Trente et Quarante

第八話:狂おしい想い/3

 十三年ぶりに踏み入れた故郷にルミエールは心が躍った。今までは光の花が降る湖が一番の遠出、これほど城から離れた事はない。
 もう夕刻という事もあり今日は彼女の家に直行する事になったが、それでも懐かしい空気に顔が綻んだ。
 町を歩いていると町民は誰もが王族が来た事に驚いているが、あまり警戒されているようには見えなかった。
「王様が来た時は町全体が緊張していたのよ」
 ルミエールは少し首を傾げ傍らにいるソレイユに告げる。
「僕達がいるのに警戒されるはずがありません」
 しかしソレイユではなくリオネルが返事をした。
「どういう事?」
 ルミエールはリオネルが返事をした事には触れずに聞く。
「今の王様は俺ですから」
 すると今度はソレイユが答えた。
 ルミエールは少しはぐらかされたような気がしたが、恐らくこの流れが続くのだろうと諦める。
「挨拶してくる、リオネルはルミエールを連れて家に……」
「貴方がお連れしてください、挨拶は僕がしてきます」
 命令を拒否するようにリオネルは遮るとどこかに行ってしまった。
「おい!」
 荷物のほぼ全てをその場に置き去りにされてはソレイユが声を荒げる。リオネル以外の使用人を連れて来なかった事、それに現地調達は金がかかると拒否した事を彼は後悔した。
「私も手伝うわ、二人なら多分運べるでしょう?」
 ルミエールは笑いながらリオネルが置いていった荷物を持とうとする。
「それは重たいのでこちらを!」
 奪い取るようにその荷物を持つと、ソレイユは自分の持っていた荷物を手渡した。
 リオネルの持っていた荷物はほぼルミエールのものだが、ソレイユが用意したばかりにとてつもなく重たい。逆にソレイユの荷物はソレイユ自身が用意したのが伺える程軽かった。
「それは?」
 ルミエールはもう一つある荷物を指差して言う。
 リオネルが置いていったもう一つの荷物、その中身が分かっているソレイユは頭を抱えた。
「俺の荷物、らしいです……」
 恐らくルミエールの荷物並みに重い、ソレイユには分かる。しかし置き去りにしようとすればルミエールが持とうとするだろう。だから諦めてそれを運ぶ事にした。
 ルミエールはリオネルが三つも荷物を運んでいた事に申し訳なさを覚える。
「リオネルさん、自分の分もあるのに二つも……」
「これは彼が勝手に用意したものなので気に病む必要はありません」
 少し怒り気味にソレイユは彼女の言葉を遮ると、ゆっくりと歩き出した。
 ルミエールも彼の歩調に合わせて一緒に歩く。普段合わせてもらう側の彼女は楽しげに微笑む。
「それだけソレイユの事気にしているのでしょう?」
「まあ事実ですが、ルミエールが思っているようなものではないですよ」
 ソレイユは少し表情を引き締めると、真剣な面持ちで答える。
 首を傾げルミエールはどういう事か聞こうとしたが、それは叶わない。
「着きましたよ、お帰りなさい、ルミエール」
 家門を開けルミエールを招くようにソレイユは振り返る。
 彼なりの精一杯の笑顔に迎えられながらルミエールは家門をくぐると、彼のくれた鍵で扉を開いた。

 十三年前燃えてなくなったはずのルミエールの家は、彼女の目から見ても綺麗に立て直されていた。
 しかもただ立て直したわけではなく、兄と遊んでいる時に付けた壁の傷や、背を測った跡、家具の配置までこと細かに再現されている。
「すごい、どうしてここまで直せたの?」
 覚えのある壁の傷に触れながらルミエールは聞く。
「ルミエールのお爺様とお婆様に聞きました」
 笑いながらソレイユは言う。
 それを聞いて祖父母がまだ健在である事を知りルミエールは胸が高鳴った。
「明日にでも会いに行きましょう」
 ソレイユは荷物を適当な場所に置くと提案する。
 ルミエールは頷くと部屋のあちこちにある小さい自分の付けた傷を見回した。帰ってきた感覚に思わず泣いてしまいそうだ。
 嬉しそうな様子にソレイユも満足すると、ルミエールの後について歩く。
 それに気付いて彼女は傷や跡がどういう経緯で付けられたものか説明する。
 微笑ましくソレイユは聞いていたが、兄に積み木を投げつけた時のものと説明されると目を丸くした。そして何を連想したのか思わず笑い出す。
「もう、怒られて大変だったのよ?」
 ルミエールは頬を膨らませて見せるが、すぐに自分を棚にあげた発言が可笑しくなって一緒に笑う。何より久々に楽しそうなソレイユを見られた事が嬉しかったからだ。
 次第に話は家族の事に変わり、両親の話をしている時のソレイユはどこか感心しているようだった。
 感心するほどの何か特別というわけではない。だけどソレイユにとって普通こそが感心に値するものなのだとルミエールは気付くと、何となく兄の話に切り替える。顔や声は思い出せないのにいくらでも話せる気がした。
 ソレイユは少し首を傾げるか、それでも楽しそうに聞く。そして意地悪く笑った。
「お兄様は貴女に厳しいようでとても甘いですね」
 ルミエールは首を傾げ不服そうにする。だけど年が離れている分近所の兄弟と違い喧嘩はしていなかったように思った。
「そうね、そうかもしれないわ」
 小さい頃にはわからなかったが、すごく甘やかされていたかもしれない。そう思うとルミエールは少し納得したように返した。
 ソレイユはやはり意地悪く笑うと、彼女の話の続きを待つ。
 まるで自分の事のように楽しそうに聞いてくれるソレイユに思わずルミエールは笑みを零した。
 しかし棚の内側を見ていた時、そこに描かれた絵を見てルミエールは目を丸くする。
「お兄ちゃんは、この町にいるのかしら」
「え?」
 ソレイユも棚の中を覗くと、そこにはルミエール達兄妹と思われる絵が描かれていた。
「お兄ちゃんが家をでる日にこっそり描いてくれたの、二人の秘密だよ、って」
 両親や祖父母には内緒なのだと言うとルミエールは楽しげに笑う。
 少し目を瞬かせたソレイユは最後に苦笑した。
「お爺様に鍵を預けてありましたので、戻ってきたお兄様が描き直したのでしょう」
 少し目を背け、何事か考える。
 その様子を見てルミエールは少し残念そうに俯いた。
「じゃあ、お兄ちゃんはいないのね」
 ルミエールの回答にソレイユは複雑そうな顔をして唸る。
「会いたいと言えば、会えますよ」
 彼はそう言い切り苦笑した。
 だけど腑に落ちないのかルミエールは少し俯く。
「そうかしら……」
 もう十三年会っていない兄、本当に会えるなら先代が死んだ時に会いに来てくれてもおかしくない気がした。
 いつまでも表情の晴れないルミエールを見て、ソレイユは悲しげに眉をひそめる。するとそれが引き金になったように色々な感情が彼を支配していった。
「中途半端な弟より、兄上がいいですか?」
 ソレイユの言葉にルミエールは目を見開くと、首を横に振る。
 十三年傍にいて十年も弟でいてくれた彼と、十三年離れ離れだった実の兄、彼女には比べようのないものだ。
 だけど彼の顔色は悪くなり尋常ではない汗が流れる。そして苦しそうに頭を抱えた。
「どうしたのっ? 具合悪い? 頭が痛むの?」
 ルミエールが顔を覗き込み片方の手を握る。
 手を握られたソレイユは一瞬身体を強張らせると、焦点の合わない瞳で彼女の方を向いた。
 あまりに様子が可笑しい彼にルミエールは戸惑う。
「兄上の方が、大事ですか? ねえ、姉上」
 ソレイユは今にも泣きそうな程瞳を揺らがせ、身体を震わせる。
 普段と様子すら違う彼を目の当たりにして、ルミエールは姉上と呼ばれた事など気にしていられなかった。
「そんな事ないわ、貴方も大事よ」
 彼の身体を抱きしめ背中を擦る。
 その瞬間ソレイユは身体を強張らせたが、少し安心したのか彼女の肩に顔を埋めた。
「姉上……俺は頭が、可笑しいみたいだ」
 自嘲気味に続ける。
 ルミエールは意味が分からず否定するように首を振る。
 するとソレイユもまた否定するように首を振った。
 何故頑なに自分を非難するのか分からずルミエールは、少し抱きしめる力を強める。すると肩に暖かい何かが零れてきて彼が泣いている事に気付いた。
「俺は姉上の事を……狂いそうなほど、好きで……っ、愛しているからっ」
 苦しそうに姉上と呼び続けるソレイユの突然の告白に、ルミエールはわけが分からずうろたえる。
 するとソレイユはルミエールに縋るように抱きしめ返す。だけど涙は更に零れ嗚咽を漏らした。
「俺、気持ちが悪いな」
 苦笑しながら言うソレイユをルミエールは否定すると、慰めるように彼の背を撫でる。
「でも、お願いだから、嫌いにならないで……っ」
「嫌いになんて、ならないわ」
 優しくされている事に安心したのか、ソレイユは今まで呼吸できていなかったかのように息を吐く。
 ルミエールは状況を理解できないまま、彼を慰めるように頭を撫でた。まるで本当の姉弟になってしまったように感じて辛いのに、何故かそれを口にはできない。
「貴女の為なら、何だってできる」
 ソレイユは目を瞑ると彼女を強く抱きしめて言う。
「だからあれは、父上が悪いのですっ」
 ルミエールは一瞬身体が震える。今まで父上と呼んだのを聞いた事がない、だから彼の言葉に戸惑った。
 同時に、父上が悪いとはどういう意味なのか、恐ろしい想像が頭を過ぎって心臓が跳ねる。
 しかしソレイユ自身自分の言葉に戸惑うと抱きしめていた手を解き、少し距離をとった。
「父上がっ、でも、可笑しい、違うっ」
 声を震わせ自問自答する。しかし答えがでず、まるで本当に可笑しくなってしまったように、首を振りながら短い言葉を繰り返す。
「そう、だから……俺はっ」
 何かを思い出したのか、ソレイユは瞳を揺らがせながら何かを口にしようとしている。
 ルミエールは彼が答えを紡ぐのを待つ。
 だけど答えを口にする前に、彼の口はある者の手で塞がれた。
 突然ソレイユを止められ、ルミエールはその人を見る。
「リオネルさんっ!?」
 名前を呼ばれたがリオネルは彼女を見ない。
「何をしたら、ここまで進行するのですか?」
 そう呟くとそのまま彼を引き離す。
 口を塞がれたままのソレイユは少し苦しげに顔を歪めた。
「ソレイユを放してくださいっ!」
 ルミエールは苦しそうなソレイユを見ていられず言う。
 しかしリオネルは彼女には何も言わない。
「弱い貴方には興味ありませんよ?」
 そう告げると冷たい目で彼を見下ろす。そして耳元で何かを囁くとようやく彼を解放した。
「……っはぁ、兄、上」
 解放されたソレイユは息を吸い込むと、小さく言葉を吐く。しかし彼の視界は歪み、そのまま眠りに落ちた。
「貴方に兄上と呼ばれる覚えはないのですが」
 リオネルは倒れるソレイユを見下ろしながら溜め息を付く。
「どういう事なの? 貴方は知っているの!?」
 ルミエールはソレイユを抱きかかえ、リオネルを見る。
 しかしリオネルは肩を竦ませて首を横に振った。

...2012.08.14