Genocide

 十月二十日木曜日、結局昨日母は帰って来なかったようだった。
 母には申し訳なかったが私はッホと胸を撫で下ろした。 そしてその原因である横で眠っている彼を見下ろした。
 昨日のやり取りの後、彼はずっと眠り続けてる。 何度も起こそうと思ったが、ろくに眠っていないのかもしれない、そう考えると起こす事ができなかった。
「……もう少し、寝かせてあげよう」
 誰が聞いてるわけでもないが私はそう呟く。 そして彼に自分の分の毛布をかけてあげた。
 ふと、自分が制服のまま寝ていた事、そしてお風呂に入っていない事を思い出した。 眠ったままの彼が気にかかったが、起きるのを待っていてはいつ入れるかわからない。 だから私は私服を取り出すと浴室へ向かった。
 シワシワになった制服を脱ぎながらアイロンをかけなければと思考を巡らせる。 そして自分の体型を鏡越しに見て、九月に比べ少しやつれてる気がした。 その反面お腹の辺りが太ったようにも感じる、そこに命があるんだと自覚してしまったからかもしれない。
 お腹を手で触れると、色々な気持ちが溢れてくる。 彼の事、母の事、今後おどうするべきなのかという事……。 そして、この子に毒の影響がでたりしないか、この子は生きる事を望むのかという不安。
 全部自分一人で結論を出すには大きすぎる問題で、私は首を横に振った。

 浴室からでると、目が覚めたのか彼は身体を起こしていた。
 私は「目が覚めたんだ」と声をかけようとしたが彼の様子に言葉を飲み込んだ。
 彼は辛そうに頭を抑えていた。 昨日言っていた傷痕がある方だ。
「頭が痛いの?……大丈夫?」
 私は彼に駆け寄るとそう声をかけた。
「違う、痛くない……」
 彼はその言葉に反応したように返事をすると、頭を抑えていた手を放した。
 毛布を膝にかけたまま、全身の力が抜けたように彼は座っていた。 虚ろな瞳は天井を見上げたまま、私を振り返る事もない。
 私はそんな彼に声をかける事ができず、一応取り出した彼の私服を傍らに置いて朝食の準備を始めた。
 食パン二枚をトースターに入れ、フライパンには卵を二つ落として目玉焼きを。 もう一方の焜炉では水を入れたやかんを火にかけた。
 だけど私は火を使っているにも関わらず、様子が気がかりで彼を振り返る、だけど彼の様子はまるで変わる事はない。 まるでそこに座っているのは人形のようで、 このまま彼が動き出す事はないのではないかと、今までのとまた違う恐怖を感じた。
 だけどトースターの音を聞いて、私はその気持ちを振り切る。 でも更にやかんまで音を上げ、慌てた私は布巾も持たずにやかんの取っ手を持った。
「熱ッ!」
取っ手は思いのほかとても熱くて、私は思わず手を放す。 痛みはすぐ引いたけど、何故か私は手を抑えたまま目からボロボロと涙が零れた。
 その時不意に手を取られ有無を言わさず水道の水に当てられた。 冷たい水が手の熱を持った部分に当って少しピリッとしたが、驚きに涙は止まっていた。
 私は振り返ると、先程まで人形のように微動だにしなかった彼が居た。
「手、もうちょっと冷やしてなよ」
 彼はそう呟くと私の手を放した。
 何をするのだろうと彼を見つめていると、彼は手近にあった布巾を手にやかんを持つ。 私が何をするつもりだったのか理解しているのか、 出ているコップ二つにお湯を注いでやかんを焜炉に戻した。
「あ、ありがと」
 私は小さくお礼を言うと彼は少し顔を伏せた。
「いや……手、大丈夫?」
「全然平気だよ、もう痛くないし……」
彼の心配そうな様子に私は苦笑して返すと、「そう、良かった……」と彼は優しく微笑んだ。
 用意した朝食を取っている間、私達は無言だった。 恐らく彼は私が喋らないから口を開かないのだろう。 解ってはいたが、口を開く事はできなかった。
「あ……律君、お風呂入ってくれば?昨日制服のまま寝ちゃってたし……」
 朝食を終えた時、やっとの思いで私はこの言葉を口にした。
「いや……」
「はい、着替え!」
何かを言おうとしたの彼の言葉を遮って彼の私服を手渡した。
 彼は渡された自分の私服を見ながら瞬きを数回繰り返してボソッと何か呟いた。
 よく聞き取れなかった私はすぐ聞き返そうとしたが、彼は「うん、わかった……」と答えて浴室に消えてしまった。

 ただ、『捨ててなかったんだね……』と聞こえたような気がした。

14.強くて弱かった人

 浴室から戻ってきた彼は制服を畳み鞄に押し込みはじめた。 恐らく帰り支度をしているのだろう。 だけど私達の間には朝食の時と同じく沈黙が流れていた。
 私はそれが辛くて何か話そうと思考を巡らせるが、気まずくて何も喋れなかった。
「昨日は眠っちゃってごめん、もう帰るから……」
 私の気持ちを察したのか彼はそう切り出した。
「え?」
「お母さん、そろそろ帰ってくるでしょ?鉢合わせたら今後が気まずいから……」
彼はそう呟くと鞄を肩にかけた。
 私はその言葉の真意を理解できていなかった。 刑事さん達を信用させたのにここで母と鉢合わせたら、 その信用が崩れる恐れがあるからじゃないだろうかと思ったのだ。
「ただいま〜……」
 だけど彼の気持ちを他所に玄関の扉が開かれた。
「るんごめんね、あんな事があったのに一人きりに……」
母は彼の姿を見初めると目を丸くした。
「……お、お邪魔しています」
 彼は動揺しながらも苦笑いを浮かべてそう挨拶した。
「……い、いらっしゃい〜……、おほ、おほほほほ」
 そして母も彼の存在に動揺し苦笑いを浮かべていた。
 私もさすがに男の人を家に招いている図を見られたのには動揺したが、 二人の動じ方は尋常ではなかった。
「よ、良ければどうぞ」
 母は私達を席に座らせると彼と私の前に紅茶を差し出し、目の前の席へついた。
「お、お構いなく、すぐお暇するので……」
 彼は軽く苦笑いな表情を貼り付けたままそう答えた。
 二人共何を話せばいいのか解らず完全に固まってしまっている。 だけど母はどういう事なのか聞きたいという様子で、それが更に彼を緊張させていた。
「あ、あのね、夜一人の私を心配して一緒に居てくれただけで……」
「夜!?」
 私がフォローしようと口にした言葉は逆に母を驚かせ、彼の緊張は更に増す結果になってしまった。
「ひょっとして……るんの服に紛れてた男物の洋服は……」
 母の言葉に思わず私は顔を真赤にした。
 逆に彼は諦めたような脱力した表情を浮かべて紅茶をすすっていた。
「朝霧君がるんの彼氏だったのね……」
 母は悪びれた様子はなく、腕を組んでうんうんと頷いていた。
「あの、お話があります……」
「はい?」
 その時、黙って私達のやり取りを聞いていた彼が口を開いた。
 私が彼を振り返ると彼はすごく固い表情をしていた。 その表情から何の話をする気なのか察しが付いたが、 まさか彼からしようとするとは思わず驚いた。
 母はただ首を傾げて「何?」と聞き返す。 その様子に私は申し訳無さを感じた。

 私が妊娠している話を聞いた母は最初は戸惑っていた。 だけど、「お互いまだ学生だから中絶すべき」とは言わなかった。
 むしろそれを言ったのは彼の方だった。
 私はその言葉を聞きながら自分の腹部に目をやった。 この子は自分を殺そうという話を聞いてどんな気持ちでいるだろう。 そんな事を考えていたら、悲しくて仕方なかった。
 だけど母は「それはこの子と相談して決める事でしょ」と彼に言った。
 彼はそれで引いたりはしなかった。 自分に新しい命を背負う資格はないと、そう彼は考えていたからだ。
「僕は……新しい命は背負いきれない……」
彼はそう呟くと俯いた。
 母はそんな彼を見据えると言い聞かせるように口を開いた。
「もう新しい命を背負ってるのよ?これは生まれてからじゃないの」
 それを聞いた彼は身体をビクリと震わせた。
 私は理由を知っている、彼が何度も言っていた。 "ゲームがどう終っても僕は裁かれる"と……。 彼はこの命に犯罪者の子供という烙印を押しているのだ。
 ここにきて私は彼が先程口にした「気まずい」の意味に気付いた。 母に彼の事がばれた時点で、私には母への気まずさが生まれる。 後々、母は知る事になるからだ"娘が罪人の子供を身篭った"と……。
 だけどその気まずさは未来の話じゃない、今すでに感じている。 それでも、彼は自分の事をなかった事にしようとしていたのかもしれない。
 彼が帰った後、私は気まずくて母の顔を見れなかった。 いつかは話さなければいけない事だけど、それでもこの話をした後に、何も話していいかわからなかった。
 だけど母は「るんがしたいようにしなさい」とそう微笑むだけだった。

 母は昨日の事件の為仕事に戻っていった。
「今日はなるべく早めに帰るからね」
そう口にした後、「それでも寂しかったら朝霧君に来てもらってもいいわよ?」とクスクスと笑った。
 私は母の言葉に苦笑しながら、頭では別の事を考えていた。 それは昨日の夜考えていた事。 彼の事とあの殺人現場になったあの家の事……。 彼に同情しかねないと夜観之君は隠すけど、この事を聞き出さなきゃいけないと思った。
 メールでは上手く伝える事ができないと思った私は夜観之君に電話をした。
 プルルルル……とコールする度緊張は増していく、夜観之君はどんな反応するだろう。 しつこいと怒って切ってしまうだろうか……。 それとも教えてくれるだろうか。
『……もしもし?』
 夜観之君はいつも通りの口調で電話にでた。
 だけど私は心のどこかでその話を聞く事に恐怖があるのか、中々声を出す事ができない。
『おいおい……のろ子、イタ電か?それとも携帯盗られたとか言うのか?』
 夜観之君はケラケラと笑った。
「ち、違うよ……!」
 私は思わず否定した。 夜観之君がそんな事を本気で言っていないのはわかっていたけど、いつものやりとりに少し不安が緩和した。
「あの……ね」
『何?言いたい事あんならハッキリ言え』
 夜観之君の声はぶっきらぼうだけど不思議と私を後押ししてくれる。 それもいつもの事だ。 だけどそんな夜観之君の声を暗くさせはしないかと考えると、また言葉に詰まってしまう。
『言い難い事なのか……?』  それでも夜観之急かす事はせず私を待ってくれる。 夜観之君は本当に優しい人なんだとそう思うと、迷惑ばかりかける自分が情けなかった。
『……電話でも話しづらいなら会って話すか?』
 私は思わず目を見開いた。 メールで上手く文章がまとめられないと思って電話にした事を悟られていたからだ。
「う、うん……」
『お前本当泣き虫だな、別に怒ってねーだろ?……場所どうする?』
 私の涙声に夜観之君は盛大に溜息を付くと、自ら次の話に移した。 夜観之君が自分の部屋を指定しないのは、彼が何らかの細工をしていると考えてるからだろう。
「私の家は?」
『ダメだ!』
 焦ったような声でダメという夜観之君に私は思わず「何で?」と返した。 だけど"この家にも細工がされてるかもしれない"という事だろうかと自分なりの結論を出した。
『まあ、それもある』
 そう答えた夜観之君は咳払いをすると『他にないのか?』と言った。
 私はどこか良い場所はないか考えたが、公園は一目に付くから避けたい。 学校は今入る事はできないし、人のいる所で離せる話題でもない。 そう思ったらもう一箇所しか思いつかなかった。
「……秘密の隠れ家」
『あ?』
 彼がずっと大事にしてた思い出の場所。 私だけに教えてくれたあの場所の事を、夜観之君に話した。 彼に申し訳ない気持ちはあったけど、私はどうしても彼の秘密が知りたかった。

「まさか、こんなとこに小屋があったなんてな」
 公園で待ち合わせた夜観之君と共に私は彼の隠れ家まで来た。 あの日以来きていなかったけどここから見える空はあの日と同じままだ。
「うん、律君が小さい頃手に入れた大事な隠れ家なんだって」
「へー……あいつの隠れ家なのか」
 夜観之君はジロジロと小屋を見回した。
「……あいつの隠れ家は"あの家"だけじゃないんだな」
 夜観之君が何気なく呟いた言葉に私は首を傾げた。 "あの家"というのは住居の事なのだろうか、それとも……。
 だけどその疑問はこれから聞き出そうとしている事に含まれていると思ってあえて追及しなかった。
「鍵は律君が持ってるから中には入れないけど……この場所なら一目につかないでしょ?」
「だな、ちっと肌寒いけど」
 夜観之君は少しぼやきながらも視線を私に移し「で、何?」と聞いた。
 私は緊張と不安に小さく深呼吸をする。 そして少し落ち着いた所で私は夜観之君を真っ直ぐ見つめた。
「律君の事とあの家の事……教えて欲しいの」
 私の言葉に夜観之君は驚く事はなく、ただ黙って私を見つめ返す。 もしかしたら夜観之君は私がこの話を持ちかけてくるとわかっていたのかもしれない。
 だけど、口を噤むと首を横に振って目を伏せてしまった。
「ダメだ、言えない……」
搾り出すようにそう呟くと小屋に背を預けて顔を背けた。
「どうして?私が同情するかもしれないから?」
 私は前に夜観之君に言われた事を改めて聞き返した。
 夜観之君は首を横に振ると「違うっ」と否定する。
「それだけじゃないんだ、ただ……」
そのまま夜観之君は言葉を詰らせて黙ってしまった。 その表情には少し怯えが混じっているような気がした。 彼が怖いからではなく、もっと違う何か……。
 私はその様子にそれ以上追及するのは酷だと思った。 だけどここで引き下がったら今まで通りだ。 何が原因で、どうしてこんな事になったのか、 それを知るにはもう夜観之君を頼るしか……。
「どうしても、ダメ?私、そんなに信用できない……?」
 信用してなかったら今までも助けてくれるはずなんかないのは解ってたけど、私は遂そう口走った。
「違う!お前が同情するかどうかなんて……もうどうでもいいんだっ」
 夜観之君は私を振り返るとそう叫び、「これは……俺の、俺の気持ちの問題だ」と続けた。 彼の事で夜観之君は何かを思いそれが言い辛い状況にしてしまっているようだ。
「夜観之君の気持ち……?彼の事に何か関係があるの……?」
 私の質問に夜観之君はビクリと身体を震わせた。 その震えは少しずつ大きくなりそれを止めようと自分を抱きしめていた。
「や、夜観之君、すごい震えてるよ……そんなに辛い事なの?」
 私は夜観之君の気持ちも考えずに発言した事を後悔して、思わず涙目になった。 結局は自分の事しか考えてなかったんだと、そう思わずにはいられなくて……。
 だけど夜観之君は「何でお前が辛そうな顔すんだよ……」と申し訳無さそうに私を慰める。 それがまた情けなくて、私は遂「ごめんね」と謝っていた。
 夜観之君はその言葉に首を振る、それは謝るのは自分の方だと言っているようだった。
「でも、これを話したら……もうアイツの所為なんて言えない……っ」
「え……?」
 私は夜観之君の告白に驚いて一瞬表情が固まった。 どうして彼の所為じゃなくなるの? だって、彼が悪い事してるのに……。
 夜観之君は私の様子に気を止める事はなく、次々と言葉を零していく。 塞き止めてたものが溢れ出して、止まらなくなってしまったように。
「……元を正せば全部……っ全部っ」
頭を抱えそのまま顔が苦痛に歪んでいく。 今から自分が言うであろう言葉を否定するように首を横に振って、抗っていた。 だけどもう夜観之君は堪える事ができなかった。
「俺が悪いんだ……!」
そう叫ぶと、最後には夜観之君の目から涙が零れていた。
 夜観之君が泣くところなんて想像もできないでいた。 強い人だと思ってたからだ。 だけど本当は強がってるだけで、夜観之君だって心が折れたりするんだと、 そう思うと私も泣き出していた。
「お前に嫌われる……っやっと普通に……誰か……なのに……」
 夜観之君は恐怖に怯えながら私を強く抱きしめた。
 そんな夜観之君に私は、ただ落ち着くまで抱きしめ返してあげる事しかできなかった。

...2009.02.01