Trente et Quarante

第四話:生贄姫/2

 赤の国の最も端に位置する小さな町にルミエールは生まれた。
 そこには両親と歳の離れた兄がいて、少し離れた所には祖父母もいる。
 遠縁だが王族の家系、だけど城では彼女どころか縁者がいる事すら知られていない。歴史に興味がなければ誰も知りはしないだろう。
 それに彼女の両親も王族という事には捉われず、日々を堅実に生きていた。それがこの家族の幸せの形だった。
 だからこの国の後継者が産まれた時も、気にも留めない。
「王子様はルミエールと同い年ね」
 家族は他人事のように話していただけだった。

 ルミエールが五歳の時、赤の国の王妃が急死した。
 彼女の両親は親戚という目では他人事。
 しかし、ルミエールと同い年の赤の王子が、突然片親になってしまった事には複雑な感情を抱えていた。
「王子さま、泣いてないかな……」
 兄にルミエールは思ったままを話す。
 ルミエールは母親が死ぬ事を想像して悲しいと感じる。だから王子はもっと辛いだろう。顔も知らないのに心配だった。
「赤の王族の事なんか知らないよ」
 王族が好きではない兄は彼女の質問にはまるで取り合わない。
 本来なら歳の離れた妹に厳しい言葉を吐くような事はしない兄だが、彼はしばらく家を空ける。その為の荷造りをしていて余裕がなかった。
 そのような事を幼いルミエールがわかるはずもない。兄の冷たい言葉に涙目になると、すぐ不満を露にして頬を膨らませる。
「おにいちゃんのばかっ」
 幼い子供は感情に左右される生き物だ。まるで話を聞く気のない態度に地団駄を踏み、手近の玩具を兄の後頭部目掛けて投げつける。
「ぬぁ!?」
 兄の変な声が聞こえたが、ルミエールは気にせず彼の部屋を後にした。
 しかし珍しく兄は大人気なく追いかけてくる。
 ルミエールは自分が悪いのを棚にあげ、泣きながらリビングにいる両親に縋りついた。
 すぐ後を追ってきた兄は両親の視線に顔を歪ませる。
「ルミエールが悪いと思うんだけどな」
 その手には投げつけられた玩具。
 両親は状況を察したが、兄を見て苦笑している。
「別にいいけど、物投げないよう注意して欲しい」
 兄は溜め息を付くとテーブルに玩具を置いた。
 ルミエールは兄が諦めた事に安心すると、空気を読まず同じ質問を両親にぶつける。
 両親は兄を見やり、複雑な表情になった。
「そう、だね……でも」
 両親はルミエールを抱きしめる。
「代わりに王妃様は……やっと救われたのだと思うよ」
 ルミエールにはその言葉の意味がわからない。
 しかし意味を理解した兄は笑い出す。
「死が救いだって?」
 兄は両親に聞き返すように首を傾げる。
 両親は悲しそうな目で兄をみていた。
「本当、他人事なんだね……、二人みたいには考えられないな」
 兄は不機嫌そうに顔をしかめる。
 だけどすぐ、柔らかい微笑みを浮かべると、両手を広げた。
「ほら、もう怒らないからこっちにおいで、ルミエール」
 両親は少し戸惑う。
 しかしルミエールは先程の行いなど忘れ、兄の腕に飛び込んだ。
「大丈夫、兄さんは悪者を許さないから」
 まるであやすように彼女の頭を撫でながら兄は言う。
 何の事かわからないルミエールは、大きく頷いて満面の笑みを浮かべるだけだった。

 兄が旅立って数日後、この町に赤の王がやってきた。しばらく滞在するらしい。
 王都から遠い地で心の療養という事だったが、王の様子はいたって普通だ。表情に出さない人、というにも無理があるほど平然としていた。
 それに反比例するように、町全体には緊張が走り空気が重い。何かを警戒しているような、怯えているような雰囲気だ。
 ルミエールは強張った大人達の表情に違和感を覚える。
 そして何より王は、何故同じように悲しい想いをしている筈の王子を連れて来なかったのか疑問だった。
「王子さま、今一人ぼっちなんだ……」
 ルミエールは何故か悲しい気持ちになった。同情、それに近いかもしれない。
 王に話を聞きたいと思ったが、無闇に近付ける人物ではない事は、子供心にもわかっている。
 代わりにルミエールは、「王子さまが泣いていませんように」と星に祈った。

 ある日、王がルミエールの家を訪れた。どうやらこの町中の家を訪問しているようだ。
 玄関で話す両親の傍ら、ルミエールは王を見上げる。聞きたい事がある所為か落ち着いていられない。
「……なんだ?」
 王はルミエールの視線に気付き問うた。
 ルミエールは言いよどむ。
 聞かれているのに答えないのは失礼だろう、そう思った父親が「ほら……」と彼女を後押しする。
「あの、えっと、王子さまは……泣いてないですか?」
 王は少し目を細めた。
 それを見た両親が少し身震いしたのに気付いて、ルミエールは聞いてはいけない事だったのだろうかと、瞳に悲しみを宿す。
 しかし王はどこか満足げな表情を浮かべると、喉を鳴らすように笑う。
「ソレイユは泣いておらん、お前と違って可愛げがないからな」
 皮肉めいた笑みを浮かべ、ルミエールの頭を撫でるように軽く叩くと踵を返した。
 ルミエールは、頭に手を当てその後姿を見送る。
「王子さま、悲しく、ないのかな……」
 悲しければ泣く、それが当り前だったルミエールの心に複雑な気持ちを残した。

 その夜、ルミエールは二階にある自分の部屋でいつものように眠っていた。
 しかしいつもなら静かな家が、妙に騒がしく目が覚める。
「……?」
 ルミエールは身体を起こすと目を擦った。眠たいと思うのに、騒がしさに目が冴えていく。
 だから仕方なくベッドから抜け出した。
 部屋をでると思いがけない騒音に彼女は耳を塞いだ。何かが暴れているような音と共に悲鳴が聞こえる。その声に彼女は覚えがあった。
 ルミエールゆっくり階段を下り、リビングの扉を恐る恐る開く。
「おかあさん?」
 悲鳴の持ち主を呼ぶとドアノブに手をかける。しかし扉がつかえて開ききらず、中に入る事ができない。
 ルミエールは首を傾げ、リビングの床を見た。
「おと……さん?」
 彼女の目に父親が映った。どうしてリビングの床に寝ているのだろう、そんな疑問が頭を過ぎる。
 だけど髪の色とは違う赤が目に映って、彼女の瞳は揺れた。
 父親は寝ているのではない、そこに倒れている。
「おとうさん……っ!」
 ルミエールは父親に手を伸ばすと、恐ろしいほどに冷たくて、涙がボロボロ零れた。
「あ……うっ」
 その場に座り込み、ガタガタと震える事しかできない。
「おか……さん、おとう、さんがっ!」
 ルミエールは搾り出すように声を張り上げる。だけど母親はこちらに来てくれない、騒音も涙声の悲鳴も止まない。
「おかあさん! おかあさんっ!」
 リビングの扉を叩きながら泣き叫ぶ、何が起こっているのかわからない事に彼女は恐怖した。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁ……っ!」
 しかし次の瞬間、聞こえていた悲鳴が断末魔に変わった。
 ルミエールの心臓が跳ねる。
「おかあ……さん?」
 悲鳴も騒音も消えた。
 だけど小さく物音が響き、もう一人誰かいるのがわかる。
 逃げなければいけない、そう脳が命令しているのに、足が竦み、その場を動けない。
 足音がこちらに近付いてきて、父の身体が引きずられるように扉の前から消える。障害を失った扉が大きく開かれた。
「王……さま?」
 ルミエールの怯えた瞳が捉えたのは、昼に会った赤の王だった。
 王は左手で乱れた着衣を直しながら、右手に持ったものを鞘に収めた。内容物以上のもの受け付けない鞘から、ポタポタと液体が零れる。それはとても赤い。
 状況が理解できないルミエールは視線を彷徨わせる。すると、着衣を引き裂かれ酷い格好をした母親が倒れていた。
 幼いルミエールにはきちんとした状況は把握できない。だけど涙に濡れた顔、露になった白い肌を飾る赤い液体。それらを見て何か酷い事をされた挙句、父親と同じように冷たくなっていくのだという事はわかった。
 ルミエールの大きな瞳からたちまち涙に濡れる。
「お前は本当に可愛げがあるな」
 王は喉を鳴らすように笑った。
「ソレイユは母親が自殺しても、顔色一つ変えぬ薄情者だ」
 これが聞きたいのだろう。そういう態度で息子であるソレイユの事をルミエールに語る。
「折角母親譲りの綺麗な顔をしておるのに、あのような能面、可愛がる気にもならん」
 そこまで言うと、怯えるルミエールの頭を満足そうに撫でた。
 ルミエールは赤に濡れた右手で撫でられ硬直する。王が何かを喋っていても耳に入ってこない。
「あの女の娘なら、さぞ美しく育つのだろうな」
 ルミエールの顎を掴み、上を向かせると楽しそうに呟いた。
「おい」
 家の外に控えていた王の従者が、声を聞きつけて玄関を開ける。
「この娘を連れていけ、そうだな、妾の子だ」
 王がルミエールの肩を持ち上げ放ると、従者は何も言わず命令のまま彼女を馬車に乗せる。
 ルミエールは恐怖のあまり逆らう事ができなかった。

 乗せられた馬車の中から家の方角に目をやると、昨日まで普通に生活していた家は大火に包まれ黒煙をあげていた。
 昨日まで傍にいた両親はもういない。彼女の家もこのままなくなるのだろう。
「おにいちゃん……っ」
 ルミエールは泣きじゃくりながら、まるで助けを呼ぶように、町を離れている兄を呼んだ。

...2012.06.12