夜になり、ルミエールはこっそりと部屋を抜け出した。
あの場では堪えていたが、今ソレイユは泣いているかもしれない。そう思うと我慢ができなかった。
しかし彼の部屋まで辿り着くと、ルミエールに小さな異変が起きた。
彼女からすれば、あの行動はソレイユを想っての行動だった。だけど、彼はそう思わなかったかもしれない。恨めしく思っているかもしれない。
そこまで考えが及ぶと、彼女は後ろめたさに胸が張り裂けそうになった。
ルミエールは今にも張り裂けそうな胸に手をあて、小さく深呼吸をした。
「……ソレイユ」
そう小さく呟くと、不安を抱えたまま扉をノックしようと手を伸ばした。
「……っく」
しかし、中から微かに聞こえたソレイユの泣き声に、ルミエールは躊躇した。
搾り出すような小さい声で何を言っているか聞こえない。それがかえって彼女の不安を増長させ、遂には居た堪れなくなり、その場を逃げ出した。彼女にはソレイユの本心が見えていなかった。
「私がここにいたら……ソレイユを苦しめる」
ルミエールの増長した不安は悲しみに姿を変え、気が付いた時には城を抜け出していた。
「私の所為で誰かが苦しむなら、私は一人でいい……っ」
夜の城下町を無心で走る彼女の姿を、赤の民は哀れな娘を見るような目で見送った。
呼吸が苦しくても走る事を止めないルミエールを、月が優しく照らす。
しかし彼女の姿は森の中へと消え、優しい月明かりを遮断した。
小さい傷を作る事も厭わず草木を掻き分けて飛び出すと、そこにはまた人がいた。
「わ……!」
少年が声をあげ前のめりに倒れる。
ルミエールもまたバランスを崩し、その少年の上へと倒れてしまった。
彼女は慌てて立ち上がる。本日二度目の非常事態に、我を失い大粒の涙を零した。
「ごめんなさいっ!」
「だ、大丈夫! 大袈裟に声をあげてごめんねっ」
少年は慌ててルミエールに謝ると、上体を起こし彼女を振り返り笑ってみせた。
「でも、本当にごめんなさいっ」
大きく頭を下げるルミエールに少年は苦笑する。
「本当に大丈夫だから、ほら、顔をあげて?」
怒っている様子のない少年に安心したのか、ルミエールは顔をあげる。
しかしお互いに顔を合わせた瞬間、驚きに目を丸くする。
「何で、こんなとこ……」
「黒の城のバルコニーにいた!」
少年の言葉を遮るように、ルミエールは歓喜の声をあげ少年の両手を掴んだ。
「見てたの……?」
少年は驚きながら問う。
「うん、声は聞こえなかったけど、みんな悲しそうにしてたのに、また嬉しそうな声に変わって、私感動しました!」
ルミエールの答えに少年は戸惑うが、歓喜する彼女に思わず笑みが零れた。
「ありがとう」
少年は照れたように御礼を言った。
「まさか赤の姫が褒めてくれるなんて、思わなかった」
少年の言葉にルミエールは驚き少年の手を放した。
「私を知ってるの……?」
少年は首を傾げる。
「うん、ルミエール様、だよね?」
ルミエールの表情が曇る。
少年はどうして突然そうなったのか分からず再び戸惑ってみせた。
しかし、何かに気付き「し、失礼しました」とお辞儀し謝罪する。
今度はルミエールが首を傾げた。
「お……私は黒の国の第二王子、ノワールと……申します」
ぎこちないながら丁寧に、少年はノワールと名乗った。
「ノワール様、ブラン様の弟君の?」
「うん……じゃなくて、はい」
ルミエールは再び首を傾げた。
「どうしたの? 何で言い直すの?」
ノワールは困ったように目を右往左往させるが、「やっぱ難しいやっ」と観念したように口にした。
「父上に丁寧に喋るようにしなさいって言われたんだ」
ルミエールはなるほどというように納得する。
「でも今日はここまで。それより、姫も『光の花』を見にきたの?」
ノワールは彼女にそう聞くと月を一度確認した。
「光の花?」
ルミエールは聞き返す。
「知らないの? じゃあ見てくといいよ」
ノワールは嬉々とした様子で空を見るように促した。
ルミエールが言われるままに空を見ると、星のような光がキラキラと湖に降り注いだ。注がれた光が今度は水面を輝かせ、幻想的な美しい光景を生み出す。
「……綺麗」
初めて見たその光景に、ルミエールはありのままの感想を口にする。
「でしょ? 光の花は争いのない所にしか降らないんだよ」
そう言ってノワールは笑顔を見せた。
しかし、それを聞いたルミエールの表情は曇る。
ノワールは困ったように「どうしたの?」と聞いた。
「私がいたら……光の花、消えちゃわない?」
ルミエールは俯くと、ノワールに問う。
ノワールは質問の意図を理解できず数回瞬きをした。そして質問の意味を理解すると、腕を組み少し唸って見せる。
「……どうして? 俺達は何も争ってないよね?」
ノワールは彼女が何故その疑問に辿り着いたかわからず、質問を質問で返した。
「赤と黒は……昔から仲が悪いもの」
ルミエールは顔をあげると少し拗ねたような、悔しさを感じているような表情で唇を噛んだ。
「ああ、そういう事、でも俺達個人は争ってないよ?」
俯くルミエールにノワールは言う。
「それに、実際に争ってるのは、赤と黒っていう名前だけだと俺思うな」
ルミエールは涙を堪え、顔をあげる。
それを見てノワールは「やっと顔あげてくれた!」と笑顔で言うと、空を見上げた。
ルミエールは目を逸らしていた光の花を、彼と同じ空を見上げた。
色々な話をしているうちに、ルミエールはもっとノワールと話してみたいと思ったが、それを提案する事ができなかった。
「また、ここにおいでよ」
ノワールは彼女の気持ちを感じ取ったのか、そう言って微笑んだ。
ルミエールの大きな瞳がノワールだけを見る。
「俺達がまず仲良くなる……そして」
「そして?」
ルミエールはノワールに問う。
「大人になったら、今度は国同士も仲良しにしよう」
ノワールは口の端を吊り上げ豪快に笑った。
それを見てルミエールも大きく頷いて笑顔を見せた。
しばらくして二人は特に示し合わせたわけでもなく同時に立ち上がった。
「ちゃんとお城まで帰れる?」
ノワールは心配そうに聞く。本当なら送りたい所だが、黒の国の人間が赤の国に近付くのは危険だった。
「平気、ちゃんと帰れるよ。ありがとう」
それを察したルミエールは答えた。そして「じゃあまたね!」と手を振る。
ノワールも「うん、またね?」と心配そうに手を振ると、赤の国の方角から何やらガサガサと音が聞こえてきた。
驚いたルミエールは思わずノワールの腕を掴んだ。
「落ち着いて、森に住む動物かもしれない」
ルミエールを落ち着かせると、ノワールはその方向に一歩足を進める。
すると、「……ルミエール?」という声が木々の間から聞こえた。
「ソレイユ?」
ルミエールはビックリしたように名前を呼ぶと声のした方向に近付く。しかし彼女の中の後ろめたい気持ちは完全には癒えず、足を止める。
「……ルミエールッ!」
だけどソレイユは彼女の元へ駆け寄ると、「良かった……っ」と強く抱きしめた。
ルミエールは少し驚いたが、ソレイユを心配させていた事を知り、「ごめんね」と彼の頭をポンポンと撫でた。
ソレイユは彼女を解放すると、今度は手に触れる。まるでその手が自分のものだというように、決してはなれないよう強く握った。
ルミエールはそれを笑顔で受け入れる。
それを見ていたノワールは呆気に取られながらも、彼女がここに来た事情を察して微笑んだ。
「……貴方はノワール王子、ですよね?」
唐突にソレイユはノワールの名前を呼んだ。
「は、はい?」
ノワールは何を言われるのかと少し身構える。
「ルミエールを見ていてくださり、心から御礼を申し上げます」
ソレイユは微笑みながらノワールに御礼を言った。
しかしその微笑みは、父に対するルミエールのように、心無いものだった。
「い、いえ、無事で、なによりです……」
その違和感にノワールは思わず口ごもる。
返答を聞いたソレイユは笑む。
「……それでは、私達はこれで失礼致します。帰路、お気をつけて」
ソレイユは深くお辞儀をすると、ルミエールの手を引いて踵を返した。
ルミエールは普段と違うソレイユの様子に少し戸惑いながら、ノワールを見る。
「あ、あの、ノワール様、また……次の満月の日に……っ」
ノワールは数回瞬きをすると、大きく頷いて手を振った。
それが、ルミエールとノワールの逢瀬の始まりだった。
...2012.05.08