魔法使いの法則

二話:森に住む少女/2

 遥が窓の外を見ると今日はすでに日が落ちていた。
「今日はもう遅い、出発は明日でもいいだろう?」
少女は不安げに遥の顔を覗きこんだ。 確かに茜と麗羅の安否は気がかりだったが、 現在所持している物は杖といつの間にか着ているこの舞服だけだ。 その状態で夜の森を移動する勇気は遥にはなかった。
 それに少女は今にも泣きそうで、それを強がった表情で隠している。 それを見てはとても拒む事はできなかった。
「(海里も、丁度この子くらいですよね……)」
同じ年頃な事に影を重ねたのか、 遥は少女を見て行方知れずの弟を思い出した。

 それは中学一年の終わり頃の出来事だった。
 母―美姫は元々病弱で、特にここ一年は横になっている事が多かった。 以前は麗羅の母である明と共に家事をこなしていたが、それもできない事が増えていた程だ。 その為、遥達は普段以上に母達の手伝いをしていた。
 しかしこの日は遥は高熱を出して寝込んでしまったのだ。
「ぼく一人でも行って来れるよ、お兄ちゃんはちゃんと寝ててね」
遥の弟―海里はそう言うと一人で出かけて行った。 そしてそれが遥の見た最後の弟の姿だった。
 夜になっても海里は帰ってこない、 そして麗羅も海里を探しに行ったまま戻ってくる気配がない。 体調が珍しく良かったというのに美姫は酷く青褪めていた。 起きてきた遥はその状況を知らされるなり再び顔色が悪くなった。
「僕が、海里を一人にしたから……っ」
ケホケホと咳き込みながら、溢れる涙を遥は拭いつづけた。
 美姫は遥の涙を拭い、慰めながらベッドに連れて行く。 だけど遥はベッドの中でも目を瞑ったまま涙を流した。
「(これがただの悪夢なら……終わりがあるならいいのに……っ)」
この後の事を遥は何も覚えていない。 だけど恐らく泣き疲れて眠ってしまったのだろうと思った。
 遥が次に目が冷めた時、美姫が傍らで遥の手を握ったまま眠っていた。
 眠る美姫の顔色は真っ青で涙が頬を伝った痕もある。 何故か寝巻きも変わっていたが、汗をかいていて母が着せ替えたのだと思った。
 しばらくして美姫も目覚めると「おはよう母さん……」と遥は言った。 それを聞いた美姫は涙をボロボロと流しながら遥を抱きしめた。
「起きたのね遥っ良かった、良かった……っ」
遥は寝ている間にまた自分の体調に変化があったのだろうかと思った。 覚えてはいないけど、母を酷く心配させた事だけはわかる。 海里の事もあったのに自分は……と罪悪感さえ覚えた。
 遥は強く抱きしめて美姫の背中を軽くさする。
「大丈夫です母さん、熱も下がったし……喉も、もう痛くないです」
遥は作り笑顔でそう答えた。 海里のこともあって本当に笑う事はできなかった。
 美姫は涙を流したまま遥を放すと驚いたように彼の顔を見つめた。 遥はそれに戸惑い首を傾げたが、美姫は「そ、そうね……」と苦笑するだけだった。
 それに疑問は持ったが遥は海里や麗羅の事が気がかりで追及はなかった。
「あの……母さん、海里や麗羅は……?」
俯きながらそれを聞くと、美姫は顔色は悪いがまるで遥と同じように作り笑顔を見せた。
「大丈夫よ、すぐには戻ってこれないけど、母さんの故郷で保護されたわ……」
そう言って遥の頭を軽く撫でた。 遥はそれが空元気なのは判ったが、母が嘘を付いていない事も判った。 "故郷"という母しか知らない人達の居る地、きっと遥にとっても大切な人がいる所、 だからそんな所に保護されたのなら安心だろうと遥は思った。
「良かったです……」
遥は自分もそして母も安心させたくて微笑んで見せた。
 その数週間後、美姫は病で亡くなった。 麗羅が戻ってきたのはまた数週間後だった。 しかしそこに海里の姿はない。 だけど遥は母の言葉を信じて不安をとうとう口にはしなかった。

 この少女のように弟も一人ぼっちなのだろうか、遥はそう思うと悲しくなった。
「じゃあ……今夜だけ泊めていただけますか?」
遥はぎこちない笑顔でそう答えた。
 少女にこのぎこちない笑みはどう映ったのだろうか、 哀れんでいるように見えただろうか、 少しでも微笑んでいるように見えた事を遥は心の中で祈った。
 しばらく少女は目をぱちぱちとさせながら遥を見つめていた。 そして言葉の意味を理解すると嬉しそうに笑顔を見せた。
「問題ない、そのベッドを使え」
「ありがとうございます」
少女が喜んでいる事が伝わってきて遥は嬉しかった。 だけど、遥には気がかりもある。
「(明日には……また一人ぼっちになってしまうんですね……)」
そう思うと遥は自分のやっている事に罪悪感を感じた。 先延ばしにした先に待っているもの、 それは今去って与える孤独と変わりないと、遥はそう思ったからだ。

 早朝、遥が目を覚ました時にはすでに少女は朝食の準備をしていた。
「やっと起きたか、ご飯くらいは食べていけるだろ?」
遥はキョトンとしたが、笑顔で「はい」と返した。 するとすぐ食卓に朝食が並んだ。
 少女に「座れ」と促され、遥は椅子に着席する。
「いただきます」
二人は手を合わせ同時にいただきますをした。
 食事を始めてしばらく経つと、少女は突然ある物に興味を示した。
「その制服、どこのものだ?」
「え?」
遥は一瞬ドキッとした。 昨日は二人共舞服に気を取られていたが、今遥は舞服を脱いでいた。 ヒラヒラとしていて寝苦しいだろうと言われたからだ。 その所為で今は制服がよく見える、少女はもうその制服がどこのものか気になって仕方ないという様子だった。
 遥は聖都市グランスの学校などと言っていいものだろうかと悩んだ。
「この辺りの学校やラーンデットのものではないだろう?獣人でないならゼファーも違うだろうし」
少女はブツブツと呟きながら朝食に出したパンを少し千切り口に運んだ。
「えーっと……」
遥は口篭もり、遠くを見ながら何とか誤魔化せないか考えた。 しかしこの少女は頭が切れるように思う、誤魔化しきれると遥は思えなかった。
「聖都市、グランスの制服なんです……」
一陣の風が吹き抜ける感覚を遥は受けた。 今辺りは静まり返っているからだ。 禁句だっただろうかと遥は身体を強張らせた。
「ふーん、またか」
しかし少女は軽く流す。 そのお陰で遥はもう一度一陣の風が吹き抜ける感覚を味わう事になった。
「そ、それだけですか?あの封鎖都市ですよ!?」
机をバンッ!と叩くと身を乗り出して遥は言った。
「驚いて欲しかったのか?毎年逃亡者らしい魔力所持者が確認されてるのに?」
少女はそういうと残りのパンを口の入れた。
 遥はその言葉を聞き力無く椅子に腰掛けた。 グランスは閉鎖都市だ。 この時期にグランスからの逃亡者がでるのが外の常識になっているのは知らなかった。
 だけど捕まった者がどうなったかも含め、今まで逃亡した者がいたという事実を遥は知らない。 遥はそれが少し気になった。
「よく考えたらあそこは天使の国、君が驚くはずないですね」
「まあな」
遥は頭の回転が悪くなったのだろうかと一人落ち込んだ。 だがそんな時、パチンッと何かを置く音が聞こえ遥はッハと顔をあげる。
「ごちそうさまでした」
少女は手を合わせてそう言うと自分の食器を重ね始めた。 遥の朝食はまだ半分以上残っている。
「は、早い……」
「お前は喋ってばかりいるから遅いんだ」
遥は思わず苦笑し再び食事を再開した。
 食事を続けながら遥はどこへ向かうべきか考えていた。 しかし街の外にでた事のない遥が行き先を決めるのは難しい。
「(知っている名前は魔法国家ラーンデットくらいですか……)」
闇雲に二人を探し回るのは逆効果だろう。 なら麗羅が車内で言っていた国、そこに向かうのが得策だと遥は思った。
 しかし遥は現在位置もラーンデットがどの方向にあるかもわからない。 完全にお手上げだった。
「お前、どこに向かうつもりだ?」
少女は食事を続ける遥に頬杖を付いたまま聞いた。 遥はまるで見透かされているような気分になったが、 今頼れるのはこの少女だけ、相談するべきだと思った。
「実は、この辺りがどこかわからなくて……」
遥はそう苦笑いを浮かべながらパンを千切る。 それを聞いた少女は呆れたような顔をしている。
「丸腰でこんな所にいて、どこに行くかも決めていないのか?」
怪訝そうに嫌味を言う少女の言葉を受け、遥は冷汗をかく。 だが行こうと思っている場所はある遥は負けじと言い返した。
「いえ、幼馴染とラーンデットへ行こう……と話してたのですが……」
遥の言葉を聞いた少女は耳をピクリとさせる。 もちろんそれを見逃す遥ではなく、首を傾げた。
 少女は何かを考えていたが、程なく口を開いた。
「人間なら受け入れてくれるだろう、悪くないんじゃないか?」
「そう、ですか?住み着くつもりはないのですが……」
遥は言葉を濁し俯いてしまった。
 グランスに戻れるなら戻りたい、母の墓石はあの国にある。 周囲の土ごと持ち出せれば移住しようと思えるが、そんな事は不可能だ。 だけどグランスに戻る事も不可能に違いなかった。
 少女は放浪する気かと疑問に思ったが、苦しげな彼の顔を見て何も言わなかった。
「……お前流れてきた川沿いにずっと行くと村がある」
「……村?」
遥は顔をあげ興味を示した。 村に行けば地図が手に入るかもしれない。 そうでなくとも話を聞ければラーンデットへの道のりが判るかもしれない。 そして幼馴染達を見かけなかったかも……。
「そこが一番近い、人の居る所に行けた方がいいだろう?」
少女がそう聞くと遥はコクッと頷く。
「ええ、助言ありがとうございます」
そう答えると手早く食事を済ませた。
 遥は食器を片付けるのを手伝いながら一応脱いでいた舞服をどうするか考えた。 水晶は割れてしまって使い物にならない。 杖は持ち歩けるが、舞服を持って歩くのは大変だろう。
「(着てくのが……一番楽でしょうか……)」
着てても歩くのもまた大変だと思うのだが、いざという時その方が楽だと思った。 だが母の大切にしていた物を傷付けてしまったらと考えると遥は溜息しかでなかった。
 再びあの舞服に身を包み、少女と二人で自分の流されてきた川に向かう。 手にはあの杖が握られている、今は生暖かいとは感じなかった。
 川までそれ程距離はなく、少女の住み着く大きな木は川からでも見る事ができる。 ただ魔物が出て危ないのだと心配して送ってくれたようだった。
「すいません、送っていただいて……」
遥は本当に申し訳無さそうに言った。
「別に……この川に沿って歩いていけば村があるから……」
少女は頬を染めながら村の方向を指さして言う。 その照れた様子が微笑ましくて遥は笑顔になった。
「本当、色々ありがとうございました」
遥がお礼を言うと、少女は眉尻を下げ寂しそうな顔をしたが、すぐ「ああ」と返した。
「それじゃあ、お元気で」
「お前もな」
遥は軽く手を振ると言われた通り川沿いを歩いて行った。
 しばらく歩いていると遥はある事を思い出した。
「(名前、聞くの忘れてしまいました……)」
遥は一度少女を振り返る、だがもう少女の姿は見えない。 遥は向かうべき方向を向き直すと小さく溜息をついた。
「また、会えるでしょうか……」
遥のその言葉は誰に聞かれる事もなく風に消された。

 一方少女は手を振る事もなく、そして泣く事もなくただ遥の後ろ姿を見つめていた。
 そして完全に遥の姿が見えなくなると、何かに気付いてゆっくりと口を開いた。
「随分と良い趣味をしているな赤い月、いつまで隠れているつもりだ」
その言葉に反応したように漆黒の羽根を散らし一人の堕天使が舞い降りた。 赤月だ。
 彼を取巻く漆黒の羽根は彼が静止すると辺りに散って消えた。
「君の様子を見にきていた、そしたら気がかりな彼が居てな……」
二人はどうやら知り合いのようだ。 そして赤月は二人の事をずっと見ていたらしい、 それを知った少女は口の端を吊り上げる。
「赤い月などという有名人に心配される言われはない」
「まあそう言うな」
赤月は軽く笑った。 少女はその態度にムッとしながらも腕を組み話を続けた。
「それで、あの男の何が気がかりなんだ?」
少女が率直にそう聞くと赤月も話をしようと一拍置く。
「こう言えば察しは付くだろう、彼の名前は黄泉 遥だ」
遥の名を聞いた少女は一瞬ギョッと目を見開いた。 だが少女は自分の描いてるその名前の主とあまりにも違う遥に戸惑いを隠せない。
 しかし赤月はその様子を気にする事なく続けた。
「黄泉と骸の血をひいた"悪魔の子"だ」
「名前を聞けば判るッ!あいつが、黄泉一族!?想像外過ぎる……ッ」
驚きのあまり少女の耳はピンと立つが、戸惑い始めるとすぐ垂れてしまう。 赤月は取り乱している少女に溜息をついた。
 だが"悪魔の子"が何かを知っている少女は口元を抑えて信じられないと俯いた。
「……で、私に何をさせようと言うんだ?」
  少女は俯いたまま、何かを確かめるように赤月に聞き返す。 その顔は青褪めていて、少女はよくない事を頼まれると思ったからだ。
「魔法を指南してもらえないか、彼に」
それを聞いた少女は予想外の言葉に目を見開く。 だけどすぐ信じられないという風に肩を竦めた。
「わけがわからん!そんな事して何のメリットがある!」
少女は厳しく言い放つとすぐ顔を背けた。
「それでも教えるというならお前が指南してやればいいだろう!」
少女は吐き捨てるように言った。
 赤月も最も意見だというような素振りを見せるが、 何か問題があるのか話を続ける。
「彼が未来も彼である為に必要なんだ」
赤月は目を閉じ顔を伏せた。 その苦しげな様子に少女は赤月を振りかえる。
「このままでは彼の未来は途絶えてしまう……」
赤月はそこまで言って沈黙した。
 少女はバツが悪そうに長い髪をくるくると弄びながら考えを巡らせる。 少女の知る赤月という者が考えなしにそんな事を頼むとは思えなかったからだ。
「……本当に大丈夫なのか?」
少女は注意深く聞いた。
「ああ、彼は良い子だ」
赤月の返事に少女は意味がわからんと返したが、 遥と一緒に居た時間を思い出すと、唇を強く噛み何かを決めた。
「わかった、だが私の好きなようにやらしてもらう、文句は言わせない」
赤月はその返答に苦笑のような微笑を返した。
「それに私は両親を許してない、旅先で見つけたらただでは済まさない」
少女は赤月を指差すとそう宣言した。 赤月はそれに苦笑する。
「君達は私達と違って話し合いで解決できるはずだ」
「勝手に言っていろ!」
少女はそう言い放つと踵を返して家へ戻った。 そして楽器のような物を持ってでてくると赤月を睨みつけ、遥に追いつくべく走り始めた。
 赤月はそれを黙って見送ると彼女が見えなくなる前に小さく呟いた。
「シス、遥君を頼んだぞ」
そう言うと赤月は漆黒の羽をはためかせ何処かへ飛んで行ってしまった。
 一方少女―シスにその言葉は聞こえていたらしく、シスは立ち止まる。
「人の気も知らないで……」
だがこの言葉は赤月には届かず漆黒の羽根だけが宙を舞う。 シスはその漆黒の羽根を見つめながら再び遥を追った。

...2008.11.03/修正02