神々の頂点に立つ創造主の間には、強い結界が張られている。
中へ入れるのは強い力を持った青の神イヴルとその姉であるウィンドだけだ。
その為中でどのような事が行われようと下級の神々には伺い知れぬ事だった。
「っつ……ぅ……」
創造主が座る玉座の目の前、イヴルは意識を取り戻し苦しそうな声をあげた。
口の端を切っているようで、彼の口の中に鉄の味が広がる。
頭を数回打ち付けられているのか彼が額に触れると手にベットリと血がついた。
自分の負った怪我を知り、呼吸が苦しいのは何度と首を絞められたからだろうと察した。
彼は身体を起こす、だけど長い髪が傷口に触れ痛みに顔をしかめた。
そして状況を整理する。
抵抗もせず与えられた暴力に耐えていたがいつしか気絶してしまったようだ。
「イヴル……!」
不意に彼は名前を呼ばれ、そちらを見た。
駆け寄ってくる人物は短い銀髪に青い瞳、緑を基調とした服を身に纏った先ほどの彼をいたぶった人物だ。
しかしその人物の様子は先度とは違いイヴルを抱き起こすとボロボロ涙を零した。
「また"怒夏"にやられたの!?」
イヴルは彼の様子を見て状況を把握すると静かに微笑んだ。
「"哀秋"、君が泣く必要はないよ……」
哀秋と呼ばれたその人物は涙を拭う。
秋の如くどこか切なく、常に哀しみをまとった瞳。
「どうしてあいつはイヴルを傷付けるの……?」
その悲しい表情から次に生まれる感情は憎悪だった。
「どうしてイヴルはあいつを生かすの……?」
哀秋はイヴルの手をギュッと握った。
「殺しちゃおうよあんな奴……」
イヴルの顔から微笑みは消える。
「あんな奴いらない、必要ないじゃない……ボクたちがいるよ?」
子供じみた狂気、それに満ちた表情で哀秋はイヴルに言う。
「ボクが"死んだのだって"あいつの所為なんだから……!」
イヴルは哀秋の手を握り返す、すると狂い泣く哀秋がピタリと止まった。
「もう少し我慢して、僕には"お前達四人"が必要なんだ……」
ふとイヴルは広間の奥を見た。
玉座の後ろにある豪勢な幕、まるでその奥に何かあるように……。
しかし彼は途端苦しげな表情をするとそのまま意識を飛ばした。
哀秋は固く口を結ぶと、イヴルを創造主の間からそっと外に出した。
一言の会話もなく、アミルト達四人は森を歩いていた。
魔物が姿を現してもアミルトが驚いて悲鳴をあげるだけ。
それに反応してアレンが剣と共に舞い魔物達は散っていく。
たまの取りこぼしもカーネルが即座に斬り倒す。
その繰返しだ。
そんな繰返しに耐えかねたシェールが大きな溜息を付いた。
「ちょっと貴方」
「は……はい!?」
アミルトは不意に呼び止められて飛び跳ねた。
振り返るとシェールが腕を組み怪訝な眼差しでこちらを見ている。
その様子に彼は冷汗をかいた。
「うるさい」
シェールの容赦ない一言がアミルトの心を貫いた。
相当ショックだったのだろうか、その場に崩れ手をついてメソメソと泣き出す始末だ。
「男の癖に弱いわね」
シェールはさらに追い討ちをかけるように針のような言葉で心を突き刺す。
「そう言うな、あいつは守られて育ってるからな」
アレンはそんな二人のやり取り見かね助け舟を出した。
しかしフォローになっていない。
「兄さん……それ、フォロー……?」
「そのつもりだったが……なっていないな」
そういってアレンが苦笑しがちに微笑むとアミルトは複雑そうな表情を浮かべる。
「フォローのしようもないなんて、終わってるわね」
シェールはそう言うと口に手を添えてププッと笑った。
アミルトは再び言葉に貫かれメソメソと泣き出した。
「あまり網で遊ぶな、日が暮れるぞ」
黙ってやり取りを傍観していたカーネルは表情を変える事なく言い放つ。
三人の間に沈黙が走り、聞こえる音といえばひゅうぅと吹きぬける風の音だけだ。
「あ……網?」
アミルトは戸惑ったように口をヒクヒクさせる。
他の二人も当然言葉を失っているのだが、当のカーネルは首を傾げ何が可笑しいと言った風だった。
「え……えっと、略すのは構わないんですけど、何で、当て字……」
アミルトはダラダラと汗をかきながら苦笑いを浮かべた。
行き場の無い手が宙でフルフルと震えている。
「……網、アレン、貝と呼ぼうと思っているのだが」
その発言に一瞬場が凍りついた。
「ちょっと、その貝っていうのはもしかして私の事かしら?」
シェールは腕を組み、口の端をヒクヒクさせながら聞き返す。
「ちょっと苦しいような……」
「そういう問題じゃない!!」
小さく呟いたアミルトをシェールは小突く。
いや小突くなんて可愛いものではない、アミルトは地面に突っ伏して地上に上げられた魚のようにピクピクしていた。
「大体何で私とこの子だけがあだ名なのかしら」
蹲って頭を抑えるアミルトを今度は足蹴にしながらシェールは言う。
弟を足蹴にされるのを複雑そうに眺めていたアレンがカーネルの代わりに口を開く。
「呼び名など小さい事だろ」
「アレンは黙っていなさい!」
シェールはヒステリックに叫ぶと一層強くアミルトを踏みしめた。
もはや何を踏みしめているのかなど判っていないのではという程の力だ。
手酷く扱われてる当人は三度メソメソと泣き出したがもはや誰も気に止めない。
「何故アレンだけなのかしら、返答次第ではここで張倒すわよ?」
口の端を引き攣らせながらも冷静に切り返すシェールだが、
言葉では言い表さない分アミルトを踏み付ける力は増していく。
痛みに耐え兼ねたアミルトが白旗を揚げるように助けを求めている。
だけど誰も気付かない、話し合いに夢中だ。
「お前こそ、網を名前で呼んでいないだろ?」
それを聞いたシェールは一瞬アミルトを踏みつけた足をどけた。
その一瞬を付き逃げようとしたアミルトだったがその考えは甘い。
言葉の意味を理解したシェールはカーネルを鋭い眼光で睨みつけると、
最大限の力を使ってアミルトを踏みつけたのだ。
アミルトはもはや声にならない悲鳴をあげ、再び打ち上げられた魚のようにピクピクと身体を震わせた。
その瞳は虚空を彷徨い、本当に魚になった気分を味わっているだろう。
「私の事は関係ないでしょう!今は貴方の話をしているのよ!!」
当のシェールはそんな事はまるで気にしない。
踏みつけた足はそのまま腰に手をあて、もう片方の手でカーネルに指を突きつけた。
「私の名前がわからないのなら教えてあげるわ、私はシェール……シェール・ディミントゥルよ!貝でもシェルでもないの、おわかり?世界一の研究機関に配属されているあのシェール博士なのよ!?」
一瞬何かを思ったカーネルだったが、ふんぞりかえるシェールの様子に溜息を付いた。
まるで可哀想なものを見ているような目だ。
「何かしらその呆れたような溜息は!」
「ようなじゃない……呆れたんだ」
その一言に湯気が立ちそうな程怒りを露にしたシェールはカーネルに掴みかかった。
「何ですってー……っ!もう一回言ってみなさい……!!」
それに乗じてアレンはアミルトを救い出すが、現実に戻ってきたアミルトは相当ショックだったのかシクシクと泣き出す。
そんなアミルトを哀れに思いアレンはポンポンと慰めるように頭を叩いた。
「とーにーかーくー!人の名前くらい正しく呼びなさい!」
カーネルは遂に観念し、「わかった、シェール」と呟くと先に進みだした。
これ以上面倒はごめんだと言うのが正直な気持ちで、決して彼女の勢いに臆したわけではない。
しかし何かに気付くと、彼は足を止めた。
「アミ、さっさと立て」
「……僕はやっぱりあだ名なんですね」
アミルトはうう……と嘆いた。
しかし彼のあだ名呼びより気になるものがある。
それはシェールが自分の名前を呼んでくれてないという事実だ。
「(やっぱ僕って名前呼ぶだけの価値もないのかなぁ……)」
シェールの後姿を見つめながら、アミルトは小さく溜息を付くと俯きながらも前へ歩き始めた。
...2010.06.21/修正01