Trente et Quarante

第八話:狂おしい想い/5

 翌日、目を覚ましたルミエールは傍にいないソレイユに不安を覚えていた。
 リオネルは何も気にした様子はなく朝食を用意している。
「ソレイユはどこ?」
 ルミエールは不安げに聞いた。もしかして昨日の事は全て夢なのか、それを否定して欲しくてリオネルを見つめる。
「ソレイユ様なら、昨日のうちに城に戻られました」
 何事もなく言うリオネルにルミエールは目を丸くすると、今度は悲しげに表情を歪ませた。
「どうして? 起きたばかりなのに、それに」
 今にも泣きそうな表情を浮かべるルミエールを見て、リオネルも表情を曇らせる。
 リオネルは彼女の手を握り締めると顔を覗きこむ。
「置いていかれて悲しい?」
 まるで子供をあやすような態度に、ルミエールは少し戸惑いながら頷いた。
「そうですよね、ルミエール様が恋焦がれているのは、ソレイユ様なのだから」
 リオネルはクスリと笑うと手を放す。
 彼の言葉に驚いてルミエールは顔を真っ赤に染める。
「彼はずっと、仇の息子という劣等感に惑わされているのですよ」
 紅茶を注ぎながらリオネルは言う。
「そんな、私、ソレイユをそんな目で見た事ないわ」
 ルミエールは告げる。
 するとリオネルはカップを彼女の目の前に差し出した。
「知っていますよ」
 少し苦笑して答える。
 だけどルミエールは違和感を覚えた。彼は何かを言おうとしている、それがわかったのかもしれない。
「先代や重臣達と殺したのが彼でも、同じように彼を想える?」
「え……?」
 ルミエールは明らかな動揺を見せた。あの恐ろしい想像が現実とは思いたくなかった。
 だけどもしそれが本当なら、彼が頑なに嫌わないでと、そう言い続けた理由がわかる気がする。
「彼が怖くなった?」
 リオネルはクスリと笑う。同意されれば、彼の中でも今の状況を受け入れられる気がした。
 しかしルミエールは首を横に振り、滲みはじめた涙を拭った。
「私の為ならなんだってできる、その意味がわかってしまっただけ」
 予想外の言葉にリオネルは目を見開く。いや、予想はしていたかもしれないが強がりでしかないと思っていた。
 だが実際は、自分の為に誰かを傷付けさせた事実に申し訳なさを感じているだけだ。
「だから、震えていたのね……」
 あの日から彼はいつも彼女に触れられると震えている。そして彼自身はほとんど触れる事はなくなった。
「ソレイユは王様とは違ったもの、人を殺すなんて、とても辛かったと思うのっ」
 ルミエールは抑えきれなくなった涙を零すと、両手で顔を覆う。
 リオネルはそれを見て眉をひそめた。
「彼は今だって貴女の幸せの為に動いているつもりですよ」
 そう冷たく言うと顔を背ける。
「私ソレイユの所に行かないと、会わないと、言ってあげないと……っ」
 リオネルはルミエールとここにいるように命じられているのだろう、だからルミエールはリオネルに言った。
「ソレイユが傍にいてくれるだけで、幸せだからって、伝えなきゃ」
 そう言ってルミエールは立ち上がると踵を返す。
 瞬間リオネルに腕を取られ椅子に座らされた。
 困惑した表情でルミエールはリオネルを見る。
「僕が、行ってきましょう」
 リオネルは笑顔で告げた。
 しかしルミエールはその笑顔を恐ろしく思う。
「待って、私も……っ」
 自分の気持ちを誰かが伝えては意味がない、だからルミエールは反論する。
「言いませんから安心してください」
 やはり笑顔で言うとリオネルは踵を返す。
 だけど彼の表情は益々信用ならないものにルミエールには見えた。
「待って!」
 しかし彼女の制止を振り切りリオネルは一人家をでていった。
 ルミエールは慌てて後を追うが、家の外には既に彼の姿はない。
 嫌な予感がして辺りを見回すが、この町には馬車どころか馬も存在しなかった。
「お兄ちゃんは、どうやって町の外に行っていたのかしら」
 不意に兄は何か移動手段を持っていたのではと気付く。そしてそれを聞ける存在は本人か、祖父母だろう。
 ルミエールは祖父母の家を探そうと家門をでる。
「わ……!」
 しかし門をでた瞬間道を歩いていた男性にぶつかってしまった。
 男性は倒れる事はなかったが、ルミエールが崩れそうになっているのを見て腕を掴んだ。
「ごめんなさいっ!」
 ルミエールは慌てて謝罪する。
「大丈夫ですよ、大袈裟に声をあげてしまい申し訳ありません、お嬢さん」
 彼女の慌てぶりに苦笑しながら男性はやんわりと言う。
 優しい対応にルミエールは少し安心する。
 しかし男性は何かに気付くと驚いたように目を丸くした。
「ルミエール、様……?」
 唐突に名前を呼ばれルミエールは首を傾げる。
 王都に来た事のある人なのか、実は小さい頃の知り合いなのか、だけどここまで鮮やかな赤髪の男性には覚えがない。
 だがよく見てみると男性の顔には見覚えがあった。特にこの人物の黒い目はよく見ていた気がする。
「……ノワール、様?」
 名前を呼んでみると、男性は小さく頷いた。

 外では話しづらい為、ルミエールの家で話を聞く事にした。
 ルミエールはぎこちない動作で紅茶を入れるとノワールに差し出し向かい側の席に座る。
 しかし別れたあの日を思うとどちらも気まずく、いつまでも会話は始まらない。
 一刻も早くソレイユを追いたいルミエールは、仕方なく重い口を開いた。
「何故、ここに? それに」
 鮮やかな赤髪を見つめながら言う。
 ノワールは彼女が口を開いた事に安心する。
「これはカツラです。ここには、その」
 髪に触れながら説明したあと、言い辛いのか語尾を濁した。
 ルミエールは首を傾げる。
「一度黒の国と手を取り合った、貴女の先祖が追われた場所だと聞いて」
 話をしていいものなのか確認しながらノワールは言葉にしていく。
「知に優れた一族……?」
 彼と同じく青の歴史書を読み解いたルミエールは、逆に確認した。
 ノワールは目を丸くする。
「知って、いたのですか?」
「最近……、いえ、よく考えたら小さい頃から、兄に言いきかせられていました」
 ルミエールは答えると、少し視線を落とした。
 兄と聞いてノワールは立ち上がる。
「そのお兄様は今どこに?」
 声を震わせながら聞いた。
「わかりません、私も、探しに来たのです」
 しかしルミエールは首を横に振る。
 それを聞いてノワールは小さく息を吐き落胆した。
 ルミエールは彼がここまで来たのは兄に会う為だったのだと気付く。しかし何故彼が兄の存在を知っていて、会おうとしているのかはわからない。
「あの、兄の事、知っていたのですか?」
 訝しげな表情を浮かべて問う。
 ノワールは何と答えるべきか少し悩むが、彼女には知る権利があるだろう口を開く。
「貴女が城に呼ばれた頃、貴女の兄を名乗る者が助けを求めに来たのです」
 ルミエールは目を丸くする。
「それを父は追い返してしまった、その事で気になる事がありまして」
 気になる理由については触れず、ノワールは少し顔を背けた。
 兄が助けようとしてくれていた、その事実にルミエールの目は潤む。しかし今は泣いている場合ではないと必死に堪えた。
「……その様子だと、貴女がさらわれたという話は事実なのですね」
 苦しげな面持ちでノワールは言う。
 ルミエールは小さく頷くと立ち上がった。
 ノワールは立ち上がったルミエールを見上げる。
「私の祖父母の所に行きましょう、二人なら兄の事を知っているはずです」
 目的は同じ、ルミエールは手を差し伸べる。
 彼女の指にはまった指輪と提案にノワールは驚くが、黙って頷きその手を取った。

 町民に話を聞くと祖父母は町長であり、この町の有名人だった。
 そして孫のルミエールも例外ではなく、誰もが「大きくなった」「無事でよかった」と口にして喜ぶ。中にはここに戻ってきた時から彼女に気付いていた者もいた。
 しかし小さい頃の友達や近所の人々と話すたび、距離を感じる。一人取り残されていると心が沈む。ここは帰りたかった場所の未来で、彼女が本当に帰りたかった場所ではないと痛感した。
 ノワールは彼女が落ち込んでいると察したが、必死に隠そうとしている事にも気付いて何も言えない。
 そうして教えられるまま歩いていくとすんなりと町長の家に着いた。
 少し懐かしいとルミエールは感じたが思い出には浸らず、玄関の呼び鈴を鳴らす。
「はいはい?」
 中からでてきた老女は首を傾げ二人を見る。
 ルミエールとノワールは何か答えようと口を開くが、その前に老女がルミエールの手を取った。
「貴女、ルミエール?」
 優しく微笑みながら聞く老女にルミエールは目頭が熱くなる。しかし泣く事はせず小さく頷いた。
 ノワールは久々の再開に水を差してしまったのではと思うが、そのまま二人を見る。
「あの、貴方は、ソレイユ様? 随分印象が変わったような」
 老女はノワールを見て首を傾げた。
 ソレイユはノワールほど身長がない上、髪の色も鮮やかな赤ではない。
「ち、違います、えーと、そう! ルミエール様の使用人です!」
 ルミエールは驚いてノワールを振り返るが、合わせてくれるよう目で訴えられ否定できない。
「そうなのですか、ソレイユ様は多忙なのね……」
「ソレイユに用事があったのですか?」
 残念そうに眉をひそめる老女を見て、ルミエールも同じように眉をひそめて聞く。
 老女は他人行儀なルミエールに苦笑する。
「ソレイユ様は貴女にとてもよくしてくれているでしょう? 何度御礼を言っても言い足りないわ」
 それを聞いたルミエールは唇を噛んだ。
 祖母もソレイユを仇の息子などとは思っていない。彼はいつも自分で自分を追い詰めているのだと悲しくなった。
 中に通されると、椅子に座っていた老人がルミエールを見初めるなり立ち上がる。
「ルミエールかい?」
 問われたルミエールが深々とお辞儀をすると、その人は涙していた。
 祖母は苦笑しながらに寄り添うと、ゆっくり椅子に座らせる。
「貴女達もどうぞ」
 祖母は椅子を引くとルミエールとノワールを手招きした。
 二人は顔を見合わせて頷き合うと、用意された椅子に座る。
 息子夫婦と孫を同時に失う悲しみは計り知れない、ルミエールはあの城に順応してしまった自分を恥ずかしく思う。
 しかし彼女の考えている事を見抜いたノワールはゆっくり首を横に振った。
「こうして、また、会えて良かったっ」
 涙を零しながら言う祖父にルミエールは言葉を詰まらせる。
 これほど心配してくれた人達がいるのに、彼女は王都に戻ろうとしていた。それを言葉にするのはとても酷な気がする。
「ごめんなさい……」
 思わず謝罪すると、祖父母は顔を見合わせた。
「どうして謝るの?」
 祖母がやんわりと微笑みながら言う。
 謝罪の意味を察したノワールは彼女を見守り、そんな自分に苦笑した。
「私、ソレイユの所に戻りたいの……、二人に会えて、とても嬉しいのにっ」
 ルミエールは膝に置いた手が震えて涙が零れる。
「傍にいないのが、辛いのっ」
 絞り出すように彼女は告げた。
 祖父母は顔を見合わせると、すぐに彼女に視線を戻し微笑んだ。
「どうして謝るの?」
 先程と同じ言葉を二人同時に言う。
 謝罪の意味を問われルミエールは顔をあげる。理由は二人よりソレイユを選んだ事実だ。
 しかし二人がとても優しく微笑むから、彼女はわざわざ理由を述べる事はせず涙を拭った。
 ノワールはもうソレイユしか見ていない彼女に、自嘲気味に微笑む。だけどあの満月の夜のように彼女が絶望しなくて済むのなら、それが一番良いとそう思った。

 ルミエールは落ち着きを取り戻すと、涙を拭い二人を見つめた。
「お爺様お婆様、兄の移動手段に心当たりはありますか?」
 そう問いかけられ二人は笑う。
「あの子は乗馬が趣味だったからな」
 祖父は穏やかな笑みで答えた。
「馬? でもこの町には馬はいないようだけど」
 首を傾げてルミエールは聞き返す。
「あの子が世話をしているのが一頭だけいるの、しかも並の馬じゃないのよ」
 彼女と話せる事を喜んでいるのか微笑みを浮かべながら祖母も答える。
 乗馬の経験はあまりないルミエールだが、移動手段となりえる情報に表情が明るくなった。
「でもさっきあの子が連れて行ったな、一度でかけると当分帰ってこないぞ?」
 馬の存在を喜ぶルミエールを見て、少し残念そうな表情を浮かべながら祖父は言う。
 ルミエールは思わず落胆するが、同じように残念そうな祖父母を見て苦笑いを浮かべる。
「お兄様がこちらにいらしていたのですか?」
 しかしノワールはあの子という言葉に食いついた。
 その言葉に驚きルミエールは彼を見る。
「え? ええ」
 祖父母は顔を見合わせると首を傾げた。
 ルミエールとノワールも顔を見合わせる。
「……ルミエール、あの子と一緒に来たのではないの?」
 突飛な事を言われルミエールは目を丸くすると再びノワールを見た。勿論ノワールにあの子という存在の見当が付くはずがないのは分かっている。
「青の王子様に口添えしてもらって、ソレイユ様の執事になったって聞いたけど」
 ルミエールは目を見開き、今までの事が脳裏を駆け巡る感覚に陥った。それに該当する人は一人しかいない。
 ただならぬ様子の彼女にノワールは心当たりがあったのだと悟る。
「兄は、お兄ちゃんは、青の国に、留学していた事がある?」
 二人にルミエールは問う。
 祖父母は急に様子が変わったルミエールにまた顔を見合わせたが頷いて見せた。
「最初は体験でね、でも色々あって」
 ルミエールの中で確信に変わる。
「私達は泣き寝入りするしかなかったのに、あの子は、ルミエールに約束したからって」
 当時の事を思い出したのか祖父は涙ながらに話す。
「約、束……?」
 ルミエールは口元を隠すように押えた。何かに気付いて異常なほど心臓が脈打つ。
 だけど祖父は続ける。
「黒の国が取り合ってくれないと聞いた時はっもう」
 嗚咽を漏らしながら祖父は告げ、祖母も思わず貰い泣くと、顔を伏せた。
 ノワールは兄に聞いた話を思い出し、申しわけなさに唇を噛んだ。しかし何かに気付いてルミエールを振り返る。
「『大丈夫、兄さんは悪者を許さないから』……」
 ルミエールは幼い頃兄に言われた言葉を口にした。
 祖父母は目を丸くする。
「それは、今の王族の事なの?」
 ルミエールは悲しみを顔に浮かべ聞いた。
 少しうろたえたが祖父母は観念したように頷く。
 そして祖父は立ち上がると本棚からある本を取り戻ってきた。
「あの子がさっき置いていった」
 本を差し出されルミエールはそれを受け取る。古びた本その本に彼女は覚えがあった。国の奪還、悪を許すなと語った兄がずっと片手に持っていたものだ。
 中には和平に対する希望や積年の努力が消し去る瞬間、力に優れた一族に対する恨みとこの地での生活の苦労、そして諦めが、何頁にも渡って書き記されていた。
 しかし本が終わりに差し掛かると、気になる日付が目に入る。
『我らが諦めたばかりに、また一人、命を散らした』
 まるでその本を記してきた者達に報告するような言葉、それは王妃が亡くなった頃の日付だった。
 そして次の頁には数週間後の日付がある。
『涙を呑んだ我らの気持ちは踏みにじられた』
 その後も一頁ずつ日記のように綴られていた。
 文字が震えていたり、所々インクが滲んでいたりもする。赤黒い染みのある頁には、黒の国に拒絶された絶望、そして青の国と手を組んだ事が書かれていた。
 ソレイユの元に来てからも野望は消えない。だけどお互いの利害は一致しているという事、ただ兄自身がソレイユを気に入っているような記述もあった。
「『今こそ雪辱を果たす』……この日付は」
 記載された日付は先代の黒の王が赤の王に殺害された日だった。
 ルミエールは身体を震わせる。
 ただならぬ様子にノワールは本を覗き見て驚きに目を見張った。しかし何も言わず続きを読むと立ち上がる。
「……行きましょう、ルミエール様」
「だけど……」
 彼女にこの町から移動する手段はない。それに実の兄が黒の王殺害にも加担しているかもしれないと知った今、ノワールに合わせる顔がなかった。
「馬なら私の乗ってきたのがいます」
 だけどノワールは責める事もなく彼女に言う。
 ルミエールは以前とは違うノワールに戸惑う。
 ノワールは彼女の戸惑いの理由がわかり苦笑する。
「貴女も、ソレイユ様を仇の息子とは思っていないのでしょう? それと、同じです」
 今更ですが、そう付け加えると、彼女に代わって祖父母に深々とお辞儀をした。
 それを聞いたルミエールは唇を噛む。そして涙を堪えて祖父母に頭をさげた。
 唐突な別れの挨拶に祖父母は少し苦笑し、少し涙が滲む。
「その本は持って行きなさい、……よろしく、お願いします」
 涙を拭うと、まるでノワールの正体に気付いているかのように、ルミエールを彼に託した。

...2012.08.14