一章*全ての始まり

 地上に行って以来、イヴルは久々にこの場所にやってきた。
 創造主の間の前で、いつ来ても彼は憂鬱そうな顔をする。 いつ行っても彼の望むものはない、でもそれは仕方ない事、これでも暴力的なのには慣れた方だ。
 しかし今だに慣れないものが彼には二つもあった。 入るまで判らない"これに"対応する術もわからない。
「……ウォレス様」
 そうイヴルは呟くと目を瞑り、覚悟を決めたかのように大きく豪華な装飾の扉を開けた。
「あ、イヴル君かい?」
 声の聞こえる先には指を組んだその人が笑顔でこちらを見ていた。 短い銀髪の青い瞳、怒夏と呼ばれ、哀秋と呼ばれた人物だ。 しかしそれらの人物像とはまた違う印象を持っていた。
「……楽冬、様?」
 イヴルはそう訝しげに聞く。
「様は止してよ、私はそんな器じゃないし、だるいし、君とは対等でいたいよ」
 楽冬と呼ばれた彼は溜息を付くとそう言った。
 その言葉に困惑しながらイヴルは少し歩み寄る。 この楽冬は考えがつかめず苦手だった。
「ねえ、喜春はどうしてる? 元気にしてる?」
 近くに来たイヴルに楽冬は楽しげな表情で聞く。
 イヴルは喜春という名前に少し目を泳がせた後、恐らくと答えた。
「そうか、ならいいんだ、私は元気だよって伝えておいてよ」
 楽冬はまた笑みを浮かべながら言うと、ヒラヒラと手を振る。
 それに目を丸くしたイヴルは小さい溜め息を付く。 喜春は彼の事など気にしていない、その上この合図は性質が悪い。
 彼はいつもマイペースだ。 そして対等でいたいと言いながら喜春以外に興味がないのも知っている。 しかしこちらの事などお構いなしに帰るよう合図されるのは不服だ。
「……失礼いたします」
 だけどイヴルは何も言わず救世主の間を後にする。 扉を閉じるとまた大きな溜め息を付いた。
 廊下にでてきた彼を確認したアイゼルが深々と頭を垂れる。
 イヴルは口には出さず頭を横に振り付いてくるように合図した。
 アイゼルも何も言わず黙って後に続く。
「僕はあの子に用がある。だから、今回はお前に任せよう」
 目だけ彼女に向け、イヴルは言う。
 その言葉を聞いたアイゼルは一瞬目を見張る。 しかしすぐ余裕ある表情をした。
「お任せください」
 彼女の返事にイヴルも満足そうに笑うと、二人は下界に向かい歩き出した。

十話:来襲

 目の覚めたアレンと付き添っていたシェールが少しぎこちなくなってから二日が経っていた。
 少なくともカーネルにはそう見える。
 しかしアミルトから見るとシェールの様子は可笑しいが、アレンは普段通りだと思えた。
 アレンはまだ治りきらない傷を覆い隠すように自分の服を身にまとう。 包帯越しでもすれて痛みを感じるが、いつまでもここにいる時間はない。 そうアレンは焦っていた。
「兄さん、もっと、身体を休めたほうが」
 アミルトはもう大分回復している。 だけどアレンは目が覚めて二日、医者も止めている程まだ安静が必要だった。
「必要ない」
 しかしアレンは聞く耳は持たない。
「でも」
「俺達が気を付ければどうにかなるだろう」
 なお止めようとするアミルトにカーネルは言うと、二人を通り過ぎ先に進む。
 アレンはその後姿を追うと、小さく礼を言う。
 それをカーネルは黙って受け取ると先に外にでた。
「……兄さん」
 アミルトは少し顔を曇らせると、小さく呟く。
「行きましょう、アミルト」
 シェールもあまり元気はなかったが、少しアミルトに笑って見せ外に向かう。
 それを見て、アミルトは首を横に振ると、「はい」と答えて後を追った。

 物資調達と聞き込みをしながら町の出口に向かい一行は歩いていく。
 村からでた事のなかったアミルトはレーファスの城下町に目を丸くしていた。 やたらとうろたえている彼を見た通行人が小さく笑っている。
 旅をしていたアレンやカーネル、そしてセイクール皇国の研究機関に属しているシェールにとって都会は珍しくはない。 だから田舎者だという目を向けられているアミルトに頭を抱えた。
「アミルト、キョロキョロするな……おのぼりさんみたいだ」
 実際田舎者なのだがアレンはまるでそうではないかのように言う。
「だが事実だ」
 何かを自覚させるように突然カーネルは呟いた。
 それをアレンは怒ったように小突く、少し痛みが走り冷や汗が流れる。
 しかしアレンの意図とは別に漫才のようなやり取りを見ていた通行人の目がアミルトから彼らに逸れた。
「まったくバカね、……」
 シェールはそれを嘲笑するように見ていたが、アレンの言動に親友を重ねて複雑な気持ちになる。
 今まで会話に参加できていなかったアミルトも彼女の様子に気付いて思わず悲しそうな顔をした。
「どうしてアミルトがそんな顔をするの?」
 アミルトの表情に気付いたシェールは目を瞬かせて聞く。
「いえ、その、何だか、元気がないみたいなので」
 顔を赤くし、うろたえながらアミルトは答えた。
 シェールは少し目を丸くするが、困ったように笑う。
「たいした事ではないのよ、心配しないで、それより……」
 笑ってみせたシェールが語尾を濁し、更に赤面したアミルトは首を傾げる。
「二人はどこに行ったのかしら」
 冷めた目でシェールは言った。
 アミルトは先程以上に辺りを見回すが、二人の姿はない。 余所見をしている間に離れ離れになってしまった事実に苦笑いを浮かべた。

 漫才のような会話を終えてしばらく無言で歩いていたアレンは後ろを振り返り足を止めた。
 カーネルは首を傾げると同じように立ち止まる。
「おい、二人はどうした」
 アレンは冷めた目で聞く。
 しかしカーネルは更に首を傾げて見せた。
「迷子か……、また分散してしまったな」
 重傷を負ったあの日を言っているかのようにアレンは小さく息を吐く。
 だけどカーネルはそれには答えなかった。
「何か言いたい事があるのか?」
 アレンは微笑する。 幸いこの辺りは人通りが少なく丁度いいと彼は思う。
「シェールに事実を話さない事か? だが兄として見過ごせないなんて、柄ではないだろ」
 カーネルはアレンの言葉に少しだけ驚いて見せる。
「お前も気付いてたのか?」
「ああ、シェールももう気付いてるだろ?」
 アレンは笑って見せた。
「まあな」
 以前兄の話をされた事を思い出しカーネルは微笑する。 赤の他人だと思っていたらカーネルに身の上話をするはずがない。 お互い名乗りではしなかったが、恐らく気付いているのだろうとカーネルは思う。
 しかしカーネルは少し違和感を覚えた。 それはシェールについての事ではなく、彼の態度の事だ。 いつも沸点の低いアレンがこうしていつもより笑っている、それがすごく可笑しいと感じた。
「やはり、可笑しいな」
 カーネルは小さく呟く。
 アレンは困ったように笑いながら「何が?」と首を傾げた。
「まるで、アレンみたいだ」
 しかしカーネルの言葉にアレンは目を丸くすると、途端笑みが消える。 そして少し俯くと、また小さく笑った。
 カーネルには何が笑えるのか理解できず、少し目を細める。
 だけどアレンは顔をあげ、やはり笑うのをやめない。
「時間、なさそうだろ?」
 アレンはそう告げると、彼に背を向けた。
 カーネルは声をかける事はせず彼の言葉を待つ。
「早く取り戻さないと、私達は終わりだ……、休んでる暇などない」
 アレンは唇を噛み握った拳に力を込める。 するとまた身体に痛みが走り、怪我をしている身体に申し訳なさを感じながら苦笑した。
「怒りはしないだろ」
 カーネルはアレンの背中に向かって告げる。
 彼の言葉にアレンは振り向くと、また笑みは消えていた。
「わかってる、だが、私達がどうなるのか、それがわからなくて怖いよ」
 そう言って顔を伏せる。
 カーネルはそれ以上何も言わず彼を見ていた。
 どちらともなく歩き始めるが二人は無言だ。 特に問題はないが、少し気まずさを感じた。
 しかししばらく歩いていると、少し違和を覚え二人はまたどちらともなく立ち止まる。
「可笑しくないか」
 アレンは訝しげに聞く。
 確かに人通りの少ない道ではあったが、人の多い所を目指して進んでいたはずだった。 だけど今は人一人いない。 単純に人がいない、そういう話ではないように思う。 日中の町の中、家から人の声がしていいものだがそれもないのだ。
「集団睡眠」
 気を紛らわせようとカーネルは小さく呟く。 当然そうは思っていないのだが、この雰囲気は危ない気がした。
 アレンも普通でない事もカーネルが気を遣っている事もわかったが、普段通り小突く。
 そして少し自分達の気分が軽くなった所で辺りを見回した。
「殺されているのか?」
 小さい声でアレンは聞く。
 カーネルはわからないというように首を横に振る。
「……仮に生きているとして、これは人の所業ではないな」
 再びアレンは聞くと剣の柄に手をかけた。
 するとカーネルは小さく頷いて見せ剣の柄に手をかけ背を預ける。
「安心しろ、お前に用があるだけだ」
 頭上から声が聞こえ二人は見上げると、唐突に斬り込まれ体勢を崩した。  相手の背中しか見えないが、黒髪でいつかの青の神と同じ緑を基調とした服を身に纏っている。 その人物は剣を振り払うと一度鞘に収めた。
 二人は顔を歪めるとその人物を睨むように身構える。 恐らく神、そう考えが至ると嫌な汗が流れた。 ただこの口ぶりから狙いはアレンかカーネルなのだろう。
「私はアイゼル、青の神イヴル様の部下だ」
 恐れられている、そう気付くとアイゼルは嘲笑するように笑い振り返った。
 二人はアイゼルを正面から見て驚いたように目を丸くする。 男性的な物言いと態度から女性という認識を持っていなかった。
「お前と同じだろう?」
 アイゼルは二人の考えている事を読みまた嘲笑する。
 アレンは驚き身構えると、同じように驚いたカーネルがアレンの前にでて鋭い目付きで彼女と対峙した。
「お前への命令は受けていない」
 そう言い放つとカーネルの剣を弾き、カーネルとアレンの間に割って入る。 そしてアレンの両肩を掴むとほくそ笑んだ。
 突然の事にアレンは対処しきれず剣を抜けない。
「一緒に来てもらおうか、二つの魂を持つ者」
 カーネルは反転すると手を伸ばす。
 しかし二人の姿は手が届く前に消え失せた。

...2012.08.04