Genocide

 十月二十九日土曜日、私は今日一睡もする事ができなかった。 父の事、夜観之君や彼の言葉、一つ一つ合う事のないピースが多すぎる。 結論のでない事を考え過ぎて更に泥沼にはまってしまうのだ。
 母は私が星垣さんと面会した日以来、ほとんど家に寄り付かず働いてる。 父の事を聞こうにも顔を合わせないのだから聞きようもない。 我ながら情けない話だけれど、今は夜観之君しか頼れない。 だけど待つと約束した以上、こちらも話してくれるのを待つしかなかった。
 学校に行く毎日も億劫だ。 脅されているから行く、まさにそんな状態。 不安ばかりで授業は頭に入ってこないし、彼の言動が一々気になるし、本当にどうしようもない。
 教室にはいつも通り夜観之君が一番乗りで来ていたが、今日は屋上に行く事はなかった。 話すより彼の動き、そして桐島さんの動きを把握する方が大事だからだ。
 だけど私は、昨日の彼が"殺人ゲーム"なんて恐ろしい事をしているとは思えなかった。 彼自身認めている事だけれど、それでも何かが可笑しいように感じる。 しかしその話をしても夜観之君は取り合わないだろうし、 この疑問は自分の中止めるしかなかった。
 彼はみんなが集まるには少し早い時間に登校してきた。 そして私と夜観之君を見初めると嘲笑う、その様子は昨日の彼とは明らかに違った。
「いつもは屋上で逢引きしてるのに、今日は教室にいるんだ?」
 彼はそう言ってクスクスと笑うと己の席に鞄を置いた。
「七瀬は飽きた?」
 私は表情を歪めた。 私達がどういう意図でここに留まっているのか、彼はそれはわかっている。 だから不快にさせようとする言動が腹立たしかった。
「冗談だよ、僕を見張ってるんでしょ?」
 彼はそう言って顎を引き、小さく「……無駄だと思うけどね」と続けた。
 夜観之君は目を伏せながら彼の言葉を聞いていたが、最後の一言に身を震わせた。 表情も心なしか青褪めている。
 私は何故彼がそんなに自信満々なのか理解できなかった。 だけど夜観之君の不安そうな表情に、 私達ではどうにもならない事なのではと気持ちは沈むばかりだった。

彼からの挑戦状を私達は受け止めきれないまま……。

16.植え付けられた自我

 今日も残りのクラスメイトは一人も休まずに登校してきた。 さすがにこれには驚いたが、それだけ関係のない人が減っているという事なのだろう。
 私は桐島さんの、夜観之君は彼の動きをそれぞれ追った。 桐島さんは普段通りに生活しているし、彼も彼女を呼び出したような素振りはない。 それどころか彼女に近付きさえしなかった。
 土曜日は通常より学校での一日が短い。 更にはあの事件の後、先生は全員を教室から出すまでその場を離れなかった。
 彼は早々に教室をでているし、私も夜観之君も桐島さんが出たのを確認して教室を後にする。 だけど廊下を出た時にはすでに桐島さんの姿はなかった。
「しくじった……」
 夜観之君は桐島さんがいない事にそう冷汗を流した。
 私は情けない表情を浮かべ夜観之君を見上げた。
「やっぱりあいつ、佐々川と窪谷の携帯を奪って……」
 夜観之君はそこまで語ると口を噤む。 自分達とは違う方の扉がガラガラと開いたからだ。
「ん?七瀬と坂滝か、そんな所で油売らずさっさと帰らないか!」
 先生は私達の姿を見初めるとそう訝しげに言った。 だけど夜観之君が一緒に居るからか、普段私に取る態度より幾分か棘がない。
「あー、すいません」
 夜観之君はそうぶっきらぼうに言うと「ほら行くぞ」と私の手を引く。 そして下駄箱までやってきた所で盛大に溜息を付く。
「本当だりぃな、あの野郎……」
そう言って後頭部を軽くかいた。
「でも先生は律君と夜観之君を一目置いてるみたい、明らかに態度が違うもの」
 私はそう答えて苦笑した。
 それを聞いた夜観之君は少し目を細め「ん〜」と何かを考える。
「まあ仕事だしな……」
そう呟くと面倒そうに髪をかきあげた。
 その微妙なニュアンスに私は首を傾げた。 だけど夜観之君は「こっちの話」というだけでそれ以上答えてくれなかった。
 靴を履き替え彼と桐島さんを探そうと話し合う。 二人の行きそうな所、特に彼が使いそうな所を重点的に探さなければいけない。 だけど学校以外彼の本当の母親が持っていたというあの家以外思い浮かばない。 ここであればいいが、もし違ったら完全に手詰まりだった。
 私達は無言で歩いていたが、校門付近に見えた人影に目を見合わせ足を止めた。 そこにいたのは斉藤さんだ。
「あの、話があるんですけど……」
 斉藤さんは少しオドオドとした様子で私に言った。
 夜観之君は私の一歩前を行くと「悪ぃけど、今暇じゃねぇから」と素気なく言った。
 私はそれを止めようとしたが、夜観之君に腕を引かれそのまま彼女を通りすぎてしまった。
「待って!」
 だけど斉藤さんはそれでも諦めず私達を止めた。
「前に先生が言ってた事、なんだけど……本当に朝霧君が人を殺したりするって思ってるの?」
彼女はそう私を見ながら聞いた。
 あの日彼は「学校の奴ら以外に洩らすのもダメ」と言っていた。 先生を信用させろとは言うが、実際はクラスメイトを味方につけるのも手という事なのだろう。 だから私は意を決した。
「私見たんだよ、律く……朝霧君が、佐々川君や窪谷さんを殺したのを……」
 夜観之君は私を振り返り目を見張ったが、何も口を挟む事はしなかった。
 斉藤さんは驚いた表情で私の目を見つめながら、次第に顔を歪めた。
「朝霧君にそんな事させたくないの、止めたいの……」
 私はまるで懇願するようにそう彼女に言ったが、斉藤さんは首を横に振り「そんな筈ない!」と叫んだ。 普段の彼女には似つかわしくない声に思わず身体が震えた。
「朝霧君はお父さん達の最高傑作なの、侮辱しないで……!」
 斉藤さんはそう言うとそのまま去ってしまった。
「何だありゃ……結局何だったんだ?」
 夜観之君はそう呆れ顔で言った。
「最高傑作とか、言ってたけど……」
 私は人に使おうと思えないその言葉に疑問を感じた。 まるで彼が作り物であるような言い方、彼は彼だというのに何故作り物のように扱われなければいけないのだろう。
「さあな……あいつらと違って親が何してるかを全部は把握してねぇから」
 夜観之君はそう顔を伏せる。
「とにかく、例の家に行くぞ」
そうぶっきらぼうに言うと私の前をズカズカと歩き始めた。

 夜には不気味さしか感じないその家は、まだ日が高い事も手伝って少し和らいで見えた。 だけどこの場所に繋がる道は全て立ち入り禁止になっている為、人も通らない。 その静けさが夜とはまた違う不気味さを感じさせる。
「佐々川と窪谷はここで殺されたのか?」
 廃墟を眺めながら夜観之君は不意にそう口にした。
「それは、わからない……」
 私は確信が持てずそう答えた。
「わからない?」
 夜観之君はジトっと私を見た。
「でもここに二人の遺体があるのは、本当だよ……」
 私は実際に彼がここで殺した所を見たわけではない。 だからそう答えるしかなかった。
 夜観之君は「ふーん?」と答えると敷地内へ進んでいく。 その後ろに私も続いた。
 ドアをくぐる前に一度立ち止まると中からギシギシと音がした。 耳を澄ましてみると人らしき声も聞こえてくる。
「ビンゴか?」
 中から聞こえてきた声に夜観之君はそう呟いた。
「どうだろう、ただの風かも……」
 私はそれが人の声だと信じたくないのかそう答えた。
 夜観之君はそれには何も答えず、小さく頷くと中に進んでいった。
 三段程度の階段を登ると、左手にガレージに続く下りの階段。 そこを覗き込んで夜観之君は嫌そうに顔を歪めた。 彼が佐々川君を殺した時に飛散した血は拭き取られる事もなく、 黒く変色してこびりついていたからだ。
 ここで起った惨劇が誰にも知られていない。 誰もここに来ない。 その事実が苦しくて、目の当たりにした現場が辛くて、私は思わず夜観之君の腕にしがみついた。 身体が震える。 その震えを止めたくても止まらなかった。
「悪ぃ、もう慣れてるとばかり……」
 夜観之君は少し申し訳無さそうに言った。 私は度々ここを訪れていたから、もう見慣れてしまったように思われたようだ。 だけど実際は、ここに訪れるのはいつも暗い夜だったからこの現場をハッキリ見た事なんてない。 仮に見ていたとしても、この現場に慣れるなんて無理だと思う。
「……夜観之君が謝る事じゃないよ、ごめんね」
 私は手を放すとそう作り笑顔で答えた。
「ちょっと下見てくる、お前はここで待ってろよ」
 夜観之君はそう言うと私の頭をポンと叩いた。 夜観之君だって死体遺棄の現場なんて踏み込みたくないだろうに……。 その優しさが申し訳なくて涙が出そうだった。
 ガレージに入っていった夜観之君が死角に入って見えなくなってしまうと、 私は視線をガレージ以外に向けた。 外は夕日に包まれてオレンジ色をしている。 学校をでてから随分と時間が経っている事がわかった。
「こっちは何もないな」
 ほどなくして夜観之君はガレージの死角から顔を出した。 その様子からして物置の中も確認したようだ。 少し顔が引き攣っていた。
 残すはこの先の部屋だけ、もしそこに誰もいなかったら私達は無駄足を踏んだ事になる。 居ても不安、居なくても不安、時間が進んで行くのが怖くて仕方なかった。
 だけど夜観之君が戻って来る前に先程よりハッキリとした声が聞こえてきた。 あの生後間もない彼の部屋だったと言うあの部屋からだ。 そこに確かに誰かがいる。 それが彼と桐島さんかはわからないけど私は思わず駆け出していた。
「お、おい、のろ子!?」
 夜観之君は突然の行動に驚いて、階段を駆け上がってくるのが判る。 それでも何故か止まる事ができなくて、私はそのまま彼の部屋まで駆けていった。 会話の内容が読み取れたわけじゃない、でも急がないとダメな、そん気がしたのだ。
「律君……!」
 私は部屋に一歩踏み入れた瞬間そう叫んだ。 その瞬間私の目の前に広がったのは黒っぽく濁った赤色。 普段の高い声とは違う恐怖に擦れた野太い声を発して、その場に倒れた。
「け、きゅ……失敗だ、なんて……」
 苦しみながら言葉を放ち、絶命する。 目の前の光景に私は目を見開いて呆然とするしかなかった。
「見なくていい……!」
 しかしその赤色の光景が収まる前に、後からやってきた夜観之君が私の視界を塞いだ。
 だけどもう忘れられるはずがない、目の前に広がったあの赤色を、血の色を、 痛みに苦しみながら彼女が言った言葉を……。
「律君が、殺した……桐島さんを、殺した……っ」
 私は夜観之君の制服の袖が濡れてしまうのもお構いなしで、思わず泣いてしまった。 夜観之君も何も言わずそのまま袖を貸してくれた。
「無駄って言うのはこういう事なわけ?」
 夜観之君はガクガクと震える私の視界を隠したまま、その部屋の中にいた彼を睨んだ。
「……ほっとけば良かったんだよ、こんな女」
 彼はそう言って嘲笑うと、自分の足元に倒れる桐島さんを蹴る。
「そうしたら僕が本当に人を殺してる所を見なくて済んだのに」
彼女の遺体を何度も蹴り付けながら、彼はそう言って笑っていた。
 だけど夜観之君が「やめろ!」と一喝すると、小さく舌打ちして足を止める。 きっとすごく嫌そうな顔をしている、そう思った。
「今頃良い子ぶるなよ、お前のそういう所が僕は嫌いなんだ」
 彼はそう言うと何かを投げたらしい、何か刃物が床に刺さったような鈍い音、それに私は身を強張らせた。 同時に夜観之君は私を引き寄せる。
「全部お前の母親の所為なんだろ?」
彼はそう呟くと一歩近付いた。
「全部お前の所為なんだろ?」
再び彼は似たような言葉を呟くとまた一歩近付く。
 だけど彼を恐れた夜観之君は一歩退き、それにまた彼は腹を立てた。
「何逃げてるんだよ……そう言ってたのはお前だろ!?」
 彼は更に詰寄ろうとしたが、再び一度舌打ちをすると歩みを止めた。
 私は意味が判らなかった。 確かに夜観之君は度々自分の所為だと口にしていたけど、 彼が人を殺めるのとどういう関係があるというのだろう。 どう考えても彼が悪いはずなのに……。
「昨日色々教えてもらったでしょ、のる……」
 彼は昨日のやり取りをまるで他人事のように言った。
 私はその口ぶりが彼とは思えず、他人と話している気分になる。 声は彼なのに彼じゃない、すごく嫌な気分だった。
「七瀬にどこまで聞いたかしらないけど、全部僕が教えてあげようか」
 彼はそう言ってクスクスと笑った。
 夜観之君はこれから彼が何を言おうとしているのか察したのか、 私の視界を解放はしなかったが身体がカタカタと震えていた。
「その前に……ねえのる、昨日どこまで話を聞いたの?」
 彼は夜観之君を私から退けると、顎を掴み顔を覗き込んで言った。
 私は制服どころか顔にまで返り血を浴びた彼の姿が恐ろしくて、息を飲む。 夜観之君の様子も心配だったが私にも目の前の恐怖の所為で余裕がなかった。
「答えろよ、"こいつ"はどこまで話した?」
   彼は自分の額右側を指でツンツンと叩きながら言った。
「……え?」
 私は身体を震わせながら、苦笑した。 本当に彼の中には別の人格が存在するのかと思った。 だから額を叩く素振りを見せたのかと……。
「り……律君は、私のお父さんの事と、この家での事件だけ……」
 彼は私の言葉を聞いて「大事な所を話してないな」と冷笑した。
「じゃあ続きを教えてあげる」
そう言うと彼は私の頬に軽く口付けた。
 知らない人にやられてるみたいで怖い、だけど私は逆らう事ができなかった。 "彼じゃない"と、心の奥底で感じたからだろう。 きっと彼なら、私には何もしないと、思っていたんだ。
「七瀬の母親は、人の危険な感情を抑制しどんな家庭環境でも"模範的な良い子"に……っていうのが目標らしいんだ」
 彼はそこまで言うと「僕の母親とは何かが違うだろ?」と微笑した。
 返事を求められてる気がして、私は小さく頷いた。 でも強迫されたと感じて同意したわけではない。 感情を抑制するなんて、その人の心を殺すのと一緒なんじゃないかって、そう思っただけだった。
「七瀬と僕は誕生日が一緒なんだけど、七瀬の母は難産だった所為か研究所に戻ってくるのが少し遅れたのさ」
 何がそんなに楽しいのかわからないけど、彼はクスクスと笑う。 だけど夜観之君は名前がでる度に身体の震えが酷くなっているように思った。
「その数日の間に、実験は僕の母のを採用し、T-01と契約を交わしていた」
 そこまで言うと「研究者に取って自分の案が没になるのは屈辱だよね」と続けた。
「夜観之君のお母さんの案は没になったんでしょ?じゃあ関係ないんじゃ……」
 私は身を縮めながらそう彼に聞いた。 本当は意見を言うのは怖い。 だけどこれ以上彼の言葉に夜観之君が傷付くのは嫌だった。
 夜観之君は少し顔をあげると苦しげな表情を浮かべていた。 そして何故か首を横に振ると、唇を震わせる。
「怒った俺の母親は……朝霧の叔父と結託して朝霧の母親を殺したんだ……」
 夜観之君の言葉に私は目を見開いた。 彼が目の前で笑ってる。 だけどそれすら耳に入ってこない。
 それでも夜観之君は話をやめない。
「最高責任者のいない、朝霧の母が進めていた実験は終了」
 夜観之君がそこまで言うと彼は「七瀬の母親の案で実験を開始する事になる」と続けた。
「実験体はまだ産まれたばかりで善し悪しなんてないL-02……朝霧 律」
 ここまで話すと夜観之君は崩れ落ちた。 必死に堪えているけど、涙が頬を伝い落ちる。
「こいつの母は僕の頭部を勝手に開き"ここ"にチップを埋め込んだ」
 彼は自分の額の傷を再びツンツンと叩きながら自分の事を話し出す。
「だけどそのチップは少し内容が違ってた、危険な感情を抑制するなんて可愛い物じゃない」
彼はそういうと両手で私の頬を包み込む。 冷たい手に思わず寒気が走る。
「僕自身、僕の自我を抑制し、チップに刻みこんだ情報に忠実な人間を作り出した」
 私はこの先を聞きたくないと思った。 すごく嫌な予感がする、彼じゃない彼より恐ろしく感じてならない。 だけど顔を伏せようとしても彼がそれを許さず、両手で抑えつけ私の耳元で言った。
「それが君の好きな朝霧 律で、僕の偽物だよ」

...2009.04.01