Trente et Quarante

第一話:光の花/2

 ことの始まりは十年前に遡る。
 その日、黒の国は第一王子ブランの誕生日を国全体で祝い、とても賑やかだった。
 国民達の楽しげな声は赤の国にまで届き、ルミエールは城のバルコニーから黒の国の方角を眺めた。
 黒の城がぼんやりと見える。それくらい近いのに国同士は敵対していて、幼い彼女にはとても遠く感じられた。
 ルミエールは双眼鏡を手に戻ってくると、もう一度黒の城を見た。
 黒の城のバルコニーから彼女より少し年上の少年が手を振っている。恐らくその少年がブラン王子なのだろう。
 そしてその横には黒の王と、もう一人ルミエールと同じ年頃の少年が国民と一緒に笑顔で拍手を送っている。
 その幸せそうな笑顔を見て、ルミエールは羨ましさを感じた。
 赤の王も弟のソレイユも、彼女にとても優しい。だけど黒の国の三人とは何かが違う。彼女はそう感じた。
 少し目を離していたその時、黒の国の楽しげで賑やかな声は大きな悲鳴に変わった。
 その声に驚きルミエールは再び双眼鏡でバルコニーを見る。
「あ!」
 悲鳴の原因はブラン王子が突如倒れたからだった。
 黒の王は王子を抱きとめると国民にまるで詫びるようにお辞儀をして、少年に後を任せて城の中に戻っていった。
 もうお祝いは終わりだろうか、ルミエールはそう思った。
 すると少年は国民の前で何かを語り始めた。何を語っているのか、それは彼女にはわからない。ただ、その演説で緊迫した空気を歓声に戻した事にルミエールは心を打たれた。
「……すごい」
 その少年をもっと見ていたい。そうルミエールは思ったが、双眼鏡を取り上げられ彼女の視界は元のぼやけた黒の城に戻ってしまった。
 背後に立つ人物を見上げると、そこには父である赤の王がルミエールから奪い取った双眼鏡を手に立っていた。
「ふん、黒も遂に終わりだな、あのように身体の弱い王子では……」
 ブラン王子を邪険にし、意地悪く笑う。
「ダメじゃないかルミエール、黒など見ていては、お前の鮮やかな赤い瞳が汚れてしまうぞ」
 父は微笑みを浮かべルミエールの頭を撫でた。
 今の発言はこの場にいたルミエールしか聞いていない。だけど父を黒の王と比べて彼女は恥ずかしくなった。そして悲しくなった。
「私……お部屋に戻ります……」
 そうお辞儀すると、思わずルミエールはその場を駆け出した。だけど何度も何度も今の発言が蘇って、遂に彼女は涙を零した。

 部屋を目指して走るルミエールの視界は涙に濡れ妨げられていた。
 更に不運な事に、こちらに向かって歩いてきた人物も、黒の国の賑やかな声が気になるのか窓の外を見て上の空だった。
 二人共お互いの進行方向に注意が足りず、とうとうぶつかってしまう。そして二人同時に尻餅をついた。
「痛……っ」
 相手の小さな呻きを聞いて、ルミエールは「ごめんなさいっ!」と咄嗟に謝った。
 城に呼ばれて三年、できる限り粗相をしないよう過ごしてきた彼女にとって、人にぶつかってしまうなど分をわきまえない愚かな行為以外の何物でもない。
「く、ない……っ」
 しかしその人物は、ぶつかったのがルミエールだと気付いた瞬間、手の平を返すように強がりを口にして立ち上がる。
「ルミエール、大丈夫……?」
 心配そうに彼女の顔を覗き込んだのはソレイユだった。
 彼は両膝をついてルミエールを抱き起こす。
「ソレイユ……、ごめんね」
 ルミエールは彼の様子を見て安心したのか、また涙を見せた。
「ルミエール、そんなに痛いの?」
 うろたえるソレイユにルミエールは首を振り、「違うの、痛くないよ」とぎこちなく微笑んだ。
「良かった……」
 それに安堵したソレイユを見てルミエールも安心した。
 しかしそんな二人に暗い影が落ちる。
 自分達が見下ろされている。そう気付いてルミエールが見上げると、そこには先程別れた父がいた。
 冷たい目でソレイユを見下ろし、ルミエールと同じように見上げた彼の頬を容赦なく叩いた。
「ルミエールに傷が付いたらどうするつもりだ!」
 小さいソレイユの身体は床に叩きつけられる。そしてその痛みを堪えるように頬を押さえていた。
 それを見てルミエールは両頬に手を当てうろたえる。
「おお、大丈夫かルミエール? 父に見せてみなさい」
 父は先程のような優しい声色でルミエールに手を伸ばした。
「……ゃ」
 ルミエールは身体を強張らせ、思わず身構える。
 黒の王は倒れた王子を愛おしそうに抱きかかえ、王子の為に国民に頭まで下げていた。
 だけど赤の王は、息子にこんな無体を働く。ルミエールを過剰に愛し、ソレイユを目の仇にする。
 どうして黒の国とこんなにも違うのか、彼女はわけがわからず震えるしかなかった。
「どうした? ルミエール」
 ルミエールのただならぬ様子に赤の王の表情が険しくなる。次第にそれは怒りに変わり、またソレイユに向けられようとしていた。
 それに気付いたルミエールは、ソレイユを庇おうとそちらに手を伸ばす。
 しかし、それをすればまた彼は責められる。ルミエールが関われば何度でも……。
 そこまで考えが及んだルミエールの小さな手は、赤の王の服の裾を握っていた。
「私は何ともないの、お父様」
 ルミエールは本心を押し隠し、ただ人形のように微笑んで見せる。
「そうかそうか、じゃあ父と一緒に部屋へ戻ろう」
 それを見て機嫌を直した王は、ルミエールの頭を撫でてから彼女の手を取った。
 ルミエールはソレイユを振り返ろうとはせず、「はい、お父様」と心無い返事をした。

...2012.05.01