Trente et Quarante

第八話:狂おしい想い/2

 辞書を片手に青の歴史書を読み解く事がルミエールの日常の一部になっていた。
 日に日に読む速度は速まり、遂に今日彼女は受け取った本を読了する。
 青の国は何故ここまで細かく記録できるのか、そう思う程詳しく書かれていた。併せて読んでいた赤の歴史書ではわからない事も青には記載されている。
「地図の位置、間違いないわ」
 知に優れた一族が追われたとされる場所、それは自分の生まれ故郷と一致していた。
 だが追われた一族の子孫が姫と呼べるのか、それはまた少し疑問だ。ここに留まらせる為の口実のようにルミエールは感じた。それに赤の王族を嫌っていた兄の事も気にかかる。
 息抜きに空中庭園に場所を移すと、ますます兄の事が気になった。
 王妃の死を他人事のように言う両親に反発し、悪者を許さないと言っていた。幼い頃はわからなかったが、兄は何かをする為に家をでていたのではないだろうか。
「お兄ちゃん……今何をしているの? 故郷にいるの?」
 不意に疑問が口をついた。
「故郷に行けば、何かわかるのかしら……」
 そう呟くと、人影が彼女を覆う。その影の大きさから何となく誰だかわかる。
「ルミエール様、故郷に戻りたいのですか?」
 問いかけてきた声は彼女の推測通り、リオネルのものだった。
「戻りたい……とは少し違うわ。それに家はないもの」
 ルミエールは振り返り彼に言う。
 故郷に戻ればソレイユの傍にはいられない、だから彼女の中では成立しない願いだ。
「家ならありますよ、ソレイユ様が建て直してくださいました」
 リオネルはクスリと笑う。
 それを聞いたルミエールは驚き目を丸くする。赤の国の状況を考えれば無駄遣いなどできるはずがない。
「ご心配なく、ソレイユ様の個人資金で、です。四年前くらいでしょうか」
 まるで彼女の考えている事を見透かすようにリオネルは答えた。
「そう、なの?」
 ソレイユが青の国主催の大会で初めて優勝したのは四年前だ。賞金のほとんどを何かにつぎ込んでいたのは知っていたが、税金を使えば悲しむだろうという事なのだろうか。どちらにせよ申し訳ない気持ちになるのだが、自分の為に何かをしてくれた事が少し嬉しい気もした。
「ソレイユ様は大分お疲れのご様子ですし、お二人で行かれたらどうです?」
 貴女とならソレイユ様には良い息抜きになると思います、リオネルは付け加えた。
 だけどルミエールにはそのような我侭を言う勇気がない。同じ部屋というだけでもかなり迷惑をかけたのを自覚しているからだ。
「大丈夫ですよ、ルミエール様のお願いは必ず叶えてくださいます」
「だから困るのよ……」
 悪気なく言うリオネルに、ルミエールは呆れ顔で返した。
 だけどリオネルもそれに呆れる。
「ルミエール様は理解が足りない、ソレイユ様はね、ただ頼られたいだけなのですよ」
 そう言うと大きく溜め息を付いて見せた。
 いきなり理解力の話になりルミエールは戸惑う。
「大体あの人程単純な方はそういませんよ」
 リオネルはそう力説するとまた大きく息を吐く。
 彼の失礼な発言にルミエールは驚きを通り越して笑いそうになった。
 するとリオネルはいつもより楽しそうな笑顔を見せる。
「誰が単純だ」
 しかしルミエールが納得する前に、話を聞いていたらしいソレイユが口を挟んだ。
 背後を取られた事にリオネルは少し驚いてみせる。
「これが鍵です」
 だけどソレイユはリオネルには目もくれず、ルミエールに鍵を差し出した。
 差し出された鍵をルミエールは受け取る。立て直された家の鍵だが、小さい頃見た物に似ている気がして心臓が高鳴った。
「手配しておきますので、行きたくなったらリオネルに伝えてください」
 ソレイユは微笑みながら告げる。
 その言葉にルミエールが少し表情を曇らせたのに気付くと、リオネルはすぐ不満そうに顔を歪めた。
「ソレイユ、今は忙しいのよね」
 一緒に行きたい、そう言えば彼は一緒に行ってくれるのだろう。だけど忙しい彼を困らせたくはないルミエールはその我侭を飲み込む。
 ソレイユは彼女の心中を察する事はなく、首を傾げ苦笑する。
 それを見てルミエールは諦めると口を噤む。
「ソレイユ様、貴方も少しはお休みになられたらどうです」
 しかしリオネルが二人の会話に口を挟んだ。
「この国の者達は無能ではありません、僕が言うのですから信用できるでしょう?」
 ルミエールはリオネルの自意識の高さに驚く。
 だけどソレイユは目を丸くして国の評価に驚いていた。
「無能なのは貴方の父君や歴代の王だけですよ」
 リオネルは嘲笑するように続ける。
 それを見てルミエールは更に驚くと目を瞬かせる。ソレイユの父親だけではなく、彼の祖父、それに先祖までも嘲る事が彼女には考えられなかった。
 しかしソレイユは何も咎める事はなく、何かを渋るような顔をしている。
「単刀直入に言いましょう、このままでは貴方も無能者の仲間入りだ」
 煮え切らない彼に痺れを切らせ、リオネルは冷たい目で言った。
「やめて! どうしてそういう事を言うの?」
 彼の言葉に耐えかねたルミエールが二人の間に割って入ると、二人は驚く。
「どうしてって、それは」
「やめろ」
 リオネルが苦笑しながら何かを告げようとするのをソレイユは遮った。
「確かに、俺は疲れているみたいだ。先代の図太さが羨ましくなるよ」
 ソレイユは苦笑する。
 だけど先代を嘲笑された事には何も感じていないらしい。その事を咎める事すら彼には迷惑なのだろうかとルミエールは少し俯く。
「では、お二人でお出かけになられるのですね?」
 リオネルは微笑して言う。
 ルミエールは何故今の流れでそういう結論になるのかわからず首を傾げる。
「ああ」
 しかしソレイユはそれに頷く。
 戸惑いを露にしたルミエールが二人を交互に見ると、それを見ていたソレイユが苦笑した。
「一人で行きたかったですか?」
 彼の言葉にルミエールは首を横に振る。
 それを見たソレイユは安心したように微笑む。
「でも、いいの?」
「俺が一緒にいたいだけですから」
 ルミエールが困った表情で返すとソレイユは言った。
 それを見ていたリオネルが満足げな顔をしているのが気になったが、ルミエールはあの町に戻れる事と、ソレイユと一緒にいられる事が同時に叶い素直に喜んだ。

...2012.08.14