く染めると物言いたげに赤月を指差した。 しかし口を数回パクパクさせるとすぐ眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。
 赤月は再び溜息をついたが、それ以上干渉はしなかった。
 再び沈黙が流れると赤月は何かを考えるように難しい顔をした。 そしてそれを実行すべく口に出すと、それを耳にした遥が再び目を大きく開き赤月を振り返る。
「今……なんて?」
遥は聞き間違いかと思い苦笑しながら聞いた。
「だから、体温を下げない為に着替えさせるか」
 赤月はサラッと二度目を言い放つ。 そしてすぐさま赤月自身の荷物を漁り始めた。
 だが遥がそんな事を認めるはずもなく勢いよく立ち上がる。 その顔は先程とは比べものにならない程真赤に染まっていた。
「貴方ねぇ!茜は年頃の女の子なのに何しようとしてるんですか!?」
「あまり足を開かない方がいいぞ」
赤月は遥の方は見ずに言った。
 遥はすぐ座り足を隠すと、自分のかっこ悪さに打ち震える。 しかしいつまでもしょげてはいられず顔をあげた。
「茜は、その子の名前ですが……着替えさせるだなんて言語道断です!」
遥は慌てながらも何とか言い切った。
 だが赤月は納得していないように訝しげに遥を見る。
「このままにはしておけないだろう?」
そう言うと赤月は自身の私物の中から一着の服を取り出した。
 遥はそれを見て顔を更に引き攣らせた。 水色を基調としたその服の構造はどう見てもワンピースだったからだ。
「貴方……そういう趣味が?」
 遥は思わずそう口走った。
「何の話だ」
赤月は遥の言わんとしている事を察し怪訝な眼差しで遥を見るが、 彼はフルフルと震えながら服を指差すだけだった。
「だってその服……!」
「これは娘に用意していたものだ、よく考えろサイズが合わないだろう?」
遥の言葉を遮ると赤月はそのワンピースを広げて見せた。
 確かに赤月のような体格の男性が着るのには無理がありそうだ。 遥は細身ではあるが彼とてこの丈では本来見えなくていいところまで見えてしまいそうだった。
 遥は申し訳無さと恥かしさを入り混ぜて複雑な表情をすると姿勢を正す。 だが再びどうでもいい疑問が浮かんだ。
「あの、お若そうに見えますが……そんな年頃の娘さんがいらっしゃるんですか?」
遥の見立てでは赤月はまだ二十代で、当然十六・七の娘がいるには若すぎた。
「もう何年も会っていなかったが、君と同い年の娘がいる」
そう言って茜の方を見ると少し悲しげな表情をした。
 遥は同い年の女の子がこんな目に遭っているのを見て、 自分の娘の事を重ねたのかと思い更に申し訳なさを感じた。
「……でも、やっぱり、年頃の女の子の……その……ダメでしょう?」
 しかし、それとこれとは話が別だ。 少なくとも遥の中では……。 遥は再び顔を赤くし、どこか明後日の方向を見据えて言った。
 さすがの赤月も何度も言われてお手上げだという風に深い溜息をついた。
「わかって、くれたんですか……?」
 遥は小さく赤月を振り返るとそう少し安堵した。
 しかし、遥の気持ちとは裏腹に更にとんでもない発言を聞く事になる。
「じゃあ君が着替えさせてあげればいい」
赤月はそういうと服を遥に手渡し洞窟の入り口の方向へ身体を反転させた。
 遥は驚きのあまりポカンと宙を見て、状況を把握できていない。 だが言われた言葉を頭の中で反復しているうちに、みるみるうちに顔が赤く染まっていった。
「そんな事できる訳ないでしょうっ!!」
遥は色んな意味を込めてそう叫ぶと泣きそうな顔をした。
 それを見ていた赤月は今までで一番大きな溜息をついた。

...2008.11.20/修正02