Trente et Quarante

第七話:決別/1

 黒の王ブランは、ノワールと共に赤の国から戻った黒の使者の話を聞いていた。
 赤の国との距離は半日も掛からない程近い。
 しかし命からがら逃げてきたという様子の使者を気遣い丸二日あけていた。
 ただそのように気遣うブランに、赤の王は和平を成立させる気などないと説明しなければいけない使者は複雑な心境だ。
「だから言ったでしょう、やはり無駄です!」
 ノワールは顔を歪ませるとブランに言う。
 しかしブランは気の立っているノワールに溜め息を付いて顔を背ける。
「可能性はなさそう?」
 使者は「可能性……」と小さく呟いた。
「何かいい案があるのかい?」
 ブランは少しだけ表情を和らげて聞く。
「兄上!」
 ノワールは声を荒げた。
「君は黙っていて」
 ブランはノワールを一喝する。
 明らかに不満を露にするノワールに、使者は少し困惑しながら続ける。
「今の赤の王では、無理だと思います。だけど、赤の王子なら……」
 ブランは口元に手を当て「ソレイユ様か」と何かを試案する。
「私が生きて戻って来られたのは、赤の王子のお陰です」
 使者は命を助けられた事を心から感謝していた。
「ソレイユ様には、助けようなどという気持ちは微塵もないだろう」
 ノワールはそう指摘する。
 しかし結果的に助かった使者にとっては些細な問題だった。
「ソレイユ様は、はじめからその場にいたのかい?」
 ソレイユに対して明らかに恩を感じている使者を見て、ブランは微笑みを浮かべた。
「あ、いえ、血相をかえてやってきて……赤の姫の事で、揉めていたみたいですが」
 黙って聞いていたノワールの身体が一瞬震える。
 ブランは再び何かを考えると真っ直ぐ使者を見つめた。
「何を話していたか、覚えている?」
 使者は「はい」と答える。
 ノワールは固唾を飲み使者の言葉を待つ。
「何やら姫に手を出すとか出さないとか、それに代わりは王子でもいいって」
 自分の息子に何を言っているのでしょうね、そう続けると使者は自分を抱きしめ身震いして見せる。瞬間使者の様子が井戸端会議する女性のように変わった。
「自分の娘をか!? どうかしているっ」
 ノワールは吐き捨てるように言う。その表情は明らかに赤の王に対する嫌悪が滲んでいた。
「ノワール様そこは、自分の息子をか!? じゃ、ありませんか?」
 使者はのんきな様子で手を振りながら彼に返す。
「どちらでも同じだろう!」
 のんきな彼にノワールは苛立ちを感じながら言う。
「いえ、赤の姫はどうやら実の娘ではないみたいですよ」
「なっ」
 瞬間ノワールから苛立ちが消え、今度は困惑を浮かべる。
 そしてブランは目を見開き、苦痛そうに顔を歪めた。
「実の娘じゃない? まさかあの話……」
「何の話ですか!?」
 ノワールは何かを知っている様子のブランに迫る勢いで聞く。
 ブランは動揺しているノワールを見て、また溜め息を付いた。
「ルミエール様の事は、もうどうでも良いのではないの?」
 ノワールは赤の王に対し怒りを露にし、その首を取る事しか考えていない。つまりルミエールと決別したと言える。少なくともブランにはそう見えていた。
「それは……」
 ノワールは言いよどむ。
 王族として生まれた以上、私情を優先するわけにはいかない、それが王となったブランの答えだ。
 しかし父を殺され、仕返ししたくなる気持ちがわからないわけではない。
 だからブランは「もういいよ、ごめん」とノワールに微笑する。
「赤の王に幼い妹を誘拐されたと、十二年前に来た男性が……」
 ブランは言うと、語尾を濁す。
 当時ブランは九歳、今こうして話を聞かなければ思い出せない程、鮮明に記憶していなかった。
 理由は先代の黒の王、つまり父が悪戯と判断した事にある。丁度赤の国では妾の子だというルミエールが城に呼ばれ、その事に関する妙な噂が後を立たなかったからだ。
 しかしその日の事を思い出したブランは悲しげに瞳を揺らす。
「あの様子が虚言なら、彼は相当な役者だ」
 その男性が少年か青年かも曖昧だったが、服は破れ傷だらけで、それでも涙ながら訴えている様子をブランは思い出す。当時手を差し伸べられなかった現実に心を痛める。
「あれは、ルミエール様の事だったのか」
 ブランは説明するより先に自分の中で結論がでた。
「父上は知っていて助けなかったのですか?」
 ノワールは困惑するように言う。
「父上は悪戯だと思っていたよ、それに、他国の問題に首を挟む事などできない」
 ブランは申し訳なさそうに言うと、目を逸らした。
 父の判断は一国の王としては間違っていないと思う。しかし手を差し伸べられるなら差し伸べたいそれがブランの正直な気持ちだ。
 彼の胸中を悟ったノワールはそれ以上責める事はできなかった。
 助けなかったのは自分も同じ、城に囚われているルミエールを拒絶し見殺しにしたのだと、彼は胸が苦しくなり唇を噛んだ。
 先程までのんきに構えていた使者ですら、口を開けずうろたえていた。

 玉座の間に重い沈黙が流れていたが、それは突然飛び込んできた男により破られた。
「陛下!」
 ブランを陛下と呼んだその男は、鮮やかな赤い髪をして赤の民そのものだ。
 ノワールは驚き目を丸くする。
「君は、赤の国に潜入していた……」
 ブランが口を開く。
 それを聞いたノワールは男の頭をもう一度よく見る。すると生え際は黒く毛染めした赤だとわかった。
「驚かせるな、何を慌てている」
 ノワールは恥ずかしさに顔をしかめて言う。
 男は深々と頭を下げ謝罪する。しかし彼の様子から落ち着いていられる状況ではないのは明白だった。
「悪い話?」
 ブランはこれ以上状況が悪化するのは困る、そう言いたげな表情で聞いた。
 男は困り首を傾げる。
 それに疑問を感じると、「話してみろ」とノワールは言った。
「赤の王と……その重臣が」
 そこまで聞いてすぐ、ブランの表情が強張る。
「今朝、遺体で発見されました」
 ノワールは目を見開くと、ブランと顔を見合わせた。
「どういう、事だ」
 ブランに頷いてみせると、ノワールが恐る恐る聞く。
 男は困ったように首を振ると、身振り手振りで説明する。
「わかりません! ただ街道に、転がってっ」
 青褪めた男は口元を押さえる。
「どれがっ誰の首で、足で、腕なのかっ」
 父を殺された満月の夜を思い出し、ノワールは顔を強張らせた。
「……これほどまでに悪い話とはね」
 ブランは額に手を当てると、頭を痛めたように目を瞑る。
 黒の王を殺したと思われる赤の王、それが何者かに殺された。そうなるとこちらが疑われても可笑しくないと彼は思う。
「わか、りませんっ」
 男はまだ怯えている。
「大丈夫か?」
 尋常ではない様子にノワールは落ち着かせるように声をかけた。
 話を聞く限り相当無残な遺体だ、恐ろしく思うのも無理はないのかもしれない。
 しかしノワールがそれを告げると、男は首を振った。
 ブランとノワールは再び顔を見合わせる。
「彼が恐れているのは、赤の民、ではないでしょうか?」
 話を聞いていた使者が代わりに口を開く。
 男の身体が震え、小さく何度も頷いた。
「赤の民は、王の遺体を見て……笑っていたっ」
 赤の国の悪政は影で囁かれている程、国家間で度々問題視されている。
 しかし民に笑われる王など想像もしていなかった二人は言葉を失った。

...2012.07.24