Trente et Quarante

第四話:生贄姫/3

 首筋に走った痛みで、ルミエールの意識は現実に引き戻された。
 そして王と目があった瞬間、憎悪に顔が歪む。何故今まで忘れていたのか、彼女は自分が理解できない。
「いやっ!」
 ルミエールは自分の首元に顔を埋める男を引き剥がそうともがく。しかし男の力に敵うはずがない。
 王は嫌がる様子すら楽しいのか、喉を鳴らすように笑う。
 ルミエールは泣きながら悲鳴をあげる事しかできない。
 だけどあの時とは違う、母親がどういう目に合ったか、そして今自分が同じ立場に置かれている事を理解していた。
「ぃや……っいやぁっ!」
 玩具にされた挙句に殺される、そう考えが及んで彼女は気が動転する。
「おに、ちゃん……っ、おにいちゃんっ、どこっ!?」
 服を掴む王の手を必死に拒みながら、顔も覚えていない兄を泣きながら呼んだ。
 王はそれを嘲笑し、可愛げと称した哀れさを満足そうに眺める。同時に愛らしさを感じると欲するまま、彼女の服を引き裂いた。
「いやあああああぁぁぁぁっ!」
 ルミエールはとっさに露になった肌を隠そうとする。
 王はその瞬間を見逃さず、彼女が隠そうとする肌を撫でる。絹のような手触りを堪能し満足すると唇を寄せた。
 ルミエールは舌の感触に甲高い声をあげ、身体を強張らせる。
「ひぁ……っゃめっ! いやああっ、ノワール様ァ……ッ!」
 抵抗しながら大事だった者の名を呼ぶ。
 支配欲と独占欲の強い王はそれに顔をしかめると、目の前の白い肌に歯を立てる。
「いっ!」
 突然の痛みに声をあげた。
 出血はしていないが噛まれた所が赤い痕になり、その赤さにルミエールの恐怖が増長する。
「ぅぐ……っぇぐ、助け、て……助けてっ」
 誰かに助けを乞うていると、小さい頃守ると約束してくれた人を思い出した。ただ薄らとした記憶には靄がかかり誰かはわからない。
「ソレイユ……ッ」
 だけどルミエールは迷わず彼の名を呼んだ。
 赤の王は更に不機嫌そうに、顔を歪める。ノワールの名を呼んだ時以上の怒りを滲ませ、ルミエールを睨む。
「ソレイユなら城にはいない」
 ルミエールの時が止まった。
「青の王子はあいつが大層お気に入りらしいからな、今頃食事でもしているだろ」
 男に気に入られるなど哀れな奴だ。まるでそう言うように、王は嘲笑する。
 助けてくれる者はいないと遠まわしに宣言されたようなものだ。
 王は、絶望するルミエールに少し顔を綻ばせる。
「先月は黒の所に出向いた所為で、お前を愛でる時間がなかったからな」
 喉を鳴らすように笑う。
 赤の王自ら黒の王を殺害したと自供したようなものだ。まるで悪びれないその態度にルミエールは目を見開く。
「お前をたぶらかした黒の時間は、今日から私の物だろう?」
 ノワールと約束を交わしていた満月の日、その時間を王は欲した。だから黒の王を殺して、ノワールを引き離して……。
 ルミエールはそこまで考えが及ぶとまた涙が溢れた。王の悪行を、自分の責任だと錯覚し、ノワールや黒の国に対する罪悪感が心を抉る。
 抵抗する力を失い、無気力になると、王は一瞬つまらなそうに目を細める。
 だけど微弱に震えているルミエールを見てまた笑みを浮かべると、ルミエールとの距離をつめる。
 しかし部屋に響いたノックの音に王は動きを止めた。
 ルミエールは力なく扉の方を見る。この音はソレイユではない、つまり助けてくれる誰かではない。
「なんだ」
 邪魔をされた王は不満そうに言葉を発した。
 扉を開き中に入ってきたのはいつも王の傍らにいる家臣の一人だ。
 家臣はルミエールの様子に若干居た堪れない表情を浮かべる。しかし王のする事に口出しはしない。
「黒の国から、遣いの者が……」
 家臣は歯切れ悪く言う。
「黒からだと? ……あの青二才か」
 王は奥歯を軋ませると、ベッドからおりた。
 ルミエールは露だった肌を隠し、わけが分からぬまま少し身体を起こす。終わったのか、もう何もされないのか、そう伺うように王を見る。
「仕方ない、ルミエール」
 しかし王は笑っていた。先程までと同じように、自分の所有物にかける笑みだ。
「ウェディングドレスはもう見つけているだろう? 続きは婚儀の後にしよう」
 ルミエールは身体を縮こまらせると、怯えた瞳で王を見た。あの装飾過多で派手な装いのドレスがすぐ脳裏に浮かぶ。
 支配している、その感覚に王はまた満足そうに笑むと、家臣と共に部屋を後にした。
「婚……儀?」
 誰と誰が、ルミエールは浮かび上がる答えを否定するように首を横に振る。
 両親を、黒の王を、気に入らない者をすぐ殺すような、そんな王と結婚……。
「そんなの嫌、嫌よっ」
 ルミエールは取り乱すと頭を抱え、首を横に振る。
「怖い、怖いっ、……ソレイユッ」
 誰もいない部屋に、悲鳴にも似た泣き声が響いた。

...2012.06.12