Trente et Quarante

第九話:新しい約束/5

 ノワールは自分の記憶を頼りに空中庭園を目指した。
 煙が充満している廊下に息が苦しくなるが、急がなければいけないと感じて直走る。だけど視界が悪すぎて思うように進めず、とうとう立ち止まってしまった。
 しかしどこからか物音が聞こえ辺りを見回す。何かがぶつかるような音が、一定の間隔で何度も響いてくる。
 ノワールは自然に音の聞こえた方向に向かっていた。
「っは、っはあ……、ここがっ」
 肩で呼吸しながら呟くと、目の前の光景に息を呑んだ。恐らくここが空中庭園なのだと彼は思う。
 噂で聞いてはいたがこれほど美しい庭園を保有しているとは思わなかった。そして何より、ここだけは被害がでていない。
 呼吸が楽になってくると、ノワールは庭園の中を歩きながら、先ほどの音の発信源を探す。
 だけどここに着いたくらいから音は弱くなり、今では聞こえなくなってしまった。
 もしそれがソレイユのものだったとしたら、彼に何かあったのかもしれない。そう思うと焦りが生じる。
「っ!」
 庭園の中央まで来ると、想像外の物が置かれていて目を疑った。
 置かれていたのは美しい装飾を施された豪華な柩。一見不釣合いのように見えるが、庭園内全ての花がその圧倒的な存在に供えられたもののように映る。
 ノワールはその不審な柩に駆け寄ると、恐る恐る触れた。異常な程冷たい柩に顔が強張る。
 リオネルはソレイユを賞賛していたが何かしたのは明白だ。賞賛に危害を交える事が叶うなら、このような姿をしているのかもしれない。
 震える手でノワールは柩の蓋を持ち上げる。凍り付いているのか思うように動かないが、それが彼の中で確信に変わった。
 凍り付いた蓋を何とかどけると、ノワールはまた肩で息をしながら冷気漂う柩の中を覗く。しかし中にいた人の姿は彼の予想に反していて驚き目を見張る。
 中にいたのはまるで童話にでてくる眠り姫だ。深紅のウェディングドレスを纏いウェディングヴェールを被っている。
 ノワールは幼い頃見た赤の王妃に酷似していた為、彼女の遺体なのかと少し動揺した。
 しかし傍らに入れられていた服や剣を見て、目の前にいるのはソレイユなのだと気付くと柩から抱えだす。
 すると今度は血が服に付着して心臓が跳ねた。そこで初めてこのウェディングドレスは元々深紅ではないのだと知る。
 ドレス一つを深紅に染め上げる程の血、ノワールはソレイユが流した血なのではと恐ろしくなると彼の身体を調べた。だけど外傷はない。
「『赤い花と共に踊る純白の花嫁が深紅に染まっていく』……これは、その時着ていたのか」
 リオネルの言葉を思い出しノワールは小さく安堵の息を吐くと、柩の中に入れられていた彼の服を着せた。こちらも大分冷えてしまっているが、いつまでも血で湿ったドレスを着せておくのは気が引ける。
「ソレイユ様! 起きてくださいソレイユ様!」
 着替えを終えるとノワールは彼を揺さぶった。
 だけどソレイユは目を覚まさない。以前会った時に比べ青白い彼がこのまま死んでしまう事を想像して、ノワールは首を横に振る。
「ルミエール様が貴方を待っている! 起きろっ!!」
 声を荒げる彼に呼応するように、最上階のどこかがまた爆発した。
 このままでは退路が塞がれてしまう。ノワールは庭園の入り口を見つめながら固唾を呑んだ。
「う、ぐ……っ」
 その時、小さい呻き声が聞こえてソレイユに視線を戻す。すると薄らと目を開けた彼と目が合った。
「ああ、ノワール様、か、良かった……」
 目を覚ましたソレイユは微笑すると、身体を揺らしながら立ち上がる。しかし冷え切った身体が言う事をきかず、倒れそうになった。
 ノワールは何が良かったのか疑問に思うが倒れそうな彼を支える。
「無理をしないで、俺の肩を掴んでください」
 そう言うと強引に彼の腕を肩に回した。
 ソレイユは不思議そうに首を傾げる。
「行きましょう、最上階は酷い有様ですから急がないと」
 彼の様子は気にせずノワールは言うと一歩前進した。
 しかしソレイユは強引に彼を止める。腕はノワールの肩を外れ、震える足でその場に立ち尽くす。
 それを見てノワールは目を丸くする。
「待って……ください」
 ソレイユは言うと、辺りを見回し現状を把握した。そして小さく笑う。
 ノワールには彼の行動の意味がわからない。
 だけどソレイユにとっては意味のあるもので、柩から剣を取り出した。
「貴方が俺に勝てたら……ここをでます」
 上手く動かない手で剣の柄を握る。
「このような時に何を言っているのですか!?」
 耳を疑う言葉にノワールは怒鳴るように声をあげた。
 ソレイユはまた微笑すると立っていられなくなり膝をつき俯く。
 ノワールは表情の読み取れない彼を見下ろしながら、また訝しげに見る。
「意志が弱い者など、国王には、向かないっ」
 笑っているような声をソレイユが絞り出すと、ノワールはまた目を丸くした。
「だからって、今言う話ではないでしょう!?」
 動こうとしないソレイユにまた声を荒げる。
「今だからだっ、ノワール様がここに来ているなら、俺の望みも繋がるかもしれない……」
 悲しげにソレイユは笑むと、ルミエールがはめた指輪を抜いた。
 ノワールは驚き目を見張る。
「ここにいるという事は、リオネルに、会ったのでしょう?」
 ソレイユは指輪をきつく握った。
「彼の望みは、この傲慢な血を根絶やしにする事……貴方なら、理解できるでしょう?」
 一瞬ノワールは固唾を呑み言いよどむが、すぐ首を横に振る。彼の言葉の否定と、自分が悩んだ事に対する非難だ。
「気など、遣わなくていいのですよ」
 苦笑しながらソレイユは言う。
「そして、貴方の行く所には、いつもルミエールがいる。いつも探している俺とは違う」
 ノワールは怪訝な眼差しをソレイユに向ける。遠方の地で偶然再会した事を言っているのかと思うが、彼はそれを知らないはずだ。
 それに彼の口ぶりは一度や二度というわけではない。出会った日から今までの事を言っているように感じた。
「まるで運命の赤い糸だ、俺は、それを勝手に拒んで……、馬鹿みたいだ」
 半年前の事を言っているのだと悟るとノワールは口を開く。しかし上手く言葉がでてこない。
「俺も、もう嫌だ……この身は穢れているのに、穢れないルミエールを姉呼ばわりしてしまうのはっ」
 唇を噛むとまたソレイユは俯いた。
 ノワールは呪術の話を思い出すと悔しげに顔を歪める。
 ソレイユはノワールに向かい指輪を差し出す。恐らく彼の指には合わないだろうが構わない。
「だから、俺が勝ったら、これを持って早々に城から脱出してください……」
 驚いてノワールは目を見張ると、身体が震えた。そして気付けばソレイユの手首を掴んでいた。
「貴方は、人の気持ちがわからなすぎだっ!」
 ソレイユは目を丸くする。
「ルミエール様はもう貴方しか見ていないっ、それなのに何だそれはっ!?」
 ノワールは悔しげに唇を噛んだ。
 不可解なものを見るようにソレイユは目を瞬かせる。
「運命の赤い糸? 俺はそのようなものに操られているつもりはない!」
 怒鳴るように言うと、全てを否定するようにノワールは首を横に振った。
「今の貴方には負けたくない! いや、負けてたまるかっ!」
 そこまで言うとノワールは肩で息をしながら、いつの間にか頬を伝っていた汗を拭う。
 いつもと違うノワールにソレイユは呆然としている。
「ルミエール様に貴方の想像を押し付けるのは、もうやめてくださいっ」
 最後にノワールは力なく告げると、ゆっくり指輪を握らせた。
 ソレイユは手の中に戻された指輪を見ながら、戸惑う。
「ほら、立って! 必ず連れて帰りますって約束したのですから!」
 ノワールは掴んだままのソレイユの手首を引く。
「だけど、俺は……っ」
 しかしソレイユはノワールの言葉の数々が理解しきれず混乱する。むしろ理解はできても信じる事ができないという様子だ。
「言っておきますが、最もルミエール様を理解できてないのは貴方ですよ」
 ノワールは自分でも驚く程冷めた眼で嫌味を言うとまた手首を引く。
「貴方、そんな人でしたか……?」
 ソレイユは身体を強張らせながら聞く。
 ノワールは「貴方の所為です」と返すと、無理矢理立ち上がらせた。
「ほら、俺が信じられないのなら、今から直接聞きに行きましょう」
 まるで子供に言い聞かせるように両手首を掴んで言う。
 ソレイユは今までと違うノワールに戸惑いながら顔を歪める。
「嫌だっ、俺は、嫌いだと言われたら、何をするかわからないっ」
 そう言って顔を背けるソレイユの手首をノワールはまた引いた。
 軽い痛みだがソレイユはノワールとは思えない行動に益々うろたえる。
「その時は俺が止める、できるなら巻き込まないで欲しいですけどね」
 ノワールは嘲笑するように言うと、もう待たないと言うように前進した。
「もう、好きにしろよ……」
 子供のように扱われソレイユは顔を歪めるが、すぐ苦笑する。
 ノワールはそれに満足すると、ソレイユの腕を肩に回し空中庭園を後にした。

...2012.08.21