魔法使いの法則

一話:旅立ち/5

 街中を猛スピード駆け抜けてゆく自動車、その後部座席に何かが落ちる音が響き同時に振動が起きる。 運転手がミラー越しに後部座席を確認すると、そこには今まで物置の中にいたはずの遥と茜がいた。
 移送魔法で飛ばされる直前まで半透明な光の壁を叩いていた遥だったが、 どこにどう飛ぶのか予測できず、思わず茜を抱き寄せたようだ。 その所為で二人共固く目を瞑り身を屈めている。 今だ目的地に着いた事に気付いていないようだった。
「いらっしゃ〜い、熱々だなぁまったく」
運転手はニヤニヤとしながらそう言うと遥はッパと茜を腕から解放した。
「れ……麗羅!!」
遥はミラー越しに運転手の顔を確認し、その名前を呼ぶと顔を真赤にして睨みつけた。
「青春だね〜♪」
だが麗羅は遥の様子など気にせず茶化すような態度にでる。 その為に遥の顔は更に火がふきそうなほど赤みを増した。
「ここどこっ明おばさんは!?」
一方茜は何が起こったのか今だ理解できず高い声をあげる。 その顔は先程の恐怖で今にも泣きだしそうだ。
「落ち着けよ茜!てかあんま暴れないでくんねぇ!?」
麗羅は車体があまりにも揺れるのでそう制す。 するとその声に反応してようやく茜は冷静になった。
 最初はキョロキョロとしていた茜だったが、 ミラー越しに麗羅を確認すると首を傾げる。
「麗羅……どうしてここに?」
「いやどうしてって、俺が運転してるわけだから」
そう返すと麗羅はチラチラとミラーに映る茜を呆れ顔で見た。
 二人のやり取りが落ち着くと遥もようやく落ち着いたのか安堵の息を吐く。
「今日は良く飛ぶ日です……」
「あ?移送魔法もう経験してたのか?」
麗羅は驚いてみせるがミラーに映ったその顔はどこか残念そうだ。
「数時間前に……移送魔法かはわからないですけど」
母から教えられてきた言葉が移送魔法とは思えない遥はそう答える。 だが遥の答えの意味がわからなかった麗羅は首を傾げた。
 しかし遥は世間話をしている場合ではない事を思い出し唇を噛む。 どこに飛ばされるかという不安で一瞬でも忘れてしまっていたが、 今は明が危険なのだ。
「どうした?」
麗羅はその様子に疑問を感じて更に首を傾げる。 その問いに焦っている遥は後部座席から身を乗り出した。
「明さんは魔力所持者なんです!逃亡を手伝ったなんて、ただじゃ済みません!」
遥は不安を訴えた。 いくら規定年齢を過ぎている魔力所持者とはいえ、 検査に引っ掛かった魔力所持者を二人も逃がしたとなればただで済むはずが無い。 最悪処刑されてしまうのではないかと、遥はそう考えさえした。
「いずれ助け出す」
だが麗羅は簡潔にそう答える、先程までとは違い表情はない。 遥は期待外れの言葉に肩を強張らせた。
「そんな悠長な事を言っていたら……!」
「俺達だけで何ができる、何もできねえだろ?」
麗羅はそう冷静に言うと悔しそうに唇を噛む。 その様子を見て遥は心情察したのか言い過ぎたと口を抑えた。 明が危ない状況に陥って、息子である麗羅が辛くないはずがない。 それに麗羅は一人でも逃げられたはずだ。 明が今危険なのは自分の所為なのだと遥は俯いた。
「ごめん麗羅……」
遥は後部座席に力無く座るとそう謝った。
 しばらく様子を見ていた麗羅だったが、完全に縮こまってしまった遥に麗羅は苦笑する。
「お前今、自分の所為とか思ってんだろ?」
麗羅は首を傾げ「ん〜?」と聞いた。 遥は力無く頷く。
「俺を逃がしてるんだぜ?どっちみちお袋は捕まってた……」
「でも一緒に逃げれば……」
遥はそう呟きつつ、逃げ道などあったのかという事を考え口を噤む。
「だから、外でたら魔法国家で良い方法がないか聞けばいいだろ?」
なんだったら協力してもらえないかとかさっと繋げると麗羅は軽く笑う。 作り笑顔ではあったが、遥はその心遣いを無駄にはできないとなんとか笑顔を向けた。
「やっぱり、さっきの話って本当なの……?」
二人のやり取りをずっと黙って聞いていた茜はおずおずと言葉を挟む。 あの継とのやり取りの事を言っているのだろう。 遥は何の事かわからず首を傾げた。
「さあどうだろうな」
だが麗羅はそう答え、片手をハンドルから離すと髪をかきあげる。 そして今でさえ猛スピードで走っているというのに更にスピードを上げた。
 急なスピードの変化に二人はバランスを崩しそうになり、 縁に捕まってなんとか体勢を元に戻すとッホと息を吐く。 それを見計らったかのように麗羅は口を開いた。
「遥、お袋の事……見捨てるつもりはないから」
遥の方は一切見ずそう言い、麗羅はハンドルをきる。 気にしていたのかと遥は思い少し申し訳ない気持ちになったが、 「はい」と返事をした。

 しばらくして麗羅は自動車を止めると、二人に降りるように言った。
 二人は言われた通り車外へ出ると、それが墓地の傍にある街外れの崖である事に気付いた。
「こんな所でどうするんですか?」
遥はキョロキョロと辺りを見回しながら聞いた。
「ここに"一応"助けが来る予定なんだよ……」
麗羅は歯切れ悪くそうぼやくように言うと、 ズボンのポケットから丸くて小さい水晶のようなものを取り出す。 それを自動車目掛けて投げつけると辺りに霧のようなものが溢れ、 霧が晴れると自動車は姿を消して水晶だけが残った。
 遥は一瞬目をパチクリとさせたが、そういう道具が外の世界には存在するという話を思い出して関心する。 そしてその水晶を拾い上げると明に渡された水晶と見比べる。 サイズなどの違いはあるものの、特別な違いはわからない。
「あの、これって中の物はどう取り出すんですか?」
遥は拾い上げた水晶を麗羅に渡しながら聞いた。
「魔力を込めるらしいが、あー、でも物によるらしいぜ?」
「そうですか……」
そう返すと遥は"魔力を込める"というのはどのような感じか想像する。 しかし、魔法についての勉強はしたが使う方法についてはまるで無知だ。 それに自分の受け取った水晶は方法が違うかもしれない、 結局諦めたように溜息を付くと、遥は適当なポケットに水晶を戻した。
 崖には元は遺跡のように思われる朽ちた柱が何本も立っている。 それを麗羅は何かを探るように調べはじめるが、二人は待つしかない。 そして何となく街の方を振り返るとここが"天の塔"の次に高い事に気付いた。 整えられた長方形の町並みを見下ろす事ができたからだ。 "天の塔"を中心に整えられた街並みは知ってはいても感心してしまった。
 逆にこの場所は街並みに溶け込まず独特な雰囲気を持っている。 確かグランスは魔法兵器から街を護る為に結界を張っていたはずだが、 守られているという暖かさを持つ街と違い、あまりに寒々しく守護とは無縁のようだった。
 そんな事を考えていると遥は急に背筋がゾクゾクと震える。 背筋が凍るというのはこういう事だろうか、何かを恐れているような、何かに見られているような、 そんな悪寒を感じた。
 遥は恐る恐る見られているように感じるその方向を振り返る。 そこには少し朽ちた墓石があった。
「これは……」
ここからすぐの場所に墓地があるはずなのに、何故均等に揃えられた中にこれはないのだろう。 遥はそれに近付いていく。 近づけば近付くほど鼓動は脈を早め、暑くも疲れてもいないのに嫌な汗が頬を伝う。
「(なんでこんなに……苦し……)」
遥は胸を抑える。 そして墓石の前に立つとそこに刻まれた名前を見た。 擦れて読む事はできない、一人分に見えるが二人分の墓なのかもしれない。 それを読み取る事を遥にできるはずがなかった。
 だけど色々な感情が渦巻いた名前がここには刻まれている気がする。 そしてここに刻まれてる名前を自分は知っている気がする。 遥は自分の頭に何一つ浮かんでこないその名前を紡ごうとした。
「擦れて読めねーじゃん」
その時、麗羅は遥の肩を抱くとそう率直な答えをぶつけた。 遥は我に返ると麗羅を振り返る。 嫌な汗は引かない、だがもう一度その墓石を見ても何も感じなかった。
「そ……そうですね」
そう言うと遥は麗羅の腕から逃れ踵を帰すと、麗羅は再び墓石を眺め唇を噛み締める。 漠然とした遥と違い、明らかに麗羅はそれが何であるか知っているようだった。
 そんな麗羅の様子に気付いていない遥は、 同じ墓を遠目で呆然と見つめている茜が目に映り不審に思っていた。
「茜?」
遥は茜のすぐ傍に近付くとそう首を傾げた。
「ん……?何?」
だが茜は自分が呆然としていた事にも気付かなかったように、首を傾げ返す。 それには遥は苦笑するしかなかった。

 「しかし、怖いくらい整った街並みですね……」
街並みを眺めていた遥は突然そんな事を口走った。 三人共待っているだけの今をどう過ごすか悩んでいるようだ。
「だな、こんな街作ってるのって天使くらいのもんだ」
「あ、外にでた時に見たとか?」
遥は麗羅に聞き返す。 だがその時は遥の弟が連れ去られてそれを追っている状況、 しかも怪我を負って帰って来た麗羅に外の街を見ている余裕などあったのだろうか。 大体脱出どころか進入する事も困難なこの街なのに、 弟を連れ去った者はどこから進入したのだろう。 簡単に進入できるようなら外にあるらしい魔法国も魔力所持者が捕縛されるのを阻止できるはずだ。 遥には疑問が山積みだった。
「ん?まあそんなとこ、でも整ってる所も……」
麗羅はそこで言葉を止めた。 遥も外での出来事を思い出すのは辛いのだろうとあえて追求はしなかった。
 二人が街並みの話をしている間、違う方向を眺めていた茜が何かに気付き口を開いた。
「家から人が沢山出てきた……」
それを聞いた二人は家の方向に視線を移した。 遠くてよく見えないが今まさに連行されようとしている赤を基調とした服を着ている人物には見覚えがある。 今日明が着ていた服だ。
「明さん……!」
それを目にして遥は思わず声をあげる。 そして前に踏み出した拍子に崖から落ちそうになった所を麗羅に助けられた。
「あ、ありがとう麗羅……」
麗羅はいや……と視線は家に向けたまま答えた。
 二人が動揺していても麗羅だけは冷静だ。 同じ学年に通っていても二人より一つ年上で、兄のような存在だと自負しているからかもしれない。 そんな時麗羅はこちらを見ている者がいる事に気付いた。
「騒ぐな落ち着け!」
麗羅がそう叫ぶと二人は静かになったが、 こちらに気付いた者はもうここに向かって走り出す。 麗羅は思わず舌打ちをするとポケットから二つ程物を取り出した。 麗羅この場所の中間辺りに麗羅は立つと、 一つは左手に握ったままもう一つにはボソボソと何かを呟く。
「何を、やっているんですか?」
遥は少し遠慮がちに尋ねた。
「……助けが間に合わなそうだから、他の方法で逃げ出す準備」
麗羅はそう溜息混じりに言うと、二人は「ごめん……」と謝罪した。 しばらく二人を横目で見ていた麗羅だったが、 これ以上突付くとどちらか泣き出してしまいそうな暗い面持ちに思わず噴出した。
「ッもう気にすんなよ、過ぎた事はしゃーねえだろ?」
麗羅は腹を抱えいつものように笑い出す。 二人がこれで立ち直るはずがないのは判っていたが、 とりあえず落ち着けばいいかと麗羅は苦笑した。
 「あ、お前ら準備運動しとけよ?」
麗羅はそう言うと先程ボソボソと呟きかけていた物をポケットにしまう。 そして二人がはじめるより先に軽い準備運動をはじめた。
「何故準備運動を?」
遥は言われた通り準備運動をはじめながらもそう尋ねる。
「紐なしバンジーの準備だ」
麗羅はサラッと返した。
「ああ、紐なしバンジーですか」
遥はまるで聞き流したかのように平然と返した。
 一部始終のやり取りを見ていた茜は遥の腹部に一発蹴りをかますと、麗羅に詰寄る。 遥はというと痛みに腹部を抑えその場に蹲っている。
「ここ崖よ?この下海よ?どうして紐なしバンジーなの!?」
「紐ありバンジーじゃ捕まんだろ」
茜は両手で頭を抱えるとそういう話じゃなくてー!と叫ぶ。 思わず麗羅は肩を竦める。
「……ぁ、あかにぇっここから、逃げ、には……こえしかない……ですよ」
腹部を抑え嫌な汗をかきながら、遥は痩せ我慢といった表情で答えた。 しかし呂律が回っていない。
「出入り口は……」
「基本的に閉め切ってるし、結界が緩いから見張りも厳重だ」
茜の言葉を遮るように麗羅は答える。 ここも結界が緩いのだが、崖という事もあって人気はない。 だが助けが来るというには少し可笑しい点が多い。 断崖絶壁のここにどう助けがくるのだろう。 だが遥はあえてその疑問を口にはしなかった。
 突きつけられた現実に血の気が引いたのか茜は膝をつく。
「……茜、今からでもここに残ってもいいんですよ?」
遥はそんな茜を連れて行く事を躊躇わずにはいられず言った。 茜は魔力所持者ではない。 遥と麗羅の二人に連れまわされたと証言すれば助かるはずだ。 正直彼女を一人あの家に残すのは心苦しいが、 クラスメイトはきっと受け入れてくれるはずだと思った。 問題は彼女がこの国に居る事に耐えられるかだろう。 だが茜は首を縦には振らなかった。
「……一緒に行く、二言はないわ」
茜はそう頑なに言うと、完全に動きを止めている二人を無視して準備運動をはじめた。
 一方遥は複雑な気持ちを抱えずにはいられない。 そはきっと麗羅もだろう。 一緒に行くと言ってくれて嬉しいと思う気持ち。 危険な目に怖い目に合わせたくないという心配な気持ち。 だがもうそんな事を考えている時間も残っていなかった。
 「居たぞ!」
この叫び声に三人は一斉に振り返った。 その間にも続々と継の取り巻き達がやってくる。 自動車に乗っていた遥達はわからなかったが、普通に登るには少し急らしい。 まして彼らは街中を走り回っていたのだろう、息を切らし汗だくになっていた。
「……もう逃げられないぞ」
その取巻き達の間から継は姿を表すとそう呟いた。 継は決して麗羅や茜を見る事はなく、真っ直ぐ遥だけを見つめている。 遥は視線に気付いて目を伏せた。
「蘭 茜、お前は魔力所持者じゃない、家に帰れ」
「誰が帰るもんですか……!」
取巻きの一人の言葉を茜は拒絶した。 しかし、喧嘩や揉め事が苦手な茜は少し震えている。 遥がさり気なく茜を自分の背に隠すと、麗羅はパンパンと注目を引くように手を叩いた。
「まったく遥々すまんね、こんな所まで」
「何がだ!」
ヘラヘラと笑う麗羅を怪訝な眼差しで取巻き達は見た。
「遥を渡す訳にはいかなくてね」
途端麗羅は皮肉めいた笑みを浮かべると、左手に握っていた物を継達目掛けて投げつける。 同時に白煙が舞い完全に視界が遮断される。 その場にいた麗羅以外の全員がゲホゲホと咳き込み、辺りに混乱が生じた。
「飛び降りるぞ!」
先程とは違い真剣な声で麗羅は叫ぶと、自分の後ろに居た二人を海目掛けて突き飛ばす。 二人の身体は白煙を逃れ宙に投げ出され、その後を追うように麗羅も飛び降りる。
「(!!……母さんッ)」
遥はポケットにしまっていた水晶を思いながら歯を食い縛り目を瞑った。 そして水面に激突する直前、白い輝きが三人を包んだ。 だがそれを三人が知る事はなかった。
 白煙が少し晴れると唯一麗羅の言葉を聞いていた継は駆け出す。
「待て淳!……遥―――――――ッ!!」
崖の先端に這いつくばるように継は海を見て叫ぶ。 そこには三人の姿も継の叫び声に対する返事もない。 返ってきたのは見下ろした先にある海に残った波紋だけだった。

...2008.10.26/修正02